奥村組:奥村太平の奈良での創業と大阪・東京への進出
1907年〜奈良県下田村で始めた個人の請負と、鹿児島の南薩鉄道で積んだ鉄道工事
1907年2月22日、奥村太平氏は奈良県北葛城郡下田村で土木建築請負業を創業した。法人ではなく奥村太平氏の個人企業として始め、本店も奈良県に置いた。創業当初に請けた工事の中心は、鉄道と発電所の建設。奥村太平氏が創業以来の信条に掲げた「堅実経営」は、1968年の時点でも経営の指針として受け継がれていた。1996年に社長の奥村正太郎氏は、関西で創業した経緯から受注が西日本に厚いと説明した。奥村太平氏は1963年の上場時にも会長として在任しており、創業者が半世紀を超えて経営に関わった。明治末に各地で進んだ鉄道と発電所の建設需要が、奈良の農村で奥村太平氏に請負業を起こさせたとみられる。
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- [1]1907年2月22日、奥村太平が土木建築請負業を創業(奈良県北葛城郡下田村)
- 有価証券報告書 2025年3月期 沿革
- [2]1907年2月、奥村太平が個人企業として土木建築請負業を創業し、本店を奈良県に置いた
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「奥村組」
- [3]創業時は個人経営で主に鉄道・発電所の工事に従事。創業以来のモットーは堅実経営(1968年時点)
- [4]創業時は個人経営で主に鉄道・発電所の工事に従事。創業以来のモットーは堅実経営(1968年時点)
- 開発往来 40(5) 1996年5月「奥村正太郎(奥村組代表取締役社長)――高い技術力と堅実経営という特色を生かしながら着実に」
- [5]1996年、社長の奥村正太郎氏が関西で創業したため受注は西日本の比重が大きいと説明
- 証券 1963年(新規上場会社紹介)
- [6]1963年の上場時、奥村太平は会長(現会長奥村太平氏の個人企業として創業)
1913年、奥村太平氏の請負は鹿児島県で南薩鉄道加世田本線の第3工区を施工した。創業から6年目に、奈良県下田村から遠く離れた九州南部で鉄道の工事を請けたことになる。奥村太平氏は創業の当初から鉄道と発電所の工事を主に請けており、南薩鉄道の工区もその延長にあった。1963年の上場時の紹介記事は、戦前の事業の主力を鉄道建設工事と水力発電所建設工事と整理している。1996年に社長の奥村正太郎氏は、受注の中身として中国・九州地方の比重が大きいと説明した。奈良の周辺だけでは大口の工事が続かず、鉄道の工区を追って九州へ出た経験が、西日本での受注基盤の起点になったと考えられる。
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- [7]1913年、南薩鉄道加世田本線第3工区(鹿児島県)を施工
- [8]1913年、南薩鉄道加世田本線第3工区(鹿児島県)を施工
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「奥村組」
- [9]創業時は主として鉄道・発電所の工事に従事
- 証券 1963年(新規上場会社紹介)
- [10]戦前は鉄道建設工事・水力発電所建設工事が事業の主力(1963年の上場紹介)
- 開発往来 40(5) 1996年5月「奥村正太郎(奥村組代表取締役社長)――高い技術力と堅実経営という特色を生かしながら着実に」
- [11]1996年時点で関西中心に中国・北九州の工事が多く、中国・九州地方のウェイトが強い
戦前の奥村組の事業は鉄道建設工事と水力発電所建設工事を主力とし、ほぼ土木部門に偏っていた。1968年の企業史の紹介も、創業期の工事を鉄道と発電所が中心だったと記している。建築工事全般に実績を広げたのは戦後で、経営の多角化の一環として進めた。1963年3月期の完成工事高141.6億円の内訳は、土木56%、建築44%。同じ時点の未成工事では土木74%・建築26%で、なお土木の比重が大きかった。1968年の時点で、奥村組は土木に加えて建築と浚渫の部門も抱える総合建設業者になっていた。鉄道と発電所の工事で培った土木の施工力が、戦後に建築へ事業を広げる前の土台だったと思われる。
- 証券 1963年(新規上場会社紹介)
- [12]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
- [14]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
- [15]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
- [16]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「奥村組」
- [13]創業時は主として鉄道・発電所の工事に従事。のち土木から建築工事に進出
- [17]創業時は主として鉄道・発電所の工事に従事。のち土木から建築工事に進出
参考文献[1]-[17]
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- [1]1907年2月22日、奥村太平が土木建築請負業を創業(奈良県北葛城郡下田村)
- [7]1913年、南薩鉄道加世田本線第3工区(鹿児島県)を施工
- [8]1913年、南薩鉄道加世田本線第3工区(鹿児島県)を施工
- 有価証券報告書 2025年3月期 沿革
- [2]1907年2月、奥村太平が個人企業として土木建築請負業を創業し、本店を奈良県に置いた
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「奥村組」
- [3]創業時は個人経営で主に鉄道・発電所の工事に従事。創業以来のモットーは堅実経営(1968年時点)
- [4]創業時は個人経営で主に鉄道・発電所の工事に従事。創業以来のモットーは堅実経営(1968年時点)
- [9]創業時は主として鉄道・発電所の工事に従事
- [13]創業時は主として鉄道・発電所の工事に従事。のち土木から建築工事に進出
- [17]創業時は主として鉄道・発電所の工事に従事。のち土木から建築工事に進出
- 開発往来 40(5) 1996年5月「奥村正太郎(奥村組代表取締役社長)――高い技術力と堅実経営という特色を生かしながら着実に」
- [5]1996年、社長の奥村正太郎氏が関西で創業したため受注は西日本の比重が大きいと説明
- [11]1996年時点で関西中心に中国・北九州の工事が多く、中国・九州地方のウェイトが強い
- 証券 1963年(新規上場会社紹介)
- [6]1963年の上場時、奥村太平は会長(現会長奥村太平氏の個人企業として創業)
- [10]戦前は鉄道建設工事・水力発電所建設工事が事業の主力(1963年の上場紹介)
- [12]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
- [14]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
- [15]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
- [16]戦前はほとんど土木部門偏重で鉄道・水力発電所工事が主力。戦後に多角化し建築工事にも実績。1963年3月期完成工事高141.6億円は土木56%・建築44%、未成工事は土木74%・建築26%
1921年〜大阪電気軌道の鶴橋高架で大阪へ出た奥村組と、復興局の三吉橋・東京支店
奥村太平氏は1921年、個人の請負を「奥村組」として発足させた。本店事務所は、創業地の奈良県北葛城郡下田村に開設した。1913年に南薩鉄道の工区を施工してから8年後の組織化で、鉄道工事の実績を重ねたうえでの発足である。1920年代には、近畿日本鉄道の前身にあたる大阪電気軌道から、鶴橋付近の高架橋工事を請け負った。奥村組は1938年3月に資本金48万円で株式会社へ組織を変更するまで、個人企業のまま事業を続けた。株式会社の本店も下田村大字逢坂603に置き、初代社長には奥村太平氏が就任した。大阪の私鉄から市街地の高架橋のような大口の工事を請けるには、個人名ではなく組の名を掲げた事務所が必要だったと推測される。
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- [18]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- [19]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- [20]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- [21]大阪電気軌道(近畿日本鉄道の前身)の鶴橋付近高架橋工事を施工(沿革で1921年と1929年の項の間)
- [23]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- 有価証券報告書 2025年3月期 沿革
- [22]1938年3月、資本金48万円で株式会社に組織変更
奥村組は1924年、大阪市に本店を開設した。下田村に本店事務所を置いてから3年後で、大阪電気軌道の鶴橋付近高架橋工事を請けた時期と重なる。一方で1938年の株式会社創立の際には、本店を奈良県北葛城郡下田村大字逢坂603に置いた。1963年の上場時も、本社の所在地は奈良県北葛城郡香芝町大字逢坂603だった。1968年には、本社を大阪市阿倍野区松崎町に構えていた。本店を奈良県に置いたまま、事業の拡大にあわせて1928年に東京、1937年に八幡へ支店を開設した。創業地に本店の登記を残したまま、発注元の私鉄や官庁が集まる大阪に営業の拠点を置いたと推察される。
- 奥村組 沿革年表(公式サイト沿革)
- [24]1924年、大阪市に本店を開設
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- [25]1921年に下田村へ本店事務所、1920年代に大阪電気軌道の鶴橋付近高架橋工事。1938年の株式会社創立時の本店は下田村大字逢坂603
- [26]1921年に下田村へ本店事務所、1920年代に大阪電気軌道の鶴橋付近高架橋工事。1938年の株式会社創立時の本店は下田村大字逢坂603
- 証券 1963年(新規上場会社紹介)
- [27]1963年の上場時、本社は奈良県北葛城郡香芝町大字逢坂603
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「奥村組」
- [28]1968年時点の本社は大阪市阿倍野区松崎町
- 有価証券報告書 2025年3月期 沿革
- [29]創業時に本店を奈良県に置き、事業の発展に伴い1928年東京支店・1937年八幡支店を開設
奥村組は1928年1月、東京支店を開設した。1924年に大阪市へ本店を開設してから4年後で、関西の外に置いた営業の拠点にあたる。関東大震災の後の東京では、復旧工事と新しい街づくりが続いていた。1929年には、復興局が発注した三吉橋の新設工事を施工した。三吉橋は2つの川の合流点から3方向へ延びる、三叉の鋼板橋だった。1937年2月には八幡支店を開設し、九州北部にも拠点を置いた。1913年に鹿児島県で南薩鉄道の工区を施工してから24年後に、九州で常設の拠点を持った。翌1938年3月、奥村組は資本金48万円で株式会社に組織を変更した。震災復興の官公庁工事で東京に実績を得たことが、関西の請負が全国へ出る足場になったのだろう。
- 有価証券報告書 2025年3月期 沿革
- [30]1928年1月東京支店、1937年2月八幡支店を開設。1938年3月資本金48万円で株式会社に組織変更
- [35]1928年1月東京支店、1937年2月八幡支店を開設。1938年3月資本金48万円で株式会社に組織変更
- [37]1928年1月東京支店、1937年2月八幡支店を開設。1938年3月資本金48万円で株式会社に組織変更
- 奥村組 沿革年表(公式サイト沿革)
- [31]1924年、大阪市に本店を開設
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- [32]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
- [33]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
- [34]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
- [36]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
参考文献[18]-[37]
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- [18]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- [19]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- [20]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- [21]大阪電気軌道(近畿日本鉄道の前身)の鶴橋付近高架橋工事を施工(沿革で1921年と1929年の項の間)
- [23]1921年、奥村組発足。本店事務所を奈良県北葛城郡下田村に開設。1938年の株式会社創立時、本店は下田村大字逢坂603、初代社長は奥村太平
- [25]1921年に下田村へ本店事務所、1920年代に大阪電気軌道の鶴橋付近高架橋工事。1938年の株式会社創立時の本店は下田村大字逢坂603
- [26]1921年に下田村へ本店事務所、1920年代に大阪電気軌道の鶴橋付近高架橋工事。1938年の株式会社創立時の本店は下田村大字逢坂603
- [32]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
- [33]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
- [34]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
- [36]1929年、関東大震災復旧工事として復興局の三吉橋新設工事を施工。2つの川の合流点から3方向に架けた三叉鋼板橋
- 有価証券報告書 2025年3月期 沿革
- [22]1938年3月、資本金48万円で株式会社に組織変更
- [29]創業時に本店を奈良県に置き、事業の発展に伴い1928年東京支店・1937年八幡支店を開設
- [30]1928年1月東京支店、1937年2月八幡支店を開設。1938年3月資本金48万円で株式会社に組織変更
- [35]1928年1月東京支店、1937年2月八幡支店を開設。1938年3月資本金48万円で株式会社に組織変更
- [37]1928年1月東京支店、1937年2月八幡支店を開設。1938年3月資本金48万円で株式会社に組織変更
- [24]1924年、大阪市に本店を開設
- [31]1924年、大阪市に本店を開設
- 証券 1963年(新規上場会社紹介)
- [27]1963年の上場時、本社は奈良県北葛城郡香芝町大字逢坂603
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「奥村組」
- [28]1968年時点の本社は大阪市阿倍野区松崎町
出典・参考
6件
- 有価証券報告書 2025年3月期 沿革
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「奥村組」
- 証券 1963年(新規上場会社紹介)
- 開発往来 40(5) 1996年5月「奥村正太郎(奥村組代表取締役社長)――高い技術力と堅実経営という特色を生かしながら着実に」
- 奥村組 第69期 株主通信(2011年)沿革
- 奥村組 沿革年表(公式サイト沿革)