西松屋チェーン:茂理満氏・茂理佳弘氏の「赤ちゃんの西松屋」創業と子供服への拡大
1956年〜宮詣り衣装と出産準備品の大手前通り店と、資本金110万円の赤ちゃんの西松屋
1956年10月3日、茂理満氏と息子の茂理佳弘氏は兵庫県姫路市本町に「赤ちゃんの西松屋株式会社」を設立した。資本金は1,100千円で、最初の店舗は大手前通り店。店で扱う品は、宮詣りの衣装と出産準備品の2つに絞った。茂理佳弘氏はのちに社長を務め、1999年11月の東証2部上場時の会社紹介でも、姫路市での創業者として紹介された。大手前通り店は1997年11月の廃止まで41年にわたって営業した。誕生の節目に家族が一度は必ず揃える支度品に絞れば、品数の少ない小さな店でも客を確実に得られるという計算があったとみられる。
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- [1]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- [2]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- [3]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- [5]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- 証券 52(1)(610) 2000年1月号
- [4]設立年月日は昭和31年10月3日。茂理佳弘(1999年上場時の代表取締役社長)が姫路市で設立
1959年3月、赤ちゃんの西松屋は商号を「株式会社西松屋ストアー」に改めた。設立から2年5か月で、社名から「赤ちゃんの」の語を外したことになる。この商号は1979年8月に「株式会社西松屋チエーン」へ改めるまで、20年あまり使われた。茂理佳弘氏は1999年の上場時、経営理念として『店はお客様の為にある』を掲げた。あわせて、ベビーと子供の普段の暮らしに要る品を安く便利に提供する方針を示した。出産の支度という一度きりの需要から、日々の暮らしで繰り返し生じる需要へ扱いを移す方向が、1959年の改称の時点で社名に表れたと推察される。
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- [6]1959年3月に株式会社西松屋ストアーへ商号変更、1979年8月に株式会社西松屋チエーンへ商号変更
- [7]1959年3月に株式会社西松屋ストアーへ商号変更、1979年8月に株式会社西松屋チエーンへ商号変更
- [8]1959年3月に株式会社西松屋ストアーへ商号変更、1979年8月に株式会社西松屋チエーンへ商号変更
- 証券 52(1)(610) 2000年1月号
- [9]経営理念は「店はお客様の為にある」、コンセプトはベビーと子供達の普段のくらし(1999年上場時の社長あいさつ)
- [10]経営理念は「店はお客様の為にある」、コンセプトはベビーと子供達の普段のくらし(1999年上場時の社長あいさつ)
参考文献[1]-[10]
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- [1]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- [2]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- [3]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- [5]1956年10月、茂理満と茂理佳弘が宮詣り衣装・出産準備品を扱う赤ちゃんの西松屋株式会社を設立し大手前通り店を出店(資本金1,100千円、姫路市本町、1997年11月廃止)
- [6]1959年3月に株式会社西松屋ストアーへ商号変更、1979年8月に株式会社西松屋チエーンへ商号変更
- [7]1959年3月に株式会社西松屋ストアーへ商号変更、1979年8月に株式会社西松屋チエーンへ商号変更
- [8]1959年3月に株式会社西松屋ストアーへ商号変更、1979年8月に株式会社西松屋チエーンへ商号変更
- 証券 52(1)(610) 2000年1月号
- [4]設立年月日は昭和31年10月3日。茂理佳弘(1999年上場時の代表取締役社長)が姫路市で設立
- [9]経営理念は「店はお客様の為にある」、コンセプトはベビーと子供達の普段のくらし(1999年上場時の社長あいさつ)
- [10]経営理念は「店はお客様の為にある」、コンセプトはベビーと子供達の普段のくらし(1999年上場時の社長あいさつ)
1965年〜子供服を加えた紺屋町店と、大阪市への初出店
1965年10月、西松屋ストアーは事業目的に子供服の販売を追加した。同じ時期に姫路市紺屋町へ出店し、本部事務所も紺屋町へ移転。茂理佳弘氏は1997年、子供の成長が速く、今年の衣料を翌年には着られない点を子供用品の特徴に挙げた。例は、3歳児の秋物衣料が4歳の秋には着られないというものである。同じ1997年、茂理佳弘氏は3年後の売上構成の見込みを子供衣料38.7%、ベビー・マタニティー衣料19%と示した。出産準備で得た家族を、成長のたびに買い替えが生じる子供服で数年にわたり客にとどめようと考えたのだろう。
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- [11]1965年10月、子供服の販売を事業目的に加え姫路市紺屋町に出店、あわせて本部事務所を移転
- [12]1965年10月、子供服の販売を事業目的に加え姫路市紺屋町に出店、あわせて本部事務所を移転
- 証券アナリストジャーナル 35(8) 1997年8月号 別冊付録(1997年7月23日・大阪)
- [13]子供の成長が早く今年の子供用衣料は来年着られない(3歳児の秋物は4歳の秋に着られない)。3年後の構成比見込みは子供衣料38.7%、育児服飾雑貨42.1%、ベビー・マタニティー衣料19%
- [14]子供の成長が早く今年の子供用衣料は来年着られない(3歳児の秋物は4歳の秋に着られない)。3年後の構成比見込みは子供衣料38.7%、育児服飾雑貨42.1%、ベビー・マタニティー衣料19%
- [15]子供の成長が早く今年の子供用衣料は来年着られない(3歳児の秋物は4歳の秋に着られない)。3年後の構成比見込みは子供衣料38.7%、育児服飾雑貨42.1%、ベビー・マタニティー衣料19%
1971年11月、西松屋ストアーは大阪府大阪市に出店した。設立から15年間、沿革に載る店舗はすべて姫路市内にあり、大阪市の店は初めての県外店舗だった。大阪では1985年11月にも仕入活動を強化するため、大阪事業部の事務所を大阪市北区芝田に開設した。茂理佳弘氏が1997年に指摘したのは、量販店の子供用品売場が一時的に広がっても時間がたつと元の広さに戻るという点である。理由には、サイズと色柄の多さに比べて単価が低く、在庫の管理が難しい点を挙げた。総合の量販店が力を入れにくい品目だったことが、姫路の専門店にとって人口の多い大阪で客を獲得する余地になったと思われる。
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- [16]1971年11月に大阪府大阪市に出店。1985年11月、仕入活動強化のため大阪市北区芝田に大阪事業部事務所を開設
- [17]1971年11月に大阪府大阪市に出店。1985年11月、仕入活動強化のため大阪市北区芝田に大阪事業部事務所を開設
- [18]1971年11月に大阪府大阪市に出店。1985年11月、仕入活動強化のため大阪市北区芝田に大阪事業部事務所を開設
- 証券アナリストジャーナル 35(8) 1997年8月号 別冊付録(1997年7月23日・大阪)
- [19]量販店の子供用品売場は一時的に広がっても元に戻る。子供モノはサイズ・色柄が多く単価が低く管理が難しいため
- [20]量販店の子供用品売場は一時的に広がっても元に戻る。子供モノはサイズ・色柄が多く単価が低く管理が難しいため
1972年4月、西松屋ストアーは本部事務所の規模を拡大するため、姫路市二階町に出店して本部事務所を同時に移した。紺屋町への本部移転から6年半後で、大阪市への出店の5か月後にあたる。二階町の店は1994年10月に廃止された。茂理佳弘氏によれば、1994年ごろの本部は姫路に、商品部は新大阪に、配送センターは伊丹にあった。当時は各店が補充発注をしており、のちに商品部の一括発注と本部での単品管理に切り替えて利益が出るようになった。1972年の本部拡張は、店舗が増えるにつれて本部に仕事を寄せていく体制づくりの起点だったと考えられる。
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- [21]1972年4月、本部事務所規模拡大のため姫路市二階町に出店(1994年10月廃止)し同時に本部事務所を移転
- [22]1972年4月、本部事務所規模拡大のため姫路市二階町に出店(1994年10月廃止)し同時に本部事務所を移転
- [23]1972年4月、本部事務所規模拡大のため姫路市二階町に出店(1994年10月廃止)し同時に本部事務所を移転
- 証券アナリストジャーナル 35(8) 1997年8月号 別冊付録(1997年7月23日・大阪)
- [24]1994年ごろ本部は姫路、商品部は新大阪、配送センターは伊丹。各店の補充発注を商品部に集約し本部で全商品の単品管理を始めて利益が出るようになった
- [25]1994年ごろ本部は姫路、商品部は新大阪、配送センターは伊丹。各店の補充発注を商品部に集約し本部で全商品の単品管理を始めて利益が出るようになった
参考文献[11]-[25]
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- [11]1965年10月、子供服の販売を事業目的に加え姫路市紺屋町に出店、あわせて本部事務所を移転
- [12]1965年10月、子供服の販売を事業目的に加え姫路市紺屋町に出店、あわせて本部事務所を移転
- [16]1971年11月に大阪府大阪市に出店。1985年11月、仕入活動強化のため大阪市北区芝田に大阪事業部事務所を開設
- [17]1971年11月に大阪府大阪市に出店。1985年11月、仕入活動強化のため大阪市北区芝田に大阪事業部事務所を開設
- [18]1971年11月に大阪府大阪市に出店。1985年11月、仕入活動強化のため大阪市北区芝田に大阪事業部事務所を開設
- [21]1972年4月、本部事務所規模拡大のため姫路市二階町に出店(1994年10月廃止)し同時に本部事務所を移転
- [22]1972年4月、本部事務所規模拡大のため姫路市二階町に出店(1994年10月廃止)し同時に本部事務所を移転
- [23]1972年4月、本部事務所規模拡大のため姫路市二階町に出店(1994年10月廃止)し同時に本部事務所を移転
- 証券アナリストジャーナル 35(8) 1997年8月号 別冊付録(1997年7月23日・大阪)
- [13]子供の成長が早く今年の子供用衣料は来年着られない(3歳児の秋物は4歳の秋に着られない)。3年後の構成比見込みは子供衣料38.7%、育児服飾雑貨42.1%、ベビー・マタニティー衣料19%
- [14]子供の成長が早く今年の子供用衣料は来年着られない(3歳児の秋物は4歳の秋に着られない)。3年後の構成比見込みは子供衣料38.7%、育児服飾雑貨42.1%、ベビー・マタニティー衣料19%
- [15]子供の成長が早く今年の子供用衣料は来年着られない(3歳児の秋物は4歳の秋に着られない)。3年後の構成比見込みは子供衣料38.7%、育児服飾雑貨42.1%、ベビー・マタニティー衣料19%
- [19]量販店の子供用品売場は一時的に広がっても元に戻る。子供モノはサイズ・色柄が多く単価が低く管理が難しいため
- [20]量販店の子供用品売場は一時的に広がっても元に戻る。子供モノはサイズ・色柄が多く単価が低く管理が難しいため
- [24]1994年ごろ本部は姫路、商品部は新大阪、配送センターは伊丹。各店の補充発注を商品部に集約し本部で全商品の単品管理を始めて利益が出るようになった
- [25]1994年ごろ本部は姫路、商品部は新大阪、配送センターは伊丹。各店の補充発注を商品部に集約し本部で全商品の単品管理を始めて利益が出るようになった
出典・参考
3件
- 有価証券報告書 第70期(2026年2月期)【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 35(8) 1997年8月号 別冊付録(1997年7月23日・大阪)
- 証券 52(1)(610) 2000年1月号