山本為三郎
アサヒグループHD・元北海道朝日麦酒 取締役社長を兼任
社長就任1949年9月
生年月日—
学歴大阪府立北野中学校
出自—
経歴1909〜1966年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1909年主要役職の状況(推定含む目安)1966年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 山本為三郎商店(家業の製びん業) | 1909 | 入社 | ||
| 日本製壜 | 1917 | 専務取締役 | |||
| 日本麦酒鉱泉 | 1921 | 常務取締役 | |||
| 大日本麦酒 | 1933 | 日本麦酒鉱泉との合併により取締役 | |||
| 1934 | 常務取締役 | ||||
| 1947 | 専務取締役 | ||||
| 朝日麦酒(現アサヒグループホールディングス) | 1949 | 社長 | |||
| 1964 | 北海道朝日麦酒 取締役社長を兼任 | ||||
| 1966 | 社長 退任 | ||||
社長就任までの出自
出自
1893年4月、大阪の船場で生まれた。父はビールや鉱泉の瓶を量産する製びん業を興しており、1909年に数え17歳で家業を継いだ。北野中学を出たあとは上級学校に進まず、英国人の教師から個人で教育を受けた。三ツ矢サイダーの帝国鉱泉に瓶を納め、資金の手当てにも関わったのがビール・飲料の業界へ参入する端緒となった。1917年に日本製壜の専務となり、1921年7月には加富登ビールとの合同で生まれた日本麦酒鉱泉の常務に就任した。
中興ストーリー
中興ストーリー
業績貢献
山本為三郎氏:在任中の業績貢献
1951年11月、ジェネラル・フーヅと「バヤリース・オレンヂジュース」の国内一手販売の契約を結び、ビールの販売網に清涼飲料を載せた。1957年には特製ビールのアサヒゴールドを出し、翌1958年には国内で初めて缶入りのビールを発売した。関東の需要に向けた東京大森工場は1962年5月に稼働した。1954年8月にはニッカウヰスキーへ資本参加し、ウイスキーの事業に参入した。
売上高:1960年12月期〜1970年12月期
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| 決算期 | 在任 | 売上高 | 前期比 | 営業利益率 | ROE | 主な施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1960年12月期 | 508億円 | — | — | — | ||
| 1961年12月期 | 686億円 | +35.0% | — | — | 柏工場を新設(飲料専門工場) | |
| 1962年12月期 | 728億円 | +6.1% | — | — | 大森工場を新設 | |
| 1963年12月期 | 763億円 | +4.8% | — | — | 国内ビール市場でシェア3位に低迷 | |
| 1964年12月期 | 939億円 | +23.1% | — | — | 北海道朝日麦酒を共同出資で設立 | |
| 1965年12月期 | 891億円 | ▲5.1% | — | — | ||
| 1966年12月期 | 893億円 | +0.2% | — | — | ||
| 1967年12月期 | 1,007億円 | +12.8% | — | — | ||
| 1968年12月期 | 1,016億円 | +0.9% | — | — | ||
| 1969年12月期 | 1,065億円 | +4.8% | — | — | ||
| 1970年12月期 | 1,080億円 | +1.4% | — | — |
参考文献5件
参考文献
- 私の履歴書 経済人2「山本為三郎」(日本経済新聞社、1980年)
- 日本企業要覧 1960年版「朝日麦酒」
- 日本企業要覧 1965年版「朝日麦酒」
- 日本企業要覧 1966年版・1967年版「朝日麦酒」
- 『会社銀行八十年史』第2篇 日本会社史「朝日麦酒」(1955年)
事実根拠:出所(アサヒグループHD)