北陸電力:電気事業再編成による設立と1959年の発電所群の完工
1951年〜北陸配電と日本発送電から継いだ34万kWと、神通川第一・第二の12万kW
北陸電力は1951年5月1日、電気事業再編成令にもとづき資本金3億7,000万円で発足した。発起人は北陸配電と日本発送電の2社で、北陸配電の全設備と日本発送電の設備の一部を引き継いだ。前身の北陸配電は1942年4月の配電統制令で北陸合同電気を吸収し、日本電力・京都電燈などの現物出資で統合された会社である。統合の対象は北陸配電の資本金2億800万円と、日本発送電の資本金30億円のうち9,000万円だった。旧日本発送電の株主には、1対0.003の割合で額面500円の新株が割り当てられた。供給区域は富山・石川・福井の3県と岐阜県の一部で、契約口数は54万口だった。初代社長には北陸配電の社長を務めた山田昌作氏が就任し、独立採算のもとで発送配電を一貫して運営することを使命に掲げた。
- 会社銀行八十年史(1955)「北陸電力」
- [1]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- [2]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- [6]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- [7]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- 株式会社年鑑 1952年版「北陸電力」
- [3]旧北陸配電は1942年4月配電統制令で北陸合同電気を吸収し金沢市・日本電力・京都電燈の現物出資で設立。旧日発株主に1対0.003で額面500円の北陸電力株を割当
- [5]旧北陸配電は1942年4月配電統制令で北陸合同電気を吸収し金沢市・日本電力・京都電燈の現物出資で設立。旧日発株主に1対0.003で額面500円の北陸電力株を割当
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- [4]北陸配電(資本金2億800万円)と日本発送電(資本金30億円のうち9,000万円)の2事業を統合
- 日本企業要覧 1960年版「北陸電力」
- [8]山田昌作は1942年北陸配電取締役社長、1951年北陸電力取締役社長
発足時に帰属した電源は水力発電所96か所の33万6,000kW余と火力発電所1か所の1万kWで、合計34万6,000kW余にとどまった。区域内の工場の多くは安く豊富な電力を求めて進出しており、電力を原料のように使う電解・電炉工業が中心を占めた。電力不足が産業界に与える打撃は、他の地方を上回る大きさだった。発足当初は電源の帰属が不十分で、北陸の需要をまかなう供給力が著しく足りなかった。経営陣は電源の開発とサービスの向上を二大目標に掲げ、戦時中の酷使で荒れた設備の整備にも着手した。1956年度の需要構成をみると大口電力が80.2%を占め、家庭向けの電灯は6.9%にとどまる。
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [9]発足時の帰属電源は水力96か所33万6,000kW余、火力1か所1万kW、合計34万6,000kW余。発足と同時に電源の開発とサービスの向上を二大支柱とした
- [13]発足時の帰属電源は水力96か所33万6,000kW余、火力1か所1万kW、合計34万6,000kW余。発足と同時に電源の開発とサービスの向上を二大支柱とした
- 会社銀行八十年史(1955)「北陸電力」
- [10]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- [11]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- [12]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- [14]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- 経済情報 8(10) 1957年「料金改訂後の北陸電力」
- [15]1956年度の需用構成は大口電力80.2%、電灯6.9%
電源の早期開発をめざし、第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・神通川第二の4地点、合計15万5,500kWを開発。神通川第一・第二の両発電所は1954年に完工し、合計出力は12万kWに達した。1953年11月には黒部水力を合併し、6発電所の2万8,230kWを取り込んだ。1955年1月末の供給力は60万kWを超え、北陸の需給はほぼ均衡した。北陸電力は電力の割当制を他の地方より早く廃止し、渇水期でも他の地方へ電力を融通できる水準になった。送電では富山・伏木の工業地帯と新しい大容量電源を結ぶ線に初めて15万V系を採用し、東京電力・中部電力の系統とも連絡した。開発資金は210億円にのぼり、3回の増資を経て資本金は1954年12月に35億円へ増えた。
- 会社銀行八十年史(1955)「北陸電力」
- [16]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [18]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [19]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [20]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [21]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [22]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [17]1954年に神通川第一・第二発電所(合計12万kW)を完工
参考文献[1]-[22]
- 会社銀行八十年史(1955)「北陸電力」
- [1]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- [2]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- [6]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- [7]1951年5月、電気事業再編成令により北陸配電と日本発送電が発起人となり、北陸配電の全設備と日発の一部設備を継承して資本金3億7,000万円で設立。社長山田昌作。供給区域は富山・石川・福井3県と岐阜県の一部、契約口数54万口。使命は独立採算制のもとでの発送配電一貫運営
- [10]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- [11]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- [12]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- [14]北陸の工場は豊富低廉な電力の利用を目的に誘致されたものが多く電解電炉工業が中心。電力不足の打撃は他地方より大きい。発足当初は電源帰属の不十分さから供給力が著しく不足。荒廃設備の整備と電源開発を目途とした
- [16]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [18]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [19]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [20]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [21]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- [22]第1次計画で五条方・伊折・神通川第一・第二の4地点計15万5,500kWを開発。1953年11月黒部水力合併で6発電所2万8,230kW。1955年1月末供給力60万kW突破、需給均衡、割当制廃止、渇水期に他地方へ供給。所要資金210億円、3回増資で1954年12月資本金35億円。富山・伏木を結ぶ送電線に初めて15万V系を採用、東京・中部電力の15万V系と連絡
- 株式会社年鑑 1952年版「北陸電力」
- [3]旧北陸配電は1942年4月配電統制令で北陸合同電気を吸収し金沢市・日本電力・京都電燈の現物出資で設立。旧日発株主に1対0.003で額面500円の北陸電力株を割当
- [5]旧北陸配電は1942年4月配電統制令で北陸合同電気を吸収し金沢市・日本電力・京都電燈の現物出資で設立。旧日発株主に1対0.003で額面500円の北陸電力株を割当
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- [4]北陸配電(資本金2億800万円)と日本発送電(資本金30億円のうち9,000万円)の2事業を統合
- 日本企業要覧 1960年版「北陸電力」
- [8]山田昌作は1942年北陸配電取締役社長、1951年北陸電力取締役社長
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [9]発足時の帰属電源は水力96か所33万6,000kW余、火力1か所1万kW、合計34万6,000kW余。発足と同時に電源の開発とサービスの向上を二大支柱とした
- [13]発足時の帰属電源は水力96か所33万6,000kW余、火力1か所1万kW、合計34万6,000kW余。発足と同時に電源の開発とサービスの向上を二大支柱とした
- [17]1954年に神通川第一・第二発電所(合計12万kW)を完工
- 経済情報 8(10) 1957年「料金改訂後の北陸電力」
- [15]1956年度の需用構成は大口電力80.2%、電灯6.9%
1955年〜常願寺川の有峰ダムと、料金改訂で整えた開発の元手
流れ込み式の水力が中心の北陸電力にとって、川の水量の増減は経営に直接ひびいた。1954年下期は異常な渇水に見舞われ、同年11月の管内河川の出水率は62.6%と1942年以来の最低を記録した。打ち出したのは、常願寺川上流の有峰に大貯水池を築き、下流に発電所を連ねる有峰計画である。工事中の和田川第一2万7,000kW、和田川第二12万2,000kWなどに常願寺第一の増加分を合わせると、合計最大出力は26万5,400kWとなる。いずれも1960年までの完成を予定し、会社の命運を左右する計画と位置づけた。貯水池で季節ごとの水量の差をならし、渇水の年でも出力を保つ狙いがあったとみられる。
- 経済情報 8(10) 1957年「料金改訂後の北陸電力」
- [23]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- [24]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- [27]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- [28]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [25]社運をかけた常願寺・有峰発電計画による大貯水池式を始めとする一連の発電所
- [29]社運をかけた常願寺・有峰発電計画による大貯水池式を始めとする一連の発電所
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- [26]水力発電は有峰ダム(和田川発電所)を代表とするダム式と水路式(流れ込み式)がある
北陸電力は1957年7月14日、東北電力とともに9電力会社に先がけて電気料金の値上げを認められた。申請した値上げ率は電灯112%、電力119.9%、合計118.14%だった。当局は電力料金の頭打ち規定を援用し、1957年度は合計114.82%の暫定料金にとどめ、申請どおりの率を1958年度から認めた。値上げを迫った要因は、水力開発による電力原価の上昇と渇水準備金の積み立ての少なさにある。1955年時点の料金は1kWhあたり2円82銭8厘で、全国平均5円16銭の54%にすぎなかった。低く据え置かれた料金を改め、適正な償却で事業の自主性を確立することは、発足時からの経営目標の一つだった。開発資金の調達先では、1959年3月時点の長期借入金のうち日本開発銀行の24,645,265千円が最大を占めた。
- 経済情報 8(10) 1957年「料金改訂後の北陸電力」
- [30]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- [31]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- [32]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- [33]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- 会社銀行八十年史(1955)「北陸電力」
- [34]1955年時点の料金は1kWh当たり2円82銭8厘で全国平均5円16銭の54%。発足時の目途に、適正な償却と低廉に据え置かれた料金の改訂による事業の自主性確立
- [35]1955年時点の料金は1kWh当たり2円82銭8厘で全国平均5円16銭の54%。発足時の目途に、適正な償却と低廉に据え置かれた料金の改訂による事業の自主性確立
- 日本企業要覧 1960年版「北陸電力」
- [36]1959年3月現在の長期借入金は日本開発銀行24,645,265千円が最大
常願寺川・有峰の計画による一連の発電所は1959年に完工し、合計出力は26万7,000kW余に達した。発足時に帰属した電源34万6,000kW余の8割弱を、1つの水系の開発で上乗せした計算になる。同じ1959年、山田昌作氏が社長を退任し、副社長の金井久兵衛氏が社長に就任した。金井久兵衛氏は京都帝大で電気工学を学び、北陸配電の社長を経て北陸電力の社長室長と副社長を務めた。山田昌作氏は1960年5月の総会で取締役から相談役に移った。1959年9月期の営業収入は9,068,171千円、純利益は718,017千円だった。1968年までに建設した水力発電所は38か所、合計75万7,000kW余に及んだ。一連の発電所の完工で、北陸電力の水力開発は一つの到達点を迎えたと推察される。
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [37]1959年に常願寺・有峰発電計画による一連の発電所(合計26万7,000kW余)を完工。発足以来建設した水力は38か所75万7,000kW余
- [38]1959年に常願寺・有峰発電計画による一連の発電所(合計26万7,000kW余)を完工。発足以来建設した水力は38か所75万7,000kW余
- [43]1959年に常願寺・有峰発電計画による一連の発電所(合計26万7,000kW余)を完工。発足以来建設した水力は38か所75万7,000kW余
- 日本企業要覧 1960年版「北陸電力」
- [39]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
- [40]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
- [41]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
- [42]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
参考文献[23]-[43]
- 経済情報 8(10) 1957年「料金改訂後の北陸電力」
- [23]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- [24]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- [27]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- [28]1954年下期に異常渇水、11月の出水率62.6%で1942年以来最低。水力一本のため出水率が経営にひびく。工事中の和田川第一2万7,000kW・和田川第二12万2,000kWなど、常願寺第一増加分を含め合計26万5,400kW、1960年までに完成予定
- [30]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- [31]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- [32]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- [33]1957年7月14日、東北電力とともに9電力に先がけて料金値上げ。申請は電灯112%・電力119.9%・計118.14%、当局は頭打ち規定を援用し本年度は計114.82%の暫定料金、申請率は1958年度から。開発による電力原価高と渇水準備金の少なさが背景
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [25]社運をかけた常願寺・有峰発電計画による大貯水池式を始めとする一連の発電所
- [29]社運をかけた常願寺・有峰発電計画による大貯水池式を始めとする一連の発電所
- [37]1959年に常願寺・有峰発電計画による一連の発電所(合計26万7,000kW余)を完工。発足以来建設した水力は38か所75万7,000kW余
- [38]1959年に常願寺・有峰発電計画による一連の発電所(合計26万7,000kW余)を完工。発足以来建設した水力は38か所75万7,000kW余
- [43]1959年に常願寺・有峰発電計画による一連の発電所(合計26万7,000kW余)を完工。発足以来建設した水力は38か所75万7,000kW余
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- [26]水力発電は有峰ダム(和田川発電所)を代表とするダム式と水路式(流れ込み式)がある
- 会社銀行八十年史(1955)「北陸電力」
- [34]1955年時点の料金は1kWh当たり2円82銭8厘で全国平均5円16銭の54%。発足時の目途に、適正な償却と低廉に据え置かれた料金の改訂による事業の自主性確立
- [35]1955年時点の料金は1kWh当たり2円82銭8厘で全国平均5円16銭の54%。発足時の目途に、適正な償却と低廉に据え置かれた料金の改訂による事業の自主性確立
- 日本企業要覧 1960年版「北陸電力」
- [36]1959年3月現在の長期借入金は日本開発銀行24,645,265千円が最大
- [39]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
- [40]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
- [41]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
- [42]山田昌作は1959年社長退任、1960年5月の総会で相談役に。金井久兵衛は京都帝大電気工学科卒、1946年北陸配電社長、1951年北陸電力取締役社長室長、1954年副社長、1959年社長。1959年9月期の営業収入9,068,171千円・純利益718,017千円
1961年〜関西電力と協定した大阪火力4号機と、富山火力の運転開始
経済的に有利な水力の開発地点は次第に少なくなり、火力の開発が必要になった。ただし当時の北陸は重油ボイラー規制法で重油の消費を規制される地域にあたり、地元に重油火力を建てる条件が整っていなかった。北陸電力は関西電力と協定を結び、大阪火力4号機15万6,000kWの電力を北陸にある関西電力の水力の発電分と振り替え、1960年3月から受電した。電力の広域運営の初期の例である。中部電力とも、四日市火力3号機32万kWの半量を1964年9月から受電する契約を結んだ。条件が整うと重油専焼の富山火力に着手し、1号機15万6,000kWを1964年8月、2号機を1966年2月に完成させた。第1期の総工事資金は83億8,000万円だった。
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [44]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [45]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [46]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [47]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [48]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [49]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- 日本企業要覧 1966年版「北陸電力」
- [50]富山火力1号機につづき1966年2月に2号機が営業運転入り
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- [51]富山火力第1期工事(15万6,000kW)は1964年8月運転開始予定、総工事資金83億8,000万円。発電設備は123か所104万kWで全て水力
火力の比重が高まる一方、需要は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhと増え、創立当初年度の約4.8倍になった。料金は1962年度の総合単価が4円21銭で、全国最低の水準にあった。北陸電力は1966年8月に電気供給規程を改定し、料金を引き上げた。同時に需要開拓と全社の合理化を進め、経営基盤の長期安定をめざした。1968年時点で掲げた方針は、水主火従から火主水従の開発形態への移行。富山火力3号機25万kWを1970年1月の完成目標で建設し、4号機25万kWも予定した。さらに石川県能登に原子力発電所の建設地点を選び、1973年着工・1975年運転開始の計画を立てた。料金の改定で原価の裏付けを得たことが、大型火力と原子力の計画を進める条件になったのだろう。
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [52]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [54]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [56]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [58]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [59]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- [53]1962年度の電灯電力総合単価4円21銭で全国最低水準
- 日本企業要覧 1968年版「北陸電力」
- [55]前3月期は値上げ効果で増収増益。水主火従から火主水従へ移行する方針。原子力は1973年着工・1975年運転開始予定
- [57]前3月期は値上げ効果で増収増益。水主火従から火主水従へ移行する方針。原子力は1973年着工・1975年運転開始予定
- [60]前3月期は値上げ効果で増収増益。水主火従から火主水従へ移行する方針。原子力は1973年着工・1975年運転開始予定
参考文献[44]-[60]
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- [44]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [45]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [46]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [47]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [48]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [49]有利な水力地点の減少で火力開発が必要に。重油ボイラー規制法の消費規制地域のため関西電力と協定し大阪火力4号機(15万6,000kW)と北陸の関電水力との振替受電を1960年3月開始、広域運営のはしり。中部電力の四日市火力3号機(32万kW)の半量を1964年9月以降受電。富山火力1号機1964年8月、2号機1966年2月完成
- [52]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [54]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [56]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [58]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- [59]販売電力量は1958年度42億kWh、1963年度70億kWh、1967年度95億kWhで創立当初年度20億kWhの約4.8倍。1966年8月電気供給規程を改定し需要開拓と合理化を推進。富山火力3号機25万kWを1970年1月完成目途、4号機25万kW予定。原子力は石川県能登に地点選定
- 日本企業要覧 1966年版「北陸電力」
- [50]富山火力1号機につづき1966年2月に2号機が営業運転入り
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- [51]富山火力第1期工事(15万6,000kW)は1964年8月運転開始予定、総工事資金83億8,000万円。発電設備は123か所104万kWで全て水力
- [53]1962年度の電灯電力総合単価4円21銭で全国最低水準
- 日本企業要覧 1968年版「北陸電力」
- [55]前3月期は値上げ効果で増収増益。水主火従から火主水従へ移行する方針。原子力は1973年着工・1975年運転開始予定
- [57]前3月期は値上げ効果で増収増益。水主火従から火主水従へ移行する方針。原子力は1973年着工・1975年運転開始予定
- [60]前3月期は値上げ効果で増収増益。水主火従から火主水従へ移行する方針。原子力は1973年着工・1975年運転開始予定
1951年〜1972年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1951年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 121 | n/a | n/a | 11 | 9.1% | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 149 | +23.1% | n/a | 14 | 9.4% | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 157 | +5.4% | n/a | 23 | 14.6% | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 178 | +13.4% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 218 | +22.5% | n/a | 32 | 14.7% | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 259 | +18.8% | 87 | 32 | 12.4% | 21 | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 258 | ▲0.4% | 69 | 39 | 15.1% | 25 | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版 半期合算
出典・参考
8件
- 株式会社年鑑 1952年版「北陸電力」
- 会社銀行八十年史(1955)「北陸電力」
- 企業の歴史 : 明治百年(1968)「北陸電力」
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「北陸電力」
- 経済情報 8(10) 1957年「料金改訂後の北陸電力」
- 日本企業要覧 1960年版「北陸電力」
- 日本企業要覧 1966年版「北陸電力」
- 日本企業要覧 1968年版「北陸電力」