第1章 年〜年

積水樹脂:アドヘヤ紙工の設立と積水アドヘヤ工業への商号変更

1954年〜資本金400万円で始めたアドヘヤ封筒と、市場の8割を取ったガラス繊維入り巻尺

積水樹脂の前身は、1954年11月に資本金400万円で設立したアドヘヤ紙工である。本店を大阪市北区に、本社事務所と大阪工場を大阪市旭区に置いた。積水化学工業の接着剤に関わる事業を切り出し、独立した会社で事業化することが設立の目的である。最初の製品は特殊接着剤を応用したアドヘヤ封筒で、翌12月には商号をアドヘヤ化工に改めた。封筒と並び、事務用の卓上糊の製造販売も手がけた。設立時の役員には、積水化学工業から来た取締役の山川清氏と監査役の杉田求氏が名を連ねた。杉田求氏は当時、積水化学工業の取締役を兼ねていた。封筒と糊は、接着剤の用途を最も手近な形で示せる製品だったのだろう。

  • 積水樹脂 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1954年11月、資本金400万円でアドヘヤ紙工を設立。本店は大阪市北区、本社事務所と大阪工場は大阪市旭区
    • [2]1954年11月、資本金400万円でアドヘヤ紙工を設立。本店は大阪市北区、本社事務所と大阪工場は大阪市旭区
    • [4]特殊接着剤を応用したアドヘヤ封筒の製造販売で始め、1954年12月に商号をアドヘヤ化工に変更
  • 週刊日本経済 24(22) 1971年6月3日
    • [3]積水化学工業の接着剤を事業化する目的で1954年11月に発足
  • 証券アナリストジャーナル 9(5) 1971年(杉田求・講演要旨)
    • [5]当初はアドヘヤ化工としてアドヘヤ封筒と卓上用(事務用)糊を製造販売
  • 日本企業要覧 1973年版「積水樹脂」
    • [6]山川清氏は1948年に積水化学工業へ入社し1954年11月に当社取締役。杉田求氏は積水化学工業取締役で1954年11月に当社監査役
    • [7]山川清氏は1948年に積水化学工業へ入社し1954年11月に当社取締役。杉田求氏は積水化学工業取締役で1954年11月に当社監査役

ガラス繊維を塩化ビニール樹脂で接着した巻尺が、創業期の主力製品になった。開発を担ったのは、1955年11月に常務取締役となった山川清氏らの技術陣である。日本窒素肥料で電気化学を修めた技術者であった。当時の繊維製の巻尺は扱いやすい半面、引くと少し伸びる欠点を抱えていた。ガラス繊維を芯に入れて伸縮を抑え、鋼鉄製の巻尺に近い精度まで高め、特許を確立して発売した。1971年時点の繊維製巻尺の市場占有率は80%と、業界首位。1971年3月期の計量用品の売上高は416百万円で、売上全体の14.7%を占めた。伸びるという欠点を素材の組み合わせで消したことが、首位を保つ源泉になったとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 9(5) 1971年(杉田求・講演要旨)
    • [8]山川専務ら技術陣がガラス繊維と塩化ビニール樹脂の接着による巻尺を開発。繊維製は引くと伸びる欠陥があり、グラスファイバー入りで鋼鉄製並みの精度を実現し特許を確立して製造発売
    • [11]山川専務ら技術陣がガラス繊維と塩化ビニール樹脂の接着による巻尺を開発。繊維製は引くと伸びる欠陥があり、グラスファイバー入りで鋼鉄製並みの精度を実現し特許を確立して製造発売
    • [12]山川専務ら技術陣がガラス繊維と塩化ビニール樹脂の接着による巻尺を開発。繊維製は引くと伸びる欠陥があり、グラスファイバー入りで鋼鉄製並みの精度を実現し特許を確立して製造発売
  • 日本企業要覧 1973年版「積水樹脂」
    • [9]山川清氏は横浜高工(電気化学)卒、日本窒素肥料を経て積水化学工業入社。1955年11月に当社常務取締役
    • [10]山川清氏は横浜高工(電気化学)卒、日本窒素肥料を経て積水化学工業入社。1955年11月に当社常務取締役
  • 週刊日本経済 24(22) 1971年6月3日
    • [13]1971年時点で繊維製巻尺の市場占有率80%・業界首位。前3月期の計量用品売上416百万円(14.7%)
    • [14]1971年時点で繊維製巻尺の市場占有率80%・業界首位。前3月期の計量用品売上416百万円(14.7%)
参考文献[1]-[14]
  • 積水樹脂 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1954年11月、資本金400万円でアドヘヤ紙工を設立。本店は大阪市北区、本社事務所と大阪工場は大阪市旭区
    • [2]1954年11月、資本金400万円でアドヘヤ紙工を設立。本店は大阪市北区、本社事務所と大阪工場は大阪市旭区
    • [4]特殊接着剤を応用したアドヘヤ封筒の製造販売で始め、1954年12月に商号をアドヘヤ化工に変更
  • 週刊日本経済 24(22) 1971年6月3日
    • [3]積水化学工業の接着剤を事業化する目的で1954年11月に発足
    • [13]1971年時点で繊維製巻尺の市場占有率80%・業界首位。前3月期の計量用品売上416百万円(14.7%)
    • [14]1971年時点で繊維製巻尺の市場占有率80%・業界首位。前3月期の計量用品売上416百万円(14.7%)
  • 証券アナリストジャーナル 9(5) 1971年(杉田求・講演要旨)
    • [5]当初はアドヘヤ化工としてアドヘヤ封筒と卓上用(事務用)糊を製造販売
    • [8]山川専務ら技術陣がガラス繊維と塩化ビニール樹脂の接着による巻尺を開発。繊維製は引くと伸びる欠陥があり、グラスファイバー入りで鋼鉄製並みの精度を実現し特許を確立して製造発売
    • [11]山川専務ら技術陣がガラス繊維と塩化ビニール樹脂の接着による巻尺を開発。繊維製は引くと伸びる欠陥があり、グラスファイバー入りで鋼鉄製並みの精度を実現し特許を確立して製造発売
    • [12]山川専務ら技術陣がガラス繊維と塩化ビニール樹脂の接着による巻尺を開発。繊維製は引くと伸びる欠陥があり、グラスファイバー入りで鋼鉄製並みの精度を実現し特許を確立して製造発売
  • 日本企業要覧 1973年版「積水樹脂」
    • [6]山川清氏は1948年に積水化学工業へ入社し1954年11月に当社取締役。杉田求氏は積水化学工業取締役で1954年11月に当社監査役
    • [7]山川清氏は1948年に積水化学工業へ入社し1954年11月に当社取締役。杉田求氏は積水化学工業取締役で1954年11月に当社監査役
    • [9]山川清氏は横浜高工(電気化学)卒、日本窒素肥料を経て積水化学工業入社。1955年11月に当社常務取締役
    • [10]山川清氏は横浜高工(電気化学)卒、日本窒素肥料を経て積水化学工業入社。1955年11月に当社常務取締役

1962年〜枚方・土浦の2工場と、樹脂と異素材を貼り合わせて広げた包装用バンドと道路資材

1962年5月、大阪府枚方市に枚方工場を開設した。翌1963年5月には商号を積水アドヘヤ工業に改めた。同じ月に山川清氏が専務取締役に就任した。これに先立つ1961年11月には、アドヘヤ産商(現積水樹脂商事)を設立。創立以来、プラスチックを金属や繊維と結合する主題に取り組み、巻尺から測量ロープ・ベルト素材へ品目を広げた。社長の杉田求氏は1971年の講演で、単体の樹脂製品より他の物質と結合した複合製品が多い点を挙げた。積水アドヘヤの社名もその意味で外れていなかったと、杉田求氏は振り返った。品目の増加に大阪工場だけでは量産が追いつかず、接着の技術を社名に残したまま積水の名を冠したと推察される。

  • 積水樹脂 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1961年11月アドヘヤ産商(現積水樹脂商事)設立、1962年5月枚方工場開設、1963年5月商号を積水アドヘヤ工業に変更
    • [16]1961年11月アドヘヤ産商(現積水樹脂商事)設立、1962年5月枚方工場開設、1963年5月商号を積水アドヘヤ工業に変更
    • [18]1961年11月アドヘヤ産商(現積水樹脂商事)設立、1962年5月枚方工場開設、1963年5月商号を積水アドヘヤ工業に変更
  • 日本企業要覧 1973年版「積水樹脂」
    • [17]山川清氏は1963年5月に当社専務取締役
  • 週刊日本経済 24(14) 1971年4月1日
    • [19]創立以来プラスチックと金属・繊維などを結びつけるテーマに取り組み、硝子繊維と樹脂の巻尺・測量ロープ・ベルト素材などを開発
  • 証券アナリストジャーナル 9(5) 1971年(杉田求・講演要旨)
    • [20]製品は単体より他の物質と結合した複合製品が多く、積水アドヘヤの社名も違っていなかったと杉田求社長が1971年に説明
    • [21]製品は単体より他の物質と結合した複合製品が多く、積水アドヘヤの社名も違っていなかったと杉田求社長が1971年に説明

1968年5月、茨城県土浦市に土浦工場を開設した。その前の1966年11月に、副社長の杉田求氏が代表取締役社長に就任していた。積水アドヘヤ工業は押出成型の技術を軸に、樹脂を鉄・アルミ・ガラス繊維と結合して用途を広げた。ポリプロピレン樹脂の包装用バンドを製品に加え、道路標示材にも参入した。1971年時点で土浦工場はP・Pバンドの製造設備を増設していた。P・Pバンドは新しい製品ながら約40%のシェアを持ち、業界首位であった。1971年3月期の売上高は、包装資材を含む産業資材が721百万円、道路資材が620百万円。土浦工場は包装資材の需要が大きい関東での生産を担う拠点だったと思われる。

  • 積水樹脂 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1968年5月土浦工場開設
  • 日本企業要覧 1973年版「積水樹脂」
    • [23]杉田求氏は1966年5月に当社代表取締役副社長、1966年11月に代表取締役社長
  • 証券アナリストジャーナル 9(5) 1971年(杉田求・講演要旨)
    • [24]押出成型にプラスチックと鉄・アルミ・グラスファイバーを結合する技術を中心に、ポリプロピレン樹脂の包装用バンド・道路標示材などへ用途を拡大
    • [25]押出成型にプラスチックと鉄・アルミ・グラスファイバーを結合する技術を中心に、ポリプロピレン樹脂の包装用バンド・道路標示材などへ用途を拡大
  • 週刊日本経済 24(14) 1971年4月1日
    • [26]1971年時点で土浦工場にP・Pバンド製造設備を増設中
  • 週刊日本経済 24(22) 1971年6月3日
    • [27]P・Pバンドは比較的新しい製品で約40%のシェア・業界首位。前3月期の産業資材(包装資材・農業資材)売上721百万円、道路資材売上620百万円
    • [28]P・Pバンドは比較的新しい製品で約40%のシェア・業界首位。前3月期の産業資材(包装資材・農業資材)売上721百万円、道路資材売上620百万円
参考文献[15]-[28]
  • 積水樹脂 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1961年11月アドヘヤ産商(現積水樹脂商事)設立、1962年5月枚方工場開設、1963年5月商号を積水アドヘヤ工業に変更
    • [16]1961年11月アドヘヤ産商(現積水樹脂商事)設立、1962年5月枚方工場開設、1963年5月商号を積水アドヘヤ工業に変更
    • [18]1961年11月アドヘヤ産商(現積水樹脂商事)設立、1962年5月枚方工場開設、1963年5月商号を積水アドヘヤ工業に変更
    • [22]1968年5月土浦工場開設
  • 日本企業要覧 1973年版「積水樹脂」
    • [17]山川清氏は1963年5月に当社専務取締役
    • [23]杉田求氏は1966年5月に当社代表取締役副社長、1966年11月に代表取締役社長
  • 週刊日本経済 24(14) 1971年4月1日
    • [19]創立以来プラスチックと金属・繊維などを結びつけるテーマに取り組み、硝子繊維と樹脂の巻尺・測量ロープ・ベルト素材などを開発
    • [26]1971年時点で土浦工場にP・Pバンド製造設備を増設中
  • 証券アナリストジャーナル 9(5) 1971年(杉田求・講演要旨)
    • [20]製品は単体より他の物質と結合した複合製品が多く、積水アドヘヤの社名も違っていなかったと杉田求社長が1971年に説明
    • [21]製品は単体より他の物質と結合した複合製品が多く、積水アドヘヤの社名も違っていなかったと杉田求社長が1971年に説明
    • [24]押出成型にプラスチックと鉄・アルミ・グラスファイバーを結合する技術を中心に、ポリプロピレン樹脂の包装用バンド・道路標示材などへ用途を拡大
    • [25]押出成型にプラスチックと鉄・アルミ・グラスファイバーを結合する技術を中心に、ポリプロピレン樹脂の包装用バンド・道路標示材などへ用途を拡大
  • 週刊日本経済 24(22) 1971年6月3日
    • [27]P・Pバンドは比較的新しい製品で約40%のシェア・業界首位。前3月期の産業資材(包装資材・農業資材)売上721百万円、道路資材売上620百万円
    • [28]P・Pバンドは比較的新しい製品で約40%のシェア・業界首位。前3月期の産業資材(包装資材・農業資材)売上721百万円、道路資材売上620百万円

出典・参考

5件
出典・参考
  • 積水樹脂 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊日本経済 24(22) 1971年6月3日
  • 証券アナリストジャーナル 9(5) 1971年(杉田求・講演要旨)
  • 週刊日本経済 24(14) 1971年4月1日
  • 日本企業要覧 1973年版「積水樹脂」

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