第1章 年〜年

クスリのアオキホールディングス:クスリのアオキの設立と金沢市への石川県1号店の出店

1985年〜距離制限の撤廃で限界を見た松任の老舗薬局と、資本金1500万円の新会社

クスリのアオキの前身は、1869年に石川県で創業した薬種商である。青木信孝氏の子の青木桂生氏は1973年5月に松任市の駅前店舗を引き継いで独立し、1976年6月に青木保外志氏と家業を法人化し、有限会社青木二階堂薬局とした。1975年に薬局開設の距離制限がなくなると、薬局どうしの競争が本格化。小売の立地も商店街から駅前、郊外へ移り、2人は従来型の薬局では打開できないと判断した。1985年1月、2人は資本金15,000千円で株式会社クスリのアオキを設立し、青木桂生氏が代表取締役社長となった。1993年の誌面によれば、青木桂生氏は明治2年創業の薬局の跡継ぎで、1985年に父の店とは別にドラッグストアの事業を始めた。家業の有限会社を残したまま別会社を立てたのは、薬局の商圏に縛られない新業態を組むためとみられる。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」前文
    • [1]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [2]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [3]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [4]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [5]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
  • 近代中小企業 28(1)(368) 1993年1月号
    • [6]青木桂生社長は加賀前田家本陣の旧家の16代目、明治2年創業の薬局の跡継ぎで、昭和60年に父から独立してドラッグストアを開始

1986年3月、クスリのアオキは金沢市で石川県1号店を開業した。当時の日本ではドラッグストアの定義が定まっておらず、先例は米国の成功事例にあった。出店の前には、全国のドラッグストアの業態と北陸市場の将来性を詳しく調べ、見通しを得た。売場は地域の「健康と美と衛生」を主題に据え、消費者の使い勝手を優先して組み立てた。品揃えは健康と美容の周辺にある生活関連用品まで広げ、医薬品の販売で得たノウハウと提案力をそこに生かした。青木桂生社長は1993年の取材で、『業種から脱皮して全く新しい業態を自分たちが開拓していくのが一番の仕事』と語った。距離制限の撤廃後の競争を、薬の専門性を残したまま品揃えの幅で乗り切る狙いがあったのだろう。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [7]1986年3月、石川県1号店を金沢市に出店
  • 近代中小企業 28(1)(368) 1993年1月号
    • [8]健康と美容を軸とした生活関連用品を品揃えし、医薬品の販売ノウハウと提案力で「健康・美・衛生」をテーマに営業。青木社長は業種から脱して新業態を開拓することを一番の仕事とする。日本ではドラッグストアの定義が未確立で、注目の背景には米国の成功例
    • [11]健康と美容を軸とした生活関連用品を品揃えし、医薬品の販売ノウハウと提案力で「健康・美・衛生」をテーマに営業。青木社長は業種から脱して新業態を開拓することを一番の仕事とする。日本ではドラッグストアの定義が未確立で、注目の背景には米国の成功例
    • [12]健康と美容を軸とした生活関連用品を品揃えし、医薬品の販売ノウハウと提案力で「健康・美・衛生」をテーマに営業。青木社長は業種から脱して新業態を開拓することを一番の仕事とする。日本ではドラッグストアの定義が未確立で、注目の背景には米国の成功例
  • 北陸経済研究 7月(253) 1999年6月号
    • [9]ドラッグストア進出にあたり「健康と美と衛生」を狙い、全国の業態と北陸での市場の将来性を綿密に調査して展望を得た(同誌は第1号店を1985年とする)
    • [10]ドラッグストア進出にあたり「健康と美と衛生」を狙い、全国の業態と北陸での市場の将来性を綿密に調査して展望を得た(同誌は第1号店を1985年とする)
参考文献[1]-[12]
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」前文
    • [1]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [2]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [3]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [4]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
    • [5]1869年石川県創業の薬種商が前身。青木信孝が青木二階堂薬局の商号で松任市で営業。青木桂生が1973年5月に駅前店舗を継いで独立し1976年6月に有限会社青木二階堂薬局を設立。1975年の距離制限撤廃と立地変化で従来型薬局に限界と認識し、1985年1月に資本金15,000千円でクスリのアオキを設立(社長青木桂生)
  • 近代中小企業 28(1)(368) 1993年1月号
    • [6]青木桂生社長は加賀前田家本陣の旧家の16代目、明治2年創業の薬局の跡継ぎで、昭和60年に父から独立してドラッグストアを開始
    • [8]健康と美容を軸とした生活関連用品を品揃えし、医薬品の販売ノウハウと提案力で「健康・美・衛生」をテーマに営業。青木社長は業種から脱して新業態を開拓することを一番の仕事とする。日本ではドラッグストアの定義が未確立で、注目の背景には米国の成功例
    • [11]健康と美容を軸とした生活関連用品を品揃えし、医薬品の販売ノウハウと提案力で「健康・美・衛生」をテーマに営業。青木社長は業種から脱して新業態を開拓することを一番の仕事とする。日本ではドラッグストアの定義が未確立で、注目の背景には米国の成功例
    • [12]健康と美容を軸とした生活関連用品を品揃えし、医薬品の販売ノウハウと提案力で「健康・美・衛生」をテーマに営業。青木社長は業種から脱して新業態を開拓することを一番の仕事とする。日本ではドラッグストアの定義が未確立で、注目の背景には米国の成功例
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [7]1986年3月、石川県1号店を金沢市に出店
  • 北陸経済研究 7月(253) 1999年6月号
    • [9]ドラッグストア進出にあたり「健康と美と衛生」を狙い、全国の業態と北陸での市場の将来性を綿密に調査して展望を得た(同誌は第1号店を1985年とする)
    • [10]ドラッグストア進出にあたり「健康と美と衛生」を狙い、全国の業態と北陸での市場の将来性を綿密に調査して展望を得た(同誌は第1号店を1985年とする)

1992年〜年商25億円で松任へ移転した本社と、50億円を狙った本部兼集配センター

1992年3月、クスリのアオキは本社を金沢市泉野出町から松任市博労町へ移した。1993年1月の時点で資本金は2,500万円、従業員は70名、年商は25億円で、店舗の展開先は松任市・金沢市・小松市である。店は400坪程度と150坪程度の2つの形態に分け、商圏ごとに商品構成と陳列、顧客サービスを変えた。青木桂生社長はこの運営を「科学的な経営」と呼び、『これからの商業とは一人の勘と度胸ではダメで、科学的な仕組みの構築と社会的な調和が不可分』という考えを示した。同じ誌面は、日本海側で成長が注目されるドラッグストアとしてクスリのアオキを挙げた。店の形態を2つに絞って型をつくったことが、出店の速度を上げる前提になったと思われる。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [13]1992年3月、本社を石川県松任市博労町208番地へ移転
  • 近代中小企業 28(1)(368) 1993年1月号
    • [14]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア
    • [15]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア
    • [16]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア
    • [17]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア

1993年1月の時点で、クスリのアオキは3年以内に売上高50億円を達成する目標を掲げた。年商25億円の段階での目標で、売上高を倍にする計画にあたる。そのために本部の体制を強め、ハードとソフトの両面で仕組みを整えた。重点は効率化と標準化に置き、具体策として物流センターの建設を急いだ。1995年9月、松任市松本町に本部兼集配センターを建設。翌1996年11月には青木二階堂薬局と草山商事の2社を合併して5店舗を引き継ぎ、本社も同じ松本町の地番へ移した。クスリのアオキは将来の目標に年商100億円を掲げており、集配センターは店数を増やすための足場として整えたと推察される。

  • 近代中小企業 28(1)(368) 1993年1月号
    • [18]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す
    • [19]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す
    • [20]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す
    • [21]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [22]1995年9月、本部兼集配センターを石川県松任市松本町2512番地に新設。1996年11月、株式会社青木二階堂薬局・株式会社草山商事を合併し5店舗を引継ぎ、本社を同地へ移転
    • [23]1995年9月、本部兼集配センターを石川県松任市松本町2512番地に新設。1996年11月、株式会社青木二階堂薬局・株式会社草山商事を合併し5店舗を引継ぎ、本社を同地へ移転
参考文献[13]-[23]
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [13]1992年3月、本社を石川県松任市博労町208番地へ移転
    • [22]1995年9月、本部兼集配センターを石川県松任市松本町2512番地に新設。1996年11月、株式会社青木二階堂薬局・株式会社草山商事を合併し5店舗を引継ぎ、本社を同地へ移転
    • [23]1995年9月、本部兼集配センターを石川県松任市松本町2512番地に新設。1996年11月、株式会社青木二階堂薬局・株式会社草山商事を合併し5店舗を引継ぎ、本社を同地へ移転
  • 近代中小企業 28(1)(368) 1993年1月号
    • [14]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア
    • [15]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア
    • [16]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア
    • [17]1993年1月時点で資本金2,500万円・従業員70名・年商25億円。松任市・金沢市・小松市で出店。400坪程度と150坪程度の2形態で商圏に合わせた商品構成・陳列・サービス。「科学的な経営」を掲げる。日本海側で唯一成長が注目されるドラッグストア
    • [18]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す
    • [19]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す
    • [20]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す
    • [21]3年以内に売上高50億円を達成するため本部体制を強化し、ハード・ソフトのシステム構築を進める。効率化・標準化を重視し物流センター建設を急ぐ。将来は年商100億円を目指す

1985年〜1995年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1985年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1986年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年05月期 単体 15 n/a n/a n/a n/a
1993年05月期 単体 23 +53.3% n/a n/a n/a
1994年05月期 単体 31 +34.8% n/a n/a n/a
1995年05月期 単体 42 +35.5% n/a n/a n/a

出所:ボイス情報『成長続くディスカウントショップの実態』1995.4

出典・参考

4件
出典・参考
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」前文
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
  • 近代中小企業 28(1)(368) 1993年1月号
  • 北陸経済研究 7月(253) 1999年6月号

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