トーエネック:管工事の営業開始と名古屋証券取引所二部上場
1961年〜定款に加えた冷暖房・衛生・水道の管工事と、3課で発足した管工事部
東海電気工事は1961年11月の株主総会で定款を改め、冷暖房と衛生・水道の管工事を事業目的に加えた。1955年以降に業容が拡大し、関東・関西地方の大口電気工事にも進出した。この時期には国立京都国際会館(1965年)の電気工事や、東海道新幹線の電気工事にも加わった。ただし両地方では地元の大手業者が強い地盤を握り、そこへ多数の業者が参入して競争は激しくなった。こうした環境のもとで、東海電気工事は1961年末に管工事の営業を始め、新しい市場と分野の開拓に着手した。電気工事の受注競争が厳しさを増すなかで、同じ建物に入る設備工事まで請け負える範囲を広げようとしたとみられる。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [1]1961年11月の株主総会で定款の事業目的に冷暖房・衛生・水道その他の管工事を追加
- [2]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
- [3]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
- [4]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
- [5]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
1961年12月、東海電気工事は管工事を専門に担う管工事部を本社に新設した。部の内部には冷暖房を設計する設計第一課、衛生・水道を設計する設計第二課、両方の施工を受け持つ工事課の3課を置いた。下地となったのは沖縄工事部の経験で、同部は現地で総合建設工事を請け負い、管工事の施工実績を積んでいた。会社はこの経験を国内の営業にも組み込み、総合建築業者として発展することをねらった。その後、1964年に着工した自社の本店新社屋では、電気工事と管工事の両方を東海電気工事が自ら担当した。電気と管の両方を一社で施工できる体制は、建物の設備工事をまとめて受注する足場になったと推察される。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [6]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [7]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [8]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [9]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [10]本店新社屋(1964年9月起工)の建物本体は熊谷組が施工し、電気工事・管工事は東海電気工事が担当
参考文献[1]-[10]
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [1]1961年11月の株主総会で定款の事業目的に冷暖房・衛生・水道その他の管工事を追加
- [2]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
- [3]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
- [4]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
- [5]昭和30年代に業容拡大、大口工事の関東・関西進出。両地方は地元大手の支配下に多数業者が参入し競争激化。国立京都国際会館・東海道新幹線の電気工事に参加。1961年末に冷暖房・衛生・水道・管工事業務を開始
- [6]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [7]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [8]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [9]1961年12月に管工事部を新設し、設計第一課(冷暖房)・設計第二課(衛生水道)・工事課の3課を設置。沖縄工事部が現地で総合建設工事を請け負い管工事の経験を積んでおり、国内でも管工事を営業に組み込み総合建築業者としての発展を図った
- [10]本店新社屋(1964年9月起工)の建物本体は熊谷組が施工し、電気工事・管工事は東海電気工事が担当
1962年〜増資のあとの名古屋証券取引所市場第二部上場と、1対1の倍額増資
1962年4月1日、東海電気工事は資本金を1億4,000万円から2億5,000万円に増資し、新株220万株を発行した。このうち168万株は株主への1対0.6の割当て、残る52万株は1株135円での公募。調達した資金は大部分を事業拡張の運転資金に充当し、一部で借入金を返済した。増資の完了を待って、翌4月2日に株式を名古屋証券取引所市場第二部に上場するに至った。公募と上場により、1961年度下期に388人だった株主は1962年度上期に1,494人へ増加した。1962年度上期末の発行株式数は500万株となった。管工事などの新分野を広げる資金を、既存の株主以外からも調達できる経路を開いたのだろう。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [11]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [12]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [13]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [14]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [15]株主数は1961年度下期388人、1962年度上期1,494人(約3.9倍)
- [16]株主数は1961年度下期388人、1962年度上期1,494人(約3.9倍)
1962年4月、東海電気工事は現業部門に配電工事本部と営業本部の2本部を新設し、その下に部と課を整えた。事業部制に近い運営を志向した改革である。配電工事本部の下には配電統括部などを新たに設け、名古屋総支社を廃止してその業務を本社の名古屋配電工事部に移した。同時に建設部を電力工事部へ改称。1963年1月には商事部を廃止して資材部を新設し、営業本部の下に建設部をふたたび置いた。1961年6月には中部電力から委託工事材料の管理を大幅に引き継ぎ、業務部に資材管理課を設けていた。中部電力から受ける配電工事と、自ら受注する一般の工事とを別の本部で管理し、それぞれの運営を見やすくする狙いがあったと考えられる。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [17]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [18]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [19]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [20]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [21]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [22]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
1962年11月29日、東海電気工事は取締役会で倍額増資を決議した。発行価格は1株50円とし、株主に1対1で割り当てた。1963年4月1日に払込みが完了し、資本金は5億円となった。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金に、8,000万円を借入金の返済に充当した。2度の増資で、自己資本比率は1961年度下期の16.1%から1963年度上期の31.0%へ高まった。1963年度上期の株主数は2,200人、発行株式数は1,000万株だった。筆頭株主は一貫して中部電力で、持株比率は40%前後を占めた。1人あたりの平均所有株式数は上場後に減少したが、倍額増資によって1963年度上期に4,545株へ増加した。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [23]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [24]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [25]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [26]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [27]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [28]1963年度上期の株主数2,200人・発行株式数1,000万株。筆頭株主は一貫して中部電力で持株比率40%前後。1人あたり平均所有株式数は1962年度上期に減少、1963年度上期に4,545株
- [29]1963年度上期の株主数2,200人・発行株式数1,000万株。筆頭株主は一貫して中部電力で持株比率40%前後。1人あたり平均所有株式数は1962年度上期に減少、1963年度上期に4,545株
- [30]1963年度上期の株主数2,200人・発行株式数1,000万株。筆頭株主は一貫して中部電力で持株比率40%前後。1人あたり平均所有株式数は1962年度上期に減少、1963年度上期に4,545株
参考文献[11]-[30]
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [11]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [12]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [13]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [14]1962年4月1日に資本金1億4,000万円を2億5,000万円に増資(新株220万株、168万株を1対0.6で株主割当、52万株を135円で公募)。資金は主に事業拡張の運転資金、一部借入金返済。4月2日に名古屋証券取引所市場第二部に上場
- [15]株主数は1961年度下期388人、1962年度上期1,494人(約3.9倍)
- [16]株主数は1961年度下期388人、1962年度上期1,494人(約3.9倍)
- [17]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [18]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [19]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [20]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [21]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [22]1962年4月に事業部制的運営を志向して現業部門に配電工事本部と営業本部を新設。配電統括部等を新設、名古屋総支社廃止で名古屋配電工事部へ、建設部を電力工事部に改称。1963年1月に商事部廃止・資材部新設、営業本部に建設部再設置。1961年6月に資材管理課を新設(委託工事材料の管理を中部電力から移管)
- [23]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [24]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [25]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [26]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [27]1962年11月29日の取締役会で倍額増資(1株50円・1対1株主割当)を決議、1963年4月1日払込完了で資本金5億円。増資資金2億5,000万円のうち1億6,000万円を設備資金、8,000万円を借入金返済に充当。自己資本比率は1961年度下期16.1%から1963年度上期31.0%
- [28]1963年度上期の株主数2,200人・発行株式数1,000万株。筆頭株主は一貫して中部電力で持株比率40%前後。1人あたり平均所有株式数は1962年度上期に減少、1963年度上期に4,545株
- [29]1963年度上期の株主数2,200人・発行株式数1,000万株。筆頭株主は一貫して中部電力で持株比率40%前後。1人あたり平均所有株式数は1962年度上期に減少、1963年度上期に4,545株
- [30]1963年度上期の株主数2,200人・発行株式数1,000万株。筆頭株主は一貫して中部電力で持株比率40%前後。1人あたり平均所有株式数は1962年度上期に減少、1963年度上期に4,545株
1965年〜名古屋・天王崎町に建てた地上6階の本社ビルと、坂上忠治氏への社長交代
業容の拡大で本店は手狭になり、東海電気工事は分室や別館を設けて対応していた。創立20周年の記念事業として1961年度下期から建築準備金を積み立て、1963年初頭に新社屋の建築を具体化した。敷地には本社別館として営業本部を置いていた名古屋市中区天王崎町5番地を選び、その土地約3,108平方メートルを買収して充てた。副社長の新谷實氏が本社社屋建築委員会の委員長を務め、1964年9月5日に起工した。建物本体は熊谷組が施工し、1965年5月26日に定礎式を挙げた。建物は鉄筋コンクリート造りの地下1階・地上6階で、延べ面積は4,455平方メートルだった。1965年9月11日の完成式にあたり、社長の村山益敏氏は全従業員に『居る場所を変えたら心機一転して新たな気持を持て』と呼びかけた。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [31]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [32]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [33]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [34]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [35]建物本体は熊谷組が施工、1965年5月26日に定礎式。同年9月に全工事完了、11日に新社屋6階で完成式。村山社長が全従業員に祝辞
- [36]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [37]建物本体は熊谷組が施工、1965年5月26日に定礎式。同年9月に全工事完了、11日に新社屋6階で完成式。村山社長が全従業員に祝辞
1968年11月、社長の村山益敏氏が取締役相談役に移り、副社長の坂上忠治氏が第5代社長に就任した。村山益敏氏は1947年9月に専務取締役として招かれ、1950年11月から18年間社長を務めた。坂上忠治氏は東邦電力と日本発送電を経て中部電力に入り、常務取締役として企画・資材・財務を担当した。1966年5月の株主総会で副社長の定員を2名以内に増やす定款変更を決め、その直後の取締役会で坂上忠治氏を副社長に選んだ。社長交代と同時に、もう1人の副社長の新谷實氏は専務取締役に移った。筆頭株主の中部電力で経営を担った人物を副社長に迎えて2年半置いたうえでの交代で、後継を計画的に用意したと思われる。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [38]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
- [39]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
- [40]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
- [41]1966年5月30日の株主総会で副社長を2名以内とする定款変更、中部電力常務取締役坂上忠治を取締役に選び総会後の取締役会で副社長就任を決定
- [42]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
1961年7月、東海電気工事は本社在任の取締役を主な構成員とする月曜会を設け、経営の意思決定を担わせた。以後は社長の村山益敏氏の主導のもとで、月曜会が経営管理の最高機関として機能した。坂上忠治氏の社長就任を受け、1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務取締役・常務取締役で構成する常務会を設置。常務会は取締役会の基本方針にもとづいて全般の実行方針を立て、経営の重要事項を協議する機関と定めた。協議を経た案件は社長が決定し、各担当機関に指示して実施させた。1968年度下期末の時点で、常務会の構成員にあたる役員は社長1名・専務取締役3名・常務取締役3名の7名だった。創業期から続いた社長個人の主導を、役付取締役の合議に移す意味があったのだろう。
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [43]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [44]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [45]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [46]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [47]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [48]1968年度下期末の役員は社長坂上忠治、専務取締役林重治・本間徳平・新谷実、常務取締役柚原弘・前田孝敏・後藤邦男ほか
参考文献[31]-[48]
- 東海電気工事三十年史(1978)
- [31]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [32]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [33]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [34]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [35]建物本体は熊谷組が施工、1965年5月26日に定礎式。同年9月に全工事完了、11日に新社屋6階で完成式。村山社長が全従業員に祝辞
- [36]本店が狭隘となり分室・別館で対応。創立20周年記念事業として1961年度下期から建築準備金を積立、1963年初頭に具体化。名古屋市中区天王崎町5番地の本社別館用地約3,108平方メートルを買収し、地下1階地上6階・延べ4,455平方メートルの本社ビルを建設。副社長新谷實が委員長の建築委員会、1964年9月5日起工
- [37]建物本体は熊谷組が施工、1965年5月26日に定礎式。同年9月に全工事完了、11日に新社屋6階で完成式。村山社長が全従業員に祝辞
- [38]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
- [39]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
- [40]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
- [41]1966年5月30日の株主総会で副社長を2名以内とする定款変更、中部電力常務取締役坂上忠治を取締役に選び総会後の取締役会で副社長就任を決定
- [42]1968年11月、村山益敏社長が取締役相談役となり副社長坂上忠治が第5代社長に就任、副社長新谷實は専務に。村山は1947年9月専務として招かれ1950年11月社長、18年間在任。坂上は東邦電力・日本発送電を経て中部電力常務取締役(企画・資材・財務担当)
- [43]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [44]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [45]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [46]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [47]1961年7月に本社在任取締役を主メンバーとする月曜会を設置、村山社長のもとで経営管理の最高機関。坂上忠治の社長就任とともに1968年12月に月曜会を解消し、社長・専務・常務で構成する常務会を設置(常務会設置要綱 1968年12月18日制定)
- [48]1968年度下期末の役員は社長坂上忠治、専務取締役林重治・本間徳平・新谷実、常務取締役柚原弘・前田孝敏・後藤邦男ほか
出典・参考
1件
- 東海電気工事三十年史(1978)