ニチレイ:水産部門の赤字とニチレイへの改称
1973年〜二百海里による原料転換と、1981年1月期の減益
1977年3月に各国が二百海里の漁業水域を宣言して以降、日本の漁船は世界の各地で操業から締め出され、各国はかわりに自国で獲った水産物を日本へ買わせる側へ回った。日本の魚の輸入は年間140万トンに達し、国内で食べられる魚およそ740万トンの2割を占めた。日本冷蔵の水産品の総取扱量は年約11万トンで、うち85%が輸入品、その約半分を海外部が直接輸入した。北海道・三陸・九州の主要漁港に冷凍工場を置き、水揚げされた魚を凍らせて大都市で売るという従来の仕事は、沿岸漁業の疲弊とともに細った。輸入品は運賃を負担しても採算の合う高級魚が中心となり、エビ・カニ・サケ・ウナギへ品目が寄った。
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [1]1977年3月の二百海里宣言以降 日本漁業は各地で操業を締め出され各国は日本への水産物輸出を求めるよう転換
- [2]日本の魚の輸入は年間140万トン/国内で食べられる魚約740万トンの約2割
- [3]水産品の総取扱量 年約11万トン・うち85%が輸入品・輸入品の約半分は海外部の直接輸入
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [4]主要漁港の冷凍工場で凍結し大都市で販売する仕事は沿岸漁業の疲弊で減少
- [5]運賃負担のため輸入は高級魚中心でエビ・カニ・アワビ・ウナギ・タコなど
冷蔵倉庫の入庫量は、国内品の供給量が1伸びるとき0.7しか伸びないが、輸入品では1の増加に対し1.5の弾性値で伸びた。輸入食品は荷揚げされた港の冷蔵庫へ入り、消費都市の冷蔵庫へ再入庫し、さらに中小都市へ分荷されるため、同じ商品が何度も倉庫を通るからである。冷蔵倉庫が扱う輸入食品は1975年の103万トンから1978年の151万トンへ5割増え、総入庫量に占める割合は全国平均で18%、京浜地区では55%に達した。1973年からの六年間で実質個人消費支出の伸びが29%だったのに対し、冷蔵倉庫は53%伸びている。1979年末の全国の冷蔵倉庫能力700万トンのうち日本冷蔵は63万トンを持ち、業界第二位から第七位までの合計を上回った。
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- [6]冷蔵倉庫入庫の弾性値 国内品1に対し0.7・輸入品1に対し1.5
- [7]輸入食品は輸入港の冷蔵庫から消費都市の冷蔵庫へ再入庫しさらに中小都市へ分荷入庫する波及効果
- [8]冷蔵倉庫入庫対象の輸入食品 1975年103万トン→1978年151万トン(5割増・年率7%)
- [9]総入庫量に占める輸入食品の割合 全国平均18%・京浜地区55%
- [10]1973年からの6年間で実質個人消費支出29%増に対し冷蔵倉庫は53%成長
- [11]1979年末 全国の冷蔵倉庫能力700万トン・日本冷蔵63万トンでシェア12%・業界2位から7位の合計を上回る
二百海里問題の影響で水産業界が振るわなくなると、冷蔵庫に預けられる貨物が減り、食料品の在庫を絞る動きも加わって入庫量は落ち込んだ。日本冷蔵で冷凍部門が稼ぐ売上は全社の約一割にとどまるものの、利益の額は商事部門を合計した額をやや上回っていた。設備投資も半分以上がこの部門向けだった。つまり全社の利益は、倉庫の空きが埋まるかどうかにかかっていた。売上高は1980年1月期の2,417億5,600万円から1981年1月期には2,278億4,666万円へ縮み、経常利益は41億4,600万円から30億2,300万円に、当期利益は22億9,600万円から18億549万円に下がった。それでも配当は年1割2分を据え置いた。荷主の景況をそのまま受け取る保管業の弱さが、初めて数字に出た局面であった。
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [12]二百海里問題による水産業界の不振で冷蔵保管貨物が減少し食料品の在庫調整で入庫量も減少
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- [13]冷凍部門は売上高の約1割だが利益額は商事部門の合計より若干多く設備投資の過半を投入
- 日本企業要覧 1981年版「ニチレイ(日本冷蔵株式会社)」
- [14]1980年1月期 売上高2,417億5,600万円・経常利益41億4,600万円・当期利益22億9,600万円/1981年1月期 売上高2,278億4,666万円・経常利益30億2,300万円・当期利益18億549万円
- [15]1981年1月期も配当は年1割2分を継続
参考文献[1]-[15]
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [1]1977年3月の二百海里宣言以降 日本漁業は各地で操業を締め出され各国は日本への水産物輸出を求めるよう転換
- [2]日本の魚の輸入は年間140万トン/国内で食べられる魚約740万トンの約2割
- [3]水産品の総取扱量 年約11万トン・うち85%が輸入品・輸入品の約半分は海外部の直接輸入
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [4]主要漁港の冷凍工場で凍結し大都市で販売する仕事は沿岸漁業の疲弊で減少
- [5]運賃負担のため輸入は高級魚中心でエビ・カニ・アワビ・ウナギ・タコなど
- [12]二百海里問題による水産業界の不振で冷蔵保管貨物が減少し食料品の在庫調整で入庫量も減少
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- [6]冷蔵倉庫入庫の弾性値 国内品1に対し0.7・輸入品1に対し1.5
- [7]輸入食品は輸入港の冷蔵庫から消費都市の冷蔵庫へ再入庫しさらに中小都市へ分荷入庫する波及効果
- [8]冷蔵倉庫入庫対象の輸入食品 1975年103万トン→1978年151万トン(5割増・年率7%)
- [9]総入庫量に占める輸入食品の割合 全国平均18%・京浜地区55%
- [10]1973年からの6年間で実質個人消費支出29%増に対し冷蔵倉庫は53%成長
- [11]1979年末 全国の冷蔵倉庫能力700万トン・日本冷蔵63万トンでシェア12%・業界2位から7位の合計を上回る
- [13]冷凍部門は売上高の約1割だが利益額は商事部門の合計より若干多く設備投資の過半を投入
- 日本企業要覧 1981年版「ニチレイ(日本冷蔵株式会社)」
- [14]1980年1月期 売上高2,417億5,600万円・経常利益41億4,600万円・当期利益22億9,600万円/1981年1月期 売上高2,278億4,666万円・経常利益30億2,300万円・当期利益18億549万円
- [15]1981年1月期も配当は年1割2分を継続
1979年〜壁工法と高槻流通センターによる、保管から流通機能への転換
日本冷蔵は大成建設と共同で、部屋の内部に支えを設けず壁だけで建物と貨物の重さを支える工法を開発し、特許を得た。無駄な空間が消えて貨物の収容効率は20%上がり、建物が小さくなり、建設費は15%ほど安く、電力も26%節約できた。この方式の冷蔵倉庫は長崎・高松・神戸ポートアイランドの三工場で稼働し、名古屋の春日と大阪の新南港で建設が進んだ。投資は、輸入の集中する大港湾への大型案件と、流通の要所にある既設倉庫の増設という即効性のある中型案件を組み合わせ、定率償却による一時的な利益の低下を相殺した。全国約160の冷蔵倉庫のうち都心化した老朽工場の土地を売却して新しい立地へ振り向ける資金の循環が確立しており、外部からの資金調達はほとんど要らなかった。
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- [16]大成建設と共同開発し特許を保有する壁工法 柱を使わず壁で建物と貨物の重さを支持
- [17]壁工法により貨物の収容効率20%上昇・建設費約15%減・電力約26%節約
- [18]壁工法の冷蔵倉庫は長崎・高松・神戸ポートアイランドで稼働し名古屋春日・大阪新南港で建設中
- [19]大輸入港への大型投資と既設冷蔵倉庫の増設など即効性の中型投資を組み合わせ定率償却による一時的利益低下を相殺
- [20]全国約160の冷蔵倉庫のうち都心化した老朽工場の土地売却益を新規立地へ充てる資金サイクルにより外部調達がほぼ不要
1979年11月、大阪近郊の高槻市で配送型の流通冷蔵倉庫が稼働した。自動倉庫・電算システム・輸配送の三機能を一元化し、製造工場や営業部署とオンラインで結んだ実験的な先行投資であり、零下20度以下の庫内作業を人の手から機械へ移す試みは世界でも例が少なく、欧州の大手食品メーカーから技術指導を求められた。1986年には東京・大阪・福岡などにあった地域別の低温流通会社を全国組織へ再編し、日本低温流通を設立した。自社で運ばず協力運送会社へ貨物をあっせんする会社で、荷主の出荷先を早くつかめる立場を使い、帰り便の空車を減らした。目指したのは、荷主が自分の帳簿を持たずに済むほど信用される保管台帳であった。
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- [21]1979年11月 大阪近郊の高槻市で配送型流通冷蔵倉庫が稼働
- [22]高槻流通センターは自動倉庫・電算システム・輸配送の3機能を一元システム化し製造工場・営業部署とオンライン化
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [23]零下20度以下の庫内作業の機械化は世界的にも例が少なく欧州の大手食品メーカーから技術指導を要請された
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [24]1986年 東京・大阪・福岡などの地域別低温流通会社を全国組織へ再編し日本低温流通を設立
- [25]日本低温流通は自社輸送でなく協力運送会社へ貨物をあっせんし帰り便の空車を減らす
- [26]荷主に保管台帳を信用させ荷主側の帳簿を不要とすることを目標に置いた
1978年の国内の冷凍食品生産は48万2,000トン、輸入を加えた消費は56万4,000トン・約2,200億円で、国民一人当たりは年4.9キログラムと、米国の42.1キログラムに遠く及ばなかった。シュウマイ・ギョウザ・エビフライ・コロッケ・ハンバーグの五品が全体の約六割を占め、メーカーは600社を数えて需給が崩れるたびに価格競争へ走り、品質はむしろ低下していた。日本冷蔵は本物の素材と高度な調理技術による高価格帯の新製品へ向かい、スープやチーズケーキ、良質の肉を使った高級シュウマイを投入した。ホワイトパックと名づけた一連の製品を軸とする高級化路線で、冷凍食品の売上は1982年1月期に前期比20%以上伸びている。帝国ホテルと折半出資したインペリアルキッチンの製品も同じ方向を担った。
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- [27]1978年の国内冷凍食品生産48万2,000トン・輸入8万2,000トンを含む消費56万4,000トン約2,200億円・1人当たり4.9kg(米国42.1kg)
- [28]シュウマイ・ギョウザ・エビフライ・コロッケ・ハンバーグの5品が冷凍食品全体の約6割
- [29]冷凍食品メーカーは約600社で需給悪化のたび価格競争へ走り品質が劣後
- [30]本物素材と高度な調理技術による高価格帯の新製品(スープ・チーズケーキ・良質の肉を使った高級シュウマイ)を投入
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [31]ホワイトパック・シリーズなど高級化路線により1982年1月期の冷凍食品は前期比20%以上の伸び
- [32]帝国ホテルと折半出資のインペリアルキッチン
参考文献[16]-[32]
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- [16]大成建設と共同開発し特許を保有する壁工法 柱を使わず壁で建物と貨物の重さを支持
- [17]壁工法により貨物の収容効率20%上昇・建設費約15%減・電力約26%節約
- [18]壁工法の冷蔵倉庫は長崎・高松・神戸ポートアイランドで稼働し名古屋春日・大阪新南港で建設中
- [19]大輸入港への大型投資と既設冷蔵倉庫の増設など即効性の中型投資を組み合わせ定率償却による一時的利益低下を相殺
- [20]全国約160の冷蔵倉庫のうち都心化した老朽工場の土地売却益を新規立地へ充てる資金サイクルにより外部調達がほぼ不要
- [21]1979年11月 大阪近郊の高槻市で配送型流通冷蔵倉庫が稼働
- [22]高槻流通センターは自動倉庫・電算システム・輸配送の3機能を一元システム化し製造工場・営業部署とオンライン化
- [27]1978年の国内冷凍食品生産48万2,000トン・輸入8万2,000トンを含む消費56万4,000トン約2,200億円・1人当たり4.9kg(米国42.1kg)
- [28]シュウマイ・ギョウザ・エビフライ・コロッケ・ハンバーグの5品が冷凍食品全体の約6割
- [29]冷凍食品メーカーは約600社で需給悪化のたび価格競争へ走り品質が劣後
- [30]本物素材と高度な調理技術による高価格帯の新製品(スープ・チーズケーキ・良質の肉を使った高級シュウマイ)を投入
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [23]零下20度以下の庫内作業の機械化は世界的にも例が少なく欧州の大手食品メーカーから技術指導を要請された
- [31]ホワイトパック・シリーズなど高級化路線により1982年1月期の冷凍食品は前期比20%以上の伸び
- [32]帝国ホテルと折半出資のインペリアルキッチン
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [24]1986年 東京・大阪・福岡などの地域別低温流通会社を全国組織へ再編し日本低温流通を設立
- [25]日本低温流通は自社輸送でなく協力運送会社へ貨物をあっせんし帰り便の空車を減らす
- [26]荷主に保管台帳を信用させ荷主側の帳簿を不要とすることを目標に置いた
1985年〜ニチレイへの改称と、医薬・育種・不動産への利益源の分散
1985年2月1日、日本冷蔵は社名をニチレイへ改めた。会社の掲げる概念は、1940年代の食糧の安定供給から、1950年代半ば以降の「冷力を基盤とする総合食品企業」を経て、国民の摂取カロリーが頭打ちとなった1978年ごろに移り始め、1983年に「より多く心の満足を提供する」と定め直された。新社名とシンボルマークを知らせるため前年から日米女子プロゴルフ選手権を主催し、岡本綾子選手をイメージキャラクターに起用して、テレビコマーシャルでは「鮮力」という語を使った。1985年1月期の売上構成は水産品40%・畜産品32%・冷凍食品16%・冷蔵6%であった。名乗りを変えても、売上の7割はなお素材を右から左へ動かす商いに置かれていた。
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [33]1985年2月1日 社名をニチレイへ変更
- [34]会社の概念は1940年代の食糧安定供給→1950年代半ば以降の「冷力を基盤とする総合食品企業」→1978年ごろから転換し1983年に「より多く心の満足を提供する」と明確化
- [35]改称前年から日米女子プロゴルフ選手権を主催し岡本綾子選手をイメージキャラクターに起用しTVコマーシャルで「鮮力」を使用
- 会社年鑑 1986年版「ニチレイ」
- [36]1985年1月期の売上構成 水産品40%・畜産品32%・冷凍食品16%・冷蔵6%
1987年4月、ニチレイは医薬開発室を開発部から独立させ、白血病の診断薬に使うモノクローナル抗体や、臓器移植の適合性を遺伝子の水準で判定する方法に取り組んだ。植物では西ドイツのマックスプランク研究所のメルヒャーズ教授の指導を受け、細胞融合によって耐寒性・耐塩性・耐乾性の強い品種の開発を進めた。赤血球やリンパ球を壊さず凍らせる生物凍結の研究は1982年の時点で始まっており、米国のミリガン・インタナショナル・インダストリー社とは血清など生理活性物質を扱う合弁会社を設けている。もう一つの新規事業は不動産で、東京・明石町に地上18階地下2階の賃貸ビルを建て、勝鬨橋たもとの冷凍工場およそ1,400坪と築地の魚市場に隣接する1,900坪にも賃貸ビルを計画した。三棟が完成すれば不動産の収益は40億円ほどになる見込みであった。
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [37]1987年4月 医薬開発室を開発部から独立させモノクローナル抗体・臓器移植適合性の遺伝子判定に着手
- [38]西独マックスプランク研究所メルヒャーズ教授の指導のもと細胞融合で耐寒性・耐塩性・耐乾性の品種開発
- [40]東京・明石町に地上18階地下2階の賃貸ビルを建設中/勝鬨橋たもとの冷凍工場約1,400坪と築地魚市場隣接地1,900坪にも賃貸ビルを計画
- [41]3棟完成時の不動産事業の収益は約40億円の見込み
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [39]1982年時点で赤血球・リンパ球などの生物凍結を研究/米ミリガン・インタナショナル・インダストリー社と生理活性物質の合弁会社を設立
1987年1月期でニチレイは六期連続の増収増益となった。全国138か所に冷蔵庫を構え、貯蔵能力は85万トン、業界の占有率は14%で、二位から四位までを合わせた規模とほぼ並んだ。設備投資は従来の年60億円から70億円に対し、この二、三年は各100億円を超え、決算期の変更をまたぐ14か月では210億円を計画した。1986年度から1990年度までの中期経営計画は、最終年度に売上高4,500億円・経常利益90億円から100億円を置き、期間の設備投資を500億円と見込んでいる。その最終年度の利益構成は、新規事業が約一割、残りを冷凍部門と食品部門で半々とする姿であった。冷凍と食品を折半するという1970年の課題は、そこへ新規事業を1割加えて引き継がれた。
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [42]1987年1月期で6期連続の増収増益
- [43]全国138か所に冷蔵庫・貯蔵能力85万トン・業界シェア14%で2位から4位の合計とほぼ同規模
- [44]設備投資は従来年60億〜70億円だがここ2〜3年は各100億円超・決算期変更をまたぐ14か月で210億円を計画
- [45]中期経営計画(1986年度〜1990年度)最終年次に売上高4,500億円・経常利益90億〜100億円・期間設備投資500億円
- [46]中期経営計画最終年次の利益構成比は新規事業が約1割・冷凍部門と食品部門が半々
参考文献[33]-[46]
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- [33]1985年2月1日 社名をニチレイへ変更
- [34]会社の概念は1940年代の食糧安定供給→1950年代半ば以降の「冷力を基盤とする総合食品企業」→1978年ごろから転換し1983年に「より多く心の満足を提供する」と明確化
- [35]改称前年から日米女子プロゴルフ選手権を主催し岡本綾子選手をイメージキャラクターに起用しTVコマーシャルで「鮮力」を使用
- [37]1987年4月 医薬開発室を開発部から独立させモノクローナル抗体・臓器移植適合性の遺伝子判定に着手
- [38]西独マックスプランク研究所メルヒャーズ教授の指導のもと細胞融合で耐寒性・耐塩性・耐乾性の品種開発
- [40]東京・明石町に地上18階地下2階の賃貸ビルを建設中/勝鬨橋たもとの冷凍工場約1,400坪と築地魚市場隣接地1,900坪にも賃貸ビルを計画
- [41]3棟完成時の不動産事業の収益は約40億円の見込み
- [42]1987年1月期で6期連続の増収増益
- [43]全国138か所に冷蔵庫・貯蔵能力85万トン・業界シェア14%で2位から4位の合計とほぼ同規模
- [44]設備投資は従来年60億〜70億円だがここ2〜3年は各100億円超・決算期変更をまたぐ14か月で210億円を計画
- [45]中期経営計画(1986年度〜1990年度)最終年次に売上高4,500億円・経常利益90億〜100億円・期間設備投資500億円
- [46]中期経営計画最終年次の利益構成比は新規事業が約1割・冷凍部門と食品部門が半々
- 会社年鑑 1986年版「ニチレイ」
- [36]1985年1月期の売上構成 水産品40%・畜産品32%・冷凍食品16%・冷蔵6%
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- [39]1982年時点で赤血球・リンパ球などの生物凍結を研究/米ミリガン・インタナショナル・インダストリー社と生理活性物質の合弁会社を設立
1973年〜1988年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1973年01月期 | 単体 | 991 | n/a | n/a | 38 | 21 | 2.2% | n/a |
| 1974年01月期 | 単体 | 1,299 | +31.0% | n/a | 38 | 22 | 1.8% | n/a |
| 1975年01月期 | 単体 | 1,321 | +1.7% | n/a | 27 | 18 | 1.4% | n/a |
| 1976年01月期 | 単体 | 1,606 | +21.6% | 52 | 26 | 14 | 0.9% | n/a |
| 1977年01月期 | 単体 | 1,857 | +15.7% | n/a | 29 | 16 | 0.9% | n/a |
| 1978年01月期 | 単体 | 2,005 | +8.0% | n/a | 36 | 18 | 0.9% | n/a |
| 1979年01月期 | 単体 | 2,050 | +2.2% | n/a | 39 | 19 | 1.0% | 米国に農・水・畜産品の集荷・販売子会社を設立(1979/01) |
| 1980年01月期 | 単体 | 2,417 | +17.9% | n/a | 41 | 22 | 0.9% | 高槻市で配送型流通冷蔵倉庫が稼働(1979/11) |
| 1981年01月期 | 単体 | 2,278 | ▲5.8% | n/a | 30 | 18 | 0.8% | n/a |
| 1982年01月期 | 単体 | 2,333 | +2.4% | n/a | 38 | 19 | 0.8% | n/a |
| 1983年01月期 | 単体 | 2,545 | +9.1% | n/a | 41 | 22 | 0.9% | n/a |
| 1984年01月期 | 単体 | 2,612 | +2.6% | n/a | 44 | 22 | 0.8% | n/a |
| 1985年01月期 | 単体 | 2,763 | +5.8% | n/a | 50 | 22 | 0.8% | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑 1976年版、会社年鑑
出典・参考
5件
- 会社年鑑 1986年版「ニチレイ」
- 証券アナリストジャーナル 1980年18巻1号(日本冷蔵社長 浅原英夫)
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻6号(日本冷蔵専務取締役 金田幸三)
- 証券アナリストジャーナル 1987年25巻6号(ニチレイ社長 金田幸三)
- 日本企業要覧 1981年版「ニチレイ(日本冷蔵株式会社)」