北海道電力:北海道電力の設立と石炭火力への電源計画の組み替え
1951年〜異常渇水の年に発足した北海道電力と、江別5万kWへの増設
1951年5月1日、日本発送電北海道支店と北海道配電の設備を継ぎ、発送配電を一貫で担う北海道電力が発足した。出資は北海道配電が1億8,000万円、日本発送電が1億5,000万円の計3億3,000万円で、会長は藤波収氏、社長は山田良秀氏だった。継いだ発電設備は水力・火力の合計31万2,000kWで、その大半を老朽設備が占めた。しかも発足の年は異常渇水となり、冬の需要ピーク時の電力不足は12%に及んだ。北電は日発から継いだ蘭越・久保内の水力を完成させ、旧砂川と旧江別の火力も増設した。旧砂川は2万7,000kW、旧江別は5万kWとなり、いずれも1951年度内に運転を始めた。
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [1]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- [4]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- [5]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- [6]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- 会社銀行八十年史(1955)「北海道電力」
- [2]北海道配電1億8,000万円・日本発送電1億5,000万円の計3億3,000万円の出資で発足。会長藤波収、社長山田良秀
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [3]発足当初の発電設備は水・火力合わせ31万2,000kWで大半が老朽設備
増設と並行して、北電は資材の高騰や電産争議を抱えながら独自の電源開発に取りかかった。水力では芦別・然別系統の開発に着手し、火力では砂川発電所の増設工事を始めた。1953年には班渓(現・芦別、1万kW)と然別第一〜第三の水力が動き出し、送電・変電の設備を強めるとともに、利用者へ節電を求めた。同年9月、電力制限を9電力のなかで最初に解除。続いてボイラーを道内産の低カロリー炭向けに改良し、砂川で1955年1月に1号機、1958年11月に2号機(各3万5,000kW)を動かした。水力の適地開発に年月を要するなか、足元の道内炭で火力を積むのが供給力を早く得る道筋だったのだろう。
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [7]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- [9]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- [10]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- [11]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [8]芦別・然別系の水力開発に着手、火力では砂川発電所の増設工事に着手。1953年9月に電力制限を解除
参考文献[1]-[11]
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [1]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- [4]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- [5]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- [6]1951年5月1日に9電力会社の一つとして発足。発足年は異常渇水で冬の需要ピーク時の電力不足が12%。蘭越5,700kW・久保内7,200kWを完成、旧砂川2万7,000kW・旧江別5万kWへ増設し1951年度内に運転開始
- [7]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- [9]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- [10]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- [11]資材の高騰・電産争議のなかで独自の電源開発。1953年に班渓1万kW・然別第一〜第三が運転開始、同年9月に全国にさきがけて電力制限解除。低カロリー炭用にボイラー改良、砂川1号機1955年1月・2号機1958年11月(各3万5,000kW)
- 会社銀行八十年史(1955)「北海道電力」
- [2]北海道配電1億8,000万円・日本発送電1億5,000万円の計3億3,000万円の出資で発足。会長藤波収、社長山田良秀
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [3]発足当初の発電設備は水・火力合わせ31万2,000kWで大半が老朽設備
- [8]芦別・然別系の水力開発に着手、火力では砂川発電所の増設工事に着手。1953年9月に電力制限を解除
1960年〜火主水従で100万kWを超えた供給力と、奈井江17万5,000kWの石炭火力
1960年には社長を岡松成太郎氏、会長を藤波収氏が務め、役員には後に社長となる岩本常次氏と四ツ柳高茂氏も名を連ねた。1960年から1962年に滝川発電所1〜3号機(計22万5,000kW)が完成し、火力42万kW・水力39万kWと発電設備の構成が逆転した。電源開発の基本方針は「火主水従」で、国の産炭地振興策に沿って道内炭を主な燃料に選んだ。1964年には江別火力2号機の運転開始により、供給設備が100万kWを超えた。設備資金は増資で調達し、資本金は発足時の3億3,000万円から1967年10月の11回目の増資を経て300億円となった。1959年度から続けた年1割の配当が、相次ぐ増資を株主に引き受けてもらう支えになったと推察される。
- 株式会社年鑑 1960年版「北海道電力」
- [12]1960年版の役員欄で会長藤波収・社長岡松成太郎、役員に岩本常次・四ツ柳高茂
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [13]1960〜1962年に滝川1〜3号機(22万5,000kW)完成、火力42万kW・水力39万kWで逆転。火主水従を基本方針とし産炭地振興策に沿って道内炭を主力に
- [14]1960〜1962年に滝川1〜3号機(22万5,000kW)完成、火力42万kW・水力39万kWで逆転。火主水従を基本方針とし産炭地振興策に沿って道内炭を主力に
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [15]1964年の江別火力2号機運転で供給設備100万kW突破。資本金は創立時3億3,000万円から1967年10月の11回目の増資で300億円。配当は1959年度以来年1割
- [16]1964年の江別火力2号機運転で供給設備100万kW突破。資本金は創立時3億3,000万円から1967年10月の11回目の増資で300億円。配当は1959年度以来年1割
1967年度の販売電力量は65億9,126万kWhで、前年度を11.1%上回った。化学・セメント・鉄鋼の産業需要と家庭電化の広がりが、この伸びを生んだ。社長の岩本常次氏のもとで、北電は奈井江発電所の第二期(17万5,000kW)と、日高一貫開発の下新冠水力(2万kW)の建設を進めた。奈井江は1968年5月に1号機、1970年2月に2号機(各17万5,000kW)が運転を始め、下新冠も1969年9月に運転を開始した。日高一貫開発は沙流川・新冠川・静内川の水を総合的に使う計画で、1956年の着手から岩知志・奥新冠などの発電所を順に建てた。火力を基礎に据えて水力でピークを受け持つ組み合わせを、需要の伸びに合わせて両方から積み増したと考えられる。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [17]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- [18]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- [19]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- [21]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [20]年表: 1968年5月奈井江1号機、1970年2月同2号機(各17万5,000kW)、1969年9月下新冠(2万kW)運転開始
1968年時点で、北電は出力35万kWの原子力発電所を1977年の運転開始をめどに準備した。1964年には米国のオイスター・クリーク原子力発電所の発電コストが火力より有利と発表され、軽水炉に関心が集まった。北電は1967年から1968年にかけて候補地の地質や気象を調べ、1969年9月、両町村の境に広がる共和・泊地区を最初の立地点に選んだ。選定の決め手は調査データの検討と地元からの誘致の2つ。ところが1972年ごろの国内外の事故を機に安全論議が広がり、反対運動もあって計画は一時止まった。水力の適地が奥地へ移り燃料の多くを道内炭に依存するなかで、原子力を第三の電源に育てる構想だったと思われる。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [22]原子力発電は出力35万kWを1977年運転開始を目途に準備
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [23]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
- [24]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
- [25]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
- [26]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
参考文献[12]-[26]
- 株式会社年鑑 1960年版「北海道電力」
- [12]1960年版の役員欄で会長藤波収・社長岡松成太郎、役員に岩本常次・四ツ柳高茂
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [13]1960〜1962年に滝川1〜3号機(22万5,000kW)完成、火力42万kW・水力39万kWで逆転。火主水従を基本方針とし産炭地振興策に沿って道内炭を主力に
- [14]1960〜1962年に滝川1〜3号機(22万5,000kW)完成、火力42万kW・水力39万kWで逆転。火主水従を基本方針とし産炭地振興策に沿って道内炭を主力に
- [20]年表: 1968年5月奈井江1号機、1970年2月同2号機(各17万5,000kW)、1969年9月下新冠(2万kW)運転開始
- [23]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
- [24]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
- [25]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
- [26]1964年オイスター・クリークの発電コストが火力より有利と発表。1967〜1968年に地質・気象調査、1969年9月に共和・泊地区を立地点に決定(調査結果と地元の誘致による)。1972年頃の原発事故を機に安全論議、反対運動で計画が一時滞る
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [15]1964年の江別火力2号機運転で供給設備100万kW突破。資本金は創立時3億3,000万円から1967年10月の11回目の増資で300億円。配当は1959年度以来年1割
- [16]1964年の江別火力2号機運転で供給設備100万kW突破。資本金は創立時3億3,000万円から1967年10月の11回目の増資で300億円。配当は1959年度以来年1割
- [17]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- [18]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- [19]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- [21]1967年度の販売電力量65億9,126万kWh、前年度比11.1%増。化学・セメント・鉄鋼の需要と家庭電化が要因。社長岩本常次。奈井江第二期17万5,000kW・下新冠2万kWを建設中。日高一貫開発は1956年着手、岩知志・奥新冠などを建設
- [22]原子力発電は出力35万kWを1977年運転開始を目途に準備
1973年〜石油危機後の43%値上げと苫東厚真の石炭火力、泊村の沿岸へ移した原子力
1973年秋の第一次石油危機はインフレに拍車をかけ、道内の消費者物価指数は1974年3月に前年比24%上昇した。石炭火力が主力の北電には、石油価格より炭価と建設費の急騰が重く響いた。北電は1954年から20年据え置いた電気料金を改め、1974年6月に43.33%の値上げに踏み切った。石炭への傾斜について、社長の四ツ柳高茂氏は1979年に『産炭地なので優先的に石炭を使って欲しいという要請が国や道からあって、石炭火力を維持してきた。それで、石油火力に手をつけるのも他より遅れた』と答えた。その後の電源計画では、原子力と海外炭を使う石炭火力を2本の軸とし、石油・水力・地熱で補う構成を掲げた。取水の制約で内陸の火力増設が限界に近づき、北電は臨海型の苫東厚真発電所1号機(35万kW)を1980年10月に完成させた。
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [27]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [28]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [29]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [31]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [32]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- 日経ビジネス 1979年7月30日号
- [30]四ツ柳高茂社長、国や道の要請で石炭火力を維持し石油火力への着手が遅れたと説明
1978年度の経常利益は118億円と前年度から66億円ほど減り、他社との差は石炭高と円高による石油安の油炭格差で開いた。1978年9月には北電を除く電力8社が、円高にともなう暫定的な料金割引の措置をとった。社長の四ツ柳高茂氏の試算では『仮に石炭を石油にしていれば、燃料費は80億円ほど安く済んでいた計算になる』。同年に運転を始めた伊達・音別の火力は建設費が料金に織り込まれず、運転と同時に始まった減価償却が収益を圧迫。建設単価の上昇も重なり、建設資金に占める自己資金比率は1974年度の51%から1978年度には21%へ低下した。産炭地の電力会社として国と道の要請に応えた燃料の選択が、円高の局面で収支の重荷に転じたとみられる。
- 日経ビジネス 1979年7月30日号
- [33]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- [35]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- [36]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- [37]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [34]年表: 1978年9月、北電を除く電力8社が円高にともなう暫定料金割引措置
1978年9月、北電は原子力発電所の立地点を泊村の沿岸部へ変更すると地元に申し入れた。安全防御上の事情に加え、専用港で核燃料と使用済燃料を運び、搬出入のトラブルを避けるねらいがあった。関連施設を集約して取水・放水路を短くし、発電基数も2基(各57万9,000kW)へ増加。1968年時点の構想は出力35万kWで、2基合計115万8,000kWの新計画はその3倍を超える。1979年3月の米スリーマイル・アイランド発電所の事故で環境調査は延び、各町村で国の専門家による説明会を経て同年11月に着手した。石炭に偏った電源構成の燃料リスクを分けるうえで、原子力の立地を固める必要が強まっていたのである。
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [38]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- [39]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- [40]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- [42]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [41]1968年時点の原子力計画は出力35万kW
参考文献[27]-[42]
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」
- [27]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [28]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [29]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [31]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [32]1974年3月の道内消費者物価指数は前年比24%上昇。石炭火力主力の北電は炭価・建設費の急増の影響が大きく、1954年以来20年据え置いた料金を改定(1974年6月、値上げ率43.33%)。原子力と海外炭石炭火力を二本柱に。内陸型火力は取水制約で限界、苫東厚真1号機35万kWを1980年10月完成
- [34]年表: 1978年9月、北電を除く電力8社が円高にともなう暫定料金割引措置
- [38]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- [39]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- [40]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- [42]1978年9月、安全防御上の理由などから立地点を泊村の沿岸部へ変更(地元へ申入れ)。専用港で核燃料搬入・使用済燃料搬出のトラブル回避、関連施設集中、取・放水路短縮、2基(各57万9,000kW)に増加。1979年3月TMI事故で環境調査延期、説明会後の同年11月着手
- 日経ビジネス 1979年7月30日号
- [30]四ツ柳高茂社長、国や道の要請で石炭火力を維持し石油火力への着手が遅れたと説明
- [33]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- [35]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- [36]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- [37]1978年度の経常利益118億円、前年度比約66億円減。油炭格差(石炭値上がり・円高で石油値下がり)。石炭を石油にしていれば燃料費は80億円ほど安かったと社長試算。伊達・音別の建設費が料金に未算入。自己資金比率は1974年度51%→1978年度21%
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- [41]1968年時点の原子力計画は出力35万kW
1951年〜1988年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | 81 | n/a | 7 | n/a | 1 | 2.0% | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | 91 | +12.8% | 13 | n/a | 2 | 2.3% | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | 95 | +4.7% | 19 | n/a | 4 | 4.8% | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | 107 | +11.7% | 24 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 122 | +13.9% | 25 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 137 | +12.4% | 30 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 153 | +12.1% | n/a | 11 | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 177 | +15.1% | n/a | 15 | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 206 | +16.7% | n/a | 22 | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 245 | +18.6% | 65 | 28 | 17 | 7.3% | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 262 | +7.2% | 77 | 36 | 22 | 8.7% | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | 295 | +12.3% | n/a | n/a | 27 | 9.2% | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | 326 | +10.6% | n/a | n/a | 27 | 8.5% | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | 354 | +8.5% | n/a | n/a | 27 | 7.9% | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 393 | +10.9% | n/a | n/a | 27 | 7.1% | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | 438 | +11.7% | n/a | n/a | 30 | 7.0% | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | 478 | +9.0% | n/a | n/a | 33 | 7.0% | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | 528 | +10.5% | n/a | n/a | 33 | 6.4% | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 613 | +15.9% | n/a | 67 | 43 | 7.0% | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 650 | +6.0% | n/a | 63 | 40 | 6.2% | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 704 | +8.3% | n/a | 68 | 38 | 5.4% | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 797 | +13.2% | n/a | 39 | 29 | 3.6% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 1,143 | +43.4% | n/a | 60 | 34 | 3.0% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 2,043 | n/a | n/a | 183 | 104 | 5.1% | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 2,221 | +8.7% | n/a | 117 | 72 | 3.3% | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 2,487 | +12.0% | n/a | 5 | 5 | 0.2% | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 3,402 | +36.8% | n/a | 139 | 73 | 2.2% | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 3,811 | +12.0% | n/a | 253 | 108 | 2.9% | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 4,238 | +11.2% | n/a | 320 | 169 | 4.0% | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 4,379 | +3.3% | n/a | 257 | 146 | 3.3% | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 4,485 | +2.4% | n/a | 254 | 127 | 2.8% | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:上場会社総覧(1956年版)半期合算、上場会社総覧(1956年版、1959年版)半期合算、上場会社総覧(1959年版)半期合算、ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版、会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算、会社年鑑、会社年鑑(1986年版)半期合算
出典・参考
5件
- 会社銀行八十年史(1955)「北海道電力」
- 株式会社年鑑 1960年版「北海道電力」
- 企業の歴史 明治百年(1968)「北海道電力」
- 日経ビジネス 1979年7月30日号
- 北のあかり 北海道電力創立三十周年記念誌(1982)「混乱からの出発」