マツキヨココカラ&カンパニー:松本清の松本薬舗創業と法人への改組
1932年〜松戸・小金の松本薬舗から、創業者の名を掲げた有限会社へ
創業者の松本清氏は、1932年12月に千葉県東葛飾郡小金町(現在の松戸市小金)で個人経営の薬舗を開設し、医薬品の小売を始めた。屋号は松本薬舗で、薬品のほかに化粧品も店に並べ、これが現在のマツキヨココカラ&カンパニーの前身にあたる。清氏はそれ以前に丁稚奉公を経験し、働きながら夜間の専門学校で学んで、薬種商の資格を取得していた。開業時に用意できた資金はわずかだったという。その少ない元手で清氏が組み立てたのが、まとめて仕入れて単価を下げ、その差を売値に回す安売りの手法だったという。薬剤師の免許を要さない薬種商の資格は、学歴にも資本にも頼れない創業者が自分の店を持つための、最も手の届く入口だったとみられる。
- マツキヨココカラ&カンパニー 有価証券報告書 第18期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1932年12月、松本清が千葉県東葛飾郡小金町でマツモト薬舗(個人経営)を開業し、医薬品等の小売を始めた
- 政界 23(7) 2001年7月号「マツモトキヨシに起きた経営者一族の内紛」(舘澤貢次)
- [2]マツモトキヨシの前身は松本清が1932年に設立した松本薬舗で、薬品と化粧品を扱った
- エルダー 18(12) 1996年12月号「『マツモトキヨシ伝・すぐやる課をつくった男』樹林ゆう子著」(市橋誠之助)
- [3]松本清は丁稚奉公、夜間の専門学校を経て薬種商の資格を取得した
- [4]松本清はわずかの元手で薬舗を始めた
- [5]松本清は当時まれだった大量仕入れによる安売り商法を開発した
戦後の清氏は千葉県議会議員として政治にも足場を持ち、屋号を自分の名に替えたのは県議在任中のことだった。1951年、店名は清氏の姓名をカタカナで表した「マツモトキヨシ」となった。改名には、選挙をにらんで有権者に名を覚えてもらう狙いも込められていたという。長男の和那氏も、名前も言葉も受け手にすぐ伝わるものであるべきだという父の持論を明かした。1954年1月には個人商店の形を改め、資本金500千円で有限会社マツモトキヨシ薬店を設立した。代表取締役に就任したのは清氏ではなく、寿子氏だった。寿子氏は清氏の妻で、和那氏ら三兄弟の母にあたる。議員の清氏が名義を退き、看板には創業者の名を、会社の代表には家族を立てる分担を法人化で形にしたのだろう。
- 月刊カレント 35(10) 1998年11月号「新刊寸評――私がマツモトキヨシです」
- [6]松本清は千葉県議時代、選挙も視野に入れて自分の名前を店名にした
- [8]店名を自分の名前にしたのは選挙も視野に入れたものだった
- 政界 23(7) 2001年7月号「マツモトキヨシに起きた経営者一族の内紛」(舘澤貢次)
- [7]1951年、松本薬舗の社名を松本清の姓名をカタカナにしたものへ改めた
- ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
- [9]松本清は言葉や名前は相手にわかりやすくなければならないという考えで、それが社名をマツモトキヨシに変えた由来だと松本和那が語った
- マツキヨココカラ&カンパニー 有価証券報告書 第18期(2025年3月期)【沿革】
- [10]1954年1月、有限会社マツモトキヨシ薬店(資本金500千円)を設立し法人組織とした
- [11]有限会社マツモトキヨシ薬店の代表取締役は松本寿子(寿子は松本清の妻で和那らの母)
- 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
- [12]松本寿子は松本和那の母で、清の死後は和那の社長就任まで暫定的に社長を務めた
参考文献[1]-[12]
- マツキヨココカラ&カンパニー 有価証券報告書 第18期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1932年12月、松本清が千葉県東葛飾郡小金町でマツモト薬舗(個人経営)を開業し、医薬品等の小売を始めた
- [10]1954年1月、有限会社マツモトキヨシ薬店(資本金500千円)を設立し法人組織とした
- [11]有限会社マツモトキヨシ薬店の代表取締役は松本寿子(寿子は松本清の妻で和那らの母)
- 政界 23(7) 2001年7月号「マツモトキヨシに起きた経営者一族の内紛」(舘澤貢次)
- [2]マツモトキヨシの前身は松本清が1932年に設立した松本薬舗で、薬品と化粧品を扱った
- [7]1951年、松本薬舗の社名を松本清の姓名をカタカナにしたものへ改めた
- エルダー 18(12) 1996年12月号「『マツモトキヨシ伝・すぐやる課をつくった男』樹林ゆう子著」(市橋誠之助)
- [3]松本清は丁稚奉公、夜間の専門学校を経て薬種商の資格を取得した
- [4]松本清はわずかの元手で薬舗を始めた
- [5]松本清は当時まれだった大量仕入れによる安売り商法を開発した
- 月刊カレント 35(10) 1998年11月号「新刊寸評――私がマツモトキヨシです」
- [6]松本清は千葉県議時代、選挙も視野に入れて自分の名前を店名にした
- [8]店名を自分の名前にしたのは選挙も視野に入れたものだった
- ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
- [9]松本清は言葉や名前は相手にわかりやすくなければならないという考えで、それが社名をマツモトキヨシに変えた由来だと松本和那が語った
- 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
- [12]松本寿子は松本和那の母で、清の死後は和那の社長就任まで暫定的に社長を務めた
1955年〜千葉県議・松本清と、長男和那・次男南海雄の入社
清氏は千葉県議会議員を4期務めたのち、松戸市長選に出て当選した。議員活動が続くあいだ店頭を守ったのは家族で、和那氏は子どものころ店にいた母に叱られた記憶を後年の対談で振り返った。和那氏は1939年に松戸で生まれ、1961年に明治大学商学部を出ると、卒業と同時に家業へ加わった。入社した先は1954年に設けた有限会社で、代表の座には母の寿子氏が就任していた。清氏が1973年に松戸市長の2期目の任期中に没すると、寿子氏がひとまず社長を引き受け、長男への引き継ぎまでの間を埋めた。その後の1975年、和那氏は株式会社への改組にあわせて社長に就任した。同じ年に県議にも初当選し、父の地盤を引き継いで6期を務めた。商学を修めた長男が家業に入ったことで、清氏は政治と商売を分け、店の経営を息子へ委ねる見通しを得たと推察される。
- エルダー 18(12) 1996年12月号「『マツモトキヨシ伝・すぐやる課をつくった男』樹林ゆう子著」(市橋誠之助)
- [13]松本清は県議を4期務めたのち松戸市長選に出馬し当選した
- ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
- [14]松本和那は子どものころ、店番をしていた母親に叱られたことを覚えていると語った
- 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
- [15]松本和那は昭和14年千葉県松戸市生まれ、昭和36年明治大学商学部卒業後、父が経営するマツモトキヨシに入社
- [18]松本和那は昭和50年、株式会社改組とともに社長に就任
- マツキヨココカラ&カンパニー 有価証券報告書 第18期(2025年3月期)【沿革】
- [16]1954年1月設立の有限会社マツモトキヨシ薬店の代表取締役は松本寿子
- 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
- [17]松本清は1973年、松戸市長二期目在任中に病没し、母・寿子が和那の社長就任まで暫定的に社長を務めた
- [19]松本和那は1975年に社長に就任し、父の地盤を継いで県議を6期務めた
次男の南海雄氏は1943年3月の生まれで、1965年3月に日本大学理工学部薬学科を卒業し、翌4月に家業の有限会社へ入社した。商学部出身の兄の和那氏に対し、南海雄氏は医薬品そのものを学んだうえで店に入った。入社後は1970年に営業部長、1975年に専務へと進んだ。和那氏が1975年に県議となって以降は、主力の薬粧部門を南海雄氏が預かり、日々の経営判断を事実上担った。のちに三男の鉄男氏も加わると担当を分け、薬粧とホームセンターを南海雄氏、スーパーを鉄男氏が受け持った。1997年の時点では南海雄氏が副社長、鉄男氏が常務を務め、三兄弟がそろって役員に名を連ねた。父と長男が議会へ軸足を移す家で、医薬品の商いを日々動かす役は薬学を修めた次男に回るほかなかったと思われる。
- 日経ビジネス 2001年4月2日号
- [20]松本南海雄は1943年3月千葉県生まれ、1965年3月日本大学理工学部薬学科卒業、同年4月有限会社薬局マツモトキヨシ入社
- [22]松本南海雄は1970年営業部部長、1975年専務
- [23]和那が1975年に千葉県議となって以降、薬粧・ホームセンター事業を任された南海雄が経営を実質的に切り盛りした
- [24]薬粧・ホームセンター事業を南海雄、スーパー事業を鉄男が担当した
- 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
- [21]松本和那は明治大学商学部卒業
- 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
- [25]1997年時点で二男南海雄が副社長、三男鉄男が常務と三兄弟が全員役員
参考文献[13]-[25]
- エルダー 18(12) 1996年12月号「『マツモトキヨシ伝・すぐやる課をつくった男』樹林ゆう子著」(市橋誠之助)
- [13]松本清は県議を4期務めたのち松戸市長選に出馬し当選した
- ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
- [14]松本和那は子どものころ、店番をしていた母親に叱られたことを覚えていると語った
- 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
- [15]松本和那は昭和14年千葉県松戸市生まれ、昭和36年明治大学商学部卒業後、父が経営するマツモトキヨシに入社
- [18]松本和那は昭和50年、株式会社改組とともに社長に就任
- [21]松本和那は明治大学商学部卒業
- マツキヨココカラ&カンパニー 有価証券報告書 第18期(2025年3月期)【沿革】
- [16]1954年1月設立の有限会社マツモトキヨシ薬店の代表取締役は松本寿子
- 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
- [17]松本清は1973年、松戸市長二期目在任中に病没し、母・寿子が和那の社長就任まで暫定的に社長を務めた
- [19]松本和那は1975年に社長に就任し、父の地盤を継いで県議を6期務めた
- [25]1997年時点で二男南海雄が副社長、三男鉄男が常務と三兄弟が全員役員
- 日経ビジネス 2001年4月2日号
- [20]松本南海雄は1943年3月千葉県生まれ、1965年3月日本大学理工学部薬学科卒業、同年4月有限会社薬局マツモトキヨシ入社
- [22]松本南海雄は1970年営業部部長、1975年専務
- [23]和那が1975年に千葉県議となって以降、薬粧・ホームセンター事業を任された南海雄が経営を実質的に切り盛りした
- [24]薬粧・ホームセンター事業を南海雄、スーパー事業を鉄男が担当した
出典・参考
8件
- マツキヨココカラ&カンパニー 有価証券報告書 第18期(2025年3月期)【沿革】
- エルダー 18(12) 1996年12月号「『マツモトキヨシ伝・すぐやる課をつくった男』樹林ゆう子著」(市橋誠之助)
- 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
- 月刊カレント 35(10) 1998年11月号「新刊寸評――私がマツモトキヨシです」
- ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
- 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
- 政界 23(7) 2001年7月号「マツモトキヨシに起きた経営者一族の内紛」(舘澤貢次)
- 日経ビジネス 2001年4月2日号