中国塗料:広島での中国化学工業の創業と船底塗料の製造
1917年〜船底塗料での創業と原爆・敗戦による海外市場の喪失
中国塗料は、1917年5月に広島市で資本金5万円の中国化学工業合資会社として発足した。製品は鉄船と木船の船底塗料を軸とし、防錆塗料などを加えた品目で製造と販売を開始。1923年5月の株式会社への改組で、商号は中国塗料株式会社となり、資本金は25万円に増えた。改組後は工場設備を広げ、製品の品質改良に力を注いだ。1930年には海軍と鉄道省の指定工場となり、商工省からは優良国産品の表彰を受けた。船体を守る塗料に用途を絞った出発が、艦船と車両を抱える官需の顧客を引き寄せる素地になったとみられる。
- 証券業報 第90号(1957年)「中国塗料株式会社」
- [1]1917年(大正6年)5月、中国化学工業合資会社の商号・資本金5万円で設立され、広島市に工場を開いた
- [2]創業時に鉄船船底塗料・木船塗料・防錆塗料をはじめ各種塗料の製造販売に着手した
- [4]株式会社への改組後、工場設備の拡充と製品品質の改良に努めた
- 中国塗料 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)【沿革】
- [3]1923年(大正12年)5月、中国塗料株式会社に改組し、資本金は25万円
- 塗装と塗料 第155号(1968年)「研究所めぐり 中国塗料(株)広島工場技術部」
- [5]1930年(昭和5年)に海軍・鉄道省の指定工場となり、この頃に商工省から優良国産品として表彰された
1930年前後には東南アジア・インド・中国へ製品を送り出し、販路を国外へ広げた。合成樹脂の研究も1930年に始まり、尿素系樹脂がその最初の対象となった。1944年の東洋合成化学工業の吸収合併で、事業の幅はさらに広がった。1945年8月には広島への原爆投下で被害を受け、終戦とともに海外の市場も失った。一時は操業を縮めたものの、工場の復旧は短期間で終わった。輸出と官需という戦前の2つの柱を同じ時期に失ったことが、戦後の再出発の条件を決めたのだろう。
- 塗装と塗料 第155号(1968年)「研究所めぐり 中国塗料(株)広島工場技術部」
- [6]戦前、東南アジア・インド・中国方面への輸出が盛んだった
- [7]尿素系樹脂をはじめとする合成樹脂の研究を1930年(昭和5年)に開始した
- [9]1945年(昭和20年)8月、原爆投下により被害を受けた
- [10]終戦により海外市場を喪失した
- [11]被災と海外市場の喪失を受けて一時操業を短縮した
- 証券業報 第90号(1957年)「中国塗料株式会社」
- [8]1944年(昭和19年)に東洋合成化学工業株式会社を吸収合併した
- [12]1945年の原爆被災の後、短期間で復旧を完了した
参考文献[1]-[12]
- 証券業報 第90号(1957年)「中国塗料株式会社」
- [1]1917年(大正6年)5月、中国化学工業合資会社の商号・資本金5万円で設立され、広島市に工場を開いた
- [2]創業時に鉄船船底塗料・木船塗料・防錆塗料をはじめ各種塗料の製造販売に着手した
- [4]株式会社への改組後、工場設備の拡充と製品品質の改良に努めた
- [8]1944年(昭和19年)に東洋合成化学工業株式会社を吸収合併した
- [12]1945年の原爆被災の後、短期間で復旧を完了した
- 中国塗料 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)【沿革】
- [3]1923年(大正12年)5月、中国塗料株式会社に改組し、資本金は25万円
- 塗装と塗料 第155号(1968年)「研究所めぐり 中国塗料(株)広島工場技術部」
- [5]1930年(昭和5年)に海軍・鉄道省の指定工場となり、この頃に商工省から優良国産品として表彰された
- [6]戦前、東南アジア・インド・中国方面への輸出が盛んだった
- [7]尿素系樹脂をはじめとする合成樹脂の研究を1930年(昭和5年)に開始した
- [9]1945年(昭和20年)8月、原爆投下により被害を受けた
- [10]終戦により海外市場を喪失した
- [11]被災と海外市場の喪失を受けて一時操業を短縮した
出典・参考
3件
- 中国塗料 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)【沿革】
- 証券業報 第90号(1957年)「中国塗料株式会社」
- 塗装と塗料 第155号(1968年)「研究所めぐり 中国塗料(株)広島工場技術部」