第2章 年〜年

スターツコーポレーション:ナビパーク・社宅管理・スターツ証券への多角化

管理戸数2万3,000戸の積み上げによる預かる相手の拡張

1989年〜店頭公開で得た資金の使い道と、新卒で採用した人員

公開で得た資金を研修設備へ向ける

村石氏が掲げた目標は、21世紀に社員5万人を抱える企業になることであった。5万人を一つの街に見立てるなら、小学校・中学校・高校も商店も医者もそろえた軍団でなければならない、と村石氏は語った。その足がかりが1989年5月の日本証券業協会での店頭売買銘柄登録で、会社は市場から資金を得られるようになった。公開時のファイナンスで調達した30億円は、ほぼ全額を研修設備に投じるとされ、21世紀を見すえて大手の施設にも見劣りしない水準をめざしたその設備は人間道場と呼ばれた。人事では、人数を絞った精鋭と『急がば回れ』を貫き、社員を同志に育てる方針をとった『急がば回れ』。同年11月にはウッディホームも設立した。

  • 証券アナリストジャーナル 1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [1]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [2]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [4]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [5]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [6]少数精鋭と「急がば回れ」の主義に徹し、人事政策では社員を同志として育てるという考え方でやってきたことを村石氏が自社の特徴として挙げた
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1989年5月に日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録され、1989年11月にウッディホームを設立した
    • [7]1989年5月に日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録され、1989年11月にウッディホームを設立した
店を任せる担い手を新卒と女性へ拡大する

終身雇用は日本の社会が生んだ優れた制度だと村石氏は見ており、会社は社員それぞれの価値観をつかんでおくべきだという考えを人事の土台に置いた。人の集め方は資金をどこへ向けるかという判断と切り離せず、店を任せる人材については、1989年時点で3人だった女性店長を、4年後には約50店舗の7割ほどにまで広げる方針を示した。地域の動き全体を把握していなければ、住生活を支えきれない。店舗は物件の紹介にとどまらず、転居時の家具や電話、あいさつ状の手配まで請け負う便利な店でなければならない、という考えであった。この会社は入居者それぞれに合わせて手をかける営業を続けてきた。そのため店の数を増やすことは、任せられる人を増やすことにほかならなかった。

  • 証券アナリストジャーナル 1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [8]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [9]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [10]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [11]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [12]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [13]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [14]地域密着型で客一人ひとりに合わせた手づくりの営業方法が認められて信頼を獲得し、着実に実績を上げた
参考文献[1]-[14]
  • 証券アナリストジャーナル 1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [1]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [2]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [4]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [5]株式公開に際してのファイナンスによる30億円のほとんどを、大手企業に負けない21世紀をにらんだ研修設備「人間道場」の建設につぎ込むとし、21世紀には5万人の企業になることを目指すと村石氏が述べた。5万人を一つの街として捉えれば小学校・中学校・高校があり商店も医者もある軍団でなければならないとした
    • [6]少数精鋭と「急がば回れ」の主義に徹し、人事政策では社員を同志として育てるという考え方でやってきたことを村石氏が自社の特徴として挙げた
    • [8]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [9]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [10]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [11]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [12]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
    • [13]終身雇用制を良いものと考え企業は社員一人ひとりの価値観を把握すべきとし、1989年時点で女性店長は3人だが4年後には約50店舗の7割ほどを女性店長にする方針を示した。店は住宅紹介にとどまらず引っ越し時の家具・電話・あいさつ状まで引き受けるコンビニエンスなショップとし、地域の動きがすべて分からなければ住生活はカバーできないとした
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1989年5月に日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録され、1989年11月にウッディホームを設立した
    • [7]1989年5月に日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録され、1989年11月にウッディホームを設立した
  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [14]地域密着型で客一人ひとりに合わせた手づくりの営業方法が認められて信頼を獲得し、着実に実績を上げた

1990年〜千曲管理サービスが積み上げた管理戸数と手数料収入

管理戸数を2万3,000戸まで積み上げる

1994年8月の時点で、管理していたアパートとマンションの貸室は約2万3,000戸に達していた。年間の管理手数料は1994年度の見込みで約12億円、年商は20億円である。1985年4月に設立した千曲管理サービスは、店頭公開を射程に置く規模の会社へ育っていた。物件を建てて売れば利益は一度きりだが、預かって管理すれば毎月手数料が入る。1986年、管理物件がまだ約6,000件の段階でオンライン化に取りかかっており、仕組みの整備が戸数の伸びに先んじていた。村石氏は、管理業務の拡大はストック収入を積み上げる価値観が社内にあったためで、歩合制の会社やマンション販売専業の会社ではたやすくできなかったと述べている。管理という仕事の中身が、創業以来の人の集め方とうまく合っていた。

  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [15]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [16]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [17]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [19]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [20]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [21]管理業務が伸びたのはストック収入を増やすという銀行員的な発想でコツコツ積み重ねる価値観が組織にあったからで、歩合制の会社やマンション販売専門の会社では簡単にできないと村石氏が述べている
    • [22]管理業務が伸びたのはストック収入を増やすという銀行員的な発想でコツコツ積み重ねる価値観が組織にあったからで、歩合制の会社やマンション販売専門の会社では簡単にできないと村石氏が述べている
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1985年4月に千曲管理サービスを設立した
起こりうる事態まで引き受ける管理を設計する

家賃が口座振込で集まるようになり、大家と入居者が顔を合わせることは少なくなった。入居者が亡くなっても何カ月も誰も気づかないということも珍しくなかった。アパートのオーナーは家賃と物件の管理に加えて、問題が起これば弁護士を頼る場合もあり、個人で管理するには戸惑う場面が多い。管理を専業とするなら、家賃の回収にとどまらず起こり得るあらゆる事態を背負うことになる。村石氏は、強盗や夜逃げのような事態でもオーナーの手を一切煩わせずに片づけられる管理の仕組みが大切になると見ていた。入居者の側にも、夜中に鍵を失くした、正月に風呂が壊れたといった求めがあり、365日24時間応じる体制が必要になる。それを一括して引き受けられるかどうかが、管理会社の力量を分けた。1997年1月、千曲管理サービスはスターツアメニティーへ商号を改めている。

  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [23]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [24]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [25]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [26]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [27]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [28]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [29]千曲管理サービスは1997年1月にスターツアメニティーへ商号を変更した
管理から仲介へ取引をつなぐ

仲介店舗の屋号はピタットハウスといい、1988年10月に始動して9年後の1997年1月からテレビCMを流した。村石氏の見立てでは、管理は次の商いにつながる入口だった。預かった物件が売りに出されれば仲介の仕事が新たに生まれ、管理会社を抱えていることで商機は広がるという。ノウハウを積み上げて預かる戸数を増やせば、時間をかけるほど工事より管理のほうが収益の伸びは大きくなると見ており、大家・入居者・管理会社の三者それぞれに利点があると整理していた。大手が土地有効活用事業へ乗り出し始めていた時期でも、村石氏は自社の賃貸管理部門こそ本当の意味で一番だと自負していた。

  • スターツグループ 公式サイト「沿革」
    • [30]1988年10月に総合不動産ショップ「ピタットハウス」が始動し、1997年1月にテレビCMを開始した
  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [31]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [32]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [33]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [34]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [35]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
参考文献[15]-[35]
  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [15]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [16]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [17]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [19]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [20]1994年8月時点の管理物件はアパート・マンション貸室約2万3千戸、年間管理手数料は平成6年度見込で約12億円、年商20億円で、千曲管理サービスは店頭公開を射程に置いていた。1986年に管理物件約6,000件の時期にオンライン導入へ着手した。工事は作るだけなら利益がそこで終わるが、定期的な保守で管理手数料が入れば月々の安定収入になる
    • [21]管理業務が伸びたのはストック収入を増やすという銀行員的な発想でコツコツ積み重ねる価値観が組織にあったからで、歩合制の会社やマンション販売専門の会社では簡単にできないと村石氏が述べている
    • [22]管理業務が伸びたのはストック収入を増やすという銀行員的な発想でコツコツ積み重ねる価値観が組織にあったからで、歩合制の会社やマンション販売専門の会社では簡単にできないと村石氏が述べている
    • [23]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [24]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [25]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [26]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [27]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [28]家賃集金が口座振込中心となり大家と入居者が顔を合わせなくなるなかで、強盗・殺人・夜逃げといった事態もオーナーに面倒をかけずに処理できる徹底した管理システムと、入居者向けの365日24時間対応が必要と村石氏が述べている
    • [31]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [32]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [33]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [34]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
    • [35]管理物件の売却時には新たに仲介業務が発生し、管理会社を持つことでビジネスチャンスが広がるとし、ノウハウを蓄積して管理戸数を増やせば長い目では工事より管理のほうが収益が伸びると村石氏が述べている。土地有効活用事業に大手が参入し始めた時期にも賃貸管理部門はナンバーワンだと自負した
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1985年4月に千曲管理サービスを設立した
    • [29]千曲管理サービスは1997年1月にスターツアメニティーへ商号を変更した
    • [30]1988年10月に総合不動産ショップ「ピタットハウス」が始動し、1997年1月にテレビCMを開始した

1995年〜ナビパークと社宅管理代行による、預かる対象と相手の拡張

建物を建てない土地を駐車場として預かる

1998年4月、時間貸し駐車場のナビパーク事業を始めた。地主の財産を預かって管理するシンクス事業では、駐車場はアパートや商業ビル、マンションと並ぶ選択肢の一つとして早くから挙げられていた。1995年5月にはスターツ商事を、1996年9月にはスターツ総合研究所を設立している。賃貸から分譲、中古、一般仲介、注文住宅やリフォームまで、扱う種目の広さは村石氏が1989年に自社の特色として挙げていた。海外不動産についても、ハワイや台湾、ロサンゼルスに拠点を置く独自のネットワークを築いていた。土地を買わずに預かる型は、地主の土地に載せるものを建物から設備へ替えても、そのまま働いた。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始し、1995年5月にスターツ商事、1996年9月にスターツ総合研究所を設立した
    • [38]1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始し、1995年5月にスターツ商事、1996年9月にスターツ総合研究所を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [37]シンクス事業では地主へ駐車場・アパート・コンビニエンスストア・商業ビル・マンションの建設を勧めて預かり、賃貸から分譲・中古・一般仲介・注文住宅・リフォーム・海外不動産までの総合性を自社の特色として挙げた。海外不動産ではハワイ・台湾・ロサンゼルス・韓国・シンガポールに拠点を置く独自のネットワークを形成していた
    • [39]シンクス事業では地主へ駐車場・アパート・コンビニエンスストア・商業ビル・マンションの建設を勧めて預かり、賃貸から分譲・中古・一般仲介・注文住宅・リフォーム・海外不動産までの総合性を自社の特色として挙げた。海外不動産ではハワイ・台湾・ロサンゼルス・韓国・シンガポールに拠点を置く独自のネットワークを形成していた
    • [40]シンクス事業では地主へ駐車場・アパート・コンビニエンスストア・商業ビル・マンションの建設を勧めて預かり、賃貸から分譲・中古・一般仲介・注文住宅・リフォーム・海外不動産までの総合性を自社の特色として挙げた。海外不動産ではハワイ・台湾・ロサンゼルス・韓国・シンガポールに拠点を置く独自のネットワークを形成していた
預かる相手を地主から法人へ拡大する

1999年6月、法人向けの社宅管理代行事業に参入した。企業が借り上げた社宅の契約と入居の管理を引き受ける事業であり、預かる相手は個人の地主から法人へ広がった。管理を専業の会社へ切り出した1985年以来、家賃のコンピューター管理と管理戸数のスケールメリットによるコスト低減を積み上げてきた。管理戸数が増えれば1戸あたりの費用は下がり、ノウハウの蓄積によってあらゆる場面での対応もスムーズになる。煩雑な処理を引き受けるほど手数料の根拠が立つという関係は、相手が個人でも法人でも変わらない。1998年4月のナビパークと合わせ、1990年代の終わりに預かる対象と相手の両方が広がった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [41]1999年6月に法人向け社宅管理代行事業へ参入し、1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始した
    • [42]1999年6月に法人向け社宅管理代行事業へ参入し、1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始した
    • [46]1999年6月に法人向け社宅管理代行事業へ参入し、1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始した
  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [43]管理を一括して引き受けることで家賃のコンピューター管理によるシステム化と管理戸数のスケールメリットによるコスト低減が可能になり、ノウハウの蓄積で対応がスムーズになると村石氏が述べている
    • [44]管理を一括して引き受けることで家賃のコンピューター管理によるシステム化と管理戸数のスケールメリットによるコスト低減が可能になり、ノウハウの蓄積で対応がスムーズになると村石氏が述べている
    • [45]管理を一括して引き受けることで家賃のコンピューター管理によるシステム化と管理戸数のスケールメリットによるコスト低減が可能になり、ノウハウの蓄積で対応がスムーズになると村石氏が述べている
証券子会社を設けて金融へ踏み出す

1999年11月、スターツ証券を設立した。地主の財産を預かる会社が、証券業を営む子会社を抱えることになった。シンクス事業の預かり資産は、1989年の時点で1兆5,000億円から1兆8,000億円にのぼっていた。地主のなかには、400億円から500億円の資産を持つ者もいた。株式が日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録されたのは1989年5月で、その10年後に自ら証券会社を持ったことになる。村石氏は創業当初から自社の仕事を銀行員と同じような感覚と呼び、個人プレーよりもチームプレーを重んじてきた。不動産として預かってきた資産の隣に金融商品の窓口を置いたのは、大和銀行を脱サラした創業者の会社にとって遠い距離ではなかった。

  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1999年11月にスターツ証券を設立した
    • [48]1999年11月にスターツ証券を設立した
    • [51]1989年5月に日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録された
  • 証券アナリストジャーナル 1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [49]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円で、地主は最低20億〜30億円、多い者で400億〜500億円の資産を持ち、村石氏は創業当初から銀行員と同じ感覚でチームプレーを重視してきたと述べた
    • [50]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円で、地主は最低20億〜30億円、多い者で400億〜500億円の資産を持ち、村石氏は創業当初から銀行員と同じ感覚でチームプレーを重視してきたと述べた
    • [52]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円で、地主は最低20億〜30億円、多い者で400億〜500億円の資産を持ち、村石氏は創業当初から銀行員と同じ感覚でチームプレーを重視してきたと述べた
参考文献[36]-[52]
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始し、1995年5月にスターツ商事、1996年9月にスターツ総合研究所を設立した
    • [38]1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始し、1995年5月にスターツ商事、1996年9月にスターツ総合研究所を設立した
    • [41]1999年6月に法人向け社宅管理代行事業へ参入し、1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始した
    • [42]1999年6月に法人向け社宅管理代行事業へ参入し、1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始した
    • [46]1999年6月に法人向け社宅管理代行事業へ参入し、1998年4月に時間貸し駐車場「ナビパーク」事業を開始した
    • [47]1999年11月にスターツ証券を設立した
    • [48]1999年11月にスターツ証券を設立した
    • [51]1989年5月に日本証券業協会の店頭売買銘柄として登録された
  • 証券アナリストジャーナル 1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
    • [37]シンクス事業では地主へ駐車場・アパート・コンビニエンスストア・商業ビル・マンションの建設を勧めて預かり、賃貸から分譲・中古・一般仲介・注文住宅・リフォーム・海外不動産までの総合性を自社の特色として挙げた。海外不動産ではハワイ・台湾・ロサンゼルス・韓国・シンガポールに拠点を置く独自のネットワークを形成していた
    • [39]シンクス事業では地主へ駐車場・アパート・コンビニエンスストア・商業ビル・マンションの建設を勧めて預かり、賃貸から分譲・中古・一般仲介・注文住宅・リフォーム・海外不動産までの総合性を自社の特色として挙げた。海外不動産ではハワイ・台湾・ロサンゼルス・韓国・シンガポールに拠点を置く独自のネットワークを形成していた
    • [40]シンクス事業では地主へ駐車場・アパート・コンビニエンスストア・商業ビル・マンションの建設を勧めて預かり、賃貸から分譲・中古・一般仲介・注文住宅・リフォーム・海外不動産までの総合性を自社の特色として挙げた。海外不動産ではハワイ・台湾・ロサンゼルス・韓国・シンガポールに拠点を置く独自のネットワークを形成していた
    • [49]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円で、地主は最低20億〜30億円、多い者で400億〜500億円の資産を持ち、村石氏は創業当初から銀行員と同じ感覚でチームプレーを重視してきたと述べた
    • [50]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円で、地主は最低20億〜30億円、多い者で400億〜500億円の資産を持ち、村石氏は創業当初から銀行員と同じ感覚でチームプレーを重視してきたと述べた
    • [52]1989年時点のシンクス事業の預かり資産は1兆5,000億〜1兆8,000億円で、地主は最低20億〜30億円、多い者で400億〜500億円の資産を持ち、村石氏は創業当初から銀行員と同じ感覚でチームプレーを重視してきたと述べた
  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
    • [43]管理を一括して引き受けることで家賃のコンピューター管理によるシステム化と管理戸数のスケールメリットによるコスト低減が可能になり、ノウハウの蓄積で対応がスムーズになると村石氏が述べている
    • [44]管理を一括して引き受けることで家賃のコンピューター管理によるシステム化と管理戸数のスケールメリットによるコスト低減が可能になり、ノウハウの蓄積で対応がスムーズになると村石氏が述べている
    • [45]管理を一括して引き受けることで家賃のコンピューター管理によるシステム化と管理戸数のスケールメリットによるコスト低減が可能になり、ノウハウの蓄積で対応がスムーズになると村石氏が述べている

筆者考察

1990年代にこの会社が増やしたのは、物件ではなく預かる相手であった。1994年8月に管理していた貸室は約2万3,000戸、年間の管理手数料は約12億円で、管理を担う会社の年商は20億円に達していた。管理は預かった数だけ事故を引き受ける商売であり、規模が小さいうちは割に合わない。戸数が増えるほど1戸あたりの費用は下がり、事件も事故も引き受けられる会社だけが次の委託を取る。強盗や夜逃げの処理まで自社で抱えるという村石久二氏の方針は、善意の表明ではなく参入障壁の設計であった。面倒を引き受ける側に回るほど、手数料の根拠は強くなる。地主の側から見れば、任せない理由が減っていった。

1998年のナビパーク、1999年の社宅管理代行とスターツ証券は、同じ型の言い換えであった。地主の土地に建物を載せて預かるのが本業なら、建てられない土地は駐車場として預かればよい。相手も個人の地主に限る必要はなく、法人が借り上げた社宅でも構わない。資産を持つ地主に金融商品を扱うのも、預かる対象を替えただけである。1990年代の終わりに立てた事業は、いずれも土地を買う資金を必要としない。仕入をしない会社は、参入のたびに在庫を積まずに済む。大和銀行を脱サラした村石久二氏が30年後に証券会社を持ったのは、銀行員の感覚で不動産を扱うと決めた1969年の延長にあった。会社の形は変わっても、預かるという一語が動いていない。

管理していた貸室 オンライン導入に着手した1986年と1994年8月(戸)

6,000 1986 23,000 1994.8
  • 1986年の値は「管理物件がまだ六千件程度」、1994年8月の値は「アパート・マンション貸室約二万三千戸」として示されたもの。
  • 出所は村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)の記述。

出典・参考

4件
出典・参考
  • スターツコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
  • 村石久二・久田和子『汗生 汗とともに生きる』(スターツ出版, 1994年)
  • 証券アナリストジャーナル 1989年9月号(日本証券アナリスト協会)
  • スターツグループ 公式サイト「沿革」

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