第1章 年〜年

関電工:電気工事業整備要綱による関東電気工事の設立

1944年〜軍需へ流れた工事業者と、配電設備の保守が立ち行かなくなった戦時

1944年9月1日、電気工事業整備要綱に基づいて㈱協立興業社ほか7社が統合し、これに関東配電株式会社が参加して関東電気工事株式会社が設立された。統合を促したのは、電気工事業者が軍需産業の工事へ流出したことであった。日華事変の後、電力会社は自ら施行してきた内線工事を一般の業者へ委ね、弱小業者が続出してその統制に苦心していた。戦時体制に入ると資材は軍の統制下に置かれ、軍需産業関係の工事だけが優先的に資材の提供を受けた。請負単価も時価で更正された一方、電気事業者向けの工事は電気料金との関係で単価の更正が難しく、従来の関係を重んじる一部を除いて業者は軍関係の工事へ移った。電気事業は、その施設の維持保守すら困難になっていた。

  • 関電工 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1944年9月 電気工事業整備要綱に基づき㈱協立興業社ほか7社が統合、関東配電㈱が参加して関東電気工事株式会社を設立
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第一章 当社設立の経緯
    • [2]日華事変後、電力会社が従来施行していた内線工事を順次一般工事業者へ委ね、弱小業者が続出して電力会社が統制に苦心した
    • [3]戦時体制下で工事用資材は軍の統制下に置かれ、軍需産業関係工事は優先的に軍の資材提供を受けて施行された
    • [4]軍需産業関係工事は請負単価が時価により更正されたが、電気事業者関係は電気料金の関係で請負単価の更正が困難だった
    • [5]従来の関係を重んじ電力会社の工事を守る一部の業者を除き、多くが電気事業者を離れて軍関係工事へ移った
    • [6]電気事業関係工事の従事者が減り続け、電気事業は施設の維持保守すら困難になった

工事会社を設ける構想は、配電会社の側から出ている。1942年頃、中部配電株式会社と関西配電株式会社が会社専属の工事会社を作ることを企画し、電力局へ申請した。発送電と配電を統制していた電力局は、工事の施行部門も統制しなければ完璧ではないとして、配電会社の地区別に工事会社を設立する案を立てた。強く反対したのは軍当局で、電気工事業者を軍の管理から分離して電力官僚の統制下に置けば戦力の遂行に支障を来す、というのがその理由であった。戦争が末期に入って軍需省が設立され、電力会社も軍の管轄下に置かれると、軍当局も工事会社の必要を認めるに至る。1944年4月、軍需省から電気工事業整備要綱が発令された。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第一章 当社設立の経緯
    • [7]1942年頃、中部配電㈱と関西配電㈱が会社専属の工事会社の設立を企画し電力局へ申請した
    • [8]電力局は工事施行部門も統制しなければ完璧でないとして、全国各配電会社の地区別に工事会社の設立を立案した
    • [9]軍当局は、電気工事業者を軍の管理から分離し電力官僚の統制下に置くことは戦力遂行に支障を来すとして反対した
    • [10]軍需省が設立され電力会社が軍の管轄下に入ると、軍当局も工事会社設立の必要性を認識した
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)関東電気工事
    • [11]1944年4月 軍需省から電気工事業整備要綱が発令された

要綱が出た後も工事業者の一部と軍の一部には強い反対が残り、地区別の全面的な統合はできなかった。整備は、軍および軍関係事業に比較的関係が薄く、かつ電気事業に関係の深い一部の業者による任意統合の形式をとる。関東では㈱協立興業社ほか14社が第一次統合の対象として内示を受けたが、賛成したのは8社にとどまった。発起人は引き継ぐ工事の量から資本金を500万円としたい意見であったのに対し、戦時資金統制のため、運転資金等の不足分は配電会社から融資を受けるという条件で300万円に決まっている。発注元が株主であり運転資金の出し手でもある関係は、設立の条件そのものに書き込まれていた。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第一章 当社設立の経緯
    • [12]要綱発令後も工事業者の一部と軍の一部に強い反対があり、電気工事業の全面的な地区別統合はできなかった
    • [13]整備は、軍および軍関係事業に比較的関係が薄く電気事業に関係の深い一部工事業者による任意統合の形式をとった
    • [14]関東では㈱協立興業社ほか14社が第一次統合の内示を軍需監理部から受けたが、統合に賛成したのは8社であった
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 電気工事業整備要綱
    • [15]発起人は資本金500万円とする意見だったが、戦時資金統制のため運転資金等の不足分を配電会社からの融資で賄う条件で300万円に決定した
参考文献[1]-[15]
  • 関電工 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1944年9月 電気工事業整備要綱に基づき㈱協立興業社ほか7社が統合、関東配電㈱が参加して関東電気工事株式会社を設立
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第一章 当社設立の経緯
    • [2]日華事変後、電力会社が従来施行していた内線工事を順次一般工事業者へ委ね、弱小業者が続出して電力会社が統制に苦心した
    • [3]戦時体制下で工事用資材は軍の統制下に置かれ、軍需産業関係工事は優先的に軍の資材提供を受けて施行された
    • [4]軍需産業関係工事は請負単価が時価により更正されたが、電気事業者関係は電気料金の関係で請負単価の更正が困難だった
    • [5]従来の関係を重んじ電力会社の工事を守る一部の業者を除き、多くが電気事業者を離れて軍関係工事へ移った
    • [6]電気事業関係工事の従事者が減り続け、電気事業は施設の維持保守すら困難になった
    • [7]1942年頃、中部配電㈱と関西配電㈱が会社専属の工事会社の設立を企画し電力局へ申請した
    • [8]電力局は工事施行部門も統制しなければ完璧でないとして、全国各配電会社の地区別に工事会社の設立を立案した
    • [9]軍当局は、電気工事業者を軍の管理から分離し電力官僚の統制下に置くことは戦力遂行に支障を来すとして反対した
    • [10]軍需省が設立され電力会社が軍の管轄下に入ると、軍当局も工事会社設立の必要性を認識した
    • [12]要綱発令後も工事業者の一部と軍の一部に強い反対があり、電気工事業の全面的な地区別統合はできなかった
    • [13]整備は、軍および軍関係事業に比較的関係が薄く電気事業に関係の深い一部工事業者による任意統合の形式をとった
    • [14]関東では㈱協立興業社ほか14社が第一次統合の内示を軍需監理部から受けたが、統合に賛成したのは8社であった
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)関東電気工事
    • [11]1944年4月 軍需省から電気工事業整備要綱が発令された
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 電気工事業整備要綱
    • [15]発起人は資本金500万円とする意見だったが、戦時資金統制のため運転資金等の不足分を配電会社からの融資で賄う条件で300万円に決定した

1945年〜軍需の全面打切りから戦災復旧と進駐軍工事へ、入れ替わった得意先

統合した各社はそれぞれ得意先と手持工事を持ち込み、工事の種別は屋内線から送電線・配電線・地中線・鑿井水道まで多くの部門にわたった。当時は軍および軍需会社でなければ工事の施行が不可能で、得意先がこの方面の官庁と軍需会社であった関係から受注量は非常に多く、消化は昼夜兼行にならざるを得なかった。主要な得意先は陸軍航空本部の立川・府中・霞ヶ浦、陸軍燃料廠、中島飛行機株式会社の武蔵野・田無・浅川地下工場、大日本航空株式会社の羽田・台北・高雄などで、足跡は台湾・朝鮮にまで及んだ。戦況の悪化とともに工場の疎開が始まると、受注も地下や山間へ移された疎開工場へ向けられた。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 会社創立より終戦迄の戦時建設時代
    • [16]統合各社の手持工事が引き継がれ、工事種別は屋内線・送電線・配電線・地中線・鑿井水道など多くの部門に亘った
    • [17]軍および軍需会社でなければ工事施行が不可能な状態で、得意先がこの方面の官庁・軍需会社であったため受注量は非常に多く昼夜兼行で消化した
    • [18]主要得意先は陸軍航空本部(立川・府中・霞ヶ浦)、陸軍燃料廠、中島飛行機(武蔵野・田無・浅川地下工場ほか)、大日本航空(羽田・台北・高雄)などで、台湾・朝鮮にも足跡を残した
    • [19]戦況の悪化で各種工場の疎開が始まり、受注も地下や山間に施設された疎開工場へ向けられた

その受注は、1945年8月15日の終戦を境に消えた。第2期の営業報告は、軍および軍需関係方面で極めて繁忙のうちに推移した業務が終戦を機として全面的な打切りとなったと記し、関東配電株式会社と緊密な連絡のもとに民生の回復と戦災の復興へ全力を注いだと続ける。打切りを受け止めたのは、空襲を前提に先に組んでいた組織であった。1944年11月7日の取締役会決議により、本社に本部、支社に支部を置き、内線・外線・地中線・変電所・運搬の各班からなる復旧工事班が編成されていた。本部長は社長、支部長は支社長が務める。1945年5月23日には本社社屋が戦災で焼失し、社長宅の焼跡に現場の残材で仮事務所を建てて受注にあたった。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第五章 創立から第十九期に至る間の当社事業の推移並びに経済界の動きの概略
    • [20]第2期営業報告は、軍・軍需関係の業務が8月15日の終戦を機に全面的打切りとなり、関東配電㈱と緊密な連絡の下に民生の回復と戦災の復興へ全力を注いだと記す
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 太平洋戦争と当社の之に処する対策並びに当社の罹災及び復旧状況
    • [21]1944年11月7日 取締役会決議により非常時災害復旧対策として工作班を組織し、本社に本部・支社に支部を置き内線班・外線班・地中線班・変電所班・運搬班を編成
    • [22]復旧工事班規程で本部長は社長、支部長は支社長が当たると定めた
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 二 戦災復旧建設時代
    • [23]1945年5月23日 本社社屋が戦災で焼失し、社長宅の焼跡に残材で仮事務所、赤坂の焼跡に仮小屋を建てて工事の受注にあたった

戦後最初の仕事は、焼け跡に建つバラックへ一灯二灯の電灯設備を施すことであった。戦災者住宅の電灯工事は一灯あたり35円で始まったが、物価の変動が激しく、1946年2月分から70円、翌3月分からは最初の一灯140円へと一か月ごとに改定された。これと入れ替わるように現れたのが連合軍関係の工事である。1945年9月に株式会社清水組から新宿伊勢丹の電気工事を特命で受注したのを皮切りに、東京P・X(旧松屋)など都内の主要建造物へ広がり、1946年と1947年が最盛期となった。電力供給施設については、その重要性から配電会社の委託により当社がほぼ全施設の工事を担った。1949年3月31日、維持管理の工事は軍の直轄へ切り替えられた。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 二 戦災復旧建設時代
    • [24]戦後まずバラックに対する一、二灯の電灯設備を施し、民生安定の一助として世論の要望に応えた
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 三 連合軍進駐に伴ふ建設時代
    • [25]戦災者住宅用電灯工事は一灯当たり35円で始まり、1946年2月分より70円、3月分より最初の一灯140円・増灯120円へ改定された
    • [26]1945年9月に㈱清水組から新宿伊勢丹の電気工事を特命受注し、東京P・X(旧松屋)・山王ホテルなど都内の主要建造物へ広がって1946年・1947年が連合軍工事の最盛期となった
    • [27]電力供給施設は重要性に鑑み、特に配電会社の委託により当社がほとんど全施設の工事にあたった
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 四 連合軍施設の維持管理時代
    • [28]1949年3月31日をもって維持管理は終わり、軍直轄に切り替えられた
参考文献[16]-[28]
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 会社創立より終戦迄の戦時建設時代
    • [16]統合各社の手持工事が引き継がれ、工事種別は屋内線・送電線・配電線・地中線・鑿井水道など多くの部門に亘った
    • [17]軍および軍需会社でなければ工事施行が不可能な状態で、得意先がこの方面の官庁・軍需会社であったため受注量は非常に多く昼夜兼行で消化した
    • [18]主要得意先は陸軍航空本部(立川・府中・霞ヶ浦)、陸軍燃料廠、中島飛行機(武蔵野・田無・浅川地下工場ほか)、大日本航空(羽田・台北・高雄)などで、台湾・朝鮮にも足跡を残した
    • [19]戦況の悪化で各種工場の疎開が始まり、受注も地下や山間に施設された疎開工場へ向けられた
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第五章 創立から第十九期に至る間の当社事業の推移並びに経済界の動きの概略
    • [20]第2期営業報告は、軍・軍需関係の業務が8月15日の終戦を機に全面的打切りとなり、関東配電㈱と緊密な連絡の下に民生の回復と戦災の復興へ全力を注いだと記す
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 太平洋戦争と当社の之に処する対策並びに当社の罹災及び復旧状況
    • [21]1944年11月7日 取締役会決議により非常時災害復旧対策として工作班を組織し、本社に本部・支社に支部を置き内線班・外線班・地中線班・変電所班・運搬班を編成
    • [22]復旧工事班規程で本部長は社長、支部長は支社長が当たると定めた
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 二 戦災復旧建設時代
    • [23]1945年5月23日 本社社屋が戦災で焼失し、社長宅の焼跡に残材で仮事務所、赤坂の焼跡に仮小屋を建てて工事の受注にあたった
    • [24]戦後まずバラックに対する一、二灯の電灯設備を施し、民生安定の一助として世論の要望に応えた
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 三 連合軍進駐に伴ふ建設時代
    • [25]戦災者住宅用電灯工事は一灯当たり35円で始まり、1946年2月分より70円、3月分より最初の一灯140円・増灯120円へ改定された
    • [26]1945年9月に㈱清水組から新宿伊勢丹の電気工事を特命受注し、東京P・X(旧松屋)・山王ホテルなど都内の主要建造物へ広がって1946年・1947年が連合軍工事の最盛期となった
    • [27]電力供給施設は重要性に鑑み、特に配電会社の委託により当社がほとんど全施設の工事にあたった
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 四 連合軍施設の維持管理時代
    • [28]1949年3月31日をもって維持管理は終わり、軍直轄に切り替えられた

1946年〜独禁法と建設業法が問うた、発注元と請負会社の距離

戦時統制のもとで生まれた会社を戦後も残すかどうかは、一度議題に載っている。1946年1月、電力局と各配電会社および各工事会社の首脳が新橋駅上の精養軒に会合し、工事会社の将来の在り方を討議した。その席で配電会社側から、工事会社は平時においても電気事業の運営上必要であるから存続してほしいという強い意見が出され、存続して事業に邁進することで衆議一決した。工事を発注する配電会社が残してほしいと言ったことが、戦時立法を出自とする会社の平時の根拠になった。1951年の電気事業再編成令で関東配電は東京電力株式会社へ再編されたが、元請と施工請負の関係は新会社へそのまま継承されている。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 電気工事業整備要綱
    • [29]1946年1月 電力局・各配電会社・各工事会社の首脳が新橋駅上の精養軒に会合し「工事会社の将来の在り方について」討議した
    • [30]配電会社側から「工事会社は平時に於ても電気事業の運営上必要であるから存続して欲しい」との強い意見があり、存続して事業に邁進することに衆議一決した
  • 関電工 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1951年の電気事業再編成令で関東配電が東京電力へ再編され、元請・施工請負関係は継承された

平時の事業として認められることと、法制度の上で位置づけを得ることは別の作業であった。1949年5月24日に建設業法が公布され、同年8月20日から施行される。板金工事やガラス工事などのみを請け負う業者を除き、一件30万円以上の工事を請け負う業者には登録が義務づけられた。二以上の都道府県に営業所を設ける者は建設大臣の登録を要するため、関東全域に支社を置く関東電気工事は建設大臣へ申請している。同じ時期、請負による電気工事が職業安定法の労働者供給事業に当たるのではないかという疑義も生じたが、電気主任技術者の資格を持つ者が工事を直接かつ全面的に総合企画する場合は専門的な企画技術を必要とするという認定基準が通牒され、抵触しないことが明らかになった。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 六 建設業法の施行と登録
    • [32]建設業法(1949年5月24日法律第100号)が公布され1949年8月20日から施行された
    • [33]板金工事・ガラス工事等のみを請け負う業者を除き一件30万円以上の工事を請け負う業者は登録が必要となった
    • [34]二以上の都道府県内に営業所を設ける者は建設大臣に登録を申請することとされ、関東地方全域に支社を持つ当社は建設大臣へ申請した
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 五 職業安定法の制定と当社の事業
    • [35]職業安定局長通牒により、電気主任技術者の資格を有する者が当該工事を直接かつ全面的に総合企画する場合は専門的な企画技術を必要とすると認定され、当社の事業は職業安定法に抵触しないとされた

出自そのものを問われたのは独占禁止法であった。1950年8月から数回にわたり公正取引委員会が資料の提出を求め、質問を発した。公正取引委員会は会社の組織・業務・関東配電株式会社との関係その他一切にわたって細密な資料を求め、関東配電にも同時に資料の提出と説明を要求した。1951年8月には東海電気工事・九州電気工事・近畿電気工事について公聴会が開かれた。同年12月21日、公正取引委員会は電力会社宛に意見書を発した。『外線工事分野においてみるときは、私的独占禁止法の企圖する公正且つ自由な競爭の確保は、請負工事の附託等を通じて極めて制限された形において行われて居り、且つ引込線工事と内線工事との關連性を通じて内線工事分野における公正且つ自由な競爭が一部阻害されつゝある實情を認めることができる』というのがその認定である。そのうえで引込線工事は原則として電力会社の直営とすること、外線工事の請負附託はできる限り一般業者へ広く解放することを申し入れた。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 四 独禁法牴触問題
    • [36]1950年8月から数回にわたり公正取引委員会が資料の提出を求め質問を発した
    • [37]資料は会社の組織・業務・関東配電㈱との関係その他一切に亘り細密を極め、関東配電㈱も資料の提出と説明を要求された
    • [38]1951年8月に東海電気工事・九州電気工事・近畿電気工事について公聴会が開かれた
    • [39]1951年12月21日 公正取引委員会が電力会社宛に意見書(二六公総第三三七号)を発した
    • [40]意見書は、引込線工事を原則として電力会社の直営事業とすること、外線工事の請負附託をできる限り一般業者に広く解放することを申し入れた

競争の外にあると見られた受注の構成は、実際には戦後の需要をたどって動いていた。1949年10月の千葉競輪場照明設備を最初に後楽園や大井競馬場の設備を受注し、1950年3月には中央支社が東京駅前の鉄鋼ビルを受注してビル工事へ進んでいる。完成工事高は第1期の540万3784円から、1954年9月期の第20期には12億9488万7148円へ伸びた。資本金は創立時の300万円から1951年6月までの6回の増資で3000万円となり、1954年7月には再評価積立金の一部を組み入れて6000万円となる。増資にあたっては株式の民主化のため労働組合の協力を求め、職員へ協力を求める書面を配布した。1959年1月には大阪支社を設けて東京電力エリアの外に初めて拠点を持ち、1960年9月に本社を東京都文京区湯島へ移している。

  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 五 講和成立前後の建設時代
    • [41]1949年10月 千葉競輪場内照明設備を受注完成したのを最初に、1950年3月 後楽園競輪場、6月 大井競馬場の電気設備を受注完成した
    • [42]1950年3月 中央支社が東京駅前の鉄鋼ビルを受注施行し、以後ビル工事へ進んだ
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第五章 創立から第十九期に至る間の当社事業の推移並びに経済界の動きの概略
    • [43]完成工事高は第1期5,403,784円、第20期(1954年9月期)1,294,887,148円
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 資本の推移
    • [44]資本金は創立時300万円から1951年6月29日までに6回の増資で3000万円となり、1954年7月27日の株主総会決議で再評価積立金の一部600万円を資本に組み入れ6000万円となった
    • [45]増資にあたり株式の民主化のため労働組合の協力を求め、職員に対して協力を求める旨の書面を配布した
  • 関電工 有価証券報告書【沿革】
    • [46]1959年1月 大阪支社(現関西支店)を設置し東京電力エリア外に初の拠点
    • [47]1960年9月 本社を東京都文京区湯島4丁目1番18号へ移転
参考文献[29]-[47]
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 電気工事業整備要綱
    • [29]1946年1月 電力局・各配電会社・各工事会社の首脳が新橋駅上の精養軒に会合し「工事会社の将来の在り方について」討議した
    • [30]配電会社側から「工事会社は平時に於ても電気事業の運営上必要であるから存続して欲しい」との強い意見があり、存続して事業に邁進することに衆議一決した
  • 関電工 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1951年の電気事業再編成令で関東配電が東京電力へ再編され、元請・施工請負関係は継承された
    • [46]1959年1月 大阪支社(現関西支店)を設置し東京電力エリア外に初の拠点
    • [47]1960年9月 本社を東京都文京区湯島4丁目1番18号へ移転
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 六 建設業法の施行と登録
    • [32]建設業法(1949年5月24日法律第100号)が公布され1949年8月20日から施行された
    • [33]板金工事・ガラス工事等のみを請け負う業者を除き一件30万円以上の工事を請け負う業者は登録が必要となった
    • [34]二以上の都道府県内に営業所を設ける者は建設大臣に登録を申請することとされ、関東地方全域に支社を持つ当社は建設大臣へ申請した
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 五 職業安定法の制定と当社の事業
    • [35]職業安定局長通牒により、電気主任技術者の資格を有する者が当該工事を直接かつ全面的に総合企画する場合は専門的な企画技術を必要とすると認定され、当社の事業は職業安定法に抵触しないとされた
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 四 独禁法牴触問題
    • [36]1950年8月から数回にわたり公正取引委員会が資料の提出を求め質問を発した
    • [37]資料は会社の組織・業務・関東配電㈱との関係その他一切に亘り細密を極め、関東配電㈱も資料の提出と説明を要求された
    • [38]1951年8月に東海電気工事・九州電気工事・近畿電気工事について公聴会が開かれた
    • [39]1951年12月21日 公正取引委員会が電力会社宛に意見書(二六公総第三三七号)を発した
    • [40]意見書は、引込線工事を原則として電力会社の直営事業とすること、外線工事の請負附託をできる限り一般業者に広く解放することを申し入れた
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 五 講和成立前後の建設時代
    • [41]1949年10月 千葉競輪場内照明設備を受注完成したのを最初に、1950年3月 後楽園競輪場、6月 大井競馬場の電気設備を受注完成した
    • [42]1950年3月 中央支社が東京駅前の鉄鋼ビルを受注施行し、以後ビル工事へ進んだ
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第五章 創立から第十九期に至る間の当社事業の推移並びに経済界の動きの概略
    • [43]完成工事高は第1期5,403,784円、第20期(1954年9月期)1,294,887,148円
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 資本の推移
    • [44]資本金は創立時300万円から1951年6月29日までに6回の増資で3000万円となり、1954年7月27日の株主総会決議で再評価積立金の一部600万円を資本に組み入れ6000万円となった
    • [45]増資にあたり株式の民主化のため労働組合の協力を求め、職員に対して協力を求める旨の書面を配布した

筆者考察

関東電気工事の出発点にあったのは、電気工事が儲からなくなったという事実である。戦時の価格統制は軍需工事の単価だけを時価で更正し、電気事業者向けの工事を不採算の位置に置いた。業者は軍需へ移り、配電設備は保守すら回らなくなる。国が全国9地区に工事会社を作らせたのは、市場から抜けた担い手を制度で連れ戻すためだった。だから資本金は発起人が望んだ500万円ではなく300万円に決まり、足りない運転資金は発注元の関東配電が融資で埋めることになった。仕事を出す相手が株主であり金主でもある構造は、この会社が選んだものではなく、設立の条件として先に決まっていた。

その形は、戦後に三度問い直された。1946年1月、新橋の精養軒で存続の可否が議題に載ったとき、残してほしいと言ったのは発注する側の配電会社である。1949年の建設業法と職業安定法は、統合で生まれた会社を制度上の元請として位置づけ直した。1951年12月、公正取引委員会は外線工事の請負附託に是正を申し入れる。電力会社の直営と附託請負で回す仕組みそのものが、競争を極めて制限する形だったからである。三度とも、答えを出したのは会社の外にいる者だった。完成工事高が10年で540万円から12億9千万円へ伸びる間、関東電気工事が自ら決められたのは、増資を労働組合と職員に引き受けてもらうという、資本の内側に属する事柄であった。

完成工事高(各年3月期) 1945年〜1954年(百万円)

5.4 1945 24.8 1946 30.6 1947 67.4 1948 326.2 1949 370.6 1950 520.8 1951 704.4 1952 903.8 1953 1,291.4 1954
  • 半期決算のため、各年3月期(下期)の完成工事高を並べた。
  • 出所は十年史関東電気工事株式会社(1955年)第五章の各期損益概要。

出典・参考

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出典・参考
  • 関電工 有価証券報告書【沿革】
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第一章 当社設立の経緯
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 電気工事業整備要綱
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 会社創立より終戦迄の戦時建設時代
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 第五章 創立から第十九期に至る間の当社事業の推移並びに経済界の動きの概略
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 太平洋戦争と当社の之に処する対策並びに当社の罹災及び復旧状況
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 二 戦災復旧建設時代
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 三 連合軍進駐に伴ふ建設時代
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 四 連合軍施設の維持管理時代
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 六 建設業法の施行と登録
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 五 職業安定法の制定と当社の事業
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 四 独禁法牴触問題
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 五 講和成立前後の建設時代
  • 十年史関東電気工事株式会社(1955年) 一 資本の推移
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)関東電気工事

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