第1章 年〜年

長谷川香料:長谷川藤太郎商店の創業とエッセンスの製造開始

1903年〜松沢商店で年季奉公を終えた長谷川藤太郎氏と、日本橋本石町に掲げた看板

長谷川藤太郎氏は1891年、14歳で芳香原料の輸入商である日本橋の松沢商店に丁稚として入店した。入店から間もなく石鹸業界は生産過剰に陥り、長谷川藤太郎氏は香料だけを扱う専門店での独立を主人の松沢常吉氏に持ちかけた。当時の東京で香料を扱う4、5軒は、いずれも薬種問屋や化粧品製造所の兼業だった。松沢商店には年季を勤めた店員にのれんを分ける慣行があり、長谷川藤太郎氏は屋号「イゲタに八」の半分の「ヤマ八」を譲り受けた。1903年3月末、長谷川藤太郎氏は12年に及んだ年季奉公を終えた。長谷川藤太郎氏は、後に社長を務める長谷川正三氏の父にあたる。専門店の不在と奉公先の屋号という後ろ盾がそろったことが、独立を支えたとみられる。

  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [1]長谷川藤太郎は1891年(明治24年)14歳で松沢商店に丁稚奉公に入った。当時の松沢商店は芳香原料の輸入商で、香水・石鹸も製造していた
    • [2]長谷川藤太郎は1903年3月末に12年の年季奉公を終えた。入店後まもなく石鹸業界は過剰生産で倒産・廃業が続き、香料専門店としての独立を主人の松沢常吉に相談した。当時東京で香料を扱う店は4〜5軒で、薬種問屋・化粧品製造所の兼業だった
    • [3]長谷川藤太郎は1903年3月末に12年の年季奉公を終えた。入店後まもなく石鹸業界は過剰生産で倒産・廃業が続き、香料専門店としての独立を主人の松沢常吉に相談した。当時東京で香料を扱う店は4〜5軒で、薬種問屋・化粧品製造所の兼業だった
    • [4]丁稚奉公は年季を勤めるとのれん分けされる慣行があり、長谷川藤太郎は松沢商店の屋号イゲタに八の半分であるヤマ八を貰った
    • [5]長谷川藤太郎は1903年3月末に12年の年季奉公を終えた。入店後まもなく石鹸業界は過剰生産で倒産・廃業が続き、香料専門店としての独立を主人の松沢常吉に相談した。当時東京で香料を扱う店は4〜5軒で、薬種問屋・化粧品製造所の兼業だった
  • 証券アナリストジャーナル 1995年8月 別冊付録 長谷川正三
    • [6]長谷川正三(長谷川香料社長)の父が1903年に長谷川藤太郎商店を創業した

長谷川藤太郎氏は1903年5月1日、日本橋本石町4丁目に借りた店舗で長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。奉公を終えてから開店までの1カ月を準備にあて、丁稚を3名ほど雇い入れた。店名に「香料」の語を入れなかったのは当時この語がまだ広まらず、芳香という言い方が通っていたためで、店は芳香原料商として出発した。同業者の東京香料商組合が10店前後で発足したのは1907年で、以後に創業した店は屋号に「香料店」を用いるようになった。長谷川正三氏は1995年、父の創業以来90年余りにわたり香料の製造と販売を続けてきたと振り返った。店名は、客に通じる言葉を優先して選ばれたと推察される。

  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [7]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
    • [8]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
    • [9]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
    • [10]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
  • 証券アナリストジャーナル 1995年8月 別冊付録 長谷川正三
    • [11]長谷川正三は1995年、1903年に父が長谷川藤太郎商店を創業して以来90年余り香料の製造・販売を続けてきたと述べた

長谷川香料は、1903年5月に東京市日本橋区で長谷川藤太郎商店を設立し、香料の取扱を始めたと沿革に記している。開店当初は同業者が少なく、長谷川藤太郎商店の営業は早くから順調だった。当時の化粧品は小間物屋の店先で香油やクリームを量り売りし、作り手は零細な製造業者か、自店で作る小間物屋。長谷川藤太郎商店はこうした製造業者と小間物屋を主な得意先とし、丁稚が注文を取って回り、品を揃えて届けた。店頭での販売も見込みを上回り、評判を聞いた地方の商人も来店した。香料原料は主にドイツから輸入され、高価なため横浜港から運ぶ荷馬車には丁稚が付き添った。店舗は開店から1年ほどで日本橋小伝馬町へ移った。

  • 長谷川香料 有価証券報告書 第64期(2025年9月期)【沿革】
    • [12]1903年5月、長谷川香料の前身である長谷川藤太郎商店を東京市日本橋区(現東京都中央区)に設立し、香料の取扱を開始した
  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [13]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [14]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [15]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [16]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [17]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [18]日本橋本石町四丁目の店舗は1年ほどで日本橋小伝馬町に移った
参考文献[1]-[18]
  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [1]長谷川藤太郎は1891年(明治24年)14歳で松沢商店に丁稚奉公に入った。当時の松沢商店は芳香原料の輸入商で、香水・石鹸も製造していた
    • [2]長谷川藤太郎は1903年3月末に12年の年季奉公を終えた。入店後まもなく石鹸業界は過剰生産で倒産・廃業が続き、香料専門店としての独立を主人の松沢常吉に相談した。当時東京で香料を扱う店は4〜5軒で、薬種問屋・化粧品製造所の兼業だった
    • [3]長谷川藤太郎は1903年3月末に12年の年季奉公を終えた。入店後まもなく石鹸業界は過剰生産で倒産・廃業が続き、香料専門店としての独立を主人の松沢常吉に相談した。当時東京で香料を扱う店は4〜5軒で、薬種問屋・化粧品製造所の兼業だった
    • [4]丁稚奉公は年季を勤めるとのれん分けされる慣行があり、長谷川藤太郎は松沢商店の屋号イゲタに八の半分であるヤマ八を貰った
    • [5]長谷川藤太郎は1903年3月末に12年の年季奉公を終えた。入店後まもなく石鹸業界は過剰生産で倒産・廃業が続き、香料専門店としての独立を主人の松沢常吉に相談した。当時東京で香料を扱う店は4〜5軒で、薬種問屋・化粧品製造所の兼業だった
    • [7]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
    • [8]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
    • [9]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
    • [10]1903年5月1日、日本橋本石町四丁目に借りた店舗で丁稚3名ほどを雇い長谷川藤太郎商店の看板を掲げた。開店準備に1カ月。香料の語が一般化しておらず芳香原料商として出発。東京香料商組合は1907年設立で当初組合員は10店前後、以後の創業者は香料店を名乗った
    • [13]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [14]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [15]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [16]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [17]開店当時は同業者が少なく営業は順調。化粧品は小間物屋に置かれ香油・クリームは計り売り、製造は小規模業者か小間物屋の自家製。主な得意先はそれらで丁稚が注文取りに回った。店頭売りも多く地方の商人も来た。香料原料は主にドイツから輸入し横浜港から荷馬車で運ぶ際に丁稚が監視した
    • [18]日本橋本石町四丁目の店舗は1年ほどで日本橋小伝馬町に移った
  • 証券アナリストジャーナル 1995年8月 別冊付録 長谷川正三
    • [6]長谷川正三(長谷川香料社長)の父が1903年に長谷川藤太郎商店を創業した
    • [11]長谷川正三は1995年、1903年に父が長谷川藤太郎商店を創業して以来90年余り香料の製造・販売を続けてきたと述べた
  • 長谷川香料 有価証券報告書 第64期(2025年9月期)【沿革】
    • [12]1903年5月、長谷川香料の前身である長谷川藤太郎商店を東京市日本橋区(現東京都中央区)に設立し、香料の取扱を開始した

1910年〜本銀町三丁目に構えた今の本社の地と、エッセンスの製造と特許局への商標登録

長谷川藤太郎商店は1910年、日本橋区本銀町3丁目13番地へ移転した。この地番は1932年9月の町名・地番の改正で日本橋区本町4丁目9番地に変わり、場所としては現在の本社の所在地にあたる。1932年10月発行の日本橋区の地図にも、この地に長谷川藤太郎商店の名が載っている。創業地の日本橋区は、現在の東京都中央区の一部。同じ時期、奉公先の松沢商店は1907年に香料部を設け、1909年には化粧品部と香料部を分けた。松沢商店の出身者からは、1915年に曽田政治氏、1923年に篠崎四郎氏が香料商として独立した。同業の独立が相次ぐなかで日本橋の一角を動かなかったのは、得意先との取引を保つためだったと思われる。

  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [19]1910年(明治43年)に日本橋区本銀町三丁目十三番地に移転。住居表示の変更で日本橋区本町四丁目九番地となったが場所は現在の本社の所在地。1932年9月1日の町名地番改正後、同年10月発行の地図に長谷川藤太郎商店の名がある
    • [20]1910年(明治43年)に日本橋区本銀町三丁目十三番地に移転。住居表示の変更で日本橋区本町四丁目九番地となったが場所は現在の本社の所在地。1932年9月1日の町名地番改正後、同年10月発行の地図に長谷川藤太郎商店の名がある
    • [21]1910年(明治43年)に日本橋区本銀町三丁目十三番地に移転。住居表示の変更で日本橋区本町四丁目九番地となったが場所は現在の本社の所在地。1932年9月1日の町名地番改正後、同年10月発行の地図に長谷川藤太郎商店の名がある
    • [23]松沢商店は1907年に香料部をつくり、1909年に化粧品部と香料部に分離した。松沢商店出身の曽田政治は1915年、篠崎四郎は1923年に独立した
    • [24]松沢商店は1907年に香料部をつくり、1909年に化粧品部と香料部に分離した。松沢商店出身の曽田政治は1915年、篠崎四郎は1923年に独立した
  • 長谷川香料 有価証券報告書 第64期(2025年9月期)【沿革】
    • [22]創業地の東京市日本橋区は現在の東京都中央区

明治の後半には、輸入された調香済みの香料が高価で日本人の好みにも合わず、原料を輸入して国内で調香する動きが現れた。調香は洋書を手本にするか手探りで試すほかなく、石鹸工場の片隅で行われる作業だった。長谷川藤太郎氏は松沢商店の丁稚として、石鹸の製造や配達、営業と並んで調香の仕事も担った。1906年には中村菊五郎氏が平野水にエッセンスを加え、サイダーとして売り出した。香料の用途は化粧品と石鹸から、清涼飲料のような口に入る品へ広がり始めた。長谷川正三氏は1995年、自社の歩みを振り返り、香料全般を手がける会社へ育つうえで軸になったのは調合香料だったと語った。奉公時代に身に付けた調香の技能と卸で得た得意先が、自ら香料を調合する素地になったのだろう。

  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [25]明治30年代、調香済みの輸入香料は高価で日本人の好みに馴染まず、原料を輸入して国内で調香する傾向が出てきた。調香は洋書か手さぐりで石鹸工場の片隅で行われ、松沢商店の丁稚だった長谷川藤太郎も石鹸製造・配達・営業・調香のすべてを行った
    • [26]明治30年代、調香済みの輸入香料は高価で日本人の好みに馴染まず、原料を輸入して国内で調香する傾向が出てきた。調香は洋書か手さぐりで石鹸工場の片隅で行われ、松沢商店の丁稚だった長谷川藤太郎も石鹸製造・配達・営業・調香のすべてを行った
    • [27]明治30年代、調香済みの輸入香料は高価で日本人の好みに馴染まず、原料を輸入して国内で調香する傾向が出てきた。調香は洋書か手さぐりで石鹸工場の片隅で行われ、松沢商店の丁稚だった長谷川藤太郎も石鹸製造・配達・営業・調香のすべてを行った
    • [28]社史年表の1906年の項に、中村菊五郎が平野水にエッセンスを入れサイダーとして発売したこと、川崎近雄が清涼飲料剤製法を刊行したことが載る
    • [29]社史年表の1906年の項に、中村菊五郎が平野水にエッセンスを入れサイダーとして発売したこと、川崎近雄が清涼飲料剤製法を刊行したことが載る
  • フードケミカル 11(11) 1995年「インタビュー 長谷川香料(株)長谷川正三」
    • [30]長谷川正三は、長谷川香料は歴史が古く、調合香料を中心に総合香料会社として発展してきたと述べた

長谷川藤太郎商店は1924年、トレード・マークを特許局に登録した。マークは蒸留器のランビキを図案にし、長谷川藤太郎氏の姓と名の頭文字を組み込んだものである。図案を定めた正確な年は分かっておらず、創業から間もない時期とされる。ランビキは植物から精油を取り出す水蒸気蒸留の器具で、この方法は採油でもっとも広く用いられる。マークのランビキは日本の在来の形と異なり、社史は洋書から写した図案とみている。香料の区分は、天然香料と合成香料、それらを混ぜた調合香料の3つ。天然香料を採る蒸留器を印に選んだことには、仕入れ販売にとどまらず香料の製造を志す長谷川藤太郎氏の意図が込められていたと考えられる。

  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [31]特許局への商標登録(大正13年=1924年)の登録通知並ニ領収証が社史に載る
    • [32]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
    • [33]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
    • [34]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
    • [35]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
  • 証券アナリストジャーナル 1995年8月 別冊付録 長谷川正三
    • [36]香料には天然香料、合成香料、それらを混ぜ合わせた調合香料がある
参考文献[19]-[36]
  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
    • [19]1910年(明治43年)に日本橋区本銀町三丁目十三番地に移転。住居表示の変更で日本橋区本町四丁目九番地となったが場所は現在の本社の所在地。1932年9月1日の町名地番改正後、同年10月発行の地図に長谷川藤太郎商店の名がある
    • [20]1910年(明治43年)に日本橋区本銀町三丁目十三番地に移転。住居表示の変更で日本橋区本町四丁目九番地となったが場所は現在の本社の所在地。1932年9月1日の町名地番改正後、同年10月発行の地図に長谷川藤太郎商店の名がある
    • [21]1910年(明治43年)に日本橋区本銀町三丁目十三番地に移転。住居表示の変更で日本橋区本町四丁目九番地となったが場所は現在の本社の所在地。1932年9月1日の町名地番改正後、同年10月発行の地図に長谷川藤太郎商店の名がある
    • [23]松沢商店は1907年に香料部をつくり、1909年に化粧品部と香料部に分離した。松沢商店出身の曽田政治は1915年、篠崎四郎は1923年に独立した
    • [24]松沢商店は1907年に香料部をつくり、1909年に化粧品部と香料部に分離した。松沢商店出身の曽田政治は1915年、篠崎四郎は1923年に独立した
    • [25]明治30年代、調香済みの輸入香料は高価で日本人の好みに馴染まず、原料を輸入して国内で調香する傾向が出てきた。調香は洋書か手さぐりで石鹸工場の片隅で行われ、松沢商店の丁稚だった長谷川藤太郎も石鹸製造・配達・営業・調香のすべてを行った
    • [26]明治30年代、調香済みの輸入香料は高価で日本人の好みに馴染まず、原料を輸入して国内で調香する傾向が出てきた。調香は洋書か手さぐりで石鹸工場の片隅で行われ、松沢商店の丁稚だった長谷川藤太郎も石鹸製造・配達・営業・調香のすべてを行った
    • [27]明治30年代、調香済みの輸入香料は高価で日本人の好みに馴染まず、原料を輸入して国内で調香する傾向が出てきた。調香は洋書か手さぐりで石鹸工場の片隅で行われ、松沢商店の丁稚だった長谷川藤太郎も石鹸製造・配達・営業・調香のすべてを行った
    • [28]社史年表の1906年の項に、中村菊五郎が平野水にエッセンスを入れサイダーとして発売したこと、川崎近雄が清涼飲料剤製法を刊行したことが載る
    • [29]社史年表の1906年の項に、中村菊五郎が平野水にエッセンスを入れサイダーとして発売したこと、川崎近雄が清涼飲料剤製法を刊行したことが載る
    • [31]特許局への商標登録(大正13年=1924年)の登録通知並ニ領収証が社史に載る
    • [32]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
    • [33]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
    • [34]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
    • [35]トレード・マークはランビキ(蒸留器)を図形化し藤太郎・長谷川のイニシアルを入れたもの。制定の正確な年代は不明だが創業後間もない頃。ランビキは最も一般的な採油法である水蒸気蒸留の機器。形は日本のものと違い、洋書から模したとみられる
  • 長谷川香料 有価証券報告書 第64期(2025年9月期)【沿革】
    • [22]創業地の東京市日本橋区は現在の東京都中央区
  • フードケミカル 11(11) 1995年「インタビュー 長谷川香料(株)長谷川正三」
    • [30]長谷川正三は、長谷川香料は歴史が古く、調合香料を中心に総合香料会社として発展してきたと述べた
  • 証券アナリストジャーナル 1995年8月 別冊付録 長谷川正三
    • [36]香料には天然香料、合成香料、それらを混ぜ合わせた調合香料がある

出典・参考

4件
出典・参考
  • 長谷川香料 有価証券報告書 第64期(2025年9月期)【沿革】
  • 長谷川香料八十年史(1985)コマ40-54「創業時の長谷川藤太郎商店」
  • 証券アナリストジャーナル 1995年8月 別冊付録 長谷川正三
  • フードケミカル 11(11) 1995年「インタビュー 長谷川香料(株)長谷川正三」

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