ニッタ の歴史

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創業 1885年
創業者 新田長次郎
創業地 大阪府西成郡難波村久保吉(現・大阪市浪速区)
創業
1885年3月、新田長次郎氏が大阪府西成郡難波村久保吉、現在の大阪市浪速区にあたる地で製革業を創業した。大阪の製革工場に招かれていたドイツ人技師から、製革は文明社会に必要で発展する事業だと聞かされたことが入口である。創業3年目の1888年5月、英国から機械を導入した大阪紡績の依頼を受け、日本で最初の動力伝動用革ベルトを製造して輸入品への依存を断った。1909年6月に合資会社新田帯革製造所を設立し、タンニン・膠・ゴムベルトへ工程の前後を広げる。1945年2月、事業は新田帯革製造所・新田護謨工業・新田膠質工業の3社へ分割され、現在のニッタは同月に設立された株式会社新田帯革製造所を出発点とする。
決断
三度の合弁のうち一つだけを取得し、二つは半分のまま残した。戦後に機械ごとの小型モーターが普及して個別伝動方式へ移ると、集団運転向けの広幅長尺ベルトは主役の位置を失う。1968年7月、米サムエル・ムアーとの合弁でニッタ・ムアーカンパニーを設立し、ナイロン製ホースチューブの技術を導入した。1971年1月には米ユニロイヤルとの折半出資でユニッタを設立して歯付ベルトへ、1983年11月には米ロデールとの合弁で半導体ウエハーの研磨パッドへ入る。1988年にニッタ・ムアーの全株式を取得して完全子会社とし2009年7月に吸収合併した一方、ユニッタとロデール・ニッタは合弁のまま置いた。取得した一社の稼ぎは連結の売上に、残した二社の稼ぎは持分法投資利益に入り、損益計算書の別の行へ分かれた。
現況
本業の利益より、半分だけ持つ2社から入る利益のほうが大きい。2026年3月期の連結売上高918億円に対し営業利益は58億円、売上高営業利益率は6.4%にとどまる。一方で経常利益は148億円あり、差の89億円の大半は歯付ベルトのゲイツ・ユニッタ・アジアと精密研磨用パッドのニッタ・デュポンからの持分法投資利益である。2025年3月期でみると、営業利益51億円に対し持分法投資利益は86億円だった。連結の売上を作るのはホース・チューブ製品329億円とベルト・ゴム製品305億円で、2017年12月に東洋ゴム工業から譲り受けた化工品事業が116億円を足している。統合報告書2025は自己資本比率80%超と営業利益率5%台を並べ、後者の改善を喫緊の課題と書いた。
競合
伸びた2品目は、どちらも自社の連結の外にある。平ベルトが個別伝動方式の普及で主役を外れたあと代わりに伸びたのは、歯のかみ合わせで回転の位相まで揃える歯付ベルトと、シリコンウエハーを磨く研磨パッドだった。前者を担うユニッタは自動車・オートバイのエンジンカム駆動用ベルト市場の約6割を握り、生産は韓国へも広がって、米ゲイツ社・韓国の平和産業との3社合弁である韓国ゲイツが現地拠点となった。後者のロデール・ニッタは日本のほとんどの半導体メーカーが使う製品になっている。同じ研磨材で富士紡ホールディングスが2005年に持株会社化して祖業の紡績から研磨材事業へ経営資源を集中したのに対し、ニッタは技術を導入する条件として議決権の半分を相手へ渡し、首位に立った品目ほど自社の売上へ計上できない構えを残した。
長期業績の推移 1990〜2026年
ニッタ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 日本で最初の動力伝動用革ベルトと三社への分割 (1885年〜)

創業ストーリー(1)

製革業の開業と国産第一号の動力伝動用革ベルト

新田長次郎氏は5歳で父を亡くし、四人の兄弟とともに母の手ひとつで育つ[1]。20歳で大阪に出て米屋で働きはじめた[2]。その近くにあった製革工場は、近代化のためにドイツ人技師を招いていた[3]。技師から、製革業は文明社会に必要でありかつ発展する事業だと聞かされた新田氏は、この製革所に入った[4]。技術を習得したのち独立し、1885年3月、大阪府西成郡難波村久保吉、いまの大阪市浪速区にあたる地で製革業を開始した[5]

  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [1]長次郎氏は5歳で父を亡くし、四人の兄弟とともに母の女手一つで育てられた
    • [2]20歳で大阪に出て米屋で働くことになる
    • [3]近くにあった製革工場に、近代化のためドイツ人技師が招かれていた
    • [4]ドイツ人技師から「製革業は文明社会に必要であり、かつ発展する事業である」と聞かされ、この製革所に入った
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1885年3月、創業者新田長次郎が大阪府西成郡難波村久保吉(現 大阪市浪速区)において製革業を開始

創業のころ、大阪の財界人のあいだでは、綿糸布の需要増大を見越して国内紡績の振興を図るべきだという議論が交わされていた[6]。その先駆けとして、大阪紡績、現在の東洋紡が最先端の機械を英国から導入する[7]。ところが当時の日本には、この機械の動力用ベルトの代替品がなかった[8]。破損するたびに海外から取り寄せていたため、事業を起こしたばかりの新田氏のもとへ、そのベルト開発の話が舞い込む[9]。創業3年目の1888年5月、新田氏は日本で最初の動力伝動用革ベルトを製造した[10]。当時の工場は、1台のモータから天井に渡した長い中間軸を介して各機械へ平ベルトで動力を分配する方式をとっており、ベルトはその分配を担う部品にあたる[11]

  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [6]大阪の財界人の間で、綿糸布の需要増大を見越し国内紡績の振興を図らねばならないという議論が展開されていた
    • [7]その先駆けとして大阪紡績(現在の東洋紡)が最先端の機械を英国から導入した
    • [8]当時の日本にはこの機械の動力用ベルトの代替品がなかった
    • [9]ベルトは破損するといちいち海外から取り寄せていた。事業を起こしたばかりの長次郎氏のもとにベルト開発の話が舞い込んだ
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】 / 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [10]1888年5月、日本で最初の動力伝動用革ベルトを製造。創業三年目にして国産第一号の動力伝動用革ベルトを誕生させた
    • [11]当時の動力伝動方式は、1台のモータから天井に長い中間軸を介し各機械に平ベルトで動力分配される方式だった

国産第一号のあと、事業は日本の工業化と歩調を合わせて成長した[12]。1888年に革製平ベルトを大阪で作ったのが日本初と記録されており、以後の50年間は紡績の花形時代にあたる[13]。その50年のあいだに平ベルトは革から木綿織布へ、さらにゴム引布ベルトへと改良が加えられ、伝動ベルトの1代表種を完成させた[14]。材料が替わっても、機械へ動力を配る部品という位置は動かない。新田氏は1909年6月、合資会社新田帯革製造所を設立した[15]。この合資会社は、製革と工業用革製品の二つの部門を持つ[16]。一代で築いた財産をもとに、新田氏はここからさまざまな分野へ進出した[17]

  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [12]日本の工業化と歩調を合わせるように事業は順調に成長を続けた
    • [17]長次郎氏は一代で築いた財産をもとにさまざまな分野へ進出した
    • [13]記録によると1888年に革製平ベルトを大阪で作ったのが日本初となっている。以後50年間は紡績の花形時代
    • [14]この間、平ベルトは革→木綿織布→ゴム引布ベルトと改良が加えられ、伝動ベルトの1代表種を完成させた
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1909年6月、(資)新田帯革製造所を設立
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [16]合資会社新田帯革製造所は製革及び工業用革製品部門を持っていた
  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [1]長次郎氏は5歳で父を亡くし、四人の兄弟とともに母の女手一つで育てられた
    • [2]20歳で大阪に出て米屋で働くことになる
    • [3]近くにあった製革工場に、近代化のためドイツ人技師が招かれていた
    • [4]ドイツ人技師から「製革業は文明社会に必要であり、かつ発展する事業である」と聞かされ、この製革所に入った
    • [6]大阪の財界人の間で、綿糸布の需要増大を見越し国内紡績の振興を図らねばならないという議論が展開されていた
    • [7]その先駆けとして大阪紡績(現在の東洋紡)が最先端の機械を英国から導入した
    • [8]当時の日本にはこの機械の動力用ベルトの代替品がなかった
    • [9]ベルトは破損するといちいち海外から取り寄せていた。事業を起こしたばかりの長次郎氏のもとにベルト開発の話が舞い込んだ
    • [12]日本の工業化と歩調を合わせるように事業は順調に成長を続けた
    • [17]長次郎氏は一代で築いた財産をもとにさまざまな分野へ進出した
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1885年3月、創業者新田長次郎が大阪府西成郡難波村久保吉(現 大阪市浪速区)において製革業を開始
    • [15]1909年6月、(資)新田帯革製造所を設立
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】 / 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [10]1888年5月、日本で最初の動力伝動用革ベルトを製造。創業三年目にして国産第一号の動力伝動用革ベルトを誕生させた
    • [11]当時の動力伝動方式は、1台のモータから天井に長い中間軸を介し各機械に平ベルトで動力分配される方式だった
    • [13]記録によると1888年に革製平ベルトを大阪で作ったのが日本初となっている。以後50年間は紡績の花形時代
    • [14]この間、平ベルトは革→木綿織布→ゴム引布ベルトと改良が加えられ、伝動ベルトの1代表種を完成させた
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [16]合資会社新田帯革製造所は製革及び工業用革製品部門を持っていた
創業ストーリー(2)

タンニン・膠・ゴムベルトへの事業の広がり

新田氏は革ベルトの製造から、その前後の工程へ事業を伸ばした。1906年、北海道でタンニンの製造を開始する[18]。1918年には膠とゼラチンの製造に入り、同じ年、ゴムベルトの開発と販売にも乗り出した。大正の初めごろには、ゼラチンやベニヤ板、各種ゴム製品の製造、さらに牧場経営へと進み、第一次の多角化の時代を迎える[19]。革ベルトを動かすために要る材料も、革ベルトを置き換えていく材料も、いずれも自社で作る側に回った形になった。合資会社時代に蓄えたゴムの接着・配合技術は、のちのゴム成型品の土台として残る[20]

  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1906年、北海道でタンニンの製造を開始
  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [19]大正の初めころにはゼラチンやベニヤ板、各種ゴム製品の製造、さらに牧場経営へ進出し、第一次の多角化の時代を迎えた
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [20]合資会社時代からのゴムの接着・配合技術を生かしたゴム成型品を主要製品の一つとしている

ゴムベルトへの進出は、伝動ベルトそのものの世代交代と重なった。1920年代にVベルトが出現し、またたくまに当時の産業界で平ベルトに取ってかわる[21]。1台のモータから天井の中間軸を介して多数の機械へ動力を配る方式は、個々の設備が単独駆動を持つ方式へ移った[22]。動力の配り方が変われば、間に入るベルトの形も替わる。革ベルトを国産化した会社は、創業から40年ほどで、その革ベルトが伝動の主役から外れる場面に立ち会った。もっとも平ベルト自体が消えたわけではない。革から木綿織布へ、さらにゴム引布へと材料を替えながら、伝動ベルトの1代表種として使われ続けた[23]

    • [21]1920年代にVベルトが出現し、またたくまに当時の産業界で平ベルトに取ってかわった
    • [22]当時の動力伝動方式は1台のモータから天井に長い中間軸を介し各機械に平ベルトで動力分配される方式で、Vベルトの出現により個々の設備が単独駆動を持つ方式へ移行した
    • [23]平ベルトは革→木綿織布→ゴム引布ベルトと改良が加えられ、伝動ベルトの1代表種を完成させた

新田氏は事業で得た財を社会事業にも向け、私財を投じて私立松山高等商業学校、現在の松山大学を設立した[24]。別荘であった和歌山県の琴ノ浦温山荘園[25]は、公共の遊園地として開放した[26]。外国に学んで国益に寄する仕事をしたいという少年の日の志は、製革業と学校の二つで形になった[27]

  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [24]私財を投じて松山高等商業学校(現・松山大学)を設立した
    • [25]新田長次郎の別荘は和歌山県の琴ノ浦温山荘園
    • [26]別荘であった和歌山県の琴ノ浦温山荘園を公共の遊園地として開放した
    • [27]少年の日の志(外国に学び国益に寄する仕事をしたい)を実現させるまでに至った
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1906年、北海道でタンニンの製造を開始
  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [19]大正の初めころにはゼラチンやベニヤ板、各種ゴム製品の製造、さらに牧場経営へ進出し、第一次の多角化の時代を迎えた
    • [24]私財を投じて松山高等商業学校(現・松山大学)を設立した
    • [25]新田長次郎の別荘は和歌山県の琴ノ浦温山荘園
    • [26]別荘であった和歌山県の琴ノ浦温山荘園を公共の遊園地として開放した
    • [27]少年の日の志(外国に学び国益に寄する仕事をしたい)を実現させるまでに至った
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [20]合資会社時代からのゴムの接着・配合技術を生かしたゴム成型品を主要製品の一つとしている
    • [21]1920年代にVベルトが出現し、またたくまに当時の産業界で平ベルトに取ってかわった
    • [22]当時の動力伝動方式は1台のモータから天井に長い中間軸を介し各機械に平ベルトで動力分配される方式で、Vベルトの出現により個々の設備が単独駆動を持つ方式へ移行した
    • [23]平ベルトは革→木綿織布→ゴム引布ベルトと改良が加えられ、伝動ベルトの1代表種を完成させた
創業ストーリー(3)

三社への分割と新田ベルトへの商号変更

1945年2月、事業は新田帯革製造所・新田護謨工業・新田膠質工業の3社に分割された[28]。同じ月、大阪市浪速区久保吉町1281番地、現在の浪速区久保吉二丁目に、資本金6,000千円で株式会社新田帯革製造所が設立される[29]。この会社は、1909年6月に設立された合資会社新田帯革製造所のうち、製革および工業用革製品部門が分離独立したものにあたる[30]。創業者が革ベルトの周りに積み増した事業のうち、ゴムと膠の名を冠する二社は、ここで別の会社として立った[31]。現在のニッタは、この日に生まれた株式会社新田帯革製造所を出発点とする[32]

  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1945年2月、新田帯革製造所・新田護謨工業・新田膠質工業の3社に分割
    • [29]1945年2月、大阪市浪速区久保吉町1281番地(現 浪速区久保吉二丁目)に㈱新田帯革製造所(現 ニッタ㈱)を設立(資本金6,000千円)
    • [31]分割先は新田帯革製造所・新田護謨工業・新田膠質工業の3社
    • [32]㈱新田帯革製造所(現 ニッタ㈱)
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [30]明治42年6月に設立された合資会社新田帯革製造所の製革及び工業用革製品部門の分離独立により、昭和20年2月に株式会社新田帯革製造所として設立された

戦後、動力の伝え方がふたたび変わった[33]。カウンターシャフトを介した大容量の集団運転方式から、個々の機械に小型のモーターを据える個別伝動方式へ移ったためである[34]。大容量の集団運転に用いるベルトを得意としてきた同社は、この変化に合わせて製品を作り替えることを迫られた[35]。1955年からの10年ほどのあいだに新しい伝動ベルトを開発し、エアフィルタの事業にも乗り出す[36]。会社の形も動いた。1959年4月、販売部門を分離独立させ、新田産業株式会社を大阪市に設立[37]。1961年1月には、株式会社芦原自動車教習所を大阪市浪速区に設立した[38]

  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [33]戦後、動力伝動方式は変わりつつあった
    • [34]動力伝動方式はカウンターシャフトを介した大容量の集団運転方式から、個々の機械に小型のモーターが設置される個別伝動方式に変わりつつあった
    • [35]大容量の集団運転に用いられるベルトが得意のニッタは、時代の要請によって変革を迫られた
    • [36]昭和30年代から新しい伝動ベルトを開発したり、エアフィルタの事業に乗り出すなど第二次多角化の時代が始まった
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1959年4月、販売部門を分離独立し新田産業㈱を大阪市に設立
    • [38]1961年1月、㈱芦原自動車教習所(現 連結子会社)を大阪市浪速区に設立

1965年6月、商号を新田ベルト株式会社に変更した[39]。分社化後の主力は、創業当時からの革ベルト製造技術を生かし、革または合成ゴムを表面材とし、ナイロンフィルムを芯体に用いた積層平ベルトの製造販売である[40]。これに、合資会社時代からのゴムの接着・配合技術を生かしたゴム成型品と、分社化以降に取り扱いを始めた不織布製のエアフィルタを基本とした空調製品が並ぶ[41]。ベルトそのものは部品であり、機械の内部で動力を伝える位置は創業時から変わらない。変わったのは材料のほうで、1885年3月の創業から80年で、商号から革の字が消えた[42]

  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1965年6月、商号を新田ベルト㈱に変更
    • [42]1885年3月創業、1965年6月に商号を新田ベルト㈱へ変更(前商号は㈱新田帯革製造所)
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [40]分社化後は、創業当時からの革ベルト製造技術を生かした、革又は合成ゴムを表面材とし、ナイロンフィルムを芯体に用いた積層平ベルトの製造販売を中心とした
    • [41]合資会社時代からのゴムの接着・配合技術を生かしたゴム成型品、分社化以降取り扱いを始めた不織布製のエアフィルタを基本とした空調製品を主要製品とした
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1945年2月、新田帯革製造所・新田護謨工業・新田膠質工業の3社に分割
    • [29]1945年2月、大阪市浪速区久保吉町1281番地(現 浪速区久保吉二丁目)に㈱新田帯革製造所(現 ニッタ㈱)を設立(資本金6,000千円)
    • [31]分割先は新田帯革製造所・新田護謨工業・新田膠質工業の3社
    • [32]㈱新田帯革製造所(現 ニッタ㈱)
    • [37]1959年4月、販売部門を分離独立し新田産業㈱を大阪市に設立
    • [38]1961年1月、㈱芦原自動車教習所(現 連結子会社)を大阪市浪速区に設立
    • [39]1965年6月、商号を新田ベルト㈱に変更
    • [42]1885年3月創業、1965年6月に商号を新田ベルト㈱へ変更(前商号は㈱新田帯革製造所)
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [30]明治42年6月に設立された合資会社新田帯革製造所の製革及び工業用革製品部門の分離独立により、昭和20年2月に株式会社新田帯革製造所として設立された
    • [40]分社化後は、創業当時からの革ベルト製造技術を生かした、革又は合成ゴムを表面材とし、ナイロンフィルムを芯体に用いた積層平ベルトの製造販売を中心とした
    • [41]合資会社時代からのゴムの接着・配合技術を生かしたゴム成型品、分社化以降取り扱いを始めた不織布製のエアフィルタを基本とした空調製品を主要製品とした
  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [33]戦後、動力伝動方式は変わりつつあった
    • [34]動力伝動方式はカウンターシャフトを介した大容量の集団運転方式から、個々の機械に小型のモーターが設置される個別伝動方式に変わりつつあった
    • [35]大容量の集団運転に用いられるベルトが得意のニッタは、時代の要請によって変革を迫られた
    • [36]昭和30年代から新しい伝動ベルトを開発したり、エアフィルタの事業に乗り出すなど第二次多角化の時代が始まった
創業ストーリー(4)

ニッタ・ムアーカンパニーの設立と奈良工場への移転

戦後、モーターの性能が上がって機械ごとに小型モーターが据えられ、伝動容量が小さく短いベルトで足りる個別伝動方式が広まった[43]。カウンターシャフトを介した大容量の集団運転方式に適していた同社のベルトは、この転換で動力伝動業界の主役の座を追われた[44]。主力の広幅長尺ベルトを軽量短尺ベルトへ切り換える必要に迫られ、同社はナイロン等の新素材を積層した平ベルト、レシコンベルトを開発し、その後も各種素材を組み合わせた平ベルトを世に出した[45]。それでも埋まらず、昭和30年代後半から、ベルト以外に事業の柱を増やす第二期の多角化に入った[46]

  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [43]戦後、モーターの性能が発達し、個々の機械に小型のモーターが設置される個別伝動方式が普及した結果、伝動容量が小さくて短いベルトで足りることになった
    • [44]同社のベルトは主としてカウンターシャフトを介した大容量の集団運転方式に適していたため、動力伝動業界で主役の座を追われた
    • [46]新製品の開発だけではなお十分でなく、第二期の多角化を進めることになった。事業の多角化は昭和30年代後半より急ピッチで進展させた
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
    • [45]主力製品の広幅長尺ベルトを軽量短尺ベルトへ切換える必要に迫られ、ナイロン等新素材の積層で形成された積層型ベルト(レシコンベルト)等の平ベルトを開発し、その後も各種素材を組合わせた平ベルトを開発した

1968年7月、同社は米国のサムエル・ムアー社との合弁で有限会社ニッタ・ムアーカンパニーを大阪市東区に設立した[47]。合弁が持ち込んだのは、油圧・空圧機器の配管材に使うナイロンのホースチューブを作る技術である[48]。ベルトが動力そのものを伝えるのに対し、ホースとチューブは油と空気の圧力を伝える。機械の動力まわりに付く部材である点は変わらないが、革と布を扱ってきた同社に樹脂の成形技術はなかった。同じ年の11月に工場を奈良県大和郡山市へ移して奈良工場とし[49]、翌1969年4月には事業を一つに集めるため新田産業株式会社を吸収合併した[50]

  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1968年7月、米国サムエル・ムアー社と合弁会社㈲ニッタ・ムアーカンパニーを大阪市東区(現 中央区)に設立した
    • [49]1968年11月、工場を奈良県大和郡山市へ移転した(奈良工場)
    • [50]1969年4月、事業の一元化を図るため新田産業㈱を吸収合併した
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
    • [48]ニッタ・ムアーカンパニーは、油圧・空圧機器の配管材として使用するナイロンのホースチューブを製造販売する合弁会社である

外から技術を持ち込む型は、創業の時点にさかのぼる。同社は明治18年の創業ののち、大阪紡績の依頼を受けて日本初の動力伝動用革ベルトの本格的な製造に成功し、それまでの輸入品依存から脱した[51]。創業者の新田長次郎氏は、大阪の製革工場に招かれていたドイツ人技師から製革業が文明社会に必要で発展する事業だと聞かされ、その言葉を頼りに製革の道へ入った人物である[52]。新田精一社長は1993年、日本に在来からある仕事で過当競争をするのは愚の骨頂であり、海外から進んだ技術を採り入れて国益に寄与するのが創業者の基本理念で、多角化はそれを具体化したものだと述べた[53]

  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [51]明治18年創業。当時最も近代的と言われた大阪紡績(現東洋紡)の依頼で、わが国初の産業用機械の動力伝動用革ベルトの本格的な製造に成功し、従来の輸入品依存から脱却した
    • [53]多角化は、創業者が基本理念とした「在来から日本にある仕事で過当競争をするのは愚の骨頂で、海外から進んだ技術を採り入れて国益に寄与する」方針を具体化したものであった
  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [52]創業者は新田社長の祖父・新田長次郎。大阪の製革工場に近代化のため招かれていたドイツ人技師から「製革業は文明社会に必要であり、かつ発展する事業である」と聞かされ、この製革所に入った
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [43]戦後、モーターの性能が発達し、個々の機械に小型のモーターが設置される個別伝動方式が普及した結果、伝動容量が小さくて短いベルトで足りることになった
    • [44]同社のベルトは主としてカウンターシャフトを介した大容量の集団運転方式に適していたため、動力伝動業界で主役の座を追われた
    • [46]新製品の開発だけではなお十分でなく、第二期の多角化を進めることになった。事業の多角化は昭和30年代後半より急ピッチで進展させた
    • [51]明治18年創業。当時最も近代的と言われた大阪紡績(現東洋紡)の依頼で、わが国初の産業用機械の動力伝動用革ベルトの本格的な製造に成功し、従来の輸入品依存から脱却した
    • [53]多角化は、創業者が基本理念とした「在来から日本にある仕事で過当競争をするのは愚の骨頂で、海外から進んだ技術を採り入れて国益に寄与する」方針を具体化したものであった
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
    • [45]主力製品の広幅長尺ベルトを軽量短尺ベルトへ切換える必要に迫られ、ナイロン等新素材の積層で形成された積層型ベルト(レシコンベルト)等の平ベルトを開発し、その後も各種素材を組合わせた平ベルトを開発した
    • [48]ニッタ・ムアーカンパニーは、油圧・空圧機器の配管材として使用するナイロンのホースチューブを製造販売する合弁会社である
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1968年7月、米国サムエル・ムアー社と合弁会社㈲ニッタ・ムアーカンパニーを大阪市東区(現 中央区)に設立した
    • [49]1968年11月、工場を奈良県大和郡山市へ移転した(奈良工場)
    • [50]1969年4月、事業の一元化を図るため新田産業㈱を吸収合併した
  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
    • [52]創業者は新田社長の祖父・新田長次郎。大阪の製革工場に近代化のため招かれていたドイツ人技師から「製革業は文明社会に必要であり、かつ発展する事業である」と聞かされ、この製革所に入った
創業ストーリー(5)

ユニロイヤルとの合弁ユニッタとニッタへの改称

1971年1月、同社は米国のユニロイヤル社との合弁でユニッタ株式会社を大阪市東区に設立した[54]。ユニッタが扱ったのは、自動車用・OA機器用の歯付ベルトである[55]。平ベルトが摩擦で動力を伝えるのに対し、歯付ベルトは歯のかみ合わせで回転の位相までそろえる。出資は海外企業との折半で、タイミングベルトの専業メーカーとなったユニッタは、自動車・オートバイのエンジンカム駆動用ベルトの市場の約6割を握った[56]。歯付ベルトの生産はのちに韓国へも広がり、米国のゲーツ社、韓国の平和産業と同社の3社による合弁で設立した韓国ゲーツ社が、現地の製造拠点となった[57]

  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1971年1月、米国ユニロイヤル社と合弁会社ユニッタ㈱(現 ゲイツ・ユニッタ・アジア㈱)を大阪市東区(現 中央区)に設立した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [55]米国との合弁会社ユニッタ㈱は、自動車用・OA機器用の歯付ベルトを取り扱う
    • [57]韓国では歯付ベルトの製造拠点として、米国のゲーツ社、韓国の平和産業と同社の3社合弁による韓国ゲーツ社がある
  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [56]ユニッタは海外企業と折半出資により設立したタイミングベルトの専業メーカーで、自動車・オートバイのエンジンカム駆動用ベルトでは市場の約6割を抑えている(1996年1月時点)

本体の側でも、外から入れた技術が新しい事業を生んだ。クリーンシステム事業の発祥は1960年代半ばにさかのぼる[58]。同社は人造皮革を研究していたが、ドイツ企業と技術提携する過程で、人造皮革のもとになる不織布が粗塵フィルターに使われ、その市場が大きいことをつかんだ[59]。そこでフィルター事業へ進出したものの、粗塵フィルターの市場は先発企業に押さえられていたため、中・高性能の製品へ切り替えた[60]。搬送の側では、ドイツからカーブコンベヤの技術を導入し、90度曲がるベルトコンベヤと、曲がりながら上下するスパイラルコンベヤを製品にした[61]

  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [58]クリーンシステム事業部の発祥は30年前(1996年1月時点)にさかのぼる
    • [59]人造皮革の研究をしていたが、ドイツ企業と技術提携するときに人造皮革の元になる不織布が粗塵フィルターに使われ、その市場が大きいことが分かった
    • [60]フィルター事業に進出したが、粗塵フィルター市場は先発企業に抑えられており有望な市場ではないと判断して、ハイレベルな中・高性能製品へ転換した
    • [61]伝動搬送システム事業部では、ドイツからカーブコンベヤの技術を導入して90度曲がるベルトコンベヤ、曲がりながら上下するスパイラルコンベヤ等の搬送システムの分野で事業展開を行っている

1980年、同社は米国にNITTA INTERNATIONAL INC.を設立した[62]。ベルトを米国で売る会社であり、のちに米国市場向けの商品を生産するニッタ・インダストリーズオブアメリカも加わった[63]。1982年11月には商号をニッタ株式会社へ変更し、同時に本店を大阪市東区へ移転した[64]。社名は株式会社新田帯革製造所から新田ベルト株式会社を経てニッタ株式会社に至り、革もベルトも社名から消えた[65]。雑賀英彦社長は1996年、社名を新田ベルトからニッタに変更したので事業内容が分からなくなったと言われる、と述べた[66]

  • ニッタ株式会社 公式サイト「沿革」
    • [62]1980年、米国にNITTA INTERNATIONAL INC.を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
    • [63]ベルト製造を米国で販売するニッタ・インターナショナル、及び米国市場向け商品を生産するニッタ・インダストリーズオブアメリカがある
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1982年11月、商号をニッタ㈱に変更し、同時に本店を大阪市東区(現 中央区)へ移転した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [65]革ベルト部門を引き継いだ㈱新田帯革製造所は、その後社名を新田ベルト㈱に、さらに昭和57年に現社名のニッタ㈱に変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [66]雑賀英彦社長は「当社は社名を新田ベルト(株)からニッタ(株)に変更したので、事業内容が分からなくなったと言われる」と述べた
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1971年1月、米国ユニロイヤル社と合弁会社ユニッタ㈱(現 ゲイツ・ユニッタ・アジア㈱)を大阪市東区(現 中央区)に設立した
    • [64]1982年11月、商号をニッタ㈱に変更し、同時に本店を大阪市東区(現 中央区)へ移転した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [55]米国との合弁会社ユニッタ㈱は、自動車用・OA機器用の歯付ベルトを取り扱う
    • [57]韓国では歯付ベルトの製造拠点として、米国のゲーツ社、韓国の平和産業と同社の3社合弁による韓国ゲーツ社がある
    • [65]革ベルト部門を引き継いだ㈱新田帯革製造所は、その後社名を新田ベルト㈱に、さらに昭和57年に現社名のニッタ㈱に変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [56]ユニッタは海外企業と折半出資により設立したタイミングベルトの専業メーカーで、自動車・オートバイのエンジンカム駆動用ベルトでは市場の約6割を抑えている(1996年1月時点)
    • [58]クリーンシステム事業部の発祥は30年前(1996年1月時点)にさかのぼる
    • [59]人造皮革の研究をしていたが、ドイツ企業と技術提携するときに人造皮革の元になる不織布が粗塵フィルターに使われ、その市場が大きいことが分かった
    • [60]フィルター事業に進出したが、粗塵フィルター市場は先発企業に抑えられており有望な市場ではないと判断して、ハイレベルな中・高性能製品へ転換した
    • [61]伝動搬送システム事業部では、ドイツからカーブコンベヤの技術を導入して90度曲がるベルトコンベヤ、曲がりながら上下するスパイラルコンベヤ等の搬送システムの分野で事業展開を行っている
    • [66]雑賀英彦社長は「当社は社名を新田ベルト(株)からニッタ(株)に変更したので、事業内容が分からなくなったと言われる」と述べた
  • ニッタ株式会社 公式サイト「沿革」
    • [62]1980年、米国にNITTA INTERNATIONAL INC.を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
    • [63]ベルト製造を米国で販売するニッタ・インターナショナル、及び米国市場向け商品を生産するニッタ・インダストリーズオブアメリカがある
創業ストーリー(6)

半導体研磨パッドのロデール・ニッタと株式公開

1983年11月、同社は米国のロデール社との合弁でロデール・ニッタ株式会社を大阪市東区に設立した[67]。ロデール・ニッタが作ったのは、半導体産業向けにシリコンウエハーを研磨する研磨材と研磨布である[68]。パッドは不織布に特殊な薬品を含浸させて固めたもので、半導体研磨用の保持材と研磨液もあわせて製造した[69]。日本市場でかなりのシェアを取り、ほとんどの半導体メーカーが使う製品になった[70]。シリコンウエハーのポリシング技術を持つ会社を得て、同社は製品の系列に半導体の工程材料を加えた[71]。合弁の設立と同じ1983年の6月には、ニッタ・ムアーカンパニーの工場を三重県名張市へ移し、名張工場とした[72]

  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [67]1983年11月、米国ロデール社と合弁会社ロデール・ニッタ㈱(現 ニッタ・デュポン㈱)を大阪市東区(現 中央区)に設立した
    • [72]1983年6月、(有)ニッタ・ムアーカンパニーの工場を三重県名張市へ移転した(名張工場)
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
    • [68]ロデール・ニッタは、半導体産業関連のシリコンウエハーの研磨材及び研磨布を製造販売する合弁会社である
  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [69]ロデール・ニッタ㈱は1983年に設立し、シリコンウエハーを研磨するパッドを生産している。パッドは不織布に特殊な薬品を含浸させて固めたもので、この他にも半導体研磨用の保持材と研磨液を製造している
    • [70]ロデール・ニッタは日本市場でかなりのシェアを取っており、ほとんどの半導体メーカーに使ってもらっている
    • [71]ロデール・ニッタはシリコンウエハーのポリシング技術を持っている

三つの合弁のうちニッタ・ムアーだけは合弁のまま置かず、1988年、同社は全株を買収して完全子会社とし、1992年1月に有限会社から株式会社へ組織を改めた[73]。同じ1988年にはオランダと台湾に販売子会社を置き、1991年にはオランダのCONDEV HOLDING B.V.を株式取得により子会社にした[74]。一方、ユニッタとロデール・ニッタは合弁のまま残り、ユニッタからの受取配当金は単独決算では経常利益に入るが連結決算では除外された[75]。持分法によって相手方の損益の50%を当期純利益に加算した[76]

  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [73]ニッタ・ムアー㈱は海外企業と折半出資により設立したが、1988年に全株を買収して完全子会社となった。㈲ニッタ・ムアーカンパニーは1992年1月にニッタ・ムアー㈱に組織変更した
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [74]1988年にオランダと台湾に販売子会社を設立し、1991年にオランダのCONDEV HOLDING B.V.を株式取得により子会社化した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [75]ユニッタ㈱からの配当金は単独では経常利益に入るが連結では除外されるため経常利益は連結の方が少ない
    • [76]持分法により相手の損益の50%を当期純利益に加算する

同社は1990年10月に日本証券業協会へ店頭登録し[77]、1995年11月に大阪証券取引所市場第二部、1996年9月に東京証券取引所市場第二部へ上場して、東証二部への上場にあわせて130万株を公募した[78]。1996年3月期の売上高は329億7,700万円、営業利益は13億9,700万円、経常利益は24億700万円である[79]。上場までの間も、合弁の相手からは製品だけでなく技術が入り続けた。雑賀英彦社長は1996年、半導体の多層配線を研究する米国の官民共同研究機関に提携先のロデール社が加入しているため、すべての技術が自動的にロデール・ニッタに入ることになっていると述べた[80]

  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [77]1990年10月、日本証券業協会に店頭登録した
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [78]1995年11月に大阪証券取引所市場第二部、1996年9月に東京証券取引所市場第二部に上場した。平成8年9月5日の東証二部上場にあたり1,300千株を公募した
    • [79]平成8年3月期の売上高32,977百万円、営業利益1,397百万円、経常利益2,407百万円
  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [80]半導体デバイスの多層配線について米国の官民共同研究機関が成功し、同機関のメンバーに提携先のロデール社が加入しているため、すべての技術が自動的にロデール・ニッタに入ってくることになっている
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [67]1983年11月、米国ロデール社と合弁会社ロデール・ニッタ㈱(現 ニッタ・デュポン㈱)を大阪市東区(現 中央区)に設立した
    • [72]1983年6月、(有)ニッタ・ムアーカンパニーの工場を三重県名張市へ移転した(名張工場)
    • [74]1988年にオランダと台湾に販売子会社を設立し、1991年にオランダのCONDEV HOLDING B.V.を株式取得により子会社化した
    • [77]1990年10月、日本証券業協会に店頭登録した
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
    • [68]ロデール・ニッタは、半導体産業関連のシリコンウエハーの研磨材及び研磨布を製造販売する合弁会社である
  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
    • [69]ロデール・ニッタ㈱は1983年に設立し、シリコンウエハーを研磨するパッドを生産している。パッドは不織布に特殊な薬品を含浸させて固めたもので、この他にも半導体研磨用の保持材と研磨液を製造している
    • [70]ロデール・ニッタは日本市場でかなりのシェアを取っており、ほとんどの半導体メーカーに使ってもらっている
    • [71]ロデール・ニッタはシリコンウエハーのポリシング技術を持っている
    • [73]ニッタ・ムアー㈱は海外企業と折半出資により設立したが、1988年に全株を買収して完全子会社となった。㈲ニッタ・ムアーカンパニーは1992年1月にニッタ・ムアー㈱に組織変更した
    • [80]半導体デバイスの多層配線について米国の官民共同研究機関が成功し、同機関のメンバーに提携先のロデール社が加入しているため、すべての技術が自動的にロデール・ニッタに入ってくることになっている
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
    • [75]ユニッタ㈱からの配当金は単独では経常利益に入るが連結では除外されるため経常利益は連結の方が少ない
    • [76]持分法により相手の損益の50%を当期純利益に加算する
  • 証券 1996年(伊藤)
    • [78]1995年11月に大阪証券取引所市場第二部、1996年9月に東京証券取引所市場第二部に上場した。平成8年9月5日の東証二部上場にあたり1,300千株を公募した
    • [79]平成8年3月期の売上高32,977百万円、営業利益1,397百万円、経常利益2,407百万円

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沿革年表 1885〜2022年

ニッタの沿革1885〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1885〜1967年日本で最初の動力伝動用革ベルトと三社への分割新田長次郎が大阪府西成郡難波村久保吉で製革業を創業★★★
日本で最初の動力伝動用革ベルトを製造★★★
北海道でタンニンの製造を開始
新田帯革製造所を設立★★
ゴムベルトの開発・販売と膠・ゼラチンの製造を開始★★
新田帯革製造所・新田護謨工業・新田膠質工業の3社に分割★★★
販売部門を分離して新田産業を設立
芦原自動車教習所を大阪市浪速区に設立
商号を新田ベルトに変更★★
1968〜1996年サムエル・ムアーとユニロイヤルに始まる三度の合弁米国サムエル・ムアーとの合弁でニッタ・ムアーカンパニーを設立★★
工場を奈良県大和郡山市に移転
新田産業を吸収合併
米国ユニロイヤルとの合弁でユニッタを設立★★★
米国にNITTA INTERNATIONAL INC.を設立
商号をニッタに変更★★
三重県名張市に名張工場が完成
米国ロデールとの合弁でロデール・ニッタを設立★★
ニッタ・ムアーカンパニーを100%子会社化★★
オランダと台湾に販売子会社を設立
日本証券業協会に店頭登録
オランダのCONDEV HOLDING B.V.を株式取得により子会社化★★
大阪証券取引所市場第二部に上場
東京証券取引所市場第二部に上場
1997〜2025年東洋ゴム工業からの化工品事業取得と持分法二社の比重東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第一部銘柄に指定
高知県香美市に高知工場が完成
ニッタ・ムアーを吸収合併★★
新田元庸カナダのConnect Conveyor Beltingを子会社化
新田元庸浪華ゴム工業を株式取得により子会社化★★
新田元庸東洋ゴム工業から化工品事業を買収★★★
石切山靖順プライム市場に移行
出典・参考 9件
出典・参考
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】 / 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
  • ニッタ株式会社 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月号(新田精一)
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号(新田精一)
  • 東海総研マネジメント 1994年2月号「会社拝見――ニッタ株式会社」
  • 証券アナリストジャーナル 1996年1月号(雑賀英彦)
  • 日本ゴム協会誌 63巻8号 福田實「工業用伝動ベルトの技術動向」
  • 証券 1996年(伊藤)
  • ニッタ株式会社 公式サイト「沿革」

免責事項およびポリシー