1976年12月、薬剤師の杉浦広一氏が愛知県西尾市で『スギ薬局』を創業した[1]。広一氏は1950年生まれ、1974年に岐阜薬科大学を卒業して鬼頭天昌堂薬局に入社し[2]、そのわずか2年後、26歳での独立だった。妻・昭子氏も薬学部出身の薬剤師だった[3]。夫妻は自らの資格を足場に、医薬品・健康食品・化粧品・日用品の販売と処方せん調剤を1店舗で併せ持つ調剤併設型の小型店として出発した[4]。物販と処方せん調剤を一つの店で担う形は、この最初の1店からすでに定まっていた。
西尾の1号店は16坪ほどの小さな店で、開業からしばらくは来客が少なく苦戦した[5]。杉浦氏は数少ない客をつなぎとめるため、通常の薬局が置かない漢方薬を客の症状に合わせて調合し、その評判が口コミで町に広がって店の経営を安定させた[6]。1981年に渡米した杉浦氏は、広い売場で医薬品を売りながら処方せん調剤の窓口を併設する大型ドラッグストア『ウォルグリーン』の伸びに触れ、これと同じ店を日本でも作るという目標を持ち帰った[7]。1店舗の調剤薬局から全店調剤併設のチェーンへ向かう構想は、この視察で具体的な姿を得た。
当時の日本のドラッグストア業界は黎明期にあり、医薬品の値引きを制限する再販売価格維持制度と薬剤師の常駐義務という規制環境のもとで、薬局は地域密着の小規模経営が主流だった。そのなかで杉浦氏は『物販で薬を売るだけでなく医療に役立ちたい』[引用元]という思いから、創業当初より処方せん調剤を経営の柱に据えた[8]。1982年3月には愛知県西尾市で株式会社スギ薬局として法人格を取得し[9]、家族経営から組織的な事業運営へ移行した。全店で保険薬局の認可を取り、早くから『かかりつけ薬局』を目指すという創業以来のこだわりは、のちに同社が自ら第一の特徴として挙げるものになる[10]。
多店舗化が本格化したのは、二号店を出した1988年である。以後、薬剤師を常駐させる調剤併設型ドラッグストアのチェーン展開を進め、平成に入ってからはほぼ年を追うごとに出店を重ねた[11]。出店の軸は、創業地である愛知を中心とする東海地方に置かれた。全店に薬剤師を置く業態では、採用と定着がそのまま出店速度の上限になる。杉浦氏は、薬剤師にとって働きやすい職場環境と本人たちが望む教育制度を構築したことが薬剤師確保の容易さと定着率の高さをもたらし、速い出店を可能にする要点になったと説明している[12]。
出店は単なる多店舗化ではなく、愛知・岐阜・三重の東海3県に店舗網を密に重ねるドミナント戦略を採った。一定の商圏に集中して店を構えることで、知名度やチラシ効果、在庫効率を高め、近隣店どうしで品目を融通し合える利点を生かす狙いがあった[13]。店舗はいずれも保険薬局の認可を受けた調剤併設型で、150坪前後の中型店から300坪級の大型店まで、地域特性に合わせて構えた[14]。出店の型は、人口2万人につき1店を目安とする130〜180坪の中型店を8割、郊外型の200〜300坪を1割、名古屋市を想定した70〜100坪の都心型を1割という配分で組み立てられていた[15]。
杉浦氏が見据えていたのは、院内処方から院外処方への転換、すなわち医薬分業の進展だった。院外へ出る処方せんはやがて急増すると読み、その受け皿となるべく全店調剤併設という業態を磨いた[16]。医薬分業が完成した米国では大手ドラッグストアの処方せん調剤が売上の5割以上を占めるのに対し、日本の1999年度の分業率は全国平均で35%程度にとどまり、物販中心の業態が主流だった[17]。杉浦氏は、その分業率が2005年に80%、処方せん10億枚・5兆円の市場になると見通していた[18]。利益の出にくい調剤をあえて主軸に据える選択は、安さと売場面積を競う当時の業界では異色であり、これが後の差別化の核となった。
業績は急拡大した。連結売上高は1996年度の88億円から2000年2月期には292億円へと3年間で3.3倍に伸び、同期の経常利益は19億円を計上した[19]。2000年時点で資本金は26億3283万円、従業員は406名、店舗は愛知・岐阜・三重を中心に93店舗を数えた[20]。売上のおよそ6割弱を医薬品・化粧品が占め、その粗利率は約75%に達していた[21]。背景には市場そのものの膨張があった。売場面積90坪以上に限ったドラッグストアの全国売上高は年間1兆4660億円、店舗数は3769店に達し、いずれも前年から3割前後伸びて、少数の上位企業が牽引する高成長が続いていた[22]。そのなかでスギ薬局は、規模こそ小さいものの伸び率では業界トップクラスに立っていた[23]。
2000年6月、スギ薬局は大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に株式を上場した[24]。発足したばかりの新興企業向け市場での公開であり、同社は中期計画として2005年2月期に東海3県で(処方せん調剤を除く)売上高1000億円・300店を掲げ、全店に薬剤師を常駐させる調剤併設の方針を継続するとした[25]。次期は売上高390億円を計画していた[26]。上場は財務も厚くし、2000年8月の中間期末には株主資本比率が49.7%に達している[27]。同じ年にはジャスコとの資本業務提携によりイオングループのショッピングセンター内に売場200坪型の菰野店・各務原店を出した[28]。
翌2001年8月には東京証券取引所市場第一部および名古屋証券取引所市場第一部へ同時上場し[29]、新興市場への公開からわずか1年余りで本格上場を果たした。利益の薄い調剤をあえて全店に併設する業態は当時のアナリストに懐疑的に見られることもあったが、杉浦氏は調剤併設型ドラッグストアを『日本初のビジネスモデル』と位置づけ、東海ドミナントを足場に西日本へ出店を広げる全国チェーン化の意思を明確にしていた[30]。調剤の採算性を問われた杉浦氏は、調剤は医療の重要な部分であって基本的にはサービスとみるべきもので、採算性を前面に出すものではないと答えている[31]。5年後に300店・売上1000億円、10年後に1000店・売上3500億円という長期ビジョンも、この時点で示されていた[32]。
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|---|---|---|---|---|
| 1976〜2000年西尾の1店舗から東海ドミナント戦略の確立まで | スギ薬局を創業 | ★ | ||
| 杉浦広一 | スギ薬局を設立 | ★ | ||
| 杉浦広一 | 本社を西尾市から移転 | ★ | ||
| 杉浦広一 | スギ薬局日進物流センターが稼動 | ★ | ||
| 杉浦広一 | 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に株式を上場 | ★ | ||
| 杉浦広一 | 安売りによらない調剤併設ドラッグストアへの業態転換 2000年6月の株式上場を機に、スギ薬局が利益の薄い処方箋調剤を全店に併せ持つ調剤併設型を主軸と定め、東海のドミナントを足場に全国チェーン化を掲げた経営判断。安さと売場面積を競う当時のドラッグストア業界で、あえて調剤を差別化の核に据えた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2001〜2020年M&Aによる関東進出と持株会社体制への転換 | 杉浦広一 | 関西エリア第1号店として瀬田店(155号店)を開設 | ★ | |
| 杉浦広一 | ジャパンの株式を50.1%取得し子会社化 | ★★ | ||
| 杉浦広一 | ジャパンを株式交換により完全子会社化 | ★ | ||
| 杉浦広一 | 新設分割により持株会社体制に移行 | ★★ | ||
| 桝田直 | スギ薬局とジャパンが会社統合 | ★ | ||
| 桝田直 | 「大府センター」を開設 | ★ | ||
| 桝田直 | 北陸エリア第1号店として敦賀櫛林店(1189号店)を開設 | ★ | ||
| 榊原栄一 | メドピアと資本業務提携契約を締結 | ★ | ||
| 榊原栄一 | スギホールディングスとココカラファインの経営統合協議(2019年破談) 2019年、スギホールディングスがココカラファインに経営統合を申し入れたが、ココカラが特別委員会の検討を経てマツモトキヨシHDを統合相手に選び、基本合意書の締結に至らず協議が終了した案件。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 榊原栄一 | HMAを完全子会社化 | ★ | ||
| 2021〜2025年二代目・杉浦克典社長体制とI&H買収による調剤事業の急拡大 | 杉浦克典 | 日本ホスピスHDと資本業務提携契約締結 | ★ | |
| 杉浦克典 | 薬日本堂を完全子会社化 | ★ | ||
| 杉浦克典 | 調剤薬局大手I&H(阪神調剤グループ)の買収による調剤事業の急拡大 2024年、スギホールディングスは兵庫県芦屋市の調剤薬局大手I&H(阪神調剤グループ)を子会社化した。2007年のジャパン買収以来17年ぶりの大型M&Aであり、創業以来の調剤軸を、自前の出店から大型買収へと手を広げて一気に拡大した経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 杉浦克典 | スギHDとトライアルHDが包括的協業を開始 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(スギホールディングス)