アイカ工業:愛知化学工業の設立と「愛知無敵糊」の発売
1936年〜愛知時計電機から分かれた化学部門と、海軍の指定工場となったユリア樹脂接着剤「愛知無敵糊」
愛知時計電機は1936年10月、化学製品部門を切り離し、愛知化学工業を別会社として設立した。当時の愛知時計電機では、安全ガラス・強化ガラス・点火栓の研究試作が量産に移る段階に来ていた。合成樹脂接着剤の製品化に向けた研究も進行中。これらの新製品を企業として育てることが、分離の狙いである。愛知時計電機には、時計・水道メーター部門や不動産部門を分離して業容の拡大に対処した前例があった。9月14日の発起人会では、愛知時計電機取締役の鈴木惣一郎氏ら11名が資本金100万円での設立を決めた。新会社は親会社の航空発動機用点火栓、安全強化ガラス、化学製品の各部門を承継して発足した。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [1]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [2]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [3]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [4]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [5]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [6]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- 会社銀行八十年史(1955)日本会社史 愛知化学工業
- [7]1936年10月、愛知時計電機の点火栓・安全強化ガラス・化学製品部門を承継し資本金100万円で発足
愛知化学工業は1937年10月21日に操業を始め、海軍向けの航空機用点火栓を主力とした。同年5月には、強化硝子・安全硝子と航空用点火栓の業務一切を愛知時計電機から譲り受けていた。操業の日に愛知時計電機から約140名が移籍し、うち110名は点火栓部門の従業員である。硝子工場は安全ガラスと強化ガラスを、化学工場は液状膠や木材用接着剤を受け持った。点火栓は同年12月に海軍の購買名簿へ登録され、第3次海軍補充計画による航空機増産で需要が急増した。1938年3月に点火栓工場を増築して磁器工場を新設し、従業員は同年6月に565名を数えた。海軍への営業は愛知時計電機が窓口となって代行する体制だった。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [8]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [10]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [11]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [12]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [13]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [14]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業
- [9]1937年5月、愛知時計より強化硝子及び安全硝子・航空用点火栓の業務一切を譲り受けた
愛知化学工業は1939年2月、ユリア樹脂接着剤「愛知無敵糊」の本格的な生産と販売を始めた。研究成果は愛知時計電機時代の1936年7月に発表済みで、企業化のために新会社へ引き継がれた。1938年7月に特許を得て市場に出したものの、粘度と保存性の問題で製品が固まり、返品が相次いだ。木製の航空機部材や舟艇の接合には、耐水性と接着力に優れた接着剤が欠かせなかった。海軍は1940年11月、愛知化学工業に海軍方式の「ユリ接着剤」の製造を許可し、第1号の指定生産工場とした。最も需要の多い用途は航空機の木製落下増槽で、点火栓・ガラスと並ぶ製品群となった。戦時の量産で積んだ接着剤の経験が、戦後に民需へ転じる足場となったと推察される。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [15]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [16]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [17]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [18]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [19]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業
- [20]設立後、点火栓・硝子の製造販売とあわせて新しく木材接着剤も生産した
参考文献[1]-[20]
- アイカ工業五十年史(1987)
- [1]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [2]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [3]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [4]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [5]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [6]1936年中ごろ愛知時計電機が新製品企業化のため化学製品部門の分離を決定、9月14日発起人会(鈴木惣一郎ら11名、資本金100万円)
- [8]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [10]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [11]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [12]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [13]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [14]1937年10月21日操業開始、約140名移籍(点火栓110名)、同年12月海軍購買名簿登録、③計画で需要急増、1938年3月増築・6月565名
- [15]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [16]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [17]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [18]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- [19]1936年7月研究発表、1938年7月特許・愛知無敵糊として発売も返品、1939年2月本格生産販売、1940年11月海軍ユリ接着剤の第1号指定生産工場、用途は落下増槽が最多
- 会社銀行八十年史(1955)日本会社史 愛知化学工業
- [7]1936年10月、愛知時計電機の点火栓・安全強化ガラス・化学製品部門を承継し資本金100万円で発足
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業
- [9]1937年5月、愛知時計より強化硝子及び安全硝子・航空用点火栓の業務一切を譲り受けた
- [20]設立後、点火栓・硝子の製造販売とあわせて新しく木材接着剤も生産した
1941年〜海軍の増産で開いた星崎・新川工場と、戦後の製紙転換と名古屋証券取引所上場
愛知化学工業は海軍の増産要求に応じ、1943年6月に星崎工場、1944年3月に新川工場を開設した。星崎工場は、企業整備の対象となった三綿商店の織布工場を転用した点火栓用磁器碍子の焼成拠点である。1943年9月には三綿商店の全株式1万5000株を取得し、系列会社に組み入れた。新川工場の開設は、ユリア樹脂接着剤の生産量が1943年4月から急増し設備能力を超えたためである。東洋製紙名古屋工場の土地約1万5400m2と建物を買収し、空襲に備える疎開を兼ねて接着剤設備を移した。1944年5月に軍需会社の指定を受け、資本金は同年10月に400万円となった。疎開命令による分工場も含め、終戦時の事業場は10か所に及んだ。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [21]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [22]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [23]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [24]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [25]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- 会社銀行八十年史(1955)日本会社史 愛知化学工業
- [26]1943年星崎・1944年新川工場を買収、1944年5月軍需会社指定、同年10月資本金400万円、終戦時事業場10
- [27]1943年星崎・1944年新川工場を買収、1944年5月軍需会社指定、同年10月資本金400万円、終戦時事業場10
終戦で軍需が途絶えると、愛知化学工業は新川工場を拠点に接着剤・化学品・製紙の民需へ転じた。1945年10月31日から各工場の事業転換計画書をGHQへ順次提出し、新川工場には合成樹脂接着剤と製紙を掲げた。許可後の同年11月にユリア樹脂接着剤の生産を再開し、家具や合板の業者に納めた。石炭酸の在庫を生かして人工甘味料ズルチンを1946年3月に、フェノール系成型材料を4月に生産開始。製紙は旧東洋製紙の遊休設備と技術者を使い、1946年3月に塵紙の抄紙を始めた。同年12月の火災で新川工場は全焼し、製紙設備の復旧は1948年6月までかかった。戦後の経営難のなかで星崎・新川・桜田以外の事業場は売却となり、品目も点火栓・板紙・接着剤に絞り込まれた。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [28]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [29]1945年10月31日から4工場の事業転換計画書をGHQに提出、新川工場は合成樹脂接着剤・製紙ほか
- [30]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [31]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [32]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [33]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- 会社銀行八十年史(1955)日本会社史 愛知化学工業
- [34]戦後の経営難で星崎・新川・桜田以外の事業場を売却し、品目を点火栓・板紙・接着剤中心に整理縮小
愛知化学工業は戦時債務を増資で清算し、1949年5月16日の取引再開と同時に名古屋証券取引所へ上場した。終戦時の借入金は4000万円にのぼり、本社工場は1945年10月27日に進駐軍の宿舎用として接収された。1946年8月には特別経理会社に指定され、資産と負債を新旧の勘定に分けた。1948年5月31日に企業再建整備計画の認可を得て、資本金を10倍の4000万円とした。この増資で、旧勘定の債務約4300万円のうち3600万円が片付いた。それでも1949年5月期の借入金138,162千円は、資本金の3倍を超える額である。上場後も業績不振で株価は低迷し、1950年6月に12円の最安値をつけた。上場は資金の調達先を増やす手段というより、整理を終えた会社の再出発の区切りだったとみられる。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [35]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- [36]終戦時借入金4000万円、本社工場1945年10月27日進駐軍に接収、1946年8月特別経理会社指定
- [37]終戦時借入金4000万円、本社工場1945年10月27日進駐軍に接収、1946年8月特別経理会社指定
- [38]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- [39]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- [41]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- 株式会社年鑑 1950年版 愛知化學工業
- [40]1949年5月時点の貸借対照表で資本金40,000千円・借入金138,162千円、本社名古屋市中区南桑名町
参考文献[21]-[41]
- アイカ工業五十年史(1987)
- [21]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [22]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [23]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [24]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [25]1943年6月星崎工場開設(三綿商店織布工場を転用、9月同社全株式1万5000株取得)、1944年3月東洋製紙名古屋工場を買収し新川工場開設(接着剤の生産急増に対応)
- [28]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [29]1945年10月31日から4工場の事業転換計画書をGHQに提出、新川工場は合成樹脂接着剤・製紙ほか
- [30]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [31]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [32]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [33]1945年11月接着剤再開、1946年3月ズルチン・4月成型材料、1946年3月塵紙操業、12月火災で全焼、1948年6月2号抄紙機復旧
- [35]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- [36]終戦時借入金4000万円、本社工場1945年10月27日進駐軍に接収、1946年8月特別経理会社指定
- [37]終戦時借入金4000万円、本社工場1945年10月27日進駐軍に接収、1946年8月特別経理会社指定
- [38]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- [39]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- [41]1948年5月31日企業再建整備計画認可、10倍増資で資本金4000万円、旧勘定債務4300万円中3600万円清算、1949年5月16日名証上場、1950年6月株価12円
- 会社銀行八十年史(1955)日本会社史 愛知化学工業
- [26]1943年星崎・1944年新川工場を買収、1944年5月軍需会社指定、同年10月資本金400万円、終戦時事業場10
- [27]1943年星崎・1944年新川工場を買収、1944年5月軍需会社指定、同年10月資本金400万円、終戦時事業場10
- [34]戦後の経営難で星崎・新川・桜田以外の事業場を売却し、品目を点火栓・板紙・接着剤中心に整理縮小
- 株式会社年鑑 1950年版 愛知化學工業
- [40]1949年5月時点の貸借対照表で資本金40,000千円・借入金138,162千円、本社名古屋市中区南桑名町
1950年〜累積赤字で愛知電装へ譲渡した点火栓事業と、メラミン樹脂から開いた化粧板
愛知化学工業は1951年10月にメラミン樹脂焼付塗料を発売し、金属製品向けの塗料に参入した。研究は1949年10月に始め、愛知県の産業技術振興助成金50万円を得て1951年3月に新川工場へ試験設備を置いた。発売後しばらくは販路が開けず、最初の顧客は1952年に引合いのあった安全カミソリ業者である。替刃用の焼付塗料は同年8月に「メラスター」と名付けて売り出した。ミシンや自転車の塗装は焼付漆が主力で、高温・長時間の焼付けが生産性を妨げ、漆の入手も難しかった。そこで1952年12月にメラミン系の下塗り塗料を開発し、自転車業界への販路を開いた。新川工場では戦後、板紙と並んで合成樹脂塗料の製造販売が事業の一角を占めた。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [42]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [43]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [44]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [45]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [46]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [47]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業
- [48]終戦後、新川工場で板紙の製造を始め、合成樹脂塗料も製造販売した
愛知化学工業は1957年3月、点火栓事業を星崎・桜田の両工場ごと愛知電装へ譲渡した。点火栓と陶磁器の不振で、1949年6月〜11月期の決算は当期損失1481万円、累積借入金1億6543万円である。1949年7月に171名、1950年4月に158名を解雇し、工場や本社の売却も重ねた。陶磁器の製造は1956年3月に打ち切り、点火栓は需要が伸びても借入金の金利が化学・製紙の利益を吸い上げた。1956年5月に日本電装から提携の申し入れがあり、1957年1月18日に折半出資で愛知電装を設立した。本社を同年3月に新川町へ移した後、残った113名の事業は製紙と化成品の2つである。1958年11月には、手元に残っていた愛知電装の株式をすべて日本電装に譲渡した。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [49]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [51]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [52]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [53]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [54]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [55]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [57]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業
- [50]1957年3月愛知電装に点火栓事業を譲渡、同月本社を新川町に移転
- 株式会社年鑑 1959年版 愛知化學工業
- [56]1958年5月時点の本社は愛知県西春日井郡新川町字西堀江、代表取締役川井臺平
愛知化学工業は1959年5月の取締役会で、メラミン化粧板の製造設備の新設を承認した。源流は、製紙部門が耐水段ボール用中芯原紙をめざして取り組んだ合成樹脂加工紙の研究にある。その成果を化学部門の成型材料の技術と結びつけ、1958年7月にメラミン樹脂含浸紙「アイシート」を発売した。化粧板では、先発メーカー品の厚さ1.6mmに対して1.2mmで同等の物性を出し、価格で差をつける方針を採った。承認に販売見通しの調査という条件が付いた背景には、資金力のある先発3社と新規参入の動き。工場は同年8月に新川工場の奥で着工し、9月26日の伊勢湾台風を挟んで12月に完成した。樹脂と紙の両方の技術を社内に持っていたことが、化粧板への参入を可能にしたと思われる。
- アイカ工業五十年史(1987)
- [58]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [59]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [60]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [61]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [62]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業
- [63]1959年12月メラミン化粧板工場を完成、1960年4月より市販
参考文献[42]-[63]
- アイカ工業五十年史(1987)
- [42]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [43]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [44]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [45]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [46]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [47]1949年10月研究開始、助成金50万円で1951年3月工場、10月発売、1952年安全カミソリ替刃向け・8月メラスター命名、焼付漆の低生産性・入手難に着目し12月下塗り塗料で自転車業界へ
- [49]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [51]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [52]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [53]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [54]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [55]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [57]1949年下期損失1481万円・借入金1億6543万円、1949-50年に人員整理、1956年3月陶磁器打切り、1956年5月日本電装が提携申入れ、1957年1月18日愛知電装設立(折半)、3月1日星崎・桜田工場ごと点火栓事業を愛知電装へ譲渡、113名で製紙・化成品へ、1958年11月残る愛知電装株を日本電装へ譲渡
- [58]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [59]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [60]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [61]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- [62]製紙部門の合成樹脂加工紙研究からレジンペーパー開発、1958年7月アイシート発売、厚さ1.2mmで先発1.6mmと差別化、1959年5月取締役会で調査条件付き承認、8月着工・12月完成
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業
- [48]終戦後、新川工場で板紙の製造を始め、合成樹脂塗料も製造販売した
- [50]1957年3月愛知電装に点火栓事業を譲渡、同月本社を新川町に移転
- [63]1959年12月メラミン化粧板工場を完成、1960年4月より市販
- 株式会社年鑑 1959年版 愛知化學工業
- [56]1958年5月時点の本社は愛知県西春日井郡新川町字西堀江、代表取締役川井臺平
1936年〜1959年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | 製紙新1号抄紙機が完成し仙貨紙・パルプ紙などの生産を開始(1948/09) |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | 日本電装と点火栓生産販売の愛知電装を設立(1957/01) |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年11月期 | 単体 | 3 | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑(1963年版)半期合算
出典・参考
5件
- アイカ工業五十年史(1987)
- 株式会社年鑑 1950年版 愛知化學工業
- 会社銀行八十年史(1955)日本会社史 愛知化学工業
- 株式会社年鑑 1959年版 愛知化學工業
- 企業の歴史 明治百年(1968)アイカ工業