扶桑化学工業:帝國製薬大阪工場からの独立とリンゴ酸の製造
1957年〜医薬中間体の工場が粉末ジュースの酸味料へ向かうまで
扶桑化学工業は1957年6月、帝國製薬大阪工場を独立させて大阪市淀川区に設立された。設立時の資本金は200万円、従業員は6名で、創業者の赤澤庄三氏は当時29歳だった。社名の扶桑は日の出る地を指す語で、日本の別名にもあたる。設立当初の事業は医薬品向けの中間製品で、その専門メーカーとして出発した。製薬会社の工場から分かれた出自が、最初の事業領域を医薬の中間製品に定めたとみられる。
- 扶桑化学工業 有価証券報告書 第49期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1957年6月、資本金2,000千円で帝國製薬大阪工場を独立させ扶桑化学工業を設立
- 扶桑化学工業「第57期事業報告書から第62期事業報告書までの特集・トピックス」(2019年6月)
- [2]1957年6月24日、創業者赤澤庄三(29歳)が資本金200万円・従業員6名で設立
- [3]扶桑は「太陽の出る所」の意で、日本の別名でもある
- [4]設立当初は医薬品向け中間製品の専門メーカーだった
1962年6月に神崎川工場を設けた扶桑化学工業は、同年9月に食品添加物のリンゴ酸の製造を始めた。会社の回顧では、他社の工場の買収が、リンゴ酸の生産へ参入する契機になった。在庫の化合物を安く譲るので何か作らないかと持ちかけられ、赤澤庄三氏はそれを粉末ジュースの原料に使えると見込んだという。リンゴ酸は当時人気の粉末ジュースへ酸味を足す酸味料として売り出された。1966年5月にはイソブチレン誘導体の樹脂添加剤の製造にも入った。手元に転がり込んだ原料を、伸びていた飲料の酸味料という需要に結び付けたことが、果実酸のメーカーへの転換点になったと推察される。
- 扶桑化学工業 有価証券報告書 第49期(2006年3月期)【沿革】
- [5]1962年6月に大阪市淀川区に神崎川工場を設置し、同年9月に食品添加物「リンゴ酸」の製造を開始
- [9]1966年5月にイソブチレン誘導体「樹脂添加剤」の製造を開始
- 扶桑化学工業「第57期事業報告書から第62期事業報告書までの特集・トピックス」(2019年6月)
- [6]1962年に他社の工場を買収したのを契機に、赤澤庄三が生産に乗り出した
- [7]創立5年目に他社から在庫の化合物の利用を持ちかけられ、赤澤庄三が粉末ジュースの原料への利用を着想した
- [8]リンゴ酸は粉末ジュースに酸味を付与する酸味料として販売された
参考文献[1]-[9]
- 扶桑化学工業 有価証券報告書 第49期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1957年6月、資本金2,000千円で帝國製薬大阪工場を独立させ扶桑化学工業を設立
- [5]1962年6月に大阪市淀川区に神崎川工場を設置し、同年9月に食品添加物「リンゴ酸」の製造を開始
- [9]1966年5月にイソブチレン誘導体「樹脂添加剤」の製造を開始
- 扶桑化学工業「第57期事業報告書から第62期事業報告書までの特集・トピックス」(2019年6月)
- [2]1957年6月24日、創業者赤澤庄三(29歳)が資本金200万円・従業員6名で設立
- [3]扶桑は「太陽の出る所」の意で、日本の別名でもある
- [4]設立当初は医薬品向け中間製品の専門メーカーだった
- [6]1962年に他社の工場を買収したのを契機に、赤澤庄三が生産に乗り出した
- [7]創立5年目に他社から在庫の化合物の利用を持ちかけられ、赤澤庄三が粉末ジュースの原料への利用を着想した
- [8]リンゴ酸は粉末ジュースに酸味を付与する酸味料として販売された
出典・参考
2件
- 扶桑化学工業 有価証券報告書 第49期(2006年3月期)【沿革】
- 扶桑化学工業「第57期事業報告書から第62期事業報告書までの特集・トピックス」(2019年6月)