第1章 年〜年

オークネット:TVオートオークションの開始と衛星通信への移行

1984年〜港区で実質発足したエフティーエスと、会員560社で始めたTVオートオークション

藤崎眞孝氏は1984年3月、東京都港区北青山に資本金100万円で株式会社エフティーエスを設立し、同年9月に商号をオークネットへ改めた。1999〜2005年の社名の表記は、エフティーエフ。藤崎眞孝氏は1968年に東京都調布市で中古車販売のフレックス自動車を興し、首都圏に17カ所の営業所を持つ業者に育てた。全国約120カ所の会場を回っても望む車種を落札できる保証はなく、会場までの交通費と輸送費が経営の負担になった。業界全体でも、全国約130カ所の会場の間を年間約200万台の中古車がレッカー車で移動した。藤崎眞孝氏は、車も業者も1カ所に移さずにセリを成立させる仕組みを次の事業に定めた。1985年1月の増資では、自動車ローンで取引のあったオリエントファイナンスが引受先に加わり、資本金は1億5,000万円となった。

  • オークネット 有価証券報告書(2021年提出)【沿革】
    • [1]1984年3月 中古車TVオークションを主催する目的として、株式会社エフティーエスを東京都港区北青山に設立
  • 証券 52(7) 2000年
    • [2]設立年月日 1982年3月11日(実質1984年3月9日)
  • オークネット 有価証券報告書(1999年提出)【沿革】
    • [3]1984年3月 株式会社エフティーエフを東京都港区北青山に資本金100万円で設立、同年9月にオークネットへ商号変更、1985年1月にオリエントファイナンスへの第三者割当等で資本金1億5,000万円
    • [8]1984年3月 株式会社エフティーエフを東京都港区北青山に資本金100万円で設立、同年9月にオークネットへ商号変更、1985年1月にオリエントファイナンスへの第三者割当等で資本金1億5,000万円
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
    • [4]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
    • [5]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
    • [7]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
    • [9]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
    • [6]従来は全国約130カ所の中古車オークション会場の間を年間約200万台がレッカー車で移動していた

オークネットは1985年6月、会員560社・出品119台で中古車テレビオークションを始めた。システムの開発を指揮したのは、藤崎眞孝氏と、弟で常務の藤崎清孝氏である。端末は汎用機から不要な機能を外して安価にし、コンピューターに不慣れな業者でも抵抗なく操作できる設計とした。出品車の写真をレーザーディスクに収めて週1回会員へ配り、セリ当日は本社のホストと会員の端末を電話回線でつないだ。出品者が事前に用意するのは、写真のほか、車名・年式・傷の位置といった文字情報。日本中古車販売連合会は当初、会員を全国の会場から締め出すほど反発したものの、輸送費と人件費を節約できるため加入は止まらなかった。開始から1年足らずの1986年5月に、会員数は1,000社を超えた。

  • オークネット 有価証券報告書(1999年提出)【沿革】
    • [10]1985年6月 中古車テレビオークション開始(参加会員560社・出品台数119台)、1986年5月 会員数1,000社突破
    • [17]1985年6月 中古車テレビオークション開始(参加会員560社・出品台数119台)、1986年5月 会員数1,000社突破
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
    • [11]システム開発は藤崎眞孝社長と弟の藤崎清孝常務が指揮し、汎用機の余分な機能を捨てて低価格に抑え操作への抵抗感をなくす工夫をし、映像をLDに収め週1回配布して電話回線でセリをする方式を完成
    • [12]システム開発は藤崎眞孝社長と弟の藤崎清孝常務が指揮し、汎用機の余分な機能を捨てて低価格に抑え操作への抵抗感をなくす工夫をし、映像をLDに収め週1回配布して電話回線でセリをする方式を完成
    • [13]システム開発は藤崎眞孝社長と弟の藤崎清孝常務が指揮し、汎用機の余分な機能を捨てて低価格に抑え操作への抵抗感をなくす工夫をし、映像をLDに収め週1回配布して電話回線でセリをする方式を完成
  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
    • [14]LD方式はホストと会員の端末・LDプレーヤーを電話回線で結び、出品者は写真と車名・年式・傷の箇所などのデータを用意。当初は中販連が猛反対し会員を会場から締め出したが、輸送費・人件費の節約で会員は増え続けた
    • [15]LD方式はホストと会員の端末・LDプレーヤーを電話回線で結び、出品者は写真と車名・年式・傷の箇所などのデータを用意。当初は中販連が猛反対し会員を会場から締め出したが、輸送費・人件費の節約で会員は増え続けた
    • [16]LD方式はホストと会員の端末・LDプレーヤーを電話回線で結び、出品者は写真と車名・年式・傷の箇所などのデータを用意。当初は中販連が猛反対し会員を会場から締め出したが、輸送費・人件費の節約で会員は増え続けた

中古車業界では、現車を確かめずに取引することはできないと考えられていた。競合のJAAの担当者も、業者には自分の目で確かめて納得したいという意識が根強いと指摘した。オークネットは会員の申告と出品車を委託検査員に照合させ、独自の基準で0〜9段階の評価点を付けて買い手の判断材料とする仕組みである。評価は外観・タイヤ・内装など10項目に及び、JAAも他の会場を上回る厳しさと評した。検査員は1991年時点で約80人を数え、研修で技能を認められた者だけを検査業務に充てた。藤崎眞孝氏は1991年、検査員制度の充実を事業が成功した最大の要因に挙げた。映像だけで売買を成り立たせるには、通信の仕組みより先に商品情報の信頼を担保する必要があったと推察される。

  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
    • [18]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした
    • [20]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした
    • [22]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした
    • [24]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
    • [19]JAA営業課主任は業者には自分の目で納得して取引したい気持ちが根強いと述べた。オークネットは全国80人の検査員を置き10項目を独自評価、JAAもほかより厳しい基準と認め、検査員には養成期間と年2回の研修
    • [21]JAA営業課主任は業者には自分の目で納得して取引したい気持ちが根強いと述べた。オークネットは全国80人の検査員を置き10項目を独自評価、JAAもほかより厳しい基準と認め、検査員には養成期間と年2回の研修
    • [23]JAA営業課主任は業者には自分の目で納得して取引したい気持ちが根強いと述べた。オークネットは全国80人の検査員を置き10項目を独自評価、JAAもほかより厳しい基準と認め、検査員には養成期間と年2回の研修
参考文献[1]-[24]
  • オークネット 有価証券報告書(2021年提出)【沿革】
    • [1]1984年3月 中古車TVオークションを主催する目的として、株式会社エフティーエスを東京都港区北青山に設立
  • 証券 52(7) 2000年
    • [2]設立年月日 1982年3月11日(実質1984年3月9日)
  • オークネット 有価証券報告書(1999年提出)【沿革】
    • [3]1984年3月 株式会社エフティーエフを東京都港区北青山に資本金100万円で設立、同年9月にオークネットへ商号変更、1985年1月にオリエントファイナンスへの第三者割当等で資本金1億5,000万円
    • [8]1984年3月 株式会社エフティーエフを東京都港区北青山に資本金100万円で設立、同年9月にオークネットへ商号変更、1985年1月にオリエントファイナンスへの第三者割当等で資本金1億5,000万円
    • [10]1985年6月 中古車テレビオークション開始(参加会員560社・出品台数119台)、1986年5月 会員数1,000社突破
    • [17]1985年6月 中古車テレビオークション開始(参加会員560社・出品台数119台)、1986年5月 会員数1,000社突破
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
    • [4]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
    • [5]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
    • [7]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
    • [9]藤崎眞孝社長は1968年に調布市でフレックス自動車を開業し首都圏17営業所に拡大、全国120会場を回る交通費・輸送費が負担で、会場に集めないテレビオークションを次の事業とし、オリコの47%出資を得た
    • [11]システム開発は藤崎眞孝社長と弟の藤崎清孝常務が指揮し、汎用機の余分な機能を捨てて低価格に抑え操作への抵抗感をなくす工夫をし、映像をLDに収め週1回配布して電話回線でセリをする方式を完成
    • [12]システム開発は藤崎眞孝社長と弟の藤崎清孝常務が指揮し、汎用機の余分な機能を捨てて低価格に抑え操作への抵抗感をなくす工夫をし、映像をLDに収め週1回配布して電話回線でセリをする方式を完成
    • [13]システム開発は藤崎眞孝社長と弟の藤崎清孝常務が指揮し、汎用機の余分な機能を捨てて低価格に抑え操作への抵抗感をなくす工夫をし、映像をLDに収め週1回配布して電話回線でセリをする方式を完成
    • [19]JAA営業課主任は業者には自分の目で納得して取引したい気持ちが根強いと述べた。オークネットは全国80人の検査員を置き10項目を独自評価、JAAもほかより厳しい基準と認め、検査員には養成期間と年2回の研修
    • [21]JAA営業課主任は業者には自分の目で納得して取引したい気持ちが根強いと述べた。オークネットは全国80人の検査員を置き10項目を独自評価、JAAもほかより厳しい基準と認め、検査員には養成期間と年2回の研修
    • [23]JAA営業課主任は業者には自分の目で納得して取引したい気持ちが根強いと述べた。オークネットは全国80人の検査員を置き10項目を独自評価、JAAもほかより厳しい基準と認め、検査員には養成期間と年2回の研修
  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
    • [6]従来は全国約130カ所の中古車オークション会場の間を年間約200万台がレッカー車で移動していた
    • [14]LD方式はホストと会員の端末・LDプレーヤーを電話回線で結び、出品者は写真と車名・年式・傷の箇所などのデータを用意。当初は中販連が猛反対し会員を会場から締め出したが、輸送費・人件費の節約で会員は増え続けた
    • [15]LD方式はホストと会員の端末・LDプレーヤーを電話回線で結び、出品者は写真と車名・年式・傷の箇所などのデータを用意。当初は中販連が猛反対し会員を会場から締め出したが、輸送費・人件費の節約で会員は増え続けた
    • [16]LD方式はホストと会員の端末・LDプレーヤーを電話回線で結び、出品者は写真と車名・年式・傷の箇所などのデータを用意。当初は中販連が猛反対し会員を会場から締め出したが、輸送費・人件費の節約で会員は増え続けた
    • [18]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした
    • [20]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした
    • [22]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした
    • [24]業界では現車を見ない取引は不可能とされていたため、委託検査員(約80人)が申告内容と出品車を照合し独自基準で0〜9段階の評価点を付け、研修で技能を認められた者だけが検査。藤崎眞孝社長は検査員制度の充実を成功の最大要因とした

1988年〜1回2,000台で詰まったレーザーディスク方式と、1台22秒の衛星通信オークション

レーザーディスク方式では1台のセリに約45秒を要し、1回に扱える出品は2,000台が上限である。会員が増えるにつれ、1回あたりの出品台数はこの容量の限界に近づいた。1991年時点でも、会員は平均して1日1社強の速さで増えた。1988年12月には株主割当と第三者割当の増資を実施し、資本金は2億1,300万円。ディスクを毎週制作して全国の会員へ届けるため、制作費と物流費も会員数に応じて膨らんだ。出品車リストを作る工程も挟まるため、出品の締め切りはセリの3日前に置いた。藤崎眞孝氏は台数の上限を前に、ディスクの配布をやめ、映像を衛星通信で全国へ同時に送る方式への移行を決めた。会員の増加が、そのまま初期方式の上限を押し上げる圧力に変わったと考えられる。

  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
    • [25]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
    • [26]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
    • [27]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
    • [31]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
  • オークネット 有価証券報告書(1999年提出)【沿革】
    • [28]1988年12月 有償株主割当及び有償第三者割当により資本金2億1,300万円に増資
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
    • [29]LDから広域・同時に画像と音声を送れる通信衛星へ切り替え、LDの製作費や増大する物流コストを解消。LD時代は出品車リスト作成のため出品締め切りが3日前
    • [30]LDから広域・同時に画像と音声を送れる通信衛星へ切り替え、LDの製作費や増大する物流コストを解消。LD時代は出品車リスト作成のため出品締め切りが3日前
    • [32]LDから広域・同時に画像と音声を送れる通信衛星へ切り替え、LDの製作費や増大する物流コストを解消。LD時代は出品車リスト作成のため出品締め切りが3日前

オークネットは1989年8月、通信衛星JC-SATを使う中古車テレビオークションを始めた。セリの速さは1台あたり22〜25秒となり、レーザーディスク方式の約45秒からほぼ半分に縮んだ。出品リストを作る工程が不要になり、締め切りはセリの3日前から前日へ移った。1990年の出品台数は11万2000台に達し、業界最大手のJAAに次ぐ規模となった。1991年には土曜と日曜の午前10時から午後8時まで開催し、成約は出品の約半分にのぼる。一方で中継器1本の賃借料は月7,000万円かかり、東芝と共同で1本を4チャンネルに分割して残りを他社に貸し、負担を抑えた。出品台数の上限を外した衛星の回線が、中古車以外の商品へ広げる余地も生んだとみられる。

  • オークネット 有価証券報告書(1999年提出)【沿革】
    • [33]1989年8月 通信衛星(JC-SAT)中古車テレビオークションを開始
  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
    • [34]衛星通信方式への移行でセリは1台22〜25秒に。1991年時点で毎週土日10時〜20時開催、年間ほぼ10万台を扱い約半分が成約
    • [37]衛星通信方式への移行でセリは1台22〜25秒に。1991年時点で毎週土日10時〜20時開催、年間ほぼ10万台を扱い約半分が成約
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
    • [35]衛星方式で出品車リスト作成を省き締め切りを3日前から前日に。1990年の出品台数11万2000台でJAAに次ぐ規模。トランスポンダー1本の賃料月7,000万円を東芝と共同で4チャンネルに分割し残りを他企業に貸して低減
    • [36]衛星方式で出品車リスト作成を省き締め切りを3日前から前日に。1990年の出品台数11万2000台でJAAに次ぐ規模。トランスポンダー1本の賃料月7,000万円を東芝と共同で4チャンネルに分割し残りを他企業に貸して低減
    • [38]衛星方式で出品車リスト作成を省き締め切りを3日前から前日に。1990年の出品台数11万2000台でJAAに次ぐ規模。トランスポンダー1本の賃料月7,000万円を東芝と共同で4チャンネルに分割し残りを他企業に貸して低減
参考文献[25]-[38]
  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
    • [25]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
    • [26]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
    • [27]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
    • [31]LD方式は1台のセリに45秒程度かかり1回2,000台が限界で、会員増で1回の出品台数が容量限界2,000台に迫ったため衛星通信方式へ移行。会員は平均して毎日1社強ずつ増加(1991年時点)
    • [34]衛星通信方式への移行でセリは1台22〜25秒に。1991年時点で毎週土日10時〜20時開催、年間ほぼ10万台を扱い約半分が成約
    • [37]衛星通信方式への移行でセリは1台22〜25秒に。1991年時点で毎週土日10時〜20時開催、年間ほぼ10万台を扱い約半分が成約
  • オークネット 有価証券報告書(1999年提出)【沿革】
    • [28]1988年12月 有償株主割当及び有償第三者割当により資本金2億1,300万円に増資
    • [33]1989年8月 通信衛星(JC-SAT)中古車テレビオークションを開始
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
    • [29]LDから広域・同時に画像と音声を送れる通信衛星へ切り替え、LDの製作費や増大する物流コストを解消。LD時代は出品車リスト作成のため出品締め切りが3日前
    • [30]LDから広域・同時に画像と音声を送れる通信衛星へ切り替え、LDの製作費や増大する物流コストを解消。LD時代は出品車リスト作成のため出品締め切りが3日前
    • [32]LDから広域・同時に画像と音声を送れる通信衛星へ切り替え、LDの製作費や増大する物流コストを解消。LD時代は出品車リスト作成のため出品締め切りが3日前
    • [35]衛星方式で出品車リスト作成を省き締め切りを3日前から前日に。1990年の出品台数11万2000台でJAAに次ぐ規模。トランスポンダー1本の賃料月7,000万円を東芝と共同で4チャンネルに分割し残りを他企業に貸して低減
    • [36]衛星方式で出品車リスト作成を省き締め切りを3日前から前日に。1990年の出品台数11万2000台でJAAに次ぐ規模。トランスポンダー1本の賃料月7,000万円を東芝と共同で4チャンネルに分割し残りを他企業に貸して低減
    • [38]衛星方式で出品車リスト作成を省き締め切りを3日前から前日に。1990年の出品台数11万2000台でJAAに次ぐ規模。トランスポンダー1本の賃料月7,000万円を東芝と共同で4チャンネルに分割し残りを他企業に貸して低減

出典・参考

5件
出典・参考
  • オークネット 有価証券報告書(1999年提出)【沿革】
  • オークネット 有価証券報告書(2021年提出)【沿革】
  • 日経ビジネス 612 1991年10月28日号
  • 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 別冊付録
  • 証券 52(7) 2000年

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