第1章 年〜年

平和:桐生の平和商会で始めたパチンコ機の製造販売

1949年〜中島健吉氏が創業した平和商会と、機構の改良・2社統合による販路の拡大

中島健吉氏は1949年8月、群馬県桐生市で個人事業の平和商会を創業し、パチンコ機の製造販売を始めた。中島健吉氏は学友の多くを学徒動員で戦地に送り出し、その多くを戦死で失った。中島健吉氏自身は召集を受ける前に終戦を迎え、何より尊いのは平和だという思いを強くした。敗戦の衝撃で気力を失った人々に小さな楽しみを与えていたのが、街のパチンコだった。中島健吉氏は後年の講演で、『私にはパチンコが平和の象徴のように思われ、パチンコ機を製造することとし』と創業の動機を振り返り、社名にも「平和」を掲げた。食料難のさなかに娯楽機械を選んだ判断は、収益の見込みより創業者の戦争体験に根ざしていたとみられる。

  • 証券 1992年(新規上場会社紹介・沿革)
    • [1]1949年8月、中島健吉氏が群馬県桐生市でパチンコ機の製造販売を目的に個人事業の平和商会を創業
  • 証券アナリストジャーナル 26(12) 1988年(中島健吉 講演要旨)
    • [2]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした
    • [3]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした
    • [4]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした
    • [5]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした

中島健吉氏は創業の時から研究開発に最も力を入れ、遊技客が欲しがる機械を作ることを経営の基本に据えた。業界の初期の機械は人が付いて動かす有人機で、のちに人の付かない無人機へ移った。さらに業界は玉の流れを自動で制御する自動補給の仕組みを開発し、店の手間を減らした。昭和30年代(1955〜1964年)には、平和が開発したコミックゲートやチューリップが登場し、業界の流行を生んだ。平和の前身の東和工業は1961年4月、パチンコ機に遊技球を戻す自動補給設備の販売を開始。これにより東和工業は、機械本体に加えて周辺の設備も店に納めるようになった。店の省力化に応える機構の改良を続けたことが、個人商店の機械が店に選ばれた理由と推察される。

  • 証券アナリストジャーナル 26(12) 1988年(中島健吉 講演要旨)
    • [6]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
    • [7]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
    • [8]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
    • [9]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
  • 証券 1992年(新規上場会社紹介・沿革)
    • [10]1961年4月、パチンコ機に遊技球を還元させる自動補給設備の販売を開始し、周辺機器まで総合的に扱う体制を整備
    • [11]1961年4月、パチンコ機に遊技球を還元させる自動補給設備の販売を開始し、周辺機器まで総合的に扱う体制を整備

中島健吉氏は1960年9月、有限会社コミック商会と平和物産株式会社を統合し、東和工業株式会社を設立。新会社の資本金は200万円で、業容の拡大に合わせた法人化だった。東和工業は設立と同時に東京と大阪に出張所を開設し、桐生の外に販売の拠点を設けた。1964年3月には仙台と北海道にも出張所を開設し、全国への販売網の拡大に着手した。東和工業は1964年4月に平和工業、1988年7月に株式会社平和へと商号を改めた。社名からみて、統合前の2社は機械の製造と販売を分けて担っていたのだろう。

  • 平和 有価証券報告書【沿革】1960年9月 東和工業設立の項
    • [12]1960年9月、㈲コミック商会と平和物産㈱を統合し東和工業㈱を設立、東京・大阪に出張所を開設
    • [14]1960年9月、㈲コミック商会と平和物産㈱を統合し東和工業㈱を設立、東京・大阪に出張所を開設
  • 証券 1992年(新規上場会社紹介・沿革)
    • [13]東和工業は業容拡大に伴い資本金200万円で設立。1964年3月仙台・北海道に出張所、1964年4月平和工業、1988年7月株式会社平和に商号変更
    • [15]東和工業は業容拡大に伴い資本金200万円で設立。1964年3月仙台・北海道に出張所、1964年4月平和工業、1988年7月株式会社平和に商号変更
    • [16]東和工業は業容拡大に伴い資本金200万円で設立。1964年3月仙台・北海道に出張所、1964年4月平和工業、1988年7月株式会社平和に商号変更
参考文献[1]-[16]
  • 証券 1992年(新規上場会社紹介・沿革)
    • [1]1949年8月、中島健吉氏が群馬県桐生市でパチンコ機の製造販売を目的に個人事業の平和商会を創業
    • [10]1961年4月、パチンコ機に遊技球を還元させる自動補給設備の販売を開始し、周辺機器まで総合的に扱う体制を整備
    • [11]1961年4月、パチンコ機に遊技球を還元させる自動補給設備の販売を開始し、周辺機器まで総合的に扱う体制を整備
    • [13]東和工業は業容拡大に伴い資本金200万円で設立。1964年3月仙台・北海道に出張所、1964年4月平和工業、1988年7月株式会社平和に商号変更
    • [15]東和工業は業容拡大に伴い資本金200万円で設立。1964年3月仙台・北海道に出張所、1964年4月平和工業、1988年7月株式会社平和に商号変更
    • [16]東和工業は業容拡大に伴い資本金200万円で設立。1964年3月仙台・北海道に出張所、1964年4月平和工業、1988年7月株式会社平和に商号変更
  • 証券アナリストジャーナル 26(12) 1988年(中島健吉 講演要旨)
    • [2]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした
    • [3]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした
    • [4]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした
    • [5]学友の多くが学徒動員で戦死、召集直前に終戦。虚脱した国民の慰みだったパチンコを平和の象徴と見て機械製造を決め、社名を「平和」とした
    • [6]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
    • [7]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
    • [8]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
    • [9]創業以来研究開発に最も注力、顧客本位を経営の柱とする。パチンコ機は有人機→無人機→玉の流れを自動制御する自動補給システムと発展。昭和30年代に同社開発のコミックゲート・チューリップが登場しブームに
  • 平和 有価証券報告書【沿革】1960年9月 東和工業設立の項
    • [12]1960年9月、㈲コミック商会と平和物産㈱を統合し東和工業㈱を設立、東京・大阪に出張所を開設
    • [14]1960年9月、㈲コミック商会と平和物産㈱を統合し東和工業㈱を設立、東京・大阪に出張所を開設

出典・参考

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出典・参考
  • 平和 有価証券報告書【沿革】1960年9月 東和工業設立の項
  • 証券アナリストジャーナル 26(12) 1988年(中島健吉 講演要旨)
  • 証券 1992年(新規上場会社紹介・沿革)

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