松田産業:竹善商事の設立と魚肉すりみの取扱開始
1951年〜松田商店を組織変更した竹善商事と、中野の卵白・練馬の金属製錬に分けた二つの会社
松田産業の起点は1935年(昭和10年)の創業にある。1951年6月、松田商店を組織変更して竹善商事株式会社を設立した。竹善商事は現在の松田産業の形式上の存続会社にあたり、1979年3月に商号を豊洋物産に改めた。事業の実体を継ぐ実質上の存続会社は、1978年9月に東京都練馬区で設立したマツダ貴金属工業である。マツダ貴金属工業は1992年(平成4年)に食品材料の旧松田産業や製錬のマツダメタル工業を吸収合併し、グループの各社を1社に統合。1995年に社長の松田洋氏は、創業から60年の歩みを、資源と環境の課題を事業に結び付けてきた発展と総括した。戦後に取引先が広がるのを前に、商店の信用を法人へ移し、株式会社として取引先と契約できるようにしたものと思われる。
- 証券アナリストジャーナル 1995年9月 別冊付録 松田産業(社長・松田洋氏)
- [1]創業は昭和10年。平成4年に旧松田産業(食品材料)・マツダメタル工業(貴金属製錬・産廃処理)・マツダプロセシングを吸収合併しグループを統合。創業以来60年、地球の資源・環境問題を事業に結び付けて発展したと総括
- [5]創業は昭和10年。平成4年に旧松田産業(食品材料)・マツダメタル工業(貴金属製錬・産廃処理)・マツダプロセシングを吸収合併しグループを統合。創業以来60年、地球の資源・環境問題を事業に結び付けて発展したと総括
- [6]創業は昭和10年。平成4年に旧松田産業(食品材料)・マツダメタル工業(貴金属製錬・産廃処理)・マツダプロセシングを吸収合併しグループを統合。創業以来60年、地球の資源・環境問題を事業に結び付けて発展したと総括
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- [2]1951年6月 松田商店を組織変更し竹善商事を設立(形式上の存続会社)。1979年3月 豊洋物産に商号変更。1978年9月 マツダ貴金属工業(実質上の存続会社)を練馬区に設立
- [3]1951年6月 松田商店を組織変更し竹善商事を設立(形式上の存続会社)。1979年3月 豊洋物産に商号変更。1978年9月 マツダ貴金属工業(実質上の存続会社)を練馬区に設立
- [4]1951年6月 松田商店を組織変更し竹善商事を設立(形式上の存続会社)。1979年3月 豊洋物産に商号変更。1978年9月 マツダ貴金属工業(実質上の存続会社)を練馬区に設立
1956年5月、卵白の販売を目的とする株式会社松田商店を東京都中野区に設立した。翌1957年5月には、金属の製錬と販売を目的とする同名の株式会社松田商店も東京都練馬区に設立。中野の会社がのちの旧松田産業、練馬の会社がのちのマツダメタル工業にあたる。食品の事業は鶏卵から始まり、良質なタンパク質を供給することを軸に据えた。1995年、社長の松田洋氏は食品・貴金属・環境の3事業を持つ自社を『異種混成型の企業』と呼んだ。松田洋氏は、安定性の高い食品と発展性のある貴金属を併せ持つことを、景気に左右されずに売上を増やしてきた理由に挙げた。卵白の得意先と製錬の取引相手は業種も設備も異なるため、事業ごとに会社を分けて管理の単位を切り分けたと考えられる。
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- [7]1956年5月 卵白販売の㈱松田商店(旧・松田産業)を中野区に、1957年5月 金属製錬・販売の㈱松田商店(旧・マツダメタル工業)を練馬区に設立
- [8]1956年5月 卵白販売の㈱松田商店(旧・松田産業)を中野区に、1957年5月 金属製錬・販売の㈱松田商店(旧・マツダメタル工業)を練馬区に設立
- [9]1956年5月 卵白販売の㈱松田商店(旧・松田産業)を中野区に、1957年5月 金属製錬・販売の㈱松田商店(旧・マツダメタル工業)を練馬区に設立
- 証券アナリストジャーナル 1995年9月 別冊付録 松田産業(社長・松田洋氏)
- [10]食品事業は鶏卵に始まり良質なタンパク質の供給が軸。食品・貴金属・環境の3事業を持つ「異種混成型の企業」で、食品の安定性と貴金属の発展性を安定成長の理由に挙げる
- [11]食品事業は鶏卵に始まり良質なタンパク質の供給が軸。食品・貴金属・環境の3事業を持つ「異種混成型の企業」で、食品の安定性と貴金属の発展性を安定成長の理由に挙げる
- [12]食品事業は鶏卵に始まり良質なタンパク質の供給が軸。食品・貴金属・環境の3事業を持つ「異種混成型の企業」で、食品の安定性と貴金属の発展性を安定成長の理由に挙げる
参考文献[1]-[12]
- 証券アナリストジャーナル 1995年9月 別冊付録 松田産業(社長・松田洋氏)
- [1]創業は昭和10年。平成4年に旧松田産業(食品材料)・マツダメタル工業(貴金属製錬・産廃処理)・マツダプロセシングを吸収合併しグループを統合。創業以来60年、地球の資源・環境問題を事業に結び付けて発展したと総括
- [5]創業は昭和10年。平成4年に旧松田産業(食品材料)・マツダメタル工業(貴金属製錬・産廃処理)・マツダプロセシングを吸収合併しグループを統合。創業以来60年、地球の資源・環境問題を事業に結び付けて発展したと総括
- [6]創業は昭和10年。平成4年に旧松田産業(食品材料)・マツダメタル工業(貴金属製錬・産廃処理)・マツダプロセシングを吸収合併しグループを統合。創業以来60年、地球の資源・環境問題を事業に結び付けて発展したと総括
- [10]食品事業は鶏卵に始まり良質なタンパク質の供給が軸。食品・貴金属・環境の3事業を持つ「異種混成型の企業」で、食品の安定性と貴金属の発展性を安定成長の理由に挙げる
- [11]食品事業は鶏卵に始まり良質なタンパク質の供給が軸。食品・貴金属・環境の3事業を持つ「異種混成型の企業」で、食品の安定性と貴金属の発展性を安定成長の理由に挙げる
- [12]食品事業は鶏卵に始まり良質なタンパク質の供給が軸。食品・貴金属・環境の3事業を持つ「異種混成型の企業」で、食品の安定性と貴金属の発展性を安定成長の理由に挙げる
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- [2]1951年6月 松田商店を組織変更し竹善商事を設立(形式上の存続会社)。1979年3月 豊洋物産に商号変更。1978年9月 マツダ貴金属工業(実質上の存続会社)を練馬区に設立
- [3]1951年6月 松田商店を組織変更し竹善商事を設立(形式上の存続会社)。1979年3月 豊洋物産に商号変更。1978年9月 マツダ貴金属工業(実質上の存続会社)を練馬区に設立
- [4]1951年6月 松田商店を組織変更し竹善商事を設立(形式上の存続会社)。1979年3月 豊洋物産に商号変更。1978年9月 マツダ貴金属工業(実質上の存続会社)を練馬区に設立
- [7]1956年5月 卵白販売の㈱松田商店(旧・松田産業)を中野区に、1957年5月 金属製錬・販売の㈱松田商店(旧・マツダメタル工業)を練馬区に設立
- [8]1956年5月 卵白販売の㈱松田商店(旧・松田産業)を中野区に、1957年5月 金属製錬・販売の㈱松田商店(旧・マツダメタル工業)を練馬区に設立
- [9]1956年5月 卵白販売の㈱松田商店(旧・松田産業)を中野区に、1957年5月 金属製錬・販売の㈱松田商店(旧・マツダメタル工業)を練馬区に設立
1964年〜魚肉すりみと得意先5000件で年商180億円に達した食品の松田産業と、入間の武蔵工場
1964年5月、中野の松田商店は商号を松田産業に改め、同年9月に魚肉すりみの取扱を始めた。すり身は漁業会社が北洋のベーリング海でスケソウダラを獲り、洋上で加工したもので、カマボコや冷凍食品の原材料になった。卵白は水産練製品やハム・ソーセージ、製菓・製パンに欠かせない素材で、松田産業は輸入品も扱った。1977年の取材で、松田産業は自らを食品原材料卸と位置づけ、取扱品は得意先の工場で再加工されて製品になると説明した。取扱品目は鶏卵からすりみへ、さらに植物タンパク、乳製タンパクへと広がった。卵白を納めていた練製品の工場がすり身の買い手でもあり、同じ得意先に品目を足せたことが参入の理由とみられる。
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- [13]1964年5月 ㈱松田商店(旧・松田産業)の商号を松田産業に変更。1964年9月 魚肉すりみの取扱開始
- コンセンサス 1977年4月号「ユーザー訪問 松田産業株式会社」(常務取締役管理本部長・高橋信氏)
- [14]取扱品はスケソウダラ等の魚肉すり身(北洋ベーリング海で漁業会社が捕りその場ですり身化、カマボコ・冷凍食品の原材料)と、水産練製品・ハム・ソーセージ・製菓・製パンに不可欠な卵白(輸入も)。得意先工場で再加工される食品原材料卸
- [15]取扱品はスケソウダラ等の魚肉すり身(北洋ベーリング海で漁業会社が捕りその場ですり身化、カマボコ・冷凍食品の原材料)と、水産練製品・ハム・ソーセージ・製菓・製パンに不可欠な卵白(輸入も)。得意先工場で再加工される食品原材料卸
- [16]取扱品はスケソウダラ等の魚肉すり身(北洋ベーリング海で漁業会社が捕りその場ですり身化、カマボコ・冷凍食品の原材料)と、水産練製品・ハム・ソーセージ・製菓・製パンに不可欠な卵白(輸入も)。得意先工場で再加工される食品原材料卸
- 証券アナリストジャーナル 1995年9月 別冊付録 松田産業(社長・松田洋氏)
- [17]食品事業は鶏卵に始まり、すりみ、植物タンパク、乳製タンパクへと取扱商材を拡大
直接販売を原則とした松田産業では、昭和30年代に得意先が約5000件に達した。1977年、常務取締役管理本部長の高橋信氏は、手書きの得意先元帳では前月の売上の把握にも苦労したと振り返った。1965年初めには元帳を処理できる会計機を順に導入し、売上と仕入を本社で集中処理した。営業部門から日々の動向を求める声を受け、1974年6月にIBMシステム3を入れ、1976年にNEACシステム200へ切り替えた。品目の拡大は1973年12月に冷凍・乾燥野菜と植物性蛋白、1976年1月に冷凍魚類。1977年4月時点の年商は180億円、従業員は100名で、売上は過去20年間前年を下回らなかった。得意先を絞らない直販の拡大を、事務の機械化が支えたのだろう。
- コンセンサス 1977年4月号「ユーザー訪問 松田産業株式会社」(常務取締役管理本部長・高橋信氏)
- [18]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [19]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [20]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [21]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [23]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- [22]1973年12月 冷凍・乾燥野菜及び植物性蛋白の取扱開始。1976年1月 冷凍魚類の取扱開始
金属の製錬を担う練馬の松田商店は、1971年12月に製錬を目的とする武蔵工場を埼玉県入間市に新設した。1973年4月には、商号をマツダメタル工業に改めた。1978年9月、半導体・電子部品業界から出る貴金属のリサイクルを目的に、マツダ貴金属工業を練馬区に設立した。1992年の合併の時点でマツダメタル工業が営んでいたのは、貴金属の製錬と産業廃棄物の処理である。1995年時点の松田産業にとって、半導体向けの精密洗浄は貴金属製錬から派生した事業にあたる。半導体メーカーが製造工程で出す規格外品を集めて製錬し、地金に戻して再び納める仕組みも、1995年時点で動いていた。入間に構えた製錬の設備が、のちの貴金属リサイクル会社の設立を支えたと推察される。
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- [24]1971年12月 金属製錬の武蔵工場を埼玉県入間市に新設。1973年4月 商号をマツダメタル工業に変更。1978年9月 半導体・電子部品業界対象の貴金属リサイクル事業のマツダ貴金属工業を練馬区に設立
- [25]1971年12月 金属製錬の武蔵工場を埼玉県入間市に新設。1973年4月 商号をマツダメタル工業に変更。1978年9月 半導体・電子部品業界対象の貴金属リサイクル事業のマツダ貴金属工業を練馬区に設立
- [26]1971年12月 金属製錬の武蔵工場を埼玉県入間市に新設。1973年4月 商号をマツダメタル工業に変更。1978年9月 半導体・電子部品業界対象の貴金属リサイクル事業のマツダ貴金属工業を練馬区に設立
- 証券アナリストジャーナル 1995年9月 別冊付録 松田産業(社長・松田洋氏)
- [27]平成4年の合併時、マツダメタル工業は貴金属の製錬事業および産業廃棄物の処理事業。精密洗浄事業は貴金属製錬事業から派生。大手半導体メーカーのスペックアウト品を集荷・製錬し地金として再生して納めるシステム(1995年時点)
- [28]平成4年の合併時、マツダメタル工業は貴金属の製錬事業および産業廃棄物の処理事業。精密洗浄事業は貴金属製錬事業から派生。大手半導体メーカーのスペックアウト品を集荷・製錬し地金として再生して納めるシステム(1995年時点)
- [29]平成4年の合併時、マツダメタル工業は貴金属の製錬事業および産業廃棄物の処理事業。精密洗浄事業は貴金属製錬事業から派生。大手半導体メーカーのスペックアウト品を集荷・製錬し地金として再生して納めるシステム(1995年時点)
参考文献[13]-[29]
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- [13]1964年5月 ㈱松田商店(旧・松田産業)の商号を松田産業に変更。1964年9月 魚肉すりみの取扱開始
- [22]1973年12月 冷凍・乾燥野菜及び植物性蛋白の取扱開始。1976年1月 冷凍魚類の取扱開始
- [24]1971年12月 金属製錬の武蔵工場を埼玉県入間市に新設。1973年4月 商号をマツダメタル工業に変更。1978年9月 半導体・電子部品業界対象の貴金属リサイクル事業のマツダ貴金属工業を練馬区に設立
- [25]1971年12月 金属製錬の武蔵工場を埼玉県入間市に新設。1973年4月 商号をマツダメタル工業に変更。1978年9月 半導体・電子部品業界対象の貴金属リサイクル事業のマツダ貴金属工業を練馬区に設立
- [26]1971年12月 金属製錬の武蔵工場を埼玉県入間市に新設。1973年4月 商号をマツダメタル工業に変更。1978年9月 半導体・電子部品業界対象の貴金属リサイクル事業のマツダ貴金属工業を練馬区に設立
- コンセンサス 1977年4月号「ユーザー訪問 松田産業株式会社」(常務取締役管理本部長・高橋信氏)
- [14]取扱品はスケソウダラ等の魚肉すり身(北洋ベーリング海で漁業会社が捕りその場ですり身化、カマボコ・冷凍食品の原材料)と、水産練製品・ハム・ソーセージ・製菓・製パンに不可欠な卵白(輸入も)。得意先工場で再加工される食品原材料卸
- [15]取扱品はスケソウダラ等の魚肉すり身(北洋ベーリング海で漁業会社が捕りその場ですり身化、カマボコ・冷凍食品の原材料)と、水産練製品・ハム・ソーセージ・製菓・製パンに不可欠な卵白(輸入も)。得意先工場で再加工される食品原材料卸
- [16]取扱品はスケソウダラ等の魚肉すり身(北洋ベーリング海で漁業会社が捕りその場ですり身化、カマボコ・冷凍食品の原材料)と、水産練製品・ハム・ソーセージ・製菓・製パンに不可欠な卵白(輸入も)。得意先工場で再加工される食品原材料卸
- [18]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [19]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [20]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [21]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- [23]直接販売が原則。昭和30年代に得意先約5000件で手書き元帳では前月売上も掴めず、昭和40年初めに会計機で売上・仕入を本社集中処理、49年6月IBMシステム3、51年NEACシステム200。年商180億円・従業員100名、過去20年前年割れなし
- 証券アナリストジャーナル 1995年9月 別冊付録 松田産業(社長・松田洋氏)
- [17]食品事業は鶏卵に始まり、すりみ、植物タンパク、乳製タンパクへと取扱商材を拡大
- [27]平成4年の合併時、マツダメタル工業は貴金属の製錬事業および産業廃棄物の処理事業。精密洗浄事業は貴金属製錬事業から派生。大手半導体メーカーのスペックアウト品を集荷・製錬し地金として再生して納めるシステム(1995年時点)
- [28]平成4年の合併時、マツダメタル工業は貴金属の製錬事業および産業廃棄物の処理事業。精密洗浄事業は貴金属製錬事業から派生。大手半導体メーカーのスペックアウト品を集荷・製錬し地金として再生して納めるシステム(1995年時点)
- [29]平成4年の合併時、マツダメタル工業は貴金属の製錬事業および産業廃棄物の処理事業。精密洗浄事業は貴金属製錬事業から派生。大手半導体メーカーのスペックアウト品を集荷・製錬し地金として再生して納めるシステム(1995年時点)
出典・参考
3件
- 松田産業 有価証券報告書【沿革】
- コンセンサス 1977年4月号「ユーザー訪問 松田産業株式会社」(常務取締役管理本部長・高橋信氏)
- 証券アナリストジャーナル 1995年9月 別冊付録 松田産業(社長・松田洋氏)