第1章 年〜年

東京都競馬:大井競馬場の開場と東証一部上場

1949年〜勝島の国有地に突貫で建てた大井競馬場と、資本金1億円の施設会社

1948年7月の競馬法改正で、地方競馬は国と公共団体が主催して収入を財政に入れる事業に改められ、馬匹組合連合会は解散した。東京では都と指定を受けた被災市町村が執行者となり、新しい競馬場を急いで建てる必要が生じた。都は勝島の国有地を買収したうえで、建設は施設会社に任せ、自らはその競馬場を賃借して競馬を開催する方式を決めた。1949年10月の発起人会では、都知事の安井誠一郎氏、都議会議長の石原永明氏、のちに初代社長となる井野碩哉氏が発起人代表に選ばれた。同月31日には資本金1億円・500万株で東京都競馬株式会社を設立し、株式の大部分を発起人が引き受け、一部を一般から公募した。都が会社を間に置いたのは、競馬場の建設資金を都の予算の外で調達するためだったとみられる。

  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [1]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
    • [2]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
    • [3]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
    • [5]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [4]1949年10月の発起人会で安井誠一郎(都知事)・石原永明(都議会議長)・井野碩哉(初代社長)が発起人代表に選出、12月15日創立総会

1950年の初めから昼夜兼行の突貫工事を進め、木造のスタンドと投票所、厩舎の一部、事務所を仕上げた。競馬場は5月2日に開場し、東京都主催の第1回大井競馬が5月12日から6日間開かれた。その6日間の売上は7492万円、1日平均の入場者は1万人にのぼった。以後も開催を重ね、1955年6月末までの開催は111回を数えた。1954年の実績では、24回開催の大井の入場人員が130万4325人で、14回の川崎、12回の船橋を大きく上回る規模に達した。馬券の売上高も川崎の2倍強、船橋の3倍半ほどにあたる。法改正から開場までを2年足らずで詰めた背景には、競馬の収入を早く財政に取り込みたい都の事情があったのだろう。

  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [6]1950年早々から昼夜兼行の突貫工事で木造スタンド・投票所・厩舎の一部・事務所が完成し5月2日開場。第1回は東京都主催で5月12日開幕、6日間の営業成績7492万円、1日平均入場1万人
    • [7]1950年早々から昼夜兼行の突貫工事で木造スタンド・投票所・厩舎の一部・事務所が完成し5月2日開場。第1回は東京都主催で5月12日開幕、6日間の営業成績7492万円、1日平均入場1万人
    • [8]1950年早々から昼夜兼行の突貫工事で木造スタンド・投票所・厩舎の一部・事務所が完成し5月2日開場。第1回は東京都主催で5月12日開幕、6日間の営業成績7492万円、1日平均入場1万人
  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [9]新競馬場を急遽建設する必要に迫られ、1950年5月竣工、5月12日から第1回競馬。1955年6月末までに111回開催。1954年実績は大井24回・入場130万4325人、川崎14回・69万0268人、船橋12回・37万5298人で、売上高も大井が川崎の2倍強、船橋の約3.7倍
    • [10]新競馬場を急遽建設する必要に迫られ、1950年5月竣工、5月12日から第1回競馬。1955年6月末までに111回開催。1954年実績は大井24回・入場130万4325人、川崎14回・69万0268人、船橋12回・37万5298人で、売上高も大井が川崎の2倍強、船橋の約3.7倍
    • [11]新競馬場を急遽建設する必要に迫られ、1950年5月竣工、5月12日から第1回競馬。1955年6月末までに111回開催。1954年実績は大井24回・入場130万4325人、川崎14回・69万0268人、船橋12回・37万5298人で、売上高も大井が川崎の2倍強、船橋の約3.7倍

1951年11月、東京都競馬は資本金500万円の全額出資子会社として大井興業株式会社を設立した。売店、印刷、倉庫業といった附帯事業と場内のサービスは、この子会社の担当となった。本体の事業は施設の賃貸だけに限定。大井興業は本体から場内の施設を借りて営業し、1954年末まで月額60万円の賃貸料を払った。本体の主な収入は競馬場の賃貸料で、1955年の契約は都が年4回、八王子市と三鷹市が各2回、特別区が16回の計24回だった。1回の賃貸料は投下資金と維持管理費を基礎に830万円と定めた。賃貸に事業を限ったことで、収入は開催回数と契約額から見通せる構造になったと推察される。

  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [12]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [13]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [15]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [16]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [17]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [18]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1951年11月、全額出資子会社の大井興業株式会社を設立し場内サービス主体の事業を委託
参考文献[1]-[18]
  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [1]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
    • [2]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
    • [3]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
    • [5]1948年7月の競馬法改正で競馬は国・公共団体が主催し収入を財政に充てることになり、馬匹組合連合会は解散。東京では都が勝島の国有地を買収し、施設会社に建設させて競馬場を賃借する方式を決定。1949年10月31日に資本金1億円(500万株)で設立、大部分を発起人が引受け一部公募、12月20日設立登記
    • [9]新競馬場を急遽建設する必要に迫られ、1950年5月竣工、5月12日から第1回競馬。1955年6月末までに111回開催。1954年実績は大井24回・入場130万4325人、川崎14回・69万0268人、船橋12回・37万5298人で、売上高も大井が川崎の2倍強、船橋の約3.7倍
    • [10]新競馬場を急遽建設する必要に迫られ、1950年5月竣工、5月12日から第1回競馬。1955年6月末までに111回開催。1954年実績は大井24回・入場130万4325人、川崎14回・69万0268人、船橋12回・37万5298人で、売上高も大井が川崎の2倍強、船橋の約3.7倍
    • [11]新競馬場を急遽建設する必要に迫られ、1950年5月竣工、5月12日から第1回競馬。1955年6月末までに111回開催。1954年実績は大井24回・入場130万4325人、川崎14回・69万0268人、船橋12回・37万5298人で、売上高も大井が川崎の2倍強、船橋の約3.7倍
    • [12]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [13]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [15]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [16]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [17]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
    • [18]1951年11月に資本金500万円・全額出資で大井興業を設立し売店・印刷・倉庫業を担わせ、当社事業を施設の賃貸に限定。大井興業の賃貸料は1954年末まで月額60万円。1955年の競馬場賃貸契約は都4回・八王子市2回・三鷹市2回・特別区16回の年24回、1回830万円で投下資金・維持管理費等を基礎に算定
  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [4]1949年10月の発起人会で安井誠一郎(都知事)・石原永明(都議会議長)・井野碩哉(初代社長)が発起人代表に選出、12月15日創立総会
    • [6]1950年早々から昼夜兼行の突貫工事で木造スタンド・投票所・厩舎の一部・事務所が完成し5月2日開場。第1回は東京都主催で5月12日開幕、6日間の営業成績7492万円、1日平均入場1万人
    • [7]1950年早々から昼夜兼行の突貫工事で木造スタンド・投票所・厩舎の一部・事務所が完成し5月2日開場。第1回は東京都主催で5月12日開幕、6日間の営業成績7492万円、1日平均入場1万人
    • [8]1950年早々から昼夜兼行の突貫工事で木造スタンド・投票所・厩舎の一部・事務所が完成し5月2日開場。第1回は東京都主催で5月12日開幕、6日間の営業成績7492万円、1日平均入場1万人
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1951年11月、全額出資子会社の大井興業株式会社を設立し場内サービス主体の事業を委託

1952年〜総工費1億7000万円の大井オートレース場と、東証一部への上場

1954年4月、かねて申請していたオートレース場建設の認可が下り、東京都競馬は5月に着工した。総工費1億7000万円の大井オートレース場は競馬場の隣接地に11月に竣工し、同月28日に第1回レースの開催にこぎつけた。賃貸先は東京都で、年12回の契約を結んだ。賃貸料は定額の競馬場と違い、車券売上高の4%に連動させる方式の採用。建設資金は借入れで賄ったため、自己資本の比率は76.9%から66.7%に低下した。開場から日が浅く他場との競合もあり、売上は所期の水準に達しなかった。定額の競馬場に売上連動の施設を加え、収入に伸びの余地を持たせる狙いがあったと思われる。

  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [19]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [20]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [22]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [23]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [24]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [25]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [21]1954年11月、競馬場隣接地に大井オートレース場を併設し東京都への賃貸事業を開始

1955年10月、競馬場に鉄筋コンクリート造り6階建ての第2号スタンドが完成した。続いて1958年2月に木造の第1号スタンドを6階建てに改築し、1961年10月には6階建ての中央スタンドが加わった。隣のオートレース場でも、1959〜1961年の工事で観客を受け入れる場内を広げた。改築の狙いは、首都で開く公営競馬にふさわしい設備への近代化にあった。賃貸料は投下資金を基礎に算定するため、第2号スタンドの完成に合わせて1回830万円から960万円への増額が決まった。競馬場の半期の入場人員は1961年6月期の107万5628人から1962年12月期の144万3578人に増えた。投資がそのまま賃貸料の増額につながる契約の仕組みが、スタンドの相次ぐ建て替えを後押ししたとみてよい。

  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [26]首都の公営競馬にふさわしい競馬場とするため設備増強と近代化に努め、1955年10月に鉄筋コンクリート6階建ての2号スタンド完成、1号スタンド改築・厩舎増改築などに取り組む
    • [30]首都の公営競馬にふさわしい競馬場とするため設備増強と近代化に努め、1955年10月に鉄筋コンクリート6階建ての2号スタンド完成、1号スタンド改築・厩舎増改築などに取り組む
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「東京都競馬」
    • [27]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
    • [28]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
    • [29]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
    • [32]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [31]第2号スタンド完成後、競馬場賃貸料を1回830万円から960万円に増額する予定

1952年12月に店頭売買の承認銘柄となった株式は、1955年9月10日に東京証券取引所市場第一部に上場した。上場株式数は1200万株で、うち500万株を東京都が持ち、三鷹市、八王子市、千代田区、中央区も大株主に名を連ねた。収入の大半は定額の競馬場賃貸料で、景気で利益が大きく振れる余地は小さかった。その1955年は、デフレと休日開催の禁止で地方競馬の馬券売上が伸び悩み、大井も頭打ちの傾向にあった。配当は1955年6月期に年1割2分で、1957年12月期から1割5分に引き上げた。地味だが安定した収益と公共団体の持株を背景に、株式の流通と資金調達の道を広げる上場だったと受け取れる。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1952年12月店頭売買承認銘柄、1955年9月東京証券取引所市場第一部に上場
  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [34]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
    • [35]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
    • [36]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
    • [37]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「東京都競馬」
    • [38]上場市場は東京1部、上場開始1955年9月10日。配当は1955年6月期1割2分、1957年12月期から1割5分
参考文献[19]-[38]
  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [19]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [20]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [22]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [23]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [24]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [25]1954年4月にオートレース場建設の認可を得て5月着工、総工費1億7000万円で11月竣工、28日に第1回レース。賃貸料は車券売上高の4%、都と年12回契約。建設資金を他人資本で調達し自己資本比率は76.9%から66.7%へ。他場との競合で所期の成績に至らず
    • [31]第2号スタンド完成後、競馬場賃貸料を1回830万円から960万円に増額する予定
    • [34]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
    • [35]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
    • [36]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
    • [37]1955年9月10日新規上場、上場株式数1200万株。大株主は東京都500万株ほか三鷹市・八王子市・千代田区・中央区。賃貸料主体で収益は固定的で地味だが安定。1955年はデフレと休日開催禁止で競馬界不振、大井も馬券売上が頭打ち
  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [21]1954年11月、競馬場隣接地に大井オートレース場を併設し東京都への賃貸事業を開始
    • [26]首都の公営競馬にふさわしい競馬場とするため設備増強と近代化に努め、1955年10月に鉄筋コンクリート6階建ての2号スタンド完成、1号スタンド改築・厩舎増改築などに取り組む
    • [30]首都の公営競馬にふさわしい競馬場とするため設備増強と近代化に努め、1955年10月に鉄筋コンクリート6階建ての2号スタンド完成、1号スタンド改築・厩舎増改築などに取り組む
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「東京都競馬」
    • [27]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
    • [28]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
    • [29]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
    • [32]1955年10月鉄筋6階建て第2号スタンド新築、1958年2月第1号スタンドを6階建てに改築、1961年10月6階建て中央スタンド新築。オートレース場は1959-61年に拡張工事。競馬場入場人員は1961年6月期107万5628人、1962年12月期144万3578人
    • [38]上場市場は東京1部、上場開始1955年9月10日。配当は1955年6月期1割2分、1957年12月期から1割5分
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1952年12月店頭売買承認銘柄、1955年9月東京証券取引所市場第一部に上場

1956年〜売上の5%に改めた競馬場の賃貸料と、1日2億9826万円に伸びた売上

1957年6月時点の社長は井野碩哉氏で、1955年に専務だった久保田栄氏が1963年までに社長に就任した。この間に、競馬場の賃貸料は1回830万円の定額から馬券売上高の5%へ改まった。1962年12月期の半期の賃貸収入は6億418万1000円で、うち競馬場が5億1493万1000円を占める。1962年度には東京オリンピックの協賛競馬を年2回開き、賃貸料から実費を差し引いた残額をオリンピック資金財団への寄付に充てた。事業目的には1957年の時点で遊園地の経営を掲げ、隣接する海面を埋め立てて遊園地を建てる計画も示した。売上連動の賃料への切り替えで、馬券の売上の伸びが賃貸収入にそのまま響く収益の構造が生まれたと考えられる。

  • 株式会社年鑑 1958年版「東京都競馬」
    • [39]1957年6月30日現在の社長は井野碩哉。主な事業内容に遊園地の経営、勝馬投票券の場外発売所の賃貸を含む
    • [46]1957年6月30日現在の社長は井野碩哉。主な事業内容に遊園地の経営、勝馬投票券の場外発売所の賃貸を含む
  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [40]1955年の競馬場賃貸料は1回830万円の定額。役員は社長井野碩哉、専務久保田栄
    • [42]1955年の競馬場賃貸料は1回830万円の定額。役員は社長井野碩哉、専務久保田栄
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「東京都競馬」
    • [41]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [43]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [44]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [45]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [47]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画

1965年3月、東京都競馬は千葉県印西(現在の印西市)に小林牧場を建設した。目的は競走馬の育成と休養で、施設の貸し手が馬の側の設備まで抱えた。1963年時点で競馬場の賃貸は年26回・148日に達し、オートレース場の108日と開催日が重ならないよう日程を組んだ。競馬場の敷地は所有地31万710平方メートルと借地3万8468平方メートルからなる。1968年には厩舎と駐車場の整備、投票所の冷暖房、予想配当金の表示装置を含め、年額8億円の近代化計画を進めた。開催日が増えるほど出走馬の頭数と状態が売上を左右するため、牧場で馬の休養を引き受けて賃貸料の源である馬券売上を支える狙いがあったと推量される。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [48]1965年3月、千葉県印西市に競走馬の育成と休養を目的に小林牧場を建設
    • [49]1965年3月、千葉県印西市に競走馬の育成と休養を目的に小林牧場を建設
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「東京都競馬」
    • [50]1963年時点で競馬場の賃貸は年26回・148日、オートレース場は年12回・108日で開催日が重ならないようにしている。競馬場は所有地31万710平方メートル、借地3万8468平方メートル
    • [51]1963年時点で競馬場の賃貸は年26回・148日、オートレース場は年12回・108日で開催日が重ならないようにしている。競馬場は所有地31万710平方メートル、借地3万8468平方メートル
  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [52]1968年時点で厩舎・駐車場整備、投票所内冷暖房、予想配当金表示装置など年額8億円で近代化計画を推進

1967年度の1日平均の売上高は2億9826万円に達し、営業初年度の25倍に増えた。資本金は1967年7月の無償増資を経ても12億円強で、伸びは12.5倍にとどまった。資本の伸びを売上の伸びが大きく上回り、配当は1割5分のまま揺るがなかった。ギャンブル・ブームのなかで競馬とオートレースの営業収入はここ2、3期に2割ほど増え、1968年度は30億円近くに達する見込みだった。1968年時点の社長は太田和男氏で、従業員は120名を数えた。1970年9月には全額出資の子会社、株式会社東京サマーランドを設立。翌1971年1月に遊園地事業の営業を委託しており、公営競技の賃貸に依存する収益に別の収入源を加える布石と位置づけられる。

  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [53]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [54]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [55]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [56]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [57]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1970年9月、全額出資の子会社株式会社東京サマーランドを設立。1971年1月に東京サマーランドへ遊園地事業の営業を委託
参考文献[39]-[58]
  • 株式会社年鑑 1958年版「東京都競馬」
    • [39]1957年6月30日現在の社長は井野碩哉。主な事業内容に遊園地の経営、勝馬投票券の場外発売所の賃貸を含む
    • [46]1957年6月30日現在の社長は井野碩哉。主な事業内容に遊園地の経営、勝馬投票券の場外発売所の賃貸を含む
  • 証券 (10)(76) 1955年
    • [40]1955年の競馬場賃貸料は1回830万円の定額。役員は社長井野碩哉、専務久保田栄
    • [42]1955年の競馬場賃貸料は1回830万円の定額。役員は社長井野碩哉、専務久保田栄
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「東京都競馬」
    • [41]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [43]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [44]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [45]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [47]1963年時点で社長久保田栄(農商務省出身、1949年常務)。賃貸料は競馬場が馬券売上高の5%、オートレース場が車券売上高の4%。1962年12月期の賃貸収入6億418万1000円(うち競馬場5億1493万1000円)。オリンピック協賛競馬年2回で実費差引後の残額をオリンピック資金財団に寄付。隣接海面を埋め立て遊園地を建設する計画
    • [50]1963年時点で競馬場の賃貸は年26回・148日、オートレース場は年12回・108日で開催日が重ならないようにしている。競馬場は所有地31万710平方メートル、借地3万8468平方メートル
    • [51]1963年時点で競馬場の賃貸は年26回・148日、オートレース場は年12回・108日で開催日が重ならないようにしている。競馬場は所有地31万710平方メートル、借地3万8468平方メートル
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [48]1965年3月、千葉県印西市に競走馬の育成と休養を目的に小林牧場を建設
    • [49]1965年3月、千葉県印西市に競走馬の育成と休養を目的に小林牧場を建設
    • [58]1970年9月、全額出資の子会社株式会社東京サマーランドを設立。1971年1月に東京サマーランドへ遊園地事業の営業を委託
  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
    • [52]1968年時点で厩舎・駐車場整備、投票所内冷暖房、予想配当金表示装置など年額8億円で近代化計画を推進
    • [53]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [54]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [55]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [56]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名
    • [57]1967年度の1日平均売上高2億9826万円で営業初年度の25倍、資本金は1967年7月の無償増資後12億円強で12.5倍。1割5分配当が安泰。ギャンブル・ブームで営業収入は2割方増加し1968年度は30億円近い見込み。社長太田和男、従業員120名

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】
  • 株式会社年鑑 1958年版「東京都競馬」
  • 企業の歴史:明治百年 1968年「東京都競馬」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「東京都競馬」
  • 証券 (10)(76) 1955年

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