関電工:東証上場と土木・空調管・原子力への工種拡張
1961年〜株式公開と、日本最大の電気工事会社という規模
1961年7月に應用電気㈱(現関工商事㈱)へ資本参加し、同年10月、東京証券取引所市場第二部へ上場した。それまで株式は東京の店頭で売買されており、翌年の年鑑から相場欄は東京市場第二部に変わっている。資本金は1961年3月末の2億250万円から上場時に3億5千万円となった。もっとも公開は株主構成を分散させはしなかった。1961年4月末の株主数は633名、平均一人当たりの持株数は1,106株で、筆頭株主が31.1%を保有し、1964年3月末にはその比率が36.1%へ上がっている。発注元が資本の過半近くを握る構造はその後も続き、2025年3月末でも東京電力パワーグリッド㈱が46.35%を保有する筆頭株主である。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [1]1961年7月 應用電気㈱(現関工商事㈱)に資本参加
- [2]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
- 株式会社年鑑 1962年版 関東電気工事
- [3]1962年版の株式相場欄は「東京店頭」
- [5]資本金は1961年3月末2億250万円、1962年3月末3億5千万円
- [6]1961年4月30日現在の株主数633名・平均一人当り持株数1,106株、筆頭株主の持株比率31.1%
- 株式会社年鑑 1963年版 関東電気工事
- [4]1963年版の株式相場欄は「東京市場第二部」
- 株式会社年鑑 1964年版 関東電気工事
- [7]1964年3月31日現在の筆頭株主持株比率36.1%
- 関電工 有価証券報告書(2025年3月期)【大株主の状況】
- [8]2025年3月31日現在 東京電力パワーグリッド㈱が94,753千株・46.35%を保有する筆頭株主
公開後の数年で規模は一段上がった。完成工事高は1961年3月期の57億2838万円から1962年3月期に83億2696万円、1963年3月期には89億3041万円へ伸び、当期純利益も2億869万円から4億2580万円へ増えている。伸びを作ったのは民間建築向けの屋内線工事であった。1963年3月期の工事別構成比は屋内線工事が43.6%を占め、東京電力から受ける配電線工事の23.0%を大きく上回った。従業員数は1961年3月末で8,308名。年鑑が挙げる販売先は東京電力・主要建設会社・一般民間会社・官公庁であり、仕入先には日本電線・大日電線・日本パイプ製造・古河電気工業が並んだ。発注元一社に収まらない受注の幅が、この時期にできている。
- 株式会社年鑑 1964年版 関東電気工事
- [9]完成工事高は1961年3月期5,728,386千円、1962年3月期8,326,964千円、1963年3月期8,930,418千円
- [10]当期純利益は1961年3月期208,695千円、1963年3月期425,805千円
- [11]1963年3月期の工事別完成工事高構成比は屋内線工事43.6%、配電線工事23.0%、発変電工事6.0%、送電線工事2.7%、通信線工事1.5%
- [13]主な販売先は東京電力、主要建設会社、一般民間会社、官公庁
- [14]主な仕入先は日本電線、大日電線、日本パイプ製造、古河電気工業
- 株式会社年鑑 1962年版 関東電気工事
- [12]1961年3月末の従業員数8,308人
創立から24年を経た1968年、関東電気工事は資本金11億円・年間施工高350億円・事業設備140か所・従業員総数9,000名を擁し、名実ともに日本最大の電気工事会社と紹介されるまでになった。本社はこのとき東京都文京区湯島に置かれ、社長は設立時から率いた三輪外次郎に代わって押本栄が務めている。手がけた大型工事として挙がるのは国立劇場、パレスサイド・ビル、ソニービル、電通ビル、三井霞が関の超高層ビルで、施工中のものには新宮殿と帝国ホテルが並んだ。戦後の約5年間は苦難の時期であると同時に将来の飛躍に向けた基礎固めの時代であり、駐留軍工事の全盛が過ぎた後に官公庁の需要が復活し、各産業界の設備拡充期を迎えた、というのが当時の整理であった。
- 企業の歴史 明治百年(1968年)関東電気工事
- [15]創立から24年の1968年時点で資本金11億円・年間施工高350億円・事業設備140か所・従業員総数9,000名を擁し、名実とも日本最大の電気工事会社へ発展したと記載
- [16]1968年時点の本社は東京都文京区湯島四の一の一八、社長は押本栄(1961年3月末時点の会長は設立時社長の三輪外次郎)
- [18]戦後の約5年間は苦難の時期であり同時に将来への飛躍を賭けた基礎固めの時代で、駐留軍工事の全盛がすぎ官公庁需が復活、次いで各産業界の設備拡充期を迎えた
- [19]最近手がけた大型工事に国立劇場、パレスサイド・ビル、ソニービル、キャタピラー三菱本社工場、電通ビル、三井霞が関超高層ビル、施工中のものに新宮殿、帝国ホテル、日本ビル、緑屋本店
- 株式会社年鑑 1962年版 関東電気工事
- [17]1961年3月31日現在の会長は三輪外次郎
参考文献[1]-[19]
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [1]1961年7月 應用電気㈱(現関工商事㈱)に資本参加
- [2]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
- 株式会社年鑑 1962年版 関東電気工事
- [3]1962年版の株式相場欄は「東京店頭」
- [5]資本金は1961年3月末2億250万円、1962年3月末3億5千万円
- [6]1961年4月30日現在の株主数633名・平均一人当り持株数1,106株、筆頭株主の持株比率31.1%
- [12]1961年3月末の従業員数8,308人
- [17]1961年3月31日現在の会長は三輪外次郎
- 株式会社年鑑 1963年版 関東電気工事
- [4]1963年版の株式相場欄は「東京市場第二部」
- 株式会社年鑑 1964年版 関東電気工事
- [7]1964年3月31日現在の筆頭株主持株比率36.1%
- [9]完成工事高は1961年3月期5,728,386千円、1962年3月期8,326,964千円、1963年3月期8,930,418千円
- [10]当期純利益は1961年3月期208,695千円、1963年3月期425,805千円
- [11]1963年3月期の工事別完成工事高構成比は屋内線工事43.6%、配電線工事23.0%、発変電工事6.0%、送電線工事2.7%、通信線工事1.5%
- [13]主な販売先は東京電力、主要建設会社、一般民間会社、官公庁
- [14]主な仕入先は日本電線、大日電線、日本パイプ製造、古河電気工業
- 関電工 有価証券報告書(2025年3月期)【大株主の状況】
- [8]2025年3月31日現在 東京電力パワーグリッド㈱が94,753千株・46.35%を保有する筆頭株主
- 企業の歴史 明治百年(1968年)関東電気工事
- [15]創立から24年の1968年時点で資本金11億円・年間施工高350億円・事業設備140か所・従業員総数9,000名を擁し、名実とも日本最大の電気工事会社へ発展したと記載
- [16]1968年時点の本社は東京都文京区湯島四の一の一八、社長は押本栄(1961年3月末時点の会長は設立時社長の三輪外次郎)
- [18]戦後の約5年間は苦難の時期であり同時に将来への飛躍を賭けた基礎固めの時代で、駐留軍工事の全盛がすぎ官公庁需が復活、次いで各産業界の設備拡充期を迎えた
- [19]最近手がけた大型工事に国立劇場、パレスサイド・ビル、ソニービル、キャタピラー三菱本社工場、電通ビル、三井霞が関超高層ビル、施工中のものに新宮殿、帝国ホテル、日本ビル、緑屋本店
1970年〜土木・空調管・原子力へ拡大した工種と、一律化した退職金
1970年1月に仙台支社(現東北支店)、同年2月に信越支社(現長野支店)を設置すると同時に土木工事の営業を開始し、東京証券取引所市場第一部に指定された(資本金17億円)。同年5月には空調管工事(現環境設備工事)の営業を開始、同年8月に札幌支社(現北海道支店)を設置し、1971年4月には第一企業㈱(現㈱関工パワーテクノ)へ資本参加した。営業網の広域化と工種の追加が重なり、単体売上高は1971年3月期の605億円から1975年3月期に1,045億円、1980年3月期には1,933億円へ伸びた。1975年3月期の受注工事高は屋内線工事560億円が51%を占め、配電線工事317億円の29%を上回った。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [20]1970年1月 仙台支社(現東北支店)を設置
- [21]1970年2月 信越支社設置・土木工事の営業開始・東京証券取引所市場第一部に指定
- [22]東証1部指定時の資本金17億円
- [23]1970年5月 空調管工事(現環境設備工事)の営業を開始
- [24]1970年8月 札幌支社(現北海道支店)を設置
- [25]1971年4月 第一企業㈱(現㈱関工パワーテクノ)に資本参加
- 会社年鑑(各年版)
- [26]単体売上高 1971年3月期605億円・1975年3月期1,045億円・1980年3月期1,933億円
- 会社年鑑(1976年版)
- [27]1975年3月期の受注工事高は屋内線工事56,050百万円(51%)、配電線工事31,772百万円(29%)
1973年6月、総合教育センター(現人材育成センター)を設置し、施工現場の技能者を自社で育てる体制を制度化した。1974年4月には建設業法改正に対応して建設大臣許可(特-49)第3885号を受け、特定建設業者となった。1976年6月には建設大臣許可(般-51)第3885号も受けている。1979年7月には原子力関連工事の営業を開始し、電気工事の対象に原子力発電所を加えた。単体売上高は1982年3月期に2,441億円まで伸びた後、1983年3月期は2,272億円へ減少し、1984年3月期に2,451億円へ戻している。原子力工事への参入から36年後の2015年7月には、福島原子力事故からの復興工事を担う福島本部が置かれた。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [28]1973年6月 総合教育センター(現人材育成センター)を設置
- [29]1974年4月 建設業法改正に対応し建設大臣許可(特-49)第3885号を取得
- [30]1976年6月 建設大臣許可(般-51)第3885号を取得
- [31]1979年7月 原子力関連工事の営業開始
- [33]2015年7月 福島本部を設置(原子力関連工事営業開始から36年後)
- 会社年鑑(各年版)
- [32]単体売上高 1982年3月期2,441億円・1983年3月期2,272億円・1984年3月期2,451億円
工種が増えるほど、現場の技能者をどう引き止めるかが経営の課題になる。1979年、関東電気工事は役員を除く全社員の退職金の算出基準を一本化し、勤続年数だけで支給額を決める制度を採用した。定年57歳・勤続32年で1,100万円とされ、部長も一般社員も、大学卒も高校卒も、事務職も現場も同額となる。退職金は勤続年数に加えて学歴や退職時の役職・職種で差がつくのが当時の常識であり、算出基準の一本化は同業他社への波及が注目された。この制度は押本栄会長の提案によって始まっている。『会社への貢献度は日ごろの賃金に反映させてある。老後の生活を支える退職金ぐらいは,せめて全社員一律にしたい』というのがその理由であった。屋内線と配電線の双方に技能者を抱える会社が、職種による処遇の差を退職金の側では作らないと決めた判断であった。
- 日経ビジネス 1979年5月7日号 関東電気工事の退職金
- [34]1979年、関東電気工事は役員以外の退職金の算出基準を一本化し、勤続年数だけで支給額を算出する制度を採用した
- [35]定年57歳(勤続年数32年)で1,100万円とし、部長もヒラも、大卒も高卒も、事務職も現場も同額
- [36]退職金は勤続年数に加え学歴・退職時の役職・職種で金額に差がつくのが当たり前とされ、退職金制度の簡素化に取り組む他企業への波及が注目された
- [37]この制度は押本栄会長の提案で始まった
参考文献[20]-[37]
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [20]1970年1月 仙台支社(現東北支店)を設置
- [21]1970年2月 信越支社設置・土木工事の営業開始・東京証券取引所市場第一部に指定
- [22]東証1部指定時の資本金17億円
- [23]1970年5月 空調管工事(現環境設備工事)の営業を開始
- [24]1970年8月 札幌支社(現北海道支店)を設置
- [25]1971年4月 第一企業㈱(現㈱関工パワーテクノ)に資本参加
- [28]1973年6月 総合教育センター(現人材育成センター)を設置
- [29]1974年4月 建設業法改正に対応し建設大臣許可(特-49)第3885号を取得
- [30]1976年6月 建設大臣許可(般-51)第3885号を取得
- [31]1979年7月 原子力関連工事の営業開始
- [33]2015年7月 福島本部を設置(原子力関連工事営業開始から36年後)
- 会社年鑑(各年版)
- [26]単体売上高 1971年3月期605億円・1975年3月期1,045億円・1980年3月期1,933億円
- [32]単体売上高 1982年3月期2,441億円・1983年3月期2,272億円・1984年3月期2,451億円
- 会社年鑑(1976年版)
- [27]1975年3月期の受注工事高は屋内線工事56,050百万円(51%)、配電線工事31,772百万円(29%)
- 日経ビジネス 1979年5月7日号 関東電気工事の退職金
- [34]1979年、関東電気工事は役員以外の退職金の算出基準を一本化し、勤続年数だけで支給額を算出する制度を採用した
- [35]定年57歳(勤続年数32年)で1,100万円とし、部長もヒラも、大卒も高卒も、事務職も現場も同額
- [36]退職金は勤続年数に加え学歴・退職時の役職・職種で金額に差がつくのが当たり前とされ、退職金制度の簡素化に取り組む他企業への波及が注目された
- [37]この制度は押本栄会長の提案で始まった
1981年〜総合設備業への転換と、社名から外れた「電気工事」
1981年10月、シンガポールに事務所(現シンガポール支社)を置き、初の海外拠点とした。1970年の土木工事・空調管工事への参入、1979年の原子力関連工事の営業開始に続く事業範囲の拡張であった。1985年3月期の受注工事高を見ると、配電線工事1,316億円が48%、屋内線・空調管工事1,084億円が39%、工務関係工事365億円が13%を占め、東京電力向けの配電線工事と民間向けの屋内線・空調管工事が受注の二本柱として並んだ。単体の経常利益も1979年3月期の96億円から1981年3月期には139億円へ伸びている。工種を足すたびに受注の裾野は広がったが、社名が掲げる業域のほうは、なお電気工事のままにとどまっていた。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [38]1981年10月 シンガポール事務所(現支社)を設置、初の海外拠点
- [39]1970年の土木工事・空調管工事参入、1979年の原子力関連工事営業開始に続く事業範囲の拡張
- 会社年鑑(1986年版)
- [40]1985年3月期の受注工事高は配電線工事1,316億円(48%)、屋内線・空調管工事1,084億円(39%)、工務関係工事365億円(13%)
- 会社年鑑(各年版)
- [41]単体経常利益 1979年3月期96億円・1981年3月期139億円
1984年9月、創業から40年使い続けた"関東電気工事"の商号を"株式会社関電工"へ変更した。社名から"電気工事"の四文字が外れ、略称として通っていた"関電工"が正式な商号になった。同年11月には関工不動産管理㈱(現㈱ケイアセットマネジメント)を設立し、施工以外の領域へも足を伸ばしている。商号変更時点の規模は、1985年3月期の単体売上高2,766億円・経常利益141億円・当期純利益53億円であった。同じ要綱で生まれ、同じく配電会社の資本を受けて発足した九州電気工事も、1989年12月に"九電工"へ商号を変更しており、戦時統制が作った地区別の工事会社は、いずれも社名から業種名を落とし、電気工事という出自を残したまま、広げた業域のほうを名乗りへ反映させている。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [42]1984年9月 社名を「関東電気工事」から「株式会社関電工」に変更
- [43]商号変更で社名から「電気工事」が外れ、略称の「関電工」が正式商号になった
- [44]1984年11月 関工不動産管理㈱(現㈱ケイアセットマネジメント)を設立
- 会社年鑑(1986年版)
- [45]1985年3月期の単体業績は売上高2,766億円・経常利益141億円・当期純利益53億円
- クラフティア(旧 九電工)有価証券報告書【沿革】
- [46]九州電気工事は1989年12月に「九電工」へ商号を変更
参考文献[38]-[46]
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [38]1981年10月 シンガポール事務所(現支社)を設置、初の海外拠点
- [39]1970年の土木工事・空調管工事参入、1979年の原子力関連工事営業開始に続く事業範囲の拡張
- [42]1984年9月 社名を「関東電気工事」から「株式会社関電工」に変更
- [43]商号変更で社名から「電気工事」が外れ、略称の「関電工」が正式商号になった
- [44]1984年11月 関工不動産管理㈱(現㈱ケイアセットマネジメント)を設立
- 会社年鑑(1986年版)
- [40]1985年3月期の受注工事高は配電線工事1,316億円(48%)、屋内線・空調管工事1,084億円(39%)、工務関係工事365億円(13%)
- [45]1985年3月期の単体業績は売上高2,766億円・経常利益141億円・当期純利益53億円
- 会社年鑑(各年版)
- [41]単体経常利益 1979年3月期96億円・1981年3月期139億円
- クラフティア(旧 九電工)有価証券報告書【沿革】
- [46]九州電気工事は1989年12月に「九電工」へ商号を変更
筆者考察
1961年10月の東京証券取引所市場第二部への上場は、関東電気工事の資本構成をほとんど変えなかった。株主数633名、筆頭株主31.1%という公開直後の姿は、3年後に36.1%へ寄り、現在も東京電力パワーグリッドが46.35%を持つ。外から入った資金は、発注元の持分を薄めるほどの量ではなかったのである。動いたのは資本の側ではなく、工種の側だった。1963年3月期には民間建築向けの屋内線工事が完成工事高の43.6%を占め、東京電力から受ける配電線工事の23.0%を大きく上回っている。発注元が筆頭株主であることと、売上の半分近くが発注元以外から来ることは、この会社では同時に成り立っていた。
1970年代に足された工種は、その非対称をさらに広げた。土木工事と空調管工事が1970年に、原子力関連工事が1979年に加わり、単体売上高は1971年3月期の605億円から1984年3月期の2,451億円へ伸びる。広げたのは客先ではなく、同じ建物と同じ電力設備に対してできる工事の種類だった。だから1979年に退職金の算出基準を役職でも学歴でもなく勤続年数だけへ一本化したことは、福利厚生の話にとどまらない。屋内線と配電線、事務と現場を同時に抱えた会社が、職種の違いを処遇の差にしないと決めた判断である。1984年9月に社名から電気工事の四文字を外したのは、その十数年の結果を名乗りへ合わせた手続きにすぎない。
- 1961年から1963年は完成工事高、1971年以降は単体売上高。
- 出所は株式会社年鑑(1962年版〜1964年版)および会社年鑑(各年版)。
1961年〜1984年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 605 | n/a | 27 | 4.5% | 14 | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 684 | +13.0% | 26 | 3.9% | 15 | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 752 | +10.0% | 36 | 4.8% | 18 | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 916 | +21.8% | 36 | 3.9% | 18 | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 1,045 | +14.0% | 24 | 2.3% | 9 | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 1,119 | +7.0% | 38 | 3.4% | 15 | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 1,344 | +20.1% | 57 | 4.2% | 25 | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 1,681 | +25.1% | 59 | 3.5% | 26 | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 1,909 | +13.6% | 96 | 5.0% | 34 | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 1,933 | +1.3% | 94 | 4.9% | 34 | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 2,168 | +12.2% | 139 | 6.4% | 43 | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 2,441 | +12.6% | 131 | 5.4% | 44 | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 2,272 | ▲6.9% | 111 | 4.9% | 44 | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 2,451 | +7.9% | 140 | 5.7% | 52 | n/a |
出所:会社年鑑 1976年版、会社年鑑
出典・参考
11件
- 関電工 有価証券報告書(2025年3月期)【大株主の状況】
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- クラフティア(旧 九電工)有価証券報告書【沿革】
- 株式会社年鑑 1962年版 関東電気工事
- 株式会社年鑑 1963年版 関東電気工事
- 株式会社年鑑 1964年版 関東電気工事
- 企業の歴史 明治百年(1968年)関東電気工事
- 会社年鑑(1976年版)
- 会社年鑑(1986年版)
- 会社年鑑(各年版)
- 日経ビジネス 1979年5月7日号 関東電気工事の退職金