第2章 年〜年

ビックカメラ:池袋本店の開店とビックポイントカードの導入

池袋本店の薄利多売から生毛工房・BS放送へ

1992年〜池袋本店の開店とビックポイントカードの導入

1992年は、ビックカメラが池袋の売場を作り替えた年だった。6月に池袋東口駅前店を開店し、9月には東京都豊島区へ池袋本店を開店している。同じ6月に埼玉県朝霞市の商品センターを閉じ、新座市へ移して在庫の置き場も作り直した。翌1993年2月には渋谷東口店を開店した。1996年の時点で店舗は池袋5店、渋谷2店、横浜1店の合計8店で、駅前に店を重ねる出店が続いている。1998年4月には本部部門を東京都豊島区高田へ移し、10月には新座商品センターを閉じて東京都板橋区に前野町商品センターを開設した。店の数を散らすのではなく、同じ駅前で一店あたりの受け皿を大きくする置き方だった。

  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]平成4年9月、東京都豊島区に池袋本店を開店した
    • [2]平成4年6月、東京都豊島区に池袋東口駅前店を開店した
    • [3]平成4年6月、朝霞商品センターを閉鎖し、埼玉県新座市に新座商品センターを開設した
    • [4]平成5年2月、東京都渋谷区に渋谷東口店を開店した
    • [6]平成10年4月に本部部門を東京都豊島区高田へ移転し、同年10月に新座商品センターを閉鎖して東京都板橋区に前野町商品センターを開設した
  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [5]1996年時点で池袋5店、渋谷2店、横浜1店の合計8店舗を展開していた

1992年12月、ビックカメラは顧客獲得のためビックポイントカードを導入し、ポイントサービスを開始した。翌1993年4月にはビック商品券の販売も始めている。1996年の時点で、カメラの店頭価格はメーカー希望小売価格に対して平均3割から4割5分引きだった。高級機種や新製品の値引率は約2割5分と低く、発売から年数が経つにつれて高くなり、なかには6割引きのカメラもあった。家電製品も3割引き、4割引きが当たり前という水準にある。1999年1月には新決済システムのジェイデビット決済を、実証実験とともに取り扱い始めた。値引きの幅を商品の鮮度で変え、圧縮した粗利の一部をポイントとして次の来店へ繰り延べる組み立てだった。

  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]平成4年12月、ビックポイントカードを導入し、顧客獲得のためポイントサービスを開始した
    • [8]平成5年4月、ビック商品券の販売を開始した
    • [12]平成11年1月、新決済システムのジェイデビット決済を実証実験とともに取扱い開始した
  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [9]メーカー希望小売価格と比較した販売価格は平均30〜45%引きだった
    • [10]高級機種や新製品は値引率が約25%引きと低く、発売から年数が経つにつれて値引率が高くなり、なかには60%引きのカメラもあった
    • [11]家電製品も3割引き、4割引きは当たり前という価格だった

1993年3月、家電商品の取付と修理を目的として株式会社東京サービスステーションが設立された。新井氏は、いくら性能が良くても使いこなせないものには価値がないと考えていた。撮りたいときに撮れないカメラはただの荷物だという言い方をしている。高齢化が進めばビデオや留守番電話を使えない人が増え、故障したときはさらに分からなくなる。だからこそメンテナンスなどのアフターサービスが要ると考え、サービスセンターを別会社として設けて力を入れ始めた。1996年3月には不動産の賃貸・管理を目的として株式会社ビックカメラビルディングを設立し、店舗の建物も自前で持ち始めている。安く売る店が売りっぱなしになれば、次の来店は来ない。

  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]平成5年3月、家電商品の取付・修理を目的に株式会社東京サービスステーションを設立した
    • [18]平成8年3月、不動産の賃貸・管理を目的に株式会社ビックカメラビルディングを設立した
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [14]いくら性能が良くても、難しくて使いこなせないものは価値がないと新井隆司氏は述べた
    • [15]撮りたい時に撮れないカメラはただの荷物だと新井隆司氏は述べた
    • [16]高齢化社会へ進むとビデオや留守番電話を使えない人が増え、故障した場合はまったく分からなくなるとみていた
    • [17]メンテナンスなどのアフターサービスが必要になるとして、サービスセンターという別会社を設けてアフターサービスに力を入れ始めた
参考文献[1]-[18]
  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]平成4年9月、東京都豊島区に池袋本店を開店した
    • [2]平成4年6月、東京都豊島区に池袋東口駅前店を開店した
    • [3]平成4年6月、朝霞商品センターを閉鎖し、埼玉県新座市に新座商品センターを開設した
    • [4]平成5年2月、東京都渋谷区に渋谷東口店を開店した
    • [6]平成10年4月に本部部門を東京都豊島区高田へ移転し、同年10月に新座商品センターを閉鎖して東京都板橋区に前野町商品センターを開設した
    • [7]平成4年12月、ビックポイントカードを導入し、顧客獲得のためポイントサービスを開始した
    • [8]平成5年4月、ビック商品券の販売を開始した
    • [12]平成11年1月、新決済システムのジェイデビット決済を実証実験とともに取扱い開始した
    • [13]平成5年3月、家電商品の取付・修理を目的に株式会社東京サービスステーションを設立した
    • [18]平成8年3月、不動産の賃貸・管理を目的に株式会社ビックカメラビルディングを設立した
  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [5]1996年時点で池袋5店、渋谷2店、横浜1店の合計8店舗を展開していた
    • [9]メーカー希望小売価格と比較した販売価格は平均30〜45%引きだった
    • [10]高級機種や新製品は値引率が約25%引きと低く、発売から年数が経つにつれて値引率が高くなり、なかには60%引きのカメラもあった
    • [11]家電製品も3割引き、4割引きは当たり前という価格だった
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [14]いくら性能が良くても、難しくて使いこなせないものは価値がないと新井隆司氏は述べた
    • [15]撮りたい時に撮れないカメラはただの荷物だと新井隆司氏は述べた
    • [16]高齢化社会へ進むとビデオや留守番電話を使えない人が増え、故障した場合はまったく分からなくなるとみていた
    • [17]メンテナンスなどのアフターサービスが必要になるとして、サービスセンターという別会社を設けてアフターサービスに力を入れ始めた

1992年〜生毛工房の羽毛ふとんと専門店の集合体

1992年8月、寝具の製造・販売を目的として株式会社東京羽毛工房が設立された。1995年6月には株式会社生毛工房へ商号を変更している。羽毛ふとんは価格がまちまちなのにどれも同じように見え、何を選べばよいか分からないと新井氏は見ていた。ブランド名を付加価値にして高級品にしたものがある一方、羽毛ふとんとは名ばかりでフェザーが多くダウンの少ない品質の劣るものもあった。そこで安心価格ゾーンに置き、品質を徹底して追求した羽毛ふとんを自ら開発した。1995年7月には寝具製品の原材料を確保するため、EURO COMFORT SP.ZO.Oを設けている。売り物を仕入れるのではなく作る側へ回ったのは、安さの中身を自分で説明できるようにするためだった。

  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [19]平成4年8月、寝具の製造・販売を目的に株式会社東京羽毛工房を設立した
    • [20]株式会社東京羽毛工房は平成7年6月に株式会社生毛工房へ商号を変更した
    • [24]平成7年7月、寝具製品の原材料確保を目的にEURO COMFORT SP.ZO.Oを設立した
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [21]羽毛ふとんは価格がまちまちなのにどれも同じように見え、何を選んだらいいのか分からないと新井隆司氏は述べた
    • [22]ブランド名などを付加価値につけて高級品にしたものや、羽毛ふとんとは名ばかりでフェザーが多くダウンが少ない品質の劣るものがあった
    • [23]安心価格ゾーンでクオリティを徹底的に追求した羽毛ふとんをつくろうと商品開発を手がけた

ビックカメラは1990年代半ばまでに、羽毛布団や生花、スポーツ用品、酒、化粧品、玩具へ取扱いを急速に広げた。1992年頃に始めた生花では、他店なら1本500円以上する大きな3Lサイズのバラを1本250円で並べ、客を集めた。花が高くつくのは売れずに枯れる分が値段に上乗せされているからで、仕入れた当日に売り切ってしまえばよいという考え方だった。店はすでに、カメラと家電の専門ディスカウントストアから総合ディスカウントストアへ姿を変えていた。狙ったのは、目当ての品を買えばすぐ帰る男性客向けの店ではなく、子供連れの家族でも買い物を楽しめる専門店の集まりで、新井氏はこれを、より豊かな生活を提供する専門店の集合体と呼んでいる。

  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [25]ここ数年で羽毛布団、生花、スポーツ用品、酒、化粧品、玩具など取扱い商品を急速に拡大した
    • [26]生花の販売は取材の四年前に始め、他店では1本500円以上する大きい3Lサイズのバラを1本250円で販売して人気を集めた
    • [27]生花の価格が高いのは売れ残って枯れてしまう分も含まれているためで、仕入れたその日のうちに全部の花を売り切ってしまえばよいという考えだった
    • [28]カメラや家電製品の専門ディスカウントストアから総合ディスカウントストアへ変貌を遂げていた
    • [29]男性の客が目当ての商品を買ったらすぐに帰ってしまう専門ディスカウントストアではなく、子供を連れた家族連れでもショッピングが楽しめる専門店の集合体を目指していた
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [30]ビックカメラは単なる流通業という枠を超え、より豊かな生活を提供する専門店の集合体へ発展したと位置づけられた

新井氏は、もともと安いものや良くないものが安くても当たり前であり、良いものが安くなくては安いとはいえないと述べている。取引の基本は共存共栄であり、メーカーとの互いのパイプを太くすることが大切だとしている。店側の言い分は、価格を破壊しているのではなく適正な値段で売っているというものだった。定価に当たり前のように織り込まれてきた無駄な費用を省けば値段は下げられる、という理屈である。組織の面では、1994年10月にパソコン販売部門を切り出して株式会社ビックパソコン館を設け、同社は2001年4月に株式会社ビックピーカンへ商号を改めた。品目ごとに会社を分けても、値段の考え方は一つに揃えていた。

  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [31]もともと安いもの、良くないものが安くても当たり前で、良いものが安くなくては安いとはいえないと新井隆司氏は述べた
    • [32]取引の基本は共存共栄であり、メーカーとのパイプを太くすることが大切だと考えていた
  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [33]よく価格破壊などといわれるが決してそうではなく、適正な価格で販売していると店側は説明した
    • [34]いままでの定価の中に当然のように含まれていた余分なコストを取り除くことで価格は引き下げられる
  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [35]平成6年10月、パソコン販売部門を分離して株式会社ビックパソコン館を設立した
    • [36]株式会社ビックパソコン館は平成13年4月に株式会社ビックピーカンへ商号を変更した
参考文献[19]-[36]
  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [19]平成4年8月、寝具の製造・販売を目的に株式会社東京羽毛工房を設立した
    • [20]株式会社東京羽毛工房は平成7年6月に株式会社生毛工房へ商号を変更した
    • [24]平成7年7月、寝具製品の原材料確保を目的にEURO COMFORT SP.ZO.Oを設立した
    • [35]平成6年10月、パソコン販売部門を分離して株式会社ビックパソコン館を設立した
    • [36]株式会社ビックパソコン館は平成13年4月に株式会社ビックピーカンへ商号を変更した
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [21]羽毛ふとんは価格がまちまちなのにどれも同じように見え、何を選んだらいいのか分からないと新井隆司氏は述べた
    • [22]ブランド名などを付加価値につけて高級品にしたものや、羽毛ふとんとは名ばかりでフェザーが多くダウンが少ない品質の劣るものがあった
    • [23]安心価格ゾーンでクオリティを徹底的に追求した羽毛ふとんをつくろうと商品開発を手がけた
    • [30]ビックカメラは単なる流通業という枠を超え、より豊かな生活を提供する専門店の集合体へ発展したと位置づけられた
    • [31]もともと安いもの、良くないものが安くても当たり前で、良いものが安くなくては安いとはいえないと新井隆司氏は述べた
    • [32]取引の基本は共存共栄であり、メーカーとのパイプを太くすることが大切だと考えていた
  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [25]ここ数年で羽毛布団、生花、スポーツ用品、酒、化粧品、玩具など取扱い商品を急速に拡大した
    • [26]生花の販売は取材の四年前に始め、他店では1本500円以上する大きい3Lサイズのバラを1本250円で販売して人気を集めた
    • [27]生花の価格が高いのは売れ残って枯れてしまう分も含まれているためで、仕入れたその日のうちに全部の花を売り切ってしまえばよいという考えだった
    • [28]カメラや家電製品の専門ディスカウントストアから総合ディスカウントストアへ変貌を遂げていた
    • [29]男性の客が目当ての商品を買ったらすぐに帰ってしまう専門ディスカウントストアではなく、子供を連れた家族連れでもショッピングが楽しめる専門店の集合体を目指していた
    • [33]よく価格破壊などといわれるが決してそうではなく、適正な価格で販売していると店側は説明した
    • [34]いままでの定価の中に当然のように含まれていた余分なコストを取り除くことで価格は引き下げられる

1996年〜薄利多売の値付けと天神店・BS放送への拡張

定価20万円の高級カメラなら、仕入れは14万円、売値は15万円という計算になる。大きく値を下げられたのは、包装費などの経費を削り、平均の粗利益率を5から9%にとどめたからだった。池袋本店のカメラ売場では土曜と日曜に1日およそ1,000台が売れ、それを背景に問屋を通さずメーカー販社からじかに仕入れていた。良い商品を安く出すには、各メーカーとの取引で大量に仕入れることだと新井氏は語っていた。家電製品でも粗利益率は数%にとどまり、メーカー販社とじかに取引していた。値段の安さは、値引きを決めたから生まれたのではなく、売れる量と絞った経費から差し引きで作られていた。

  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [37]定価20万円のカメラの仕入れ価格は14万円、販売価格は15万円だった
    • [38]包装費などの経費も圧縮し、平均粗利益率を5〜9%の範囲に抑えることで大幅な値引を可能にした
    • [39]土曜・日曜には池袋本店だけで1日に約1,000台のカメラが売れた
    • [40]大量の商品は問屋を通さずメーカー販社から直接仕入れており、大量販売による大量仕入・流通経路の短縮で仕入れ価格を抑えた
    • [42]家電製品も粗利益率はわずか数%で、商品はメーカー販社から直接仕入れていた
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [41]より良い商品をより安く提供するには、各メーカーとの取り引きにおいて商品を大量に仕入れることだと新井隆司氏は述べた

よく売れるのは2万円前後のコンパクトカメラで、高級機は月に数台しか売れない。売れ筋に絞り込む同業が多いなかで、池袋本店はあまり売れない機種も充実させ、カメラだけで約3,000機種を揃えていた。受注生産が普通で200万円から300万円する1,000ミリの交換レンズまで在庫として常備している。一方で、毎日周辺の競合ディスカウントストアへ店員が価格調査に出掛け、自店より安い商品があれば即座に値を下げた。年末の安売りの中核商品として並べるビデオテープは、1時間に3回も価格が変わることがあった。新井氏は、専門店の集合体として成長した以上スペシャリストの育成も要るとし、人材は現場で物を見ながら覚えるのが一番早いと述べていた。品揃えで客を呼び、価格で逃がさないという二枚の仕掛けが、同じ売場に重ねられていた。

  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [43]最もよく売れるのは2万円前後の価格帯のオートフォーカスのコンパクトカメラで、コンタックスなどの高級カメラは月に数台しか売れなかった
    • [44]売れ筋機種に商品構成を絞り込むディスカウントストアが多いなか、池袋本店はあまり売れない機種のアイテム数も充実させ、約3,000機種のカメラを揃えていた
    • [45]受注生産が普通で200〜300万円もする1,000ミリの交換レンズでも在庫として常備していた
    • [46]毎日、周辺の競合するディスカウントストアに店員が価格調査に出掛け、自店よりも安い価格の商品があると即座にその商品の価格を引き下げた
    • [47]年末に安売りの目玉商品として販売されるビデオテープは、1時間に3回も価格が変更されることがあった
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [48]専門店の集合体という形で成長してきたためスペシャリストの育成も大切と考え、人材育成は習うより慣れろで、現場で物を見ながら学ぶのが一番早いとした

消費不況といわれた年にも13から14%の伸びを保ち、一号店を開いてから減収の年はなかった。1995年4月期には売上高が1,007億円に届いた。1999年4月、首都圏の外となる福岡県福岡市中央区に天神店を開き、6月には神奈川県横浜市港北区へ新横浜店を出した。同年8月には放送事業のための日本ビーエス放送企画株式会社を設立し、同社は12月に日本ビーエス放送株式会社と商号を改めた。11月には期間限定で、100人に1人無料キャンペーンという販売促進策を始めている。物を安く売る会社が電波の事業へ出たことは、扱う品目の拡張とは性質の違う一歩だった。

  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [49]一号店の出店以来売上が下がったことはなく、消費不況といわれた年でも13〜14%の高い売上の伸び率を維持していた
    • [50]1995年4月期の年間売上は1,007億円だった
  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [51]平成11年4月、福岡県福岡市中央区に天神店を開店した
    • [52]平成11年6月、神奈川県横浜市港北区に新横浜店を開店した
    • [53]平成11年8月、放送事業を目的に日本ビーエス放送企画株式会社を設立し、同年12月に日本ビーエス放送株式会社へ商号変更した
    • [54]平成11年11月、新たな販売促進策として100人に1人無料キャンペーンを期間限定で開始した
参考文献[37]-[54]
  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」
    • [37]定価20万円のカメラの仕入れ価格は14万円、販売価格は15万円だった
    • [38]包装費などの経費も圧縮し、平均粗利益率を5〜9%の範囲に抑えることで大幅な値引を可能にした
    • [39]土曜・日曜には池袋本店だけで1日に約1,000台のカメラが売れた
    • [40]大量の商品は問屋を通さずメーカー販社から直接仕入れており、大量販売による大量仕入・流通経路の短縮で仕入れ価格を抑えた
    • [42]家電製品も粗利益率はわずか数%で、商品はメーカー販社から直接仕入れていた
    • [43]最もよく売れるのは2万円前後の価格帯のオートフォーカスのコンパクトカメラで、コンタックスなどの高級カメラは月に数台しか売れなかった
    • [44]売れ筋機種に商品構成を絞り込むディスカウントストアが多いなか、池袋本店はあまり売れない機種のアイテム数も充実させ、約3,000機種のカメラを揃えていた
    • [45]受注生産が普通で200〜300万円もする1,000ミリの交換レンズでも在庫として常備していた
    • [46]毎日、周辺の競合するディスカウントストアに店員が価格調査に出掛け、自店よりも安い価格の商品があると即座にその商品の価格を引き下げた
    • [47]年末に安売りの目玉商品として販売されるビデオテープは、1時間に3回も価格が変更されることがあった
    • [49]一号店の出店以来売上が下がったことはなく、消費不況といわれた年でも13〜14%の高い売上の伸び率を維持していた
    • [50]1995年4月期の年間売上は1,007億円だった
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
    • [41]より良い商品をより安く提供するには、各メーカーとの取り引きにおいて商品を大量に仕入れることだと新井隆司氏は述べた
    • [48]専門店の集合体という形で成長してきたためスペシャリストの育成も大切と考え、人材育成は習うより慣れろで、現場で物を見ながら学ぶのが一番早いとした
  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
    • [51]平成11年4月、福岡県福岡市中央区に天神店を開店した
    • [52]平成11年6月、神奈川県横浜市港北区に新横浜店を開店した
    • [53]平成11年8月、放送事業を目的に日本ビーエス放送企画株式会社を設立し、同年12月に日本ビーエス放送株式会社へ商号変更した
    • [54]平成11年11月、新たな販売促進策として100人に1人無料キャンペーンを期間限定で開始した

筆者考察

1990年代のビックカメラが広げたのは店の数ではなく、一つの売場で受けられる需要を最大化し、ポイントで顧客獲得の粘着性を高めたことにある。1996年の時点でも店舗は池袋5店、渋谷2店、横浜1店の合計8店にすぎない。1992年9月に池袋本店を開店し、12月にビックポイントカードを導入した。値引きを現金で返さず次の買い物に使える残高として渡す以上、同じ客が同じ売場へ何度も来ることが前提になる。だから増やしたのは扱う品目のほうだった。羽毛布団、生花、スポーツ用品、酒、化粧品、玩具と広げ、カメラと家電の専門店は総合ディスカウントストアへ変わった。新井氏がこれを専門店の集合体と呼んだのは、寄せ集めではなく分野ごとに専門店と並ぶ深さを持たせる意味だった。

この時期のもう一つの特徴は、安さの中身を自分で決めるところまで事業を広げたことである。池袋本店の平均粗利益率は5から9%で、定価20万円のカメラを14万円で仕入れ、15万円で売った。問屋を外してメーカー販社から直接仕入れ、土日に1日1,000台を捌く量があって初めて成り立つ構造である。値札は毎日の他店調査に応じて下げ、年末のビデオテープの値は1時間に3回書き換えられた。ただし安さだけでは売場は保たない。1992年に東京羽毛工房を設けて品質を自ら決めた羽毛ふとんを作り、1993年に東京サービスステーションを設けて修理を自前に置いたのは、安いという評判を品質と保守の側から支えるためだった。1999年に設立した日本ビーエス放送企画だけは、その延長にはない別の賭けである。

ビックカメラが品目・機能ごとに設けた会社(累計) 1992年8月の東京羽毛工房から1999年8月の日本ビーエス放送企画まで(社)

1 東京羽毛工房 2 東京サービスステーション 3 ビックパソコン館 4 EURO COMFORT 5 ビックカメラビルディング 6 日本ビーエス放送企画
  • 有価証券報告書【沿革】に記載された設立だけを数えた累計。

1992年〜1999年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1992年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1993年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1994年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1995年04月期 単体 1,007 n/a n/a n/a n/a
1996年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1997年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1998年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1999年08月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a

出典・参考

3件
出典・参考
  • ビックカメラ 有価証券報告書【沿革】
  • NTT business 1995年6月号「人が本当に喜ぶことを追求するとより豊かな生活が見えてくる」(新井隆司)
  • 近代企業リサーチ 1996年5月25日号「ビックカメラ池袋本店(東京都豊島区、総合DS)」

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