マックス:山田航空工業の設立とホッチキス生産への転換
1942年〜中島飛行機へ尾翼を納めた資本金40万円の高崎の部品工場と、終戦後のホッチキス
山田航空工業は1942年11月26日、群馬県高崎市東町80番地に資本金40万円で設立された。設立の目的は、中島飛行機へ納入する航空機部品の生産にあった。設立当初の業態は、航空機のウイングにあたる部品の製造。1976年時点で社長の蛭田主税氏は、戦前に手がけた製品として戦闘機の尾翼を挙げた。終戦までの山田航空工業は、軍へ納める機体の部品を主な事業として規模を拡大した。納入先を軍需の1系統に依存する事業の構成は、終戦とともに存立の前提を失う性格のものだったとみられる。
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- [1]1942年11月、山田航空工業の名称で群馬県高崎市東町80番地に航空機のウイング部品メーカーとして設立
- [3]1942年11月、山田航空工業の名称で群馬県高崎市東町80番地に航空機のウイング部品メーカーとして設立
- 証券 22(4)(253) 1970年
- [2]1942年11月26日に中島飛行機へ納入する航空機部品の生産を目的に資本金40万円で高崎市に設立(同誌は商号を山田航空機工業と表記)。終戦まで軍納入の航空機ボデー部品メーカー
- [5]1942年11月26日に中島飛行機へ納入する航空機部品の生産を目的に資本金40万円で高崎市に設立(同誌は商号を山田航空機工業と表記)。終戦まで軍納入の航空機ボデー部品メーカー
- 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年10月 蛭田主税
- [4]設立は1942年11月。戦前は軍需産業の一環で戦闘機の尾翼などをつくる部品メーカー
終戦で軍という納入先を失った山田航空工業は、1945年9月に商号を山田興業へ改めた。改称と同じ時期に、主な製品を航空機部品からホッチキスを中心とする事務器へ切り替えた。蛭田主税氏は1976年の寄稿で、戦後の事務器への進出を支えたのは戦前から持つプレス技術だったと振り返った。1970年の上場時の紹介記事も、事務器への生産の転換と商号の変更を、終戦を契機とする一連の動きとして記した。工場の設備と職工の技能を残したまま製品を入れ替えた転換は、新たな設備投資を抑える選択だったと推察される。
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- [6]1945年9月、山田興業に商号変更し、事務器(主としてホッチキス)の生産を開始
- 証券 22(4)(253) 1970年
- [7]終戦を契機に事務器(ホッチキス)の生産へ転換し、商号を山田興業に変更
- [9]終戦を契機に事務器(ホッチキス)の生産へ転換し、商号を山田興業に変更
- 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年10月 蛭田主税
- [8]戦後はプレス技術を生かし、ホッチキスを主とする事務器分野に進出
参考文献[1]-[9]
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- [1]1942年11月、山田航空工業の名称で群馬県高崎市東町80番地に航空機のウイング部品メーカーとして設立
- [3]1942年11月、山田航空工業の名称で群馬県高崎市東町80番地に航空機のウイング部品メーカーとして設立
- [6]1945年9月、山田興業に商号変更し、事務器(主としてホッチキス)の生産を開始
- 証券 22(4)(253) 1970年
- [2]1942年11月26日に中島飛行機へ納入する航空機部品の生産を目的に資本金40万円で高崎市に設立(同誌は商号を山田航空機工業と表記)。終戦まで軍納入の航空機ボデー部品メーカー
- [5]1942年11月26日に中島飛行機へ納入する航空機部品の生産を目的に資本金40万円で高崎市に設立(同誌は商号を山田航空機工業と表記)。終戦まで軍納入の航空機ボデー部品メーカー
- [7]終戦を契機に事務器(ホッチキス)の生産へ転換し、商号を山田興業に変更
- [9]終戦を契機に事務器(ホッチキス)の生産へ転換し、商号を山田興業に変更
- 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年10月 蛭田主税
- [4]設立は1942年11月。戦前は軍需産業の一環で戦闘機の尾翼などをつくる部品メーカー
- [8]戦後はプレス技術を生かし、ホッチキスを主とする事務器分野に進出
1949年〜販売を分離したスマート製販と、マックス工業への改称と製図機械の高崎工場
1949年10月、山田興業による販売会社スマート製販の設立。1970年の上場時の紹介記事は、ホッチキスの生産が安定した段階で販売制度を確立するために設けた会社と位置づけた。以後、製造は山田興業、販売はスマート製販という二社の分担が1964年まで続いた。1976年に社長を務めた蛭田主税氏は、1949年から経営のトップの座にあったと同じ年の寄稿で振り返った。蛭田主税氏は、セールスマンが独立して販売会社を構える仕組みを暖簾分けに例え、販売店を協力店として育てる方針を示した。製販を法人で分けたことで、販売店網の育成に専念する組織が早い時期に整ったと思われる。
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- [10]1949年10月、販売体制確立のためスマート製販株式会社を設立
- 証券 22(4)(253) 1970年
- [11]ホッチキスの生産が軌道に乗った1949年10月、販売制度確立のためスマート製販を設立。1964年に生産・販売の両社を合併
- [12]ホッチキスの生産が軌道に乗った1949年10月、販売制度確立のためスマート製販を設立。1964年に生産・販売の両社を合併
- 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年10月 蛭田主税
- [13]蛭田主税は1949年以来27年間トップの座にあったと記す
- [14]社員のセールスマンの独立を暖簾分けと呼び、密接な販売店を協力店として育成する方針
販売会社のスマート製販は1954年10月、商号をマックス製販に改めた。翌1955年9月には、製造会社の山田興業もマックス工業へ商号を変更。二社は法人を分けたまま、社名の頭をマックスの語で揃えた。生産と販売を別の法人に置く体制は、企業規模が大きくなるにつれて弊害を生み、1964年の両社の合併につながった。改称の時点では製販の分担を保ちつつ、対外的な名だけを先に一本化した。マックスの名を製品と会社の双方に通し、販売店と需要家に同じ名で認知させる狙いがあったのだろう。
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- [15]1954年10月、スマート製販株式会社をマックス製販株式会社に商号変更
- [16]1955年9月、山田興業株式会社をマックス工業株式会社に商号変更
- 証券 22(4)(253) 1970年
- [17]1954年にスマート製販をマックス製販、1955年に山田興業をマックス工業へ商号変更。生産・販売の分離が規模拡大で弊害を生じ1964年に合併
- [18]1954年にスマート製販をマックス製販、1955年に山田興業をマックス工業へ商号変更。生産・販売の分離が規模拡大で弊害を生じ1964年に合併
- [19]1954年にスマート製販をマックス製販、1955年に山田興業をマックス工業へ商号変更。生産・販売の分離が規模拡大で弊害を生じ1964年に合併
マックス工業は、ホッチキス主体の品揃えを事務器・機工品・製図機の3分野へ広げた。事務器ではリムーバーと鉛筆削器、機工品ではガンタッカー、製図機ではプランマスターの生産を始めた。1960年12月には群馬県高崎市に高崎工場を新設し、ホッチキスと製図機械の製造をこの工場に置いた。1970年の紹介記事は、機工品と製図機には高度な技術と多額の資金が必要だったと整理した。需要家も事務器の顧客と異なり、販売体制の充実が急務だった。技術・資金・販路の3つの不足が、1963年の米国ボステッチとの提携を求める素地になったと考えられる。
- 証券 22(4)(253) 1970年
- [20]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- [21]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- [23]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- [24]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- [22]1960年12月、高崎工場(群馬県高崎市)を新設し、ホッチキス及び製図機械の生産体制を確立
参考文献[10]-[24]
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- [10]1949年10月、販売体制確立のためスマート製販株式会社を設立
- [15]1954年10月、スマート製販株式会社をマックス製販株式会社に商号変更
- [16]1955年9月、山田興業株式会社をマックス工業株式会社に商号変更
- [22]1960年12月、高崎工場(群馬県高崎市)を新設し、ホッチキス及び製図機械の生産体制を確立
- 証券 22(4)(253) 1970年
- [11]ホッチキスの生産が軌道に乗った1949年10月、販売制度確立のためスマート製販を設立。1964年に生産・販売の両社を合併
- [12]ホッチキスの生産が軌道に乗った1949年10月、販売制度確立のためスマート製販を設立。1964年に生産・販売の両社を合併
- [17]1954年にスマート製販をマックス製販、1955年に山田興業をマックス工業へ商号変更。生産・販売の分離が規模拡大で弊害を生じ1964年に合併
- [18]1954年にスマート製販をマックス製販、1955年に山田興業をマックス工業へ商号変更。生産・販売の分離が規模拡大で弊害を生じ1964年に合併
- [19]1954年にスマート製販をマックス製販、1955年に山田興業をマックス工業へ商号変更。生産・販売の分離が規模拡大で弊害を生じ1964年に合併
- [20]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- [21]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- [23]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- [24]ホッチキス主体からリムーバー・鉛筆削器(事務器)、ガンタッカー(機工品)、プランマスター(製図機)の生産を始め多角化。機工品・製図機は高度の技術・多額の資金・異なる需要家向けの販売体制を要し、1963年6月に米ボステッチと提携
- 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年10月 蛭田主税
- [13]蛭田主税は1949年以来27年間トップの座にあったと記す
- [14]社員のセールスマンの独立を暖簾分けと呼び、密接な販売店を協力店として育成する方針
出典・参考
3件
- マックス 有価証券報告書 FY25 沿革
- 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年10月 蛭田主税
- 証券 22(4)(253) 1970年