ミネベアミツミ:独パプストとの合弁と松下電器とのモーター事業統合
1990年〜石塚巌会長が決別した敵対的買収と、荻野五郎社長の独パプスト合弁
1991年初め、石塚巌会長は、高橋高見氏の代に社債で資金を調達して買収を重ねた借入の多い財務を抱えていた。石塚巌会長は1954年に入社してから経理と財務を受け持ち、高橋高見氏の起債と買収を資金の側で組み立ててきた。高橋高見氏の死と資本市場の冷え込みで、社債を出して企業を買う循環はもう回らないと石塚巌会長は判断した。石塚巌会長は『もう敵対的な企業買収を迫る時代ではない』と述べ、合意のうえで資本を持ち合う提携をこれからの主流とみた。目標は1株当たり利益で示し、株価は本業の稼ぎで戻すと決めた。荻野五郎社長も1990年、当時の買収案件は高値をつかまされがちだとして、無理をしてまで手を出さない考えを示した。
- 日経ビジネス 1991年2月25日号
- [1]高橋時代のM&A戦略がもたらした超借金体質の会社が石塚会長と荻野社長に引き継がれた
- [2]石塚は1954年入社以来経理・財務を担当し、81年副社長就任後は転換社債・ワラント債など債券市場からの資金調達を自ら指揮した
- [3]高橋の死と資本市場の縮小で起債→M&A→起債のサイクルが止まり、石塚はベンチャー的部分を削りコスト削減に乗り出すと判断した
- [4]石塚は敵対的買収の時代は終わり、合意の上で資本を持ち合う事業提携が主流になるとの見方を示した
- [5]石塚は今後の目標を1株当たり利益の目標値で説明し、本業の業績で株価を回復させる方針をとった
- 近代中小企業 1990年9月号
- [6]荻野社長は、いまの日本企業のM&Aは不当に高く買わされているとし、無理をしてまで買収はしないと語った
荻野五郎社長は1990年、93年に売上高5,000億円、経常利益500億円を達成する目標を掲げた。買収に頼らず、既存事業の拡大で達成する計画だった。荻野五郎社長は、電子機器を作る土台もすべて機械加工であり、ミネベアの得意分野に需要が寄ってくるとみていた。1990年10月には独パプストと組み、ディスク用モーターを作るPAPST-MINEBEA-DISC-MOTOR GmbHをドイツに設けた。1995年3月期の連結売上高は2,391億円で、電子機器及び部品が48%を占め、ベアリングの30%を上回った。軸受を握る会社が回転体そのものへ参入したのは、部品一つあたりの付加価値を広げる狙いがあったと思われる。
- 近代中小企業 1990年9月号
- [7]荻野社長は93年に売上高5000億円・経常利益500億円の達成を目標に掲げた
- [8]荻野社長はM&Aをしなくても現在手がけている事業の拡大で目標に届くとした
- [9]荻野社長はエレクトロニクスを作るベースは全部メカ加工であり、ミネベアの得意分野の売上が自然に大きくなると述べた
- ミネベアミツミ株式会社 有価証券報告書 2024年3月期【沿革】
- [10]1990年10月、ドイツに現地生産会社PAPST-MINEBEA-DISC-MOTOR GmbHを設立した
- 証券調査 1996年「工場見学記 ミネベア タイ・バンパイン、ロップリ工場」(堀内忠夫)
- [11]1995年3月期の連結売上高は2,391億円、売上構成はベアリング30%、電子機器及び部品48%だった
1994年4月、ミネベアはシンガポール、タイに次ぐアジア3番目の生産拠点として上海に現地生産会社を設けた。青浦県で借りた約66万m2の土地に95年10月から工場を建て、96年8月に操業を始めた。荻野五郎社長が挙げた中国進出の狙いの一つは、シンガポールやタイで事故が起きても部品の供給を絶やさないためのリスク分散だった。もう一つは、パソコンや家電の巨大市場になる中国への足がかりだった。三つ目は、中国の製造原価を新しい物差しにして、タイの原価を引き下げさせることだった。約210億円を投じたベアリング一貫工場は月産約1,000万個で動き出し、建屋にはその3倍を作れる広さを残した。
- ミネベアミツミ株式会社 有価証券報告書 2024年3月期【沿革】
- [12]1994年4月、中国にMINEBEA ELECTRONICS & HI-TECH COMPONENTS (SHANGHAI) LTD.を設立した
- 日経ビジネス 1997年12月22日・29日号
- [13]上海・青浦県に約66万m2の土地を借り、95年10月に工場建設を始め96年8月に操業を開始した
- [14]荻野は中国進出の狙いの第1にシンガポール・タイでの事故時にも供給責任を果たすためのリスク分散を挙げた
- [15]第2の狙いは情報通信機器・家電の巨大市場となる中国市場への足がかりだった
- [16]第3の狙いは中国で新しい製造原価のモノサシを作り、それを基準にタイの製造原価を引き下げることだった
- 日経ビジネス 1997年4月28日号
- [17]中国工場の投資額は約210億円、ベアリング一貫生産で月産約1000万個、建屋内に3倍の月産3000万個分の広さを確保した
参考文献[1]-[17]
- 日経ビジネス 1991年2月25日号
- [1]高橋時代のM&A戦略がもたらした超借金体質の会社が石塚会長と荻野社長に引き継がれた
- [2]石塚は1954年入社以来経理・財務を担当し、81年副社長就任後は転換社債・ワラント債など債券市場からの資金調達を自ら指揮した
- [3]高橋の死と資本市場の縮小で起債→M&A→起債のサイクルが止まり、石塚はベンチャー的部分を削りコスト削減に乗り出すと判断した
- [4]石塚は敵対的買収の時代は終わり、合意の上で資本を持ち合う事業提携が主流になるとの見方を示した
- [5]石塚は今後の目標を1株当たり利益の目標値で説明し、本業の業績で株価を回復させる方針をとった
- 近代中小企業 1990年9月号
- [6]荻野社長は、いまの日本企業のM&Aは不当に高く買わされているとし、無理をしてまで買収はしないと語った
- [7]荻野社長は93年に売上高5000億円・経常利益500億円の達成を目標に掲げた
- [8]荻野社長はM&Aをしなくても現在手がけている事業の拡大で目標に届くとした
- [9]荻野社長はエレクトロニクスを作るベースは全部メカ加工であり、ミネベアの得意分野の売上が自然に大きくなると述べた
- ミネベアミツミ株式会社 有価証券報告書 2024年3月期【沿革】
- [10]1990年10月、ドイツに現地生産会社PAPST-MINEBEA-DISC-MOTOR GmbHを設立した
- [12]1994年4月、中国にMINEBEA ELECTRONICS & HI-TECH COMPONENTS (SHANGHAI) LTD.を設立した
- 証券調査 1996年「工場見学記 ミネベア タイ・バンパイン、ロップリ工場」(堀内忠夫)
- [11]1995年3月期の連結売上高は2,391億円、売上構成はベアリング30%、電子機器及び部品48%だった
- 日経ビジネス 1997年12月22日・29日号
- [13]上海・青浦県に約66万m2の土地を借り、95年10月に工場建設を始め96年8月に操業を開始した
- [14]荻野は中国進出の狙いの第1にシンガポール・タイでの事故時にも供給責任を果たすためのリスク分散を挙げた
- [15]第2の狙いは情報通信機器・家電の巨大市場となる中国市場への足がかりだった
- [16]第3の狙いは中国で新しい製造原価のモノサシを作り、それを基準にタイの製造原価を引き下げることだった
- 日経ビジネス 1997年4月28日号
- [17]中国工場の投資額は約210億円、ベアリング一貫生産で月産約1000万個、建屋内に3倍の月産3000万個分の広さを確保した
1995年〜タイの工場を横につないだアジア生産と、山本次男社長の就任
ミネベアのアジア工場には、常駐の社長も工場長も置かれていなかった。代わりに本社工場の各工程の責任者が、アジア各地の同じ工程の生産性と品質を受け持った。本社工場の社員は月に延べ200人近く拠点を回り、最も進んだ工場のやり方を他工場の同じ工程へ移した。荻野五郎社長は中国工場の1人当たり人件費がタイの3分の1だと示し、タイ工場に生産性の3倍増を求めた。『人件費は最大のコスト』とする荻野五郎社長の考えのもと、新しい工場は人件費の差の分だけ既存工場に生産性の向上を迫る役を負った。タイの4工場は金型やプレスなど前工程から組立までを現地に抱え、社員約2万5千人のうち日本人は1%に満たなかった。
- 日経ビジネス 1997年4月28日号
- [18]ミネベアの海外工場には工場長すら置かず、本社が工程別に横串を刺す形で管理した
- [19]本社工場の各工程責任者がアジア各工場の同じ工程の生産性・品質管理責任を持った
- [20]本社工場の社員が毎月延べ200人近くアジアの拠点を巡回し、最も進んだ工場の技術を他工場の同工程に移した
- [21]中国工場の1人当たり人件費はタイ工場の3分の1で、経営陣はタイ工場に生産性3倍増の命題を与えた
- [22]荻野社長は人件費差を埋める努力が生産性向上につながるとし、新工場を既存工場の比較対象に据えた
- 証券調査 1996年「工場見学記 ミネベア タイ・バンパイン、ロップリ工場」(堀内忠夫)
- [23]タイ4工場は金型・プレスなど前工程から組立まで一貫生産体制を持ち、社員約2万5千人のうち日本人は1%未満だった
1999年6月、12年間社長を務めた荻野五郎氏の後を受け、山本次男氏が代表取締役社長に選ばれた。山本次男氏は1960年に販売代理店の東洋ミネチュアベアリングへ入り、関西と中部で取引先を開拓して国内営業本部長まで上った。山本次男社長は就任にあたり、一貫生産と量産工場の世界展開、研究開発体制という荻野五郎氏が固めた製造の路線は変えないと株主に約した。そのうえで、国境や系列を越えた業界再編が進むなか、販売部門での30年余りの経験を生かして製造と販売のつながりを強めるとした。山本次男社長は、挑戦をやめて安定に安住する組織を最大の危険とみていた。生産の人が築いた量産網の上に、販路を開拓してきた人を据えたところに、この交代の意味があったとみられる。
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 1999「株主の皆様へ」
- [24]山本次男は1999年6月29日の株主総会後の取締役会で代表取締役社長に選出され、前社長荻野五郎の在任は12年間だった
- [26]山本は荻野が確立した一貫生産体制・量産工場のグローバル展開・研究開発体制という製造面の基本路線を引き継ぐとした
- [27]山本は国境や系列を超えた業界再編の加速を背景に、販売部門での30年以上の経験を活かし製造と販売の連携を強化するとした
- 日経ビジネス 1999年9月20日号
- [25]山本は1960年に販売代理店の東洋ミネチュアベアリングに入社し、関西・中部で新規顧客を開拓、77年国内営業本部長に就いた
- [28]山本は一番怖いのはミネベアが落ち着いた普通の会社になることだと語り、組織の活力と高い収益力の両立を掲げた
2003年3月期は売上高2,722億200万円、営業利益193億5,200万円で、当期純損失24億3,400万円を計上した。山本次男社長は、問題はシェアではなく収益力にあるとみた。山本次男社長は『コアコンピタンスとの適合性が低い事業は、外部環境の影響を大きく受け収益力が低下しました』と分析し、得意技術に合う事業とそうでない事業の差が不況で表れたとした。そこでスイッチング電源のほか、インダクターやソフトフェライトなどの不採算製品からも撤退すると決めた。経営戦略担当の瀬ノ上顕治氏は、期限を切って可能性を探ったうえでの撤退だと説明し、5年で総資産の約3分の1を減らしたとした。翌2004年5月の説明会では、電源事業の終了を達成とする一方、HDD用スピンドルモーターの黒字化は未達と総括した。
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2003「株主の皆様へ」
- [29]2003年3月期は売上高2,722億200万円、営業利益193億5,200万円、当期純損失24億3,400万円だった
- [30]山本社長は主要製品はシェアを維持・拡大しており、問題は収益力だとした
- [31]コアコンピタンスとの適合性が高い事業は不況下でも高い収益力を示し、低い事業は外部環境の影響で収益力が低下した
- [32]スイッチング電源のほか、インダクター、トランスフォーマー、ソフトフェライト、ソレノイド・バルブ等からの撤退を決定した
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2003「社長インタビュー Q&A」
- [33]瀬ノ上専務はスイッチング電源は期限を設定して可能性を探った末に撤退を決めたとし、5年間で総資産の約3分の1を削減したと述べた
- ミネベア株式会社 決算説明会資料 2004年3月期(2004年5月14日)
- [34]2004年3月期の施策達成度で、電源及び関連事業の終了は○、HDDスピンドルモーターの黒字化は×→見直しとした
参考文献[18]-[34]
- 日経ビジネス 1997年4月28日号
- [18]ミネベアの海外工場には工場長すら置かず、本社が工程別に横串を刺す形で管理した
- [19]本社工場の各工程責任者がアジア各工場の同じ工程の生産性・品質管理責任を持った
- [20]本社工場の社員が毎月延べ200人近くアジアの拠点を巡回し、最も進んだ工場の技術を他工場の同工程に移した
- [21]中国工場の1人当たり人件費はタイ工場の3分の1で、経営陣はタイ工場に生産性3倍増の命題を与えた
- [22]荻野社長は人件費差を埋める努力が生産性向上につながるとし、新工場を既存工場の比較対象に据えた
- 証券調査 1996年「工場見学記 ミネベア タイ・バンパイン、ロップリ工場」(堀内忠夫)
- [23]タイ4工場は金型・プレスなど前工程から組立まで一貫生産体制を持ち、社員約2万5千人のうち日本人は1%未満だった
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 1999「株主の皆様へ」
- [24]山本次男は1999年6月29日の株主総会後の取締役会で代表取締役社長に選出され、前社長荻野五郎の在任は12年間だった
- [26]山本は荻野が確立した一貫生産体制・量産工場のグローバル展開・研究開発体制という製造面の基本路線を引き継ぐとした
- [27]山本は国境や系列を超えた業界再編の加速を背景に、販売部門での30年以上の経験を活かし製造と販売の連携を強化するとした
- 日経ビジネス 1999年9月20日号
- [25]山本は1960年に販売代理店の東洋ミネチュアベアリングに入社し、関西・中部で新規顧客を開拓、77年国内営業本部長に就いた
- [28]山本は一番怖いのはミネベアが落ち着いた普通の会社になることだと語り、組織の活力と高い収益力の両立を掲げた
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2003「株主の皆様へ」
- [29]2003年3月期は売上高2,722億200万円、営業利益193億5,200万円、当期純損失24億3,400万円だった
- [30]山本社長は主要製品はシェアを維持・拡大しており、問題は収益力だとした
- [31]コアコンピタンスとの適合性が高い事業は不況下でも高い収益力を示し、低い事業は外部環境の影響で収益力が低下した
- [32]スイッチング電源のほか、インダクター、トランスフォーマー、ソフトフェライト、ソレノイド・バルブ等からの撤退を決定した
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2003「社長インタビュー Q&A」
- [33]瀬ノ上専務はスイッチング電源は期限を設定して可能性を探った末に撤退を決めたとし、5年間で総資産の約3分の1を削減したと述べた
- ミネベア株式会社 決算説明会資料 2004年3月期(2004年5月14日)
- [34]2004年3月期の施策達成度で、電源及び関連事業の終了は○、HDDスピンドルモーターの黒字化は×→見直しとした
2004年〜松下電器のモーター事業を迎えたミネベア・松下モータと、山岸孝行社長
2004年3月期の営業利益を押し下げたのは、キーボードのタイから中国への移管費用と、スピンドルモーターの採算悪化だった。山本次男社長は精密小型モーターをベアリング関連製品と並ぶ収益源に育てる方針を掲げた。2004年4月、松下電器産業モータ社とファン、ステッピング、振動、ブラシ付DCの4商品の事業を統合し、ミネベア・松下モータを発足させた。資本金は100億円、出資はミネベア60%、松下40%だった。山本次男社長は合弁の目的を『松下の開発力及び製品構成と、当社の大量生産技術を結んだシナジー創出による企業価値の増大にあります』と株主に説明した。新会社はこの4分野で売上金額世界第2位の精密小型モーターメーカーとなり、ミネベアになかった振動モーターにも入った。
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2004「株主の皆様へ」
- [35]2004年3月期の営業利益減少は、キーボードのタイから中国への生産移管に伴う費用増とスピンドルモーターの収益性悪化による
- [39]合弁の目的は商品レンジ拡充・開発力強化・品質コスト競争力強化で、松下の開発力と当社の大量生産技術のシナジー創出にあるとした
- [40]新会社は4分野で売上金額世界第2位の精密小型モーターメーカーで、新たに携帯電話用振動モーターに参入した
- ミネベア株式会社 決算説明会資料 2004年3月期(2004年5月14日)
- [36]2005年3月期の重点課題として、精密小型モーター事業をさらに拡充しベアリング関連製品と並ぶ柱に育てるとした
- [38]ミネベア・松下モータは資本金100億円、出資比率ミネベア60%・松下40%、従業員9,803名で2004年4月1日に業務を開始した
- ミネベアミツミ株式会社 有価証券報告書 2024年3月期【沿革】
- [37]2004年4月、松下電器産業モータ社とファン・ステッピング・振動・ブラシ付DCの情報モーター4商品事業を統合し、ミネベア・松下モータ株式会社を設立した
2005年6月、技術本部長を務めていた山岸孝行氏が代表取締役社長執行役員に就任した。山岸孝行氏は1962年の入社で、電子事業部やミネベアエレクトロニクス社長を経た技術の人だった。就任5か月後の社長ミーティングで山岸孝行社長は、製造と営業が別々の指揮下にあり、部門の間に壁ができていたと振り返った。山岸孝行社長は事業部制で組織を一つにまとめ、事業部を横から支える本部制も入れた。7月初めにはスピンドルモーターの関係者をタイ工場に2日間集めて対策を詰め、8月から効果が出始めた。ミネベア・松下モータも珠海やペナンで構造改革を終えたが、ブラシ付DCと振動モーターは黒字化の見極めが続いていた。
- ミネベア株式会社 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- [41]山岸孝行は2003年4月技術本部長、2005年6月代表取締役及び社長執行役員に就任した
- [42]山岸は1962年3月入社、電子事業部副事業部長、ミネベアエレクトロニクス代表取締役社長などを歴任した
- ミネベア株式会社 社長ミーティング「質疑応答要旨」(2005年11月18日開催)
- [43]山岸社長は従来の問題点として組織の硬直化を挙げ、製造と営業が別指揮下にあったため壁ができていたと答えた
- [44]就任直後に事業部制を導入して組織を一体化し、本部制で事業部を横断して支援する組織を作った
- [45]6月29日の就任後、7月初めに製造・品管・営業の関係者をタイ工場に集め2日間協議し、8月から改善効果が出始めた
- [46]MMMCは中国珠海・マレーシアペナン・シンガポール拠点の構造改革を9月に終えたが、DCブラシ付と振動モーターは黒字化できるか判断がついていなかった
中期事業計画の初年度にあたる2008年3月期、連結売上高は3,344億円と2年続けて過去最高を更新した。当期純利益も163億円となり、1998年3月期以来10年ぶりに最高を塗り替えた。山岸孝行社長は『業績改善は、これまで行ってまいりました施策により軌道に乗ったと判断しております。』とし、情報モーターとキーボードの収益改善がタイ・中国の通貨高を補ったと説明した。モーター事業では軽井沢・大森・飯田の開発3拠点を浜松へ集め、3年の構造改革で利益を出すまでになった。ただしHDD用スピンドルモーターは、組立工程のコストと品質に課題を残していた。2008年7月の時点で山岸孝行社長は、原材料高や為替の変動を認めつつ、2012年3月期に売上高5,000億円という目標を据え置いた。
- ミネベア株式会社 有価証券報告書 2008年3月期【連結損益計算書】
- [47]2008年3月期の連結売上高は3,344億円だった
- [48]2008年3月期の連結当期純利益は163億円だった
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2008「株主の皆様へ」
- [49]営業利益はタイ・中国の通貨高の影響を情報モーター及びキーボード事業の収益改善がカバーし、308億円となった
- [50]過去3年の構造改革でモーター開発3拠点(軽井沢・大森・飯田)を浜松工場へ集約し、モーター事業は事業再構築により利益化を実現した
- [51]HDDスピンドルモーターは組立工程でのコストダウンと品質向上が今後の課題とされた
- [52]2008年7月1日付で、環境悪化を認めつつ2010年3月期の中期計画達成と2012年3月期の売上高5,000億円の目標を変えないとした
参考文献[35]-[52]
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2004「株主の皆様へ」
- [35]2004年3月期の営業利益減少は、キーボードのタイから中国への生産移管に伴う費用増とスピンドルモーターの収益性悪化による
- [39]合弁の目的は商品レンジ拡充・開発力強化・品質コスト競争力強化で、松下の開発力と当社の大量生産技術のシナジー創出にあるとした
- [40]新会社は4分野で売上金額世界第2位の精密小型モーターメーカーで、新たに携帯電話用振動モーターに参入した
- ミネベア株式会社 決算説明会資料 2004年3月期(2004年5月14日)
- [36]2005年3月期の重点課題として、精密小型モーター事業をさらに拡充しベアリング関連製品と並ぶ柱に育てるとした
- [38]ミネベア・松下モータは資本金100億円、出資比率ミネベア60%・松下40%、従業員9,803名で2004年4月1日に業務を開始した
- ミネベアミツミ株式会社 有価証券報告書 2024年3月期【沿革】
- [37]2004年4月、松下電器産業モータ社とファン・ステッピング・振動・ブラシ付DCの情報モーター4商品事業を統合し、ミネベア・松下モータ株式会社を設立した
- ミネベア株式会社 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- [41]山岸孝行は2003年4月技術本部長、2005年6月代表取締役及び社長執行役員に就任した
- [42]山岸は1962年3月入社、電子事業部副事業部長、ミネベアエレクトロニクス代表取締役社長などを歴任した
- ミネベア株式会社 社長ミーティング「質疑応答要旨」(2005年11月18日開催)
- [43]山岸社長は従来の問題点として組織の硬直化を挙げ、製造と営業が別指揮下にあったため壁ができていたと答えた
- [44]就任直後に事業部制を導入して組織を一体化し、本部制で事業部を横断して支援する組織を作った
- [45]6月29日の就任後、7月初めに製造・品管・営業の関係者をタイ工場に集め2日間協議し、8月から改善効果が出始めた
- [46]MMMCは中国珠海・マレーシアペナン・シンガポール拠点の構造改革を9月に終えたが、DCブラシ付と振動モーターは黒字化できるか判断がついていなかった
- ミネベア株式会社 有価証券報告書 2008年3月期【連結損益計算書】
- [47]2008年3月期の連結売上高は3,344億円だった
- [48]2008年3月期の連結当期純利益は163億円だった
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2008「株主の皆様へ」
- [49]営業利益はタイ・中国の通貨高の影響を情報モーター及びキーボード事業の収益改善がカバーし、308億円となった
- [50]過去3年の構造改革でモーター開発3拠点(軽井沢・大森・飯田)を浜松工場へ集約し、モーター事業は事業再構築により利益化を実現した
- [51]HDDスピンドルモーターは組立工程でのコストダウンと品質向上が今後の課題とされた
- [52]2008年7月1日付で、環境悪化を認めつつ2010年3月期の中期計画達成と2012年3月期の売上高5,000億円の目標を変えないとした
1990年〜2008年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年09月期 | 連結 | 2,786 | n/a | n/a | n/a | ▲136 | ▲4.9% | n/a |
| 1993年09月期 | 連結 | 2,651 | ▲4.8% | n/a | n/a | ▲612 | ▲23.1% | n/a |
| 1994年03月期 | 連結 | 1,215 | ▲54.2% | n/a | n/a | 5 | 0.4% | n/a |
| 1995年03月期 | 連結 | 2,391 | +96.8% | n/a | n/a | 25 | 1.0% | n/a |
| 1996年03月期 | 連結 | 2,605 | +9.0% | n/a | n/a | 73 | 2.8% | n/a |
| 1997年03月期 | 連結 | 3,028 | +16.2% | n/a | n/a | 88 | 2.9% | n/a |
| 1998年03月期 | 連結 | 3,260 | +7.7% | n/a | n/a | 151 | 4.6% | n/a |
| 1999年03月期 | 連結 | 3,053 | ▲6.3% | n/a | n/a | 115 | 3.8% | n/a |
| 2000年03月期 | 連結 | 2,847 | ▲6.7% | n/a | n/a | ▲26 | ▲0.9% | n/a |
| 2001年03月期 | 連結 | 2,870 | +0.8% | n/a | n/a | 148 | 5.2% | n/a |
| 2002年03月期 | 連結 | 2,793 | ▲2.7% | n/a | 160 | 52 | 1.9% | n/a |
| 2003年03月期 | 連結 | 2,722 | ▲2.5% | n/a | 134 | ▲24 | ▲0.9% | n/a |
| 2004年03月期 | 連結 | 2,685 | ▲1.4% | n/a | 138 | 60 | 2.2% | n/a |
| 2005年03月期 | 連結 | 2,944 | +9.6% | n/a | 102 | 55 | 1.9% | n/a |
| 2006年03月期 | 連結 | 3,184 | +8.2% | 193 | 146 | 96 | 3.0% | n/a |
| 2007年03月期 | 連結 | 3,310 | +4.0% | 263 | 218 | 128 | 3.9% | n/a |
| 2008年03月期 | 連結 | 3,344 | +1.0% | 308 | 277 | 163 | 4.9% | n/a |
出所:会社年鑑、有価証券報告書
出典・参考
16件
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 1999「株主の皆様へ」
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2003「株主の皆様へ」
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2003「社長インタビュー Q&A」
- ミネベア株式会社 決算説明会資料 2004年3月期(2004年5月14日)
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2004「株主の皆様へ」
- ミネベア株式会社 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- ミネベア株式会社 有価証券報告書 2008年3月期【連結損益計算書】
- ミネベア株式会社 アニュアルレポート 2008「株主の皆様へ」
- ミネベアミツミ株式会社 有価証券報告書 2024年3月期【沿革】
- 近代中小企業 1990年9月号
- 日経ビジネス 1991年2月25日号
- 日経ビジネス 1997年12月22日・29日号
- 日経ビジネス 1997年4月28日号
- 日経ビジネス 1999年9月20日号
- 証券調査 1996年「工場見学記 ミネベア タイ・バンパイン、ロップリ工場」(堀内忠夫)
- ミネベア株式会社 社長ミーティング「質疑応答要旨」(2005年11月18日開催)