横浜冷凍の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

売り先が縮小するたびに、冷蔵庫を持つ強みを次の客へ向け直してきた会社である。輸出の割当てを消化しきれず、他社の輸出マグロにクレームが続くと、1949年に第8軍の許可を得て米軍PXとQMへの納入を主な商売とし、1952年9月期には販売売上の89.5%を米軍関係が占めた。1954年3月に唯一の工場を火災で失っても、保険金と借入の計5,650万円で11月に鉄筋3階・2,228トンの工場へ建て直した。駐留米軍の撤退が見込まれると、魚肉ハム・ソーセージ向けのカジキ原料の販売へ移り、倉庫証券と保税上屋の許可を得て賃貸庫の返還に備えた。その結果、保管の委託に庫腹が追いつかなくなり、1962年12月に株式を公募して東証二部へ上場し、新工場の資金に充てた。

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