コメリ:捧寅七の米穀商「米利商店」とLPガス販売
1952年〜木炭と薪から入った三条の米穀商と、創業10年目の株式会社米利商店
捧寅七氏は1952年4月、新潟県から主食の小売販売店として登録を得て、三条市で米穀商の米利商店を創業した。捧家はそれまで農家で、都市化の進行を受けて農業だけでは生計を保てないと判断したことが転業の理由である。最初に店頭に並べた商品は米ではなく、木炭や薪といった暖房用の燃料だった。創業の翌年に高校を卒業した息子の捧賢一氏は、1987年12月の時点で社長として会社を率いていた。主食の登録を得ながら燃料から商いを始めたのは、雪の多い三条で冬の暖房需要を確実に見込めたためと思われる。
- コメリ 有価証券報告書【沿革】(2026年3月期)
- [1]1952年4月、新潟県から小売主食販売店の登録を受け、初代社長捧寅七が三条で米穀商米利商店を創業
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- [2]1952年4月の創業前は農家。都市化で農業では暮らせないとみて転業し、まず木炭・薪の暖房燃料を販売。捧賢一は創業翌年に高校卒業、1987年12月の講演時は取締役社長
- [3]1952年4月の創業前は農家。都市化で農業では暮らせないとみて転業し、まず木炭・薪の暖房燃料を販売。捧賢一は創業翌年に高校卒業、1987年12月の講演時は取締役社長
- [4]1952年4月の創業前は農家。都市化で農業では暮らせないとみて転業し、まず木炭・薪の暖房燃料を販売。捧賢一は創業翌年に高校卒業、1987年12月の講演時は取締役社長
捧寅七氏は1962年7月2日、個人経営だった米利商店を改組し、株式会社米利商店とした。1994年の新規上場時の会社紹介は、この改組の目的を業容の拡大と説明している。上場の届出でも設立年月日は1962年7月2日とされ、法人としての起点はこの改組に置かれた。捧賢一氏は1987年12月の講演で、創業から改組、翌年の特約店契約までを会社の出発点として順に挙げた。個人の信用だけでは石油会社との特約店契約に臨みにくく、法人格の取得がその前提になったとみられる。
- コメリ 有価証券報告書【沿革】(2026年3月期)
- [5]1962年7月、個人商店を株式会社米利商店に組織変更して設立(設立日1962年7月2日)
- 証券 46(11)(548) 1994年11月号
- [6]業容の拡大を目指して1962年7月に株式会社米利商店へ組織変更。上場時の設立年月日は昭和37年7月2日
- [7]業容の拡大を目指して1962年7月に株式会社米利商店へ組織変更。上場時の設立年月日は昭和37年7月2日
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- [8]捧賢一の1987年12月の講演で、1952年創業・1962年7月の組織変更・1963年12月の特約店契約を順に説明
参考文献[1]-[8]
- コメリ 有価証券報告書【沿革】(2026年3月期)
- [1]1952年4月、新潟県から小売主食販売店の登録を受け、初代社長捧寅七が三条で米穀商米利商店を創業
- [5]1962年7月、個人商店を株式会社米利商店に組織変更して設立(設立日1962年7月2日)
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- [2]1952年4月の創業前は農家。都市化で農業では暮らせないとみて転業し、まず木炭・薪の暖房燃料を販売。捧賢一は創業翌年に高校卒業、1987年12月の講演時は取締役社長
- [3]1952年4月の創業前は農家。都市化で農業では暮らせないとみて転業し、まず木炭・薪の暖房燃料を販売。捧賢一は創業翌年に高校卒業、1987年12月の講演時は取締役社長
- [4]1952年4月の創業前は農家。都市化で農業では暮らせないとみて転業し、まず木炭・薪の暖房燃料を販売。捧賢一は創業翌年に高校卒業、1987年12月の講演時は取締役社長
- [8]捧賢一の1987年12月の講演で、1952年創業・1962年7月の組織変更・1963年12月の特約店契約を順に説明
- 証券 46(11)(548) 1994年11月号
- [6]業容の拡大を目指して1962年7月に株式会社米利商店へ組織変更。上場時の設立年月日は昭和37年7月2日
- [7]業容の拡大を目指して1962年7月に株式会社米利商店へ組織変更。上場時の設立年月日は昭和37年7月2日
1963年〜昭和石油瓦斯のLPガス特約店と、第一次オイルショックで決めたホームセンター参入
米利商店は1963年12月、昭和石油瓦斯とLPガスの特約店契約を結び、LPガスと石油の販売を始めた。契約の狙いは、燃料販売の営業規模の拡大。同じ時期にプロパンガスの販売に加え、住宅設備機器の販売と工事にも着手した。捧賢一氏は1987年の講演で、この契約によって燃料全般を扱う販売会社としての基盤ができたと振り返った。燃料を届けるだけでなく家庭の設備に手を入れる商いが、住まいの商品へ領域を広げる素地になったと考えられる。
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- [9]1963年12月、昭和石油瓦斯とLPガス特約店契約を締結しLPガス・石油販売を開始。総合的な燃料販売会社の地歩を固め、プロパンガス販売・住宅設備機器の販売と工事にも着手
- [11]1963年12月、昭和石油瓦斯とLPガス特約店契約を締結しLPガス・石油販売を開始。総合的な燃料販売会社の地歩を固め、プロパンガス販売・住宅設備機器の販売と工事にも着手
- [12]1963年12月、昭和石油瓦斯とLPガス特約店契約を締結しLPガス・石油販売を開始。総合的な燃料販売会社の地歩を固め、プロパンガス販売・住宅設備機器の販売と工事にも着手
- 証券 46(11)(548) 1994年11月号
- [10]1963年12月にLPガス・石油の販売を始め、燃料販売会社として営業規模の拡大を図った
米利商店は1967年11月、三条市東裏館に新社屋を建て、同じ敷地にガソリンスタンドとLPガススタンドを開設した。1963年に始めた石油とLPガスの小売を、本社と同じ場所で扱う拠点が整った。1974年3月には、LPガスを家庭へ配送する業務を専門に担う北星産業を子会社として設立した。捧賢一氏は1987年の講演で、北星産業をコメリグループの物流基地と位置づけた。北星産業はその後も連結子会社として残り、2026年3月期の有価証券報告書にも名が載っている。本社・給油所・配送子会社をそろえ、燃料を仕入れて売り、家庭まで届ける体制を自前で持ったのだろう。
- コメリ 有価証券報告書【沿革】(2026年3月期)
- [13]1967年11月、三条市東裏館に新社屋を竣工し、同地内にガソリンスタンド・LPガススタンドを開設。1974年3月に北星産業(現連結子会社)を設立
- [14]1967年11月、三条市東裏館に新社屋を竣工し、同地内にガソリンスタンド・LPガススタンドを開設。1974年3月に北星産業(現連結子会社)を設立
- [17]1967年11月、三条市東裏館に新社屋を竣工し、同地内にガソリンスタンド・LPガススタンドを開設。1974年3月に北星産業(現連結子会社)を設立
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- [15]1974年3月、LPガスの家庭用配送を専業とする子会社として北星産業を設立。グループの物流基地と位置づけ
- [16]1974年3月、LPガスの家庭用配送を専業とする子会社として北星産業を設立。グループの物流基地と位置づけ
1973年1月、社名を株式会社米利へ変更。1973年の第一次オイルショックの後、米利は燃料販売の先行きを見通せなくなったと判断し、新しい事業の検討に入った。捧賢一氏は燃料の販売だけでは経営を維持できないと考え、1987年時点で監査役を務める東洋大学名誉教授の川崎進一氏に相談した。川崎進一氏の助言を受けて訪米し、米国で大きな事業に育っていたホームセンターを現地で学んだ。参入の決定には、本社を置く三条市が国内でも有数の金物産地であることも働いた。家庭向けのLPガス配管工事や工業用の築炉で培った技術を、新しい業態に生かせるとも判断した。燃料の需要が揺らいだ局面で、地元の金物と自社の工事技術を組み合わせられる業態を選んだと推察される。
- コメリ 有価証券報告書【沿革】(2026年3月期)
- [18]1973年1月、商号を株式会社米利に変更
- 証券 46(11)(548) 1994年11月号
- [19]1973年の第一次オイルショックで燃料販売の運営に不透明感を強め新規事業を検討。日本有数の金物の産地・三条市にあることからホームセンター参入を決定
- [22]1973年の第一次オイルショックで燃料販売の運営に不透明感を強め新規事業を検討。日本有数の金物の産地・三条市にあることからホームセンター参入を決定
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- [20]石油ショックで燃料販売では経営が難しいと考え、監査役で東洋大名誉教授の川崎進一に相談。助言で訪米しホームセンターを学ぶ。LPガス配管工事・工業用築炉の技術を生かせる判断もあった
- [21]石油ショックで燃料販売では経営が難しいと考え、監査役で東洋大名誉教授の川崎進一に相談。助言で訪米しホームセンターを学ぶ。LPガス配管工事・工業用築炉の技術を生かせる判断もあった
- [23]石油ショックで燃料販売では経営が難しいと考え、監査役で東洋大名誉教授の川崎進一に相談。助言で訪米しホームセンターを学ぶ。LPガス配管工事・工業用築炉の技術を生かせる判断もあった
参考文献[9]-[23]
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- [9]1963年12月、昭和石油瓦斯とLPガス特約店契約を締結しLPガス・石油販売を開始。総合的な燃料販売会社の地歩を固め、プロパンガス販売・住宅設備機器の販売と工事にも着手
- [11]1963年12月、昭和石油瓦斯とLPガス特約店契約を締結しLPガス・石油販売を開始。総合的な燃料販売会社の地歩を固め、プロパンガス販売・住宅設備機器の販売と工事にも着手
- [12]1963年12月、昭和石油瓦斯とLPガス特約店契約を締結しLPガス・石油販売を開始。総合的な燃料販売会社の地歩を固め、プロパンガス販売・住宅設備機器の販売と工事にも着手
- [15]1974年3月、LPガスの家庭用配送を専業とする子会社として北星産業を設立。グループの物流基地と位置づけ
- [16]1974年3月、LPガスの家庭用配送を専業とする子会社として北星産業を設立。グループの物流基地と位置づけ
- [20]石油ショックで燃料販売では経営が難しいと考え、監査役で東洋大名誉教授の川崎進一に相談。助言で訪米しホームセンターを学ぶ。LPガス配管工事・工業用築炉の技術を生かせる判断もあった
- [21]石油ショックで燃料販売では経営が難しいと考え、監査役で東洋大名誉教授の川崎進一に相談。助言で訪米しホームセンターを学ぶ。LPガス配管工事・工業用築炉の技術を生かせる判断もあった
- [23]石油ショックで燃料販売では経営が難しいと考え、監査役で東洋大名誉教授の川崎進一に相談。助言で訪米しホームセンターを学ぶ。LPガス配管工事・工業用築炉の技術を生かせる判断もあった
- 証券 46(11)(548) 1994年11月号
- [10]1963年12月にLPガス・石油の販売を始め、燃料販売会社として営業規模の拡大を図った
- [19]1973年の第一次オイルショックで燃料販売の運営に不透明感を強め新規事業を検討。日本有数の金物の産地・三条市にあることからホームセンター参入を決定
- [22]1973年の第一次オイルショックで燃料販売の運営に不透明感を強め新規事業を検討。日本有数の金物の産地・三条市にあることからホームセンター参入を決定
- コメリ 有価証券報告書【沿革】(2026年3月期)
- [13]1967年11月、三条市東裏館に新社屋を竣工し、同地内にガソリンスタンド・LPガススタンドを開設。1974年3月に北星産業(現連結子会社)を設立
- [14]1967年11月、三条市東裏館に新社屋を竣工し、同地内にガソリンスタンド・LPガススタンドを開設。1974年3月に北星産業(現連結子会社)を設立
- [17]1967年11月、三条市東裏館に新社屋を竣工し、同地内にガソリンスタンド・LPガススタンドを開設。1974年3月に北星産業(現連結子会社)を設立
- [18]1973年1月、商号を株式会社米利に変更
出典・参考
3件
- コメリ 有価証券報告書【沿革】(2026年3月期)
- 証券アナリストジャーナル 26(1) 1988年1月号 捧賢一
- 証券 46(11)(548) 1994年11月号