五洋建設:水野甚次郎の水野組創設と東京出張所の開設
1896年〜呉鎮守府の工事を請けた水野甚次郎氏の個人営業と、呉・横須賀・佐世保・舞鶴の軍港工事
水野組の起点は、1896年に水野甚次郎氏が広島県呉市で始めた土木建築請負の個人営業である。水野甚次郎氏が最初に請け負ったのは、呉に置かれた海軍鎮守府の諸工事だった。開業の月には1月と4月の二つの記録があり、1962年の紹介記事と1968年の企業史が伝えるのは1月、現在の有価証券報告書が載せるのは4月。有価証券報告書も、この呉での発足を現在の五洋建設の起源に位置づけた。創業者の水野甚次郎氏は、1962年当時に同じ名で副社長を務めていた人物から数えて2代前の「先々代」にあたる。創業の地を呉に選んだのは、鎮守府の工事という大口の発注主が地元にあったためとみられる。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「五洋建設」
- [1]1896年(明治29年)1月、水野甚次郎が呉市で土木建築請負の個人営業を始め、呉海軍鎮守府の諸工事を請け負った
- [2]1896年(明治29年)1月、水野甚次郎が呉市で土木建築請負の個人営業を始め、呉海軍鎮守府の諸工事を請け負った
- [3]1896年(明治29年)1月、水野甚次郎が呉市で土木建築請負の個人営業を始め、呉海軍鎮守府の諸工事を請け負った
- 証券 14(9)(160) 1962年9月号(新規上場会社紹介)
- [4]沿革に明治29年1月、先々代水野甚次郎の個人企業として呉市で創業。1962年の副社長は水野甚次郎
- [7]沿革に明治29年1月、先々代水野甚次郎の個人企業として呉市で創業。1962年の副社長は水野甚次郎
- 五洋建設 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [5]1896年4月、水野甚次郎が広島県呉市に水野組として発足したのが起源
- [6]1896年4月、水野甚次郎が広島県呉市に水野組として発足したのが起源
水野組は戦前、呉に加えて横須賀・佐世保・舞鶴などに事務所を設け、海軍が発注する軍港の港湾工事を主体に施工した。公式の沿革でも、明治期の水野組は海軍工事を中心に各地で港湾土木工事を手がけた。軍港で積んだ施工の経験は、戦後の水野組の事業構成にも残った。1962年の上場の時点でも、水野組が最も得意とした分野は港湾浚渫と埋立であり、1961年9月期の受注のうち土木工事が95.5%を占めていた。この分野で水野組は、同業の東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜いて首位にあった。海軍の発注は軍港ごとに出たため、施工の拠点も各軍港の近くに置く必要があったのだろう。
- 証券 14(9)(160) 1962年9月号(新規上場会社紹介)
- [8]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- [10]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- [11]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- [12]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- 五洋建設 公式サイト「五洋建設の歩み」第I期
- [9]明治時代、海軍工事を中心に各地で港湾土木工事を手がけた
参考文献[1]-[12]
- 企業の歴史:明治百年(1968)「五洋建設」
- [1]1896年(明治29年)1月、水野甚次郎が呉市で土木建築請負の個人営業を始め、呉海軍鎮守府の諸工事を請け負った
- [2]1896年(明治29年)1月、水野甚次郎が呉市で土木建築請負の個人営業を始め、呉海軍鎮守府の諸工事を請け負った
- [3]1896年(明治29年)1月、水野甚次郎が呉市で土木建築請負の個人営業を始め、呉海軍鎮守府の諸工事を請け負った
- 証券 14(9)(160) 1962年9月号(新規上場会社紹介)
- [4]沿革に明治29年1月、先々代水野甚次郎の個人企業として呉市で創業。1962年の副社長は水野甚次郎
- [7]沿革に明治29年1月、先々代水野甚次郎の個人企業として呉市で創業。1962年の副社長は水野甚次郎
- [8]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- [10]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- [11]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- [12]戦前は呉・横須賀・佐世保・舞鶴等に事務所を設け、海軍発注の軍港湾工事を主体に施工。港湾浚渫・埋立を最も得意とし、1961年9月期は土木工事95.5%・建築4.5%。東亜港湾・若松築港・阪神築港を抜きトップ
- 五洋建設 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [5]1896年4月、水野甚次郎が広島県呉市に水野組として発足したのが起源
- [6]1896年4月、水野甚次郎が広島県呉市に水野組として発足したのが起源
- [9]明治時代、海軍工事を中心に各地で港湾土木工事を手がけた
1912年〜「水の土木の水野組」の評価と、東京出張所・合名会社水野組
大正期の水野組は、呉・横須賀・佐世保で海軍の工事を数多く請け負い、『水の土木の水野組』という評価を得た。同じ時期に仕事の範囲は全国へ広がり、陸上の土木工事や建築工事も請け負うようになった。それでも海上の工事は中心から外れなかった。1973年に専務取締役の早川真一氏は、港湾工事・浚渫・埋立からなる海上部門を、1896年に呉で事業を起こした時から会社が一貫して優先し、育ててきた中核の事業だと説明した。浚渫船や起重機船などの大型作業船をこの部門へ絶えず導入してきたことも、早川真一氏が挙げた点である。あわせて、熟練した技術者を多数抱え、人材の養成に力を注いできたと述べた。陸上へ仕事を広げた後も、軍港で積んだ水際の施工経験が水野組の差別化要因であり続けたと推察される。
- 五洋建設 公式サイト「五洋建設の歩み」第I期
- [13]大正時代、呉・横須賀・佐世保など海軍工事が多く「水の土木の水野組」の評価が高まり、仕事は全国に広がって陸上土木・建築も手がけた
- [14]大正時代、呉・横須賀・佐世保など海軍工事が多く「水の土木の水野組」の評価が高まり、仕事は全国に広がって陸上土木・建築も手がけた
- 証券アナリストジャーナル 1973年11月号(専務取締役 早川真一 講演要旨)
- [15]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
- [16]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
- [17]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
- [18]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
水野組は大正期に東京出張所を開設し、関東地区の工事を請けるための拠点とした。開設年について公式の沿革は1921年と記し、大正6年も添えた。大正6年は1917年にあたるため、どちらかの表記に誤りがある。有価証券報告書の沿革でも、創業後の水野組は全国各地で主に土木工事を施工した。東京の拠点はのちに支店となり、1962年の上場時には東京支店のほか6支店と岡山出張所ほか17出張所を構えていた。1961年9月期の受注先に占める官公庁の比率は70.0%。横須賀の海軍工事に加えて関東の官公庁の工事を獲得するには、東京に常駐する窓口が要ったと思われる。
- 五洋建設 公式サイト「五洋建設の歩み」第I期
- [19]1921年(大正6年と併記)、東京出張所を開設し関東地区進出の基盤を築く(和暦と西暦が食い違う)
- [20]1921年(大正6年と併記)、東京出張所を開設し関東地区進出の基盤を築く(和暦と西暦が食い違う)
- [21]1921年(大正6年と併記)、東京出張所を開設し関東地区進出の基盤を築く(和暦と西暦が食い違う)
- 五洋建設 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [22]創業後、全国各地において主として土木工事を施工してきた
- 証券 14(9)(160) 1962年9月号(新規上場会社紹介)
- [23]1962年時点で東京支店他6支店、福山事業所、岡山出張所他17出張所を設置。1961年9月期の受注先は官公庁70.0%・民間30.0%
- [24]1962年時点で東京支店他6支店、福山事業所、岡山出張所他17出張所を設置。1961年9月期の受注先は官公庁70.0%・民間30.0%
水野組は1929年4月、個人営業を改組して合名会社水野組を設立した。1968年の企業史でも、合名会社となった当時の水野組の事業は港湾工事が主体だった。1962年の紹介記事は創業者を「先々代」と呼び、上場時の副社長にも水野甚次郎氏の名を載せている。創業家の当主は同じ名を継ぎ、家業として水野組を率いた。1954年1月には資本金600万円で株式会社水野組を設立し、同年4月に合名会社水野組を吸収合併した。合名会社として水野組を営んだ期間は、1929年から25年に及んだ。個人営業を合名会社に改めたのは、一族の出資で事業を法人として継ぐ枠を整えるためだったのではないか。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「五洋建設」
- [25]昭和4年(1929年)4月、組織を合名会社に改め合名会社水野組としたが、当時は港湾工事が主体
- [27]昭和4年(1929年)4月、組織を合名会社に改め合名会社水野組としたが、当時は港湾工事が主体
- 五洋建設 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [26]1929年4月に合名会社水野組に改組、1954年4月株式会社水野組と改めた
- [31]1929年4月に合名会社水野組に改組、1954年4月株式会社水野組と改めた
- 証券 14(9)(160) 1962年9月号(新規上場会社紹介)
- [28]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
- [29]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
- [30]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
- [32]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
参考文献[13]-[32]
- [13]大正時代、呉・横須賀・佐世保など海軍工事が多く「水の土木の水野組」の評価が高まり、仕事は全国に広がって陸上土木・建築も手がけた
- [14]大正時代、呉・横須賀・佐世保など海軍工事が多く「水の土木の水野組」の評価が高まり、仕事は全国に広がって陸上土木・建築も手がけた
- [19]1921年(大正6年と併記)、東京出張所を開設し関東地区進出の基盤を築く(和暦と西暦が食い違う)
- [20]1921年(大正6年と併記)、東京出張所を開設し関東地区進出の基盤を築く(和暦と西暦が食い違う)
- [21]1921年(大正6年と併記)、東京出張所を開設し関東地区進出の基盤を築く(和暦と西暦が食い違う)
- 証券アナリストジャーナル 1973年11月号(専務取締役 早川真一 講演要旨)
- [15]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
- [16]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
- [17]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
- [18]海上部門(港湾工事・浚渫・埋立)は明治29年の創業以来最も力を入れてきた主力部門で、浚渫船・起重機船などの大型作業船を導入してきた。熟練技術者を多数擁し人材養成に努力
- 五洋建設 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [22]創業後、全国各地において主として土木工事を施工してきた
- [26]1929年4月に合名会社水野組に改組、1954年4月株式会社水野組と改めた
- [31]1929年4月に合名会社水野組に改組、1954年4月株式会社水野組と改めた
- 証券 14(9)(160) 1962年9月号(新規上場会社紹介)
- [23]1962年時点で東京支店他6支店、福山事業所、岡山出張所他17出張所を設置。1961年9月期の受注先は官公庁70.0%・民間30.0%
- [24]1962年時点で東京支店他6支店、福山事業所、岡山出張所他17出張所を設置。1961年9月期の受注先は官公庁70.0%・民間30.0%
- [28]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
- [29]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
- [30]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
- [32]昭和4年4月合名会社水野組設立、昭和29年1月株式会社水野組設立・同4月合名会社水野組を吸収合併。創業者は先々代水野甚次郎、1962年の副社長は水野甚次郎
- 企業の歴史:明治百年(1968)「五洋建設」
- [25]昭和4年(1929年)4月、組織を合名会社に改め合名会社水野組としたが、当時は港湾工事が主体
- [27]昭和4年(1929年)4月、組織を合名会社に改め合名会社水野組としたが、当時は港湾工事が主体
出典・参考
5件
- 五洋建設 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- 五洋建設 公式サイト「五洋建設の歩み」第I期
- 企業の歴史:明治百年(1968)「五洋建設」
- 証券 14(9)(160) 1962年9月号(新規上場会社紹介)
- 証券アナリストジャーナル 1973年11月号(専務取締役 早川真一 講演要旨)