スギホールディングス の歴史

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創業 1976年
創業者 杉浦広一
創業地 愛知県西尾市
創業
1976年12月、薬剤師の杉浦広一氏が愛知県西尾市で16坪ほどの『スギ薬局』を開業した。1974年に岐阜薬科大学を卒業して鬼頭天昌堂薬局へ入り、2年後26歳での独立である。妻の昭子氏も薬学部出身の薬剤師で、夫妻は医薬品・化粧品・日用品の販売と処方せん調剤を1店で併せ持つ形から始めた。開業当初は客が少なく、通常の薬局が置かない漢方薬を症状に合わせて調合した評判が口コミで広がり、店の経営が安定する。1982年3月に株式会社スギ薬局として法人化した。
決断
利益の薄い調剤を、店を出すたびに必ず付けてきた。1981年に渡米した杉浦広一氏は、広い売場で医薬品を売りながら処方せん窓口を併設する米国のドラッグストアを見て、院内処方から院外処方への転換が来ることを前提に業態を定めた。全店に薬剤師を置く方式では採用と定着がそのまま出店速度の上限になるため、2000年秋に保険調剤や在宅医療など4分野へ等級を設けた教育制度を全社導入し、売上高販管費比率を毎年2ポイント押し上げる費用を投じている。2000年6月の上場では調剤併設を全店の方針として掲げ、安さと売場面積を競う当時の業界とは別の道を取った。
現況
売上の4分の1を占める調剤が、店舗網の増やし方まで決めている。2026年2月期の連結売上高は1兆103億円と初めて1兆円を超え、営業利益486億円、親会社株主に帰属する当期純利益450億円を計上した。伸びを作ったのは調剤で、2024年9月に調剤薬局大手のI&H(阪神調剤グループ)を子会社化し、2025年2月期の調剤売上は2,183億円・前期比37.5%増、売上構成比は21.3%から24.9%へ上がっている。同期末の店舗数は2,186店、調剤併設率は79.9%だった。連結従業員数は2021年2月期の6,710名から2026年2月期の13,417名へ2倍になり、加わった薬剤師をどこへ置くかが出店の順序を決める。
競合
統合の相手を選ぶ側ではなく、選ばれる側に回ったことがある。2019年6月、スギホールディングスはココカラファインとの経営統合を協議したが、ココカラファインの特別委員会は比較検討の末に全会一致でマツモトキヨシを選び、協議は打ち切られた。物販の規模で並ぶ道が閉じたあと、この会社が数えたのは店の総数ではなく処方せんを受ける窓口だった。2024年のI&H取得で調剤薬局373店が一度に加わり、2026年2月期には単独で売上1兆円を超えている。首位はツルハがウエルシアと統合したことで3兆円規模へ動いており、物販の棚では規模の差が開く一方、調剤の窓口では差が詰まっている。
スギホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年2月期2026年2月期

創業ストーリー 西尾の1店舗から東海ドミナント戦略の確立まで (1976年〜)

薬剤師夫妻による調剤併設薬局の創業

1976年12月、薬剤師の杉浦広一氏が愛知県西尾市で『スギ薬局』を創業した[1]。広一氏は1950年生まれ、1974年に岐阜薬科大学を卒業して鬼頭天昌堂薬局に入社し[2]、そのわずか2年後、26歳での独立だった。妻・昭子氏も薬学部出身の薬剤師だった[3]。夫妻は自らの資格を足場に、医薬品・健康食品・化粧品・日用品の販売と処方せん調剤を1店舗で併せ持つ調剤併設型の小型店として出発した[4]。物販と処方せん調剤を一つの店で担う形は、この最初の1店からすでに定まっていた。

  • スギホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1976年12月 愛知県西尾市でスギ薬局を創業
  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [2]杉浦広一は1950年生まれ・1974年岐阜薬科大学卒・鬼頭天昌堂薬局に入社・26歳でスギ薬局を創業
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [3]妻・杉浦昭子も薬学部出身の薬剤師(副社長)
    • [4]経営理念は医薬品・健康食品・化粧品・日用品の販売および処方箋調剤を通じて、地域社会に貢献できる会社作りを目指すこと

西尾の1号店は16坪ほどの小さな店で、開業からしばらくは来客が少なく苦戦した[5]。杉浦氏は数少ない客をつなぎとめるため、通常の薬局が置かない漢方薬を客の症状に合わせて調合し、その評判が口コミで町に広がって店の経営を安定させた[6]。1981年に渡米した杉浦氏は、広い売場で医薬品を売りながら処方せん調剤の窓口を併設する大型ドラッグストア『ウォルグリーン』の伸びに触れ、これと同じ店を日本でも作るという目標を持ち帰った[7]。1店舗の調剤薬局から全店調剤併設のチェーンへ向かう構想は、この視察で具体的な姿を得た。

  • スギ薬局の歴史/杉浦広一(2017年)
    • [5]1976年の創業時は16坪の地元密着型の小さな薬局で、来客が少なく苦戦した
    • [6]通常の薬局が扱わない漢方薬を客のニーズに合わせて調合し、口コミで評判となって町の薬局としての経営が安定した
    • [7]1981年の渡米で調剤併設型の大型ドラッグストア「ウォルグリーン」の成長に接し、これが真のドラッグストアで日本にもつくりたいと決意した

当時の日本のドラッグストア業界は黎明期にあり、医薬品の値引きを制限する再販売価格維持制度と薬剤師の常駐義務という規制環境のもとで、薬局は地域密着の小規模経営が主流だった。そのなかで杉浦氏は『物販で薬を売るだけでなく医療に役立ちたい』[引用元]という思いから、創業当初より処方せん調剤を経営の柱に据えた[8]。1982年3月には愛知県西尾市で株式会社スギ薬局として法人格を取得し[9]、家族経営から組織的な事業運営へ移行した。全店で保険薬局の認可を取り、早くから『かかりつけ薬局』を目指すという創業以来のこだわりは、のちに同社が自ら第一の特徴として挙げるものになる[10]

  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [8]「物販で薬を売るだけでなく医療に役立ちたい」との思いから創業当初より処方せん調剤を経営の柱に据えた
  • スギホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1982年3月 愛知県西尾市に株式会社スギ薬局を設立(法人化)
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [10]「創業(1976年)以来、当社は調剤併設型DrgSというものに強いこだわりを持ち、全店で保険薬局という認可を得て早くから『かかりつけ薬局』を目指してきた」
  • スギホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1976年12月 愛知県西尾市でスギ薬局を創業
    • [9]1982年3月 愛知県西尾市に株式会社スギ薬局を設立(法人化)
  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [2]杉浦広一は1950年生まれ・1974年岐阜薬科大学卒・鬼頭天昌堂薬局に入社・26歳でスギ薬局を創業
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [3]妻・杉浦昭子も薬学部出身の薬剤師(副社長)
    • [4]経営理念は医薬品・健康食品・化粧品・日用品の販売および処方箋調剤を通じて、地域社会に貢献できる会社作りを目指すこと
    • [8]「物販で薬を売るだけでなく医療に役立ちたい」との思いから創業当初より処方せん調剤を経営の柱に据えた
  • スギ薬局の歴史/杉浦広一(2017年)
    • [5]1976年の創業時は16坪の地元密着型の小さな薬局で、来客が少なく苦戦した
    • [6]通常の薬局が扱わない漢方薬を客のニーズに合わせて調合し、口コミで評判となって町の薬局としての経営が安定した
    • [7]1981年の渡米で調剤併設型の大型ドラッグストア「ウォルグリーン」の成長に接し、これが真のドラッグストアで日本にもつくりたいと決意した
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [10]「創業(1976年)以来、当社は調剤併設型DrgSというものに強いこだわりを持ち、全店で保険薬局という認可を得て早くから『かかりつけ薬局』を目指してきた」

東海ドミナントと調剤併設型ドラッグストアの確立

多店舗化が本格化したのは、二号店を出した1988年である。以後、薬剤師を常駐させる調剤併設型ドラッグストアのチェーン展開を進め、平成に入ってからはほぼ年を追うごとに出店を重ねた[11]。出店の軸は、創業地である愛知を中心とする東海地方に置かれた。全店に薬剤師を置く業態では、採用と定着がそのまま出店速度の上限になる。杉浦氏は、薬剤師にとって働きやすい職場環境と本人たちが望む教育制度を構築したことが薬剤師確保の容易さと定着率の高さをもたらし、速い出店を可能にする要点になったと説明している[12]

  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [11]1988年に二号店を出店してチェーン化に着手し、以後 薬剤師常駐の調剤併設型ドラッグストアを多店舗展開(平成以降は年単位で出店拡大)
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [12]「薬剤師にとって働きやすい職場環境と彼らが望む教育制度をしっかり構築していることであり、このことが薬剤師の確保の容易さと定着率の高さをもたらし、高速出店を可能にするキーポイントにもなっている」

出店は単なる多店舗化ではなく、愛知・岐阜・三重の東海3県に店舗網を密に重ねるドミナント戦略を採った。一定の商圏に集中して店を構えることで、知名度やチラシ効果、在庫効率を高め、近隣店どうしで品目を融通し合える利点を生かす狙いがあった[13]。店舗はいずれも保険薬局の認可を受けた調剤併設型で、150坪前後の中型店から300坪級の大型店まで、地域特性に合わせて構えた[14]。出店の型は、人口2万人につき1店を目安とする130〜180坪の中型店を8割、郊外型の200〜300坪を1割、名古屋市を想定した70〜100坪の都心型を1割という配分で組み立てられていた[15]

  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [13]愛知・岐阜・三重の東海3県でドミナント出店(商圏集中で知名度・チラシ効果・在庫効率を高め、近隣店で品目を融通=面分業に不可欠)
  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [14]全店が保険薬局の認可を受けた調剤併設型で、店舗は150坪前後の中型店から300坪級の大型店まで
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [15]出店タイプは人口2万人(6千世帯)につき1店舗の割合をメドとした売場面積130〜180坪クラスの中型DrgSが8割、200〜300坪クラスの郊外型が1割、主に名古屋市を想定した70〜100坪クラスの都心型が1割

杉浦氏が見据えていたのは、院内処方から院外処方への転換、すなわち医薬分業の進展だった。院外へ出る処方せんはやがて急増すると読み、その受け皿となるべく全店調剤併設という業態を磨いた[16]。医薬分業が完成した米国では大手ドラッグストアの処方せん調剤が売上の5割以上を占めるのに対し、日本の1999年度の分業率は全国平均で35%程度にとどまり、物販中心の業態が主流だった[17]。杉浦氏は、その分業率が2005年に80%、処方せん10億枚・5兆円の市場になると見通していた[18]。利益の出にくい調剤をあえて主軸に据える選択は、安さと売場面積を競う当時の業界では異色であり、これが後の差別化の核となった。

  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [16]医薬分業の進展(処方せんの院外化)を見据え、全店調剤併設をその受け皿に位置づけた
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [17]米国では完全な医薬分業体制がとられ大手DrgSにおける処方せん調剤の売上構成比が50%以上に達する。日本では99年度の分業率が全国平均で34.8%程度とまだ低く、物販中心のDrgSが主流
    • [18]分業率が約35%の下で処方せん枚数は4億50百万枚・医療費額2兆1千億円だが、当社はこれらが2005年においては80%、10億枚、5兆円になるだろうと予測している
  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [11]1988年に二号店を出店してチェーン化に着手し、以後 薬剤師常駐の調剤併設型ドラッグストアを多店舗展開(平成以降は年単位で出店拡大)
    • [14]全店が保険薬局の認可を受けた調剤併設型で、店舗は150坪前後の中型店から300坪級の大型店まで
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [12]「薬剤師にとって働きやすい職場環境と彼らが望む教育制度をしっかり構築していることであり、このことが薬剤師の確保の容易さと定着率の高さをもたらし、高速出店を可能にするキーポイントにもなっている」
    • [15]出店タイプは人口2万人(6千世帯)につき1店舗の割合をメドとした売場面積130〜180坪クラスの中型DrgSが8割、200〜300坪クラスの郊外型が1割、主に名古屋市を想定した70〜100坪クラスの都心型が1割
    • [17]米国では完全な医薬分業体制がとられ大手DrgSにおける処方せん調剤の売上構成比が50%以上に達する。日本では99年度の分業率が全国平均で34.8%程度とまだ低く、物販中心のDrgSが主流
    • [18]分業率が約35%の下で処方せん枚数は4億50百万枚・医療費額2兆1千億円だが、当社はこれらが2005年においては80%、10億枚、5兆円になるだろうと予測している
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [13]愛知・岐阜・三重の東海3県でドミナント出店(商圏集中で知名度・チラシ効果・在庫効率を高め、近隣店で品目を融通=面分業に不可欠)
    • [16]医薬分業の進展(処方せんの院外化)を見据え、全店調剤併設をその受け皿に位置づけた

株式上場と『調剤で全国へ』の長期構想

業績は急拡大した。連結売上高は1996年度の88億円から2000年2月期には292億円へと3年間で3.3倍に伸び、同期の経常利益は19億円を計上した[19]。2000年時点で資本金は26億3283万円、従業員は406名、店舗は愛知・岐阜・三重を中心に93店舗を数えた[20]。売上のおよそ6割弱を医薬品・化粧品が占め、その粗利率は約75%に達していた[21]。背景には市場そのものの膨張があった。売場面積90坪以上に限ったドラッグストアの全国売上高は年間1兆4660億円、店舗数は3769店に達し、いずれも前年から3割前後伸びて、少数の上位企業が牽引する高成長が続いていた[22]。そのなかでスギ薬局は、規模こそ小さいものの伸び率では業界トップクラスに立っていた[23]

  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [19]連結売上高 1996年度88億円→2000年2月期292億円(3年で3.3倍)・経常利益19億円
    • [20]2000年時点で資本金26億3283万円・従業員406名・店舗93店舗
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [21]売上の6割弱を医薬品・化粧品が占め、その粗利率は約75%
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [22]売場面積90坪以上のドラッグストアの全国売上高は年間1兆4,660億円(前年比31.0%増)、店舗数は3,769店舗(同26.2%増)(資料「DrgS名鑑2001」)
    • [23]当社も3年間で売上規模を3.3倍に増やし、規模は小さいものの、伸び率に関しては業界トップクラスに立っている

2000年6月、スギ薬局は大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に株式を上場した[24]。発足したばかりの新興企業向け市場での公開であり、同社は中期計画として2005年2月期に東海3県で(処方せん調剤を除く)売上高1000億円・300店を掲げ、全店に薬剤師を常駐させる調剤併設の方針を継続するとした[25]。次期は売上高390億円を計画していた[26]。上場は財務も厚くし、2000年8月の中間期末には株主資本比率が49.7%に達している[27]。同じ年にはジャスコとの資本業務提携によりイオングループのショッピングセンター内に売場200坪型の菰野店・各務原店を出した[28]

  • スギホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2000年6月 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に株式を上場
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [25]中期計画として2005年2月期に東海3県で(処方せん調剤を除く)売上高1000億円・300店を掲げ、全店に薬剤師を常駐させる方針を継続
  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [26]次期(2001年2月期)は売上高390億円を計画
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [27]上場により2001年2月期中間期末の株主資本比率は49.7%となった
    • [28]イオングループ(ジャスコとの資本業務提携)のショッピングセンター内に売場面積200坪タイプの菰野店・各務原店を出店

翌2001年8月には東京証券取引所市場第一部および名古屋証券取引所市場第一部へ同時上場し[29]、新興市場への公開からわずか1年余りで本格上場を果たした。利益の薄い調剤をあえて全店に併設する業態は当時のアナリストに懐疑的に見られることもあったが、杉浦氏は調剤併設型ドラッグストアを『日本初のビジネスモデル』と位置づけ、東海ドミナントを足場に西日本へ出店を広げる全国チェーン化の意思を明確にしていた[30]。調剤の採算性を問われた杉浦氏は、調剤は医療の重要な部分であって基本的にはサービスとみるべきもので、採算性を前面に出すものではないと答えている[31]。5年後に300店・売上1000億円、10年後に1000店・売上3500億円という長期ビジョンも、この時点で示されていた[32]

  • スギホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [29]2001年8月 東京証券取引所市場第一部・名古屋証券取引所市場第一部に同時上場
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [30]調剤併設型ドラッグストアを「日本初のビジネスモデル」と位置づけ、西日本への出店強化で全国チェーン化を志向
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [31]質疑応答で杉浦広一は「調剤は医療の重要な部分であり、基本的にはサービスとしてみるべきであって、採算性を前面に出すものではない」と答えた
    • [32]長期ビジョンとして5年後に300店舗・売上1,000億円(調剤売上を除く)、10年後に1,000店舗・売上3,500億円を掲げた
  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
    • [19]連結売上高 1996年度88億円→2000年2月期292億円(3年で3.3倍)・経常利益19億円
    • [20]2000年時点で資本金26億3283万円・従業員406名・店舗93店舗
    • [26]次期(2001年2月期)は売上高390億円を計画
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
    • [21]売上の6割弱を医薬品・化粧品が占め、その粗利率は約75%
    • [25]中期計画として2005年2月期に東海3県で(処方せん調剤を除く)売上高1000億円・300店を掲げ、全店に薬剤師を常駐させる方針を継続
    • [30]調剤併設型ドラッグストアを「日本初のビジネスモデル」と位置づけ、西日本への出店強化で全国チェーン化を志向
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
    • [22]売場面積90坪以上のドラッグストアの全国売上高は年間1兆4,660億円(前年比31.0%増)、店舗数は3,769店舗(同26.2%増)(資料「DrgS名鑑2001」)
    • [23]当社も3年間で売上規模を3.3倍に増やし、規模は小さいものの、伸び率に関しては業界トップクラスに立っている
    • [27]上場により2001年2月期中間期末の株主資本比率は49.7%となった
    • [28]イオングループ(ジャスコとの資本業務提携)のショッピングセンター内に売場面積200坪タイプの菰野店・各務原店を出店
    • [31]質疑応答で杉浦広一は「調剤は医療の重要な部分であり、基本的にはサービスとしてみるべきであって、採算性を前面に出すものではない」と答えた
    • [32]長期ビジョンとして5年後に300店舗・売上1,000億円(調剤売上を除く)、10年後に1,000店舗・売上3,500億円を掲げた
  • スギホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2000年6月 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に株式を上場
    • [29]2001年8月 東京証券取引所市場第一部・名古屋証券取引所市場第一部に同時上場

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スギホールディングスの沿革1976〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1976〜2000年西尾の1店舗から東海ドミナント戦略の確立までスギ薬局を創業
杉浦広一スギ薬局を設立
杉浦広一本社を西尾市から移転
杉浦広一スギ薬局日進物流センターが稼動
杉浦広一大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に株式を上場
杉浦広一安売りによらない調剤併設ドラッグストアへの業態転換

2000年6月の株式上場を機に、スギ薬局が利益の薄い処方箋調剤を全店に併せ持つ調剤併設型を主軸と定め、東海のドミナントを足場に全国チェーン化を掲げた経営判断。安さと売場面積を競う当時のドラッグストア業界で、あえて調剤を差別化の核に据えた。

詳細を読む
★★★
2001〜2020年M&Aによる関東進出と持株会社体制への転換杉浦広一関西エリア第1号店として瀬田店(155号店)を開設
杉浦広一ジャパンの株式を50.1%取得し子会社化★★
杉浦広一ジャパンを株式交換により完全子会社化
杉浦広一新設分割により持株会社体制に移行★★
桝田直スギ薬局とジャパンが会社統合
桝田直「大府センター」を開設
桝田直北陸エリア第1号店として敦賀櫛林店(1189号店)を開設
榊原栄一メドピアと資本業務提携契約を締結
榊原栄一スギホールディングスとココカラファインの経営統合協議(2019年破談)

2019年、スギホールディングスがココカラファインに経営統合を申し入れたが、ココカラが特別委員会の検討を経てマツモトキヨシHDを統合相手に選び、基本合意書の締結に至らず協議が終了した案件。

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★★★
榊原栄一HMAを完全子会社化
2021〜2025年二代目・杉浦克典社長体制とI&H買収による調剤事業の急拡大杉浦克典日本ホスピスHDと資本業務提携契約締結
杉浦克典薬日本堂を完全子会社化
杉浦克典調剤薬局大手I&H(阪神調剤グループ)の買収による調剤事業の急拡大

2024年、スギホールディングスは兵庫県芦屋市の調剤薬局大手I&H(阪神調剤グループ)を子会社化した。2007年のジャパン買収以来17年ぶりの大型M&Aであり、創業以来の調剤軸を、自前の出店から大型買収へと手を広げて一気に拡大した経営判断である。

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★★★
杉浦克典スギHDとトライアルHDが包括的協業を開始★★
出典・参考
  • スギホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 38(8)(日本証券アナリスト協会, 2000年8月・杉浦広一発言)
  • 証券アナリストジャーナル 38(11)(日本証券アナリスト協会, 2000年11月・杉浦広一発言)
  • 中部財界 43(9)(中部財界社, 2000年9月)
  • スギ薬局の歴史/杉浦広一(2017年)

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