第1章 年〜年

七十七銀行:仙台での第七十七国立銀行の創立

1878年〜仙台に開いた資本金25万円の第七十七国立銀行と、初代頭取の氏家厚時氏

第七十七国立銀行は1878年12月、資本金25万円で宮城県仙台に設立された。明治政府は士族の俸禄を打ち切る代わりに公債を渡しており、士族はその公債を元手に国立銀行を設立することができた。同年2月20日、士族の氏家厚時氏ら6名は、資本金20万円の銀行の創立願を大蔵省紙幣局長へ提出した。4月26日に許可が下り、全国153行のうち77番目にあたる第七十七国立銀行の名が与えられた。別に出ていた創立の願出と合同したため、資本金は合わせて25万円となった。同年12月9日に営業を開始し、初代頭取には氏家厚時氏が就任。士族の生計を支える公債を地元の金融へ振り向ける制度が、宮城県に地元の銀行を生んだと考えられる。

  • 会社銀行八十年史(1955)日本会社史「七十七銀行」
    • [1]明治11年12月、資本金25万円で第七十七国立銀行を設立
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」七十七銀行の誕生と初代頭取氏家厚時(2001年)
    • [2]政府は俸禄の代わりに支給した公債を資本とする国立銀行の設立を認めた
    • [3]1878年2月20日、士族氏家厚時ほか5名が資本金20万円の国立銀行創立願書を大蔵省紙幣局長あてに提出
    • [4]1878年4月26日許可、全国153行の77番目として第七十七国立銀行の名称
    • [6]1878年12月9日営業開始、初代頭取に氏家厚時が就任
  • 七十七銀行小史(七十七銀行、1954)
    • [5]別の創立願出と合併を広告し第七十七国立銀行として一本化、資本金は合計25万円

第七十七国立銀行の設立を後押ししたのは、第一国立銀行頭取の渋沢栄一氏である。渋沢栄一氏は1872年公布の国立銀行条例の起草を担当した。1876年12月には国立銀行の設立を志す者へ書簡を送り、拡張を急がずに実務の習熟を先にするよう説いた。当時、宮城県に本店を置く銀行は無く、第一国立銀行の仙台と石巻の出張所が県内の産物の現金化と納税の業務を担った。渋沢栄一氏は仙台に立ち寄って銀行の運営を詳しく指導し、第一国立銀行の宮城県での業務を第七十七国立銀行へ譲った。あわせて遠藤敬止氏や大野清敬氏を第一国立銀行から送り込んだ。新設の銀行に要る実務の担い手を、手本となる銀行から直接移したとみられる。

  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」日本の近代資本主義の父・渋沢栄一と七十七銀行(2001年)
    • [7]渋沢栄一は1872年公布の国立銀行条例の起草を担当し、第七十七国立銀行の設立に尽力
    • [8]渋沢栄一は1872年公布の国立銀行条例の起草を担当し、第七十七国立銀行の設立に尽力
    • [10]当時宮城県に地元基盤の銀行は無く、1873年からの第一国立銀行の仙台・石巻出張所が産物の現金化と納税業務を担当
    • [12]第一国立銀行の宮城県の業務を譲り、遠藤敬止・大野清敬を第一国立銀行から派遣
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」渋沢栄一の書簡(2001年)
    • [9]1876年12月、第一国立銀行頭取渋沢栄一が銀行設立志望者に、拡張を急がず事務に習熟するよう忠告する書簡
  • 七十七銀行小史(七十七銀行、1954)
    • [11]渋沢栄一らが仙台に寄り銀行について詳細な指導を与えた
参考文献[1]-[12]
  • 会社銀行八十年史(1955)日本会社史「七十七銀行」
    • [1]明治11年12月、資本金25万円で第七十七国立銀行を設立
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」七十七銀行の誕生と初代頭取氏家厚時(2001年)
    • [2]政府は俸禄の代わりに支給した公債を資本とする国立銀行の設立を認めた
    • [3]1878年2月20日、士族氏家厚時ほか5名が資本金20万円の国立銀行創立願書を大蔵省紙幣局長あてに提出
    • [4]1878年4月26日許可、全国153行の77番目として第七十七国立銀行の名称
    • [6]1878年12月9日営業開始、初代頭取に氏家厚時が就任
  • 七十七銀行小史(七十七銀行、1954)
    • [5]別の創立願出と合併を広告し第七十七国立銀行として一本化、資本金は合計25万円
    • [11]渋沢栄一らが仙台に寄り銀行について詳細な指導を与えた
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」日本の近代資本主義の父・渋沢栄一と七十七銀行(2001年)
    • [7]渋沢栄一は1872年公布の国立銀行条例の起草を担当し、第七十七国立銀行の設立に尽力
    • [8]渋沢栄一は1872年公布の国立銀行条例の起草を担当し、第七十七国立銀行の設立に尽力
    • [10]当時宮城県に地元基盤の銀行は無く、1873年からの第一国立銀行の仙台・石巻出張所が産物の現金化と納税業務を担当
    • [12]第一国立銀行の宮城県の業務を譲り、遠藤敬止・大野清敬を第一国立銀行から派遣
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」渋沢栄一の書簡(2001年)
    • [9]1876年12月、第一国立銀行頭取渋沢栄一が銀行設立志望者に、拡張を急がず事務に習熟するよう忠告する書簡

1879年〜宮城の米を東京へつないだ東京支店と、営業満期を控えた第七十七国立銀行

第七十七国立銀行は開業から3年半後の1882年7月、最初の支店を東京の日本橋南茅場町に開設した。東京へ運ばれる宮城の米を、すみやかに現金に換える必要があったためである。仙台藩は江戸への最大の米供給藩で、1660年前後の江戸廻米は年に15〜16万石に達した。開設先の日本橋の周辺には、米を取引する米商会所や株式取引所が集まっていた。第一国立銀行から移った大野清敬氏は1882年に東京へ転勤し、1890年には支店長として東京株式取引所へ救済融資を実行した。2つ目の支店は1884年開設の石巻支店。米の産地と消費地を結ぶ決済の拠点を、本店から遠い東京に先に置いたのだろう。

  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」東京支店の開設(2001年)
    • [13]1882年7月、日本橋南茅場町に初の支店として東京支店を開設。東京に運んだ宮城の米を速やかに現金化するため。付近に米商会所・株式取引所
    • [14]1882年7月、日本橋南茅場町に初の支店として東京支店を開設。東京に運んだ宮城の米を速やかに現金化するため。付近に米商会所・株式取引所
    • [16]1882年7月、日本橋南茅場町に初の支店として東京支店を開設。東京に運んだ宮城の米を速やかに現金化するため。付近に米商会所・株式取引所
    • [17]大野清敬は1882年東京支店設置で転勤、1890年支店長として東京株式取引所に救済融資
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」江戸を支える仙台の米(2001年)
    • [15]仙台藩は江戸への最大の米供給藩、1660年前後の江戸廻米は年15〜16万石
  • 七十七銀行小史(七十七銀行、1954)
    • [18]明治10年代の支店は東京支店(明治15年)と石巻支店(明治17年)の2つ

第七十七国立銀行は明治20年代に入ると、まず資本金を倍額にした。1887年7月10日の株主の会議で25万円の増資を決め、1890年6月に払込を終えて資本金は50万円。一方で1882年の国立銀行条例改正により、国立銀行は発行した紙幣を順次銷却することになった。第七十七国立銀行も銷却の元資として毎年5,000円を積み立て、国立銀行の特典だった紙幣の発行高は減った。営業満期を見据え、第七十七国立銀行は普通銀行の業務を段階的に広げた。増資によって株主の構成も変わり、士族の禄券を守るために始まった銀行の性格は薄れた。そして1898年3月、資本金150万円の七十七銀行として新たに発足した。紙幣発行の特典が消えていく中で、私立銀行として続く準備を10年かけて整えたと推察される。

  • 七十七銀行小史(七十七銀行、1954)
    • [19]明治20年7月10日の株主会議で増資を決議、23年6月払込完了、開業10年で資本金倍額の50万円
    • [20]明治20年7月10日の株主会議で増資を決議、23年6月払込完了、開業10年で資本金倍額の50万円
    • [21]明治15年の条例改正で紙幣銷却、七十七銀行は毎年発行高の2分5厘(5千円)を積立、発行額は減少
    • [22]明治15年の条例改正で紙幣銷却、七十七銀行は毎年発行高の2分5厘(5千円)を積立、発行額は減少
    • [23]国立銀行営業満期に向かい普通銀行業務を漸次拡大、増資で士族銀行の性格を失う
    • [24]国立銀行営業満期に向かい普通銀行業務を漸次拡大、増資で士族銀行の性格を失う
  • 会社銀行八十年史(1955)日本会社史「七十七銀行」
    • [25]明治31年3月、資本金150万円の七十七銀行として新発足
参考文献[13]-[25]
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」東京支店の開設(2001年)
    • [13]1882年7月、日本橋南茅場町に初の支店として東京支店を開設。東京に運んだ宮城の米を速やかに現金化するため。付近に米商会所・株式取引所
    • [14]1882年7月、日本橋南茅場町に初の支店として東京支店を開設。東京に運んだ宮城の米を速やかに現金化するため。付近に米商会所・株式取引所
    • [16]1882年7月、日本橋南茅場町に初の支店として東京支店を開設。東京に運んだ宮城の米を速やかに現金化するため。付近に米商会所・株式取引所
    • [17]大野清敬は1882年東京支店設置で転勤、1890年支店長として東京株式取引所に救済融資
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」江戸を支える仙台の米(2001年)
    • [15]仙台藩は江戸への最大の米供給藩、1660年前後の江戸廻米は年15〜16万石
  • 七十七銀行小史(七十七銀行、1954)
    • [18]明治10年代の支店は東京支店(明治15年)と石巻支店(明治17年)の2つ
    • [19]明治20年7月10日の株主会議で増資を決議、23年6月払込完了、開業10年で資本金倍額の50万円
    • [20]明治20年7月10日の株主会議で増資を決議、23年6月払込完了、開業10年で資本金倍額の50万円
    • [21]明治15年の条例改正で紙幣銷却、七十七銀行は毎年発行高の2分5厘(5千円)を積立、発行額は減少
    • [22]明治15年の条例改正で紙幣銷却、七十七銀行は毎年発行高の2分5厘(5千円)を積立、発行額は減少
    • [23]国立銀行営業満期に向かい普通銀行業務を漸次拡大、増資で士族銀行の性格を失う
    • [24]国立銀行営業満期に向かい普通銀行業務を漸次拡大、増資で士族銀行の性格を失う
  • 会社銀行八十年史(1955)日本会社史「七十七銀行」
    • [25]明治31年3月、資本金150万円の七十七銀行として新発足

出典・参考

7件
出典・参考
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」七十七銀行の誕生と初代頭取氏家厚時(2001年)
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」日本の近代資本主義の父・渋沢栄一と七十七銀行(2001年)
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」渋沢栄一の書簡(2001年)
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」東京支店の開設(2001年)
  • 七十七銀行 金融資料館「宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行」江戸を支える仙台の米(2001年)
  • 会社銀行八十年史(1955)日本会社史「七十七銀行」
  • 七十七銀行小史(七十七銀行、1954)

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