第2章 年〜年

イオン:ジャスコ発足と地方スーパーの相次ぐ合併による拡大

ジャスコの連邦経営から欧州での資金調達へ

1970年〜五社対等合併でのジャスコ発足と、連邦経営の設計

ジャスコという社名はJapan United Stores Company の頭文字を取ったもので、合併をきっかけに社員の意欲を高めてまとまりをつくろうと全社員から募り、2,000件余りの案から選ばれた。その合併は1970年(昭和45年)3月のことで、岡田屋は兵庫県下に27店舗をもつフタギなど3社と一緒になり、本店を大阪市へ移した。資本金は合併後6億8,844万円となり、同年4月に商号をジャスコ株式会社へ変えた。最初の合併に限らず、その後に地域会社と合併したときも、オーナー家の名は社名に入れないという原則が守られた。創業家の名を外すことで、合併が対等であることを示したのである。

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [1]商号は合併を機に社員の士気向上と統一をねらって全社員から募集し、2,000件余のなかから決めたJUSCO(Japan United Stores Company)である
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1970年3月、兵庫県下に27店舗を有するフタギほか3社と合併し、本店を大阪市へ移転した
    • [3]合併後の資本金は688,440千円
    • [4]1970年に商号をジャスコ株式会社へ変更した
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号 岡田卓也(日経BP)
    • [5]最初の合併でも以後の地域会社の合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則を貫いた

大きくなった組織はこわばりやすい。国家はこの弊害を地方分権で、企業は事業部制で抑えるという発想から、米国やスイスの国家形態にならって連邦経営の名が付けられた。小売業は地域に根ざす産業であり、組織と業態を照らし合わせて地域主体の連邦制が採られた。地方のトップに責任を持たせて仕事を任せれば力を引き出しやすく、店数が増えて量販店との摩擦が生じたときにも対応しやすいとの判断である。こうして合併先は別組織の地域会社として残り、山陽ジャスコ・大分ジャスコ・福岡ジャスコ・カクダイジャスコ・西奥羽ジャスコが並ぶ形になった。仕入れも、本部から回す分と、各地域がその土地柄に合わせて自ら手当てする分の2本立てとした。

  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [6]岡田卓也は、組織が大規模になれば硬直化するので、それをなくすために国家は地方分権をし、企業は事業部制をとると説明した
    • [7]岡田卓也は、小売業は基本的に地域産業なので、組織と業態を考え合わせて地域主体の連邦制という考え方をとったと述べた
    • [10]仕入れには、本部が供給するものと、地域の特性を考慮して地域で調達するものの2通りがあった
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [8]地域会社をつくったのは、各地方のトップ経営者に責任を持って仕事をしてもらうほうが能力を発揮でき、多店舗展開で量販店に対する問題が起こった場合にも有利だという考えによる
    • [9]合併した企業をさらに別組織にして、山陽ジャスコ・大分ジャスコ・福岡ジャスコ・カクダイジャスコ・西奥羽ジャスコという地域会社をつくった

発足10年の節目に岡田卓也氏が挙げた合併の要は、資産ではなく人、なかでも相手側の経営者であり、『企業内容よりも経営者の質の方が大問題です』と語っている。店舗のほうは10年たてば建て替えの要る設備にすぎず、大きな論点ではないとみていた。地域化は、合併後の最初の3年を基盤づくりに充ててから始めた。本部は業績が順調なら人事に手を入れない原則を守り、無理に人を送り込まなかった。地元出身の社長がいることは出店でも効き、大手の進出が地元商店街の反発を買って商調協の案件になりがちな場面でも、話が通って比較的円滑に進んだ。

  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [11]岡田卓也は、合併を成功させるために一番大切な点は人、ことに相手の経営者だとした
    • [12]岡田卓也は、店舗は10年前のものはスクラップしなければいけないので、たいした問題ではないとした
    • [13]当初の合併をしてからの3年間は基礎固めのために集中化し、そのあとで地域化という手を打った
    • [14]経営がうまくいっていれば人間はそのままにしておくことが原則で、本部が力で送り込むことはしていない
    • [15]大手の進出には地元の商店街が反対して商調協の問題になるが、地元に社長がいると話も通りやすく、出店も割合スムーズにいった
参考文献[1]-[15]
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [1]商号は合併を機に社員の士気向上と統一をねらって全社員から募集し、2,000件余のなかから決めたJUSCO(Japan United Stores Company)である
    • [8]地域会社をつくったのは、各地方のトップ経営者に責任を持って仕事をしてもらうほうが能力を発揮でき、多店舗展開で量販店に対する問題が起こった場合にも有利だという考えによる
    • [9]合併した企業をさらに別組織にして、山陽ジャスコ・大分ジャスコ・福岡ジャスコ・カクダイジャスコ・西奥羽ジャスコという地域会社をつくった
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1970年3月、兵庫県下に27店舗を有するフタギほか3社と合併し、本店を大阪市へ移転した
    • [3]合併後の資本金は688,440千円
    • [4]1970年に商号をジャスコ株式会社へ変更した
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号 岡田卓也(日経BP)
    • [5]最初の合併でも以後の地域会社の合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則を貫いた
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [6]岡田卓也は、組織が大規模になれば硬直化するので、それをなくすために国家は地方分権をし、企業は事業部制をとると説明した
    • [7]岡田卓也は、小売業は基本的に地域産業なので、組織と業態を考え合わせて地域主体の連邦制という考え方をとったと述べた
    • [10]仕入れには、本部が供給するものと、地域の特性を考慮して地域で調達するものの2通りがあった
    • [11]岡田卓也は、合併を成功させるために一番大切な点は人、ことに相手の経営者だとした
    • [12]岡田卓也は、店舗は10年前のものはスクラップしなければいけないので、たいした問題ではないとした
    • [13]当初の合併をしてからの3年間は基礎固めのために集中化し、そのあとで地域化という手を打った
    • [14]経営がうまくいっていれば人間はそのままにしておくことが原則で、本部が力で送り込むことはしていない
    • [15]大手の進出には地元の商店街が反対して商調協の問題になるが、地元に社長がいると話も通りやすく、出店も割合スムーズにいった

1972年〜毎年の合併による地域会社の増設と資本金の膨張

毎年のように合併を重ねる会社は、当時の日本ではまれだった。ジャスコの設立を出発点に、合併は地域ごとに積み重ねられ、中国地方で1社、九州で2社、東北で2社と続いた。1972年(昭和47年)8月にはやまてや、やまてや産業、京阪ジャスコの3社と合併して資本金が7億7,550万円に、翌1973年2月には三和商事、福岡大丸、かくだい食品ほか6社との合併で10億760万円に増えた。金融や管理のように集めたほうが効く機能は本部がまとめて受け持ち、地域会社は営業だけに力を注ぐ仕組みであった。

  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [16]ジャスコは毎年合併をしてきた珍しい例だった
    • [20]金融や管理など集中のメリットのあるものは本部が一手に引き受け、地域会社は営業に専念する形をとった
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [17]合併はジャスコ設立を起こりとして、中国地方で1社・九州で2社・東北で2社という順に重ねられた
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1972年8月、京阪ジャスコ・やまてや産業・やまてやの3社を合併し、資本金は775,500千円となった
    • [19]1973年2月、三和商事・福岡大丸・かくだい食品ほか6社を合併し、資本金は1,007,600千円となった

合併は1970年代の後半も止まらなかった。1975年(昭和50年)2月、100%出資会社のジャスコチェーンほか7社を合併し、ジェーフードから米穀販売を除く営業の全部を譲り受けている。ジャスコがグループ化を急いだのは、まとめて安く買い付けることで規模の利点を得るためだった。当時としては例のない広範な再編である。資本金は発足時の6億8,844万円から、1976年8月に扇屋・東北ジャスコの2社を合併して31億5,000万円へ、1977年に伊勢甚百貨店など6社を合わせて47億1,510万円へと増えた。7年で7倍近い膨張であった。

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1975年2月、100%出資会社ジャスコチェーンほか7社を合併し、ジェーフードから米穀販売を除く営業の全部を譲受した
    • [23]1976年8月、扇屋・東北ジャスコの2社を合併し、資本金は3,150,000千円となった
    • [24]1977年、伊勢甚百貨店ほか6社と合併し、資本金は4,715,100千円となった
    • [25]1970年3月の合併後の資本金は688,440千円
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号(日経BP)
    • [22]ジャスコのグループ化のねらいは商品を大量・安価に仕入れて規模のメリットを発揮する点にあり、当時としては例のない広範な再編戦略だった

規模の拡大は、店舗の持ち方にも表れた。1974年(昭和49年)時点で直営店は93店、地域会社を入れると153店あり、その70%がジャスコの自己所有であった。当時もっとも多かったのは、郊外に駐車場を備えて日用品を主に扱うファミリーニーズ・ショッピングセンターで、立地の3つの型のうち2番目にあたる。残る型は、都心型に近いアンカーストアと、ショッピングセンターである。建設費は規格品をなるべく使って切り詰め、冷暖房・空調を含めて坪25万円前後に収め、土地はリース物件に頼って保証金だけの負担にとどめる、というのが岡田卓也氏の考えだった。1974年時点で部門別の売上は衣料品が51%、食料品が31%、その他が16〜17%を占めた。

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [26]1974年時点で直営店93店、地域会社を入れると153店あり、その70%がジャスコの自己所有だった
    • [27]当時の主流はファミリーニーズ・ショッピングセンターだった
    • [28]1974年時点の店舗立地は、アンカーストア(都心型に近い)、ファミリーニーズ・ショッピングセンター(郊外に駐車場を持ち日用品中心)、ショッピングセンターの3パターン
    • [29]できるだけ規格品を使い合理化することで、冷暖房・空調込みで坪25万円程度で店舗を建設した
    • [30]岡田卓也「土地はリース物件にたよれば、保証金の投資だけで済む」
    • [31]1974年時点の部門別売上比率は衣料品51%、食料品31%、その他16〜17%
参考文献[16]-[31]
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [16]ジャスコは毎年合併をしてきた珍しい例だった
    • [20]金融や管理など集中のメリットのあるものは本部が一手に引き受け、地域会社は営業に専念する形をとった
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [17]合併はジャスコ設立を起こりとして、中国地方で1社・九州で2社・東北で2社という順に重ねられた
    • [26]1974年時点で直営店93店、地域会社を入れると153店あり、その70%がジャスコの自己所有だった
    • [27]当時の主流はファミリーニーズ・ショッピングセンターだった
    • [28]1974年時点の店舗立地は、アンカーストア(都心型に近い)、ファミリーニーズ・ショッピングセンター(郊外に駐車場を持ち日用品中心)、ショッピングセンターの3パターン
    • [29]できるだけ規格品を使い合理化することで、冷暖房・空調込みで坪25万円程度で店舗を建設した
    • [30]岡田卓也「土地はリース物件にたよれば、保証金の投資だけで済む」
    • [31]1974年時点の部門別売上比率は衣料品51%、食料品31%、その他16〜17%
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1972年8月、京阪ジャスコ・やまてや産業・やまてやの3社を合併し、資本金は775,500千円となった
    • [19]1973年2月、三和商事・福岡大丸・かくだい食品ほか6社を合併し、資本金は1,007,600千円となった
    • [21]1975年2月、100%出資会社ジャスコチェーンほか7社を合併し、ジェーフードから米穀販売を除く営業の全部を譲受した
    • [23]1976年8月、扇屋・東北ジャスコの2社を合併し、資本金は3,150,000千円となった
    • [24]1977年、伊勢甚百貨店ほか6社と合併し、資本金は4,715,100千円となった
    • [25]1970年3月の合併後の資本金は688,440千円
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号(日経BP)
    • [22]ジャスコのグループ化のねらいは商品を大量・安価に仕入れて規模のメリットを発揮する点にあり、当時としては例のない広範な再編戦略だった

1974年〜三市場二部への上場から欧州での起債へ

岡田卓也氏が上場に込めた狙いは、流通業を近代化し、過小資本を改めることにあった。ジャスコが東京・大阪・名古屋の各証券取引所の市場第二部へ株を上場したのは1974年(昭和49年)9月で、なかでも東証への上場は、全国チェーンを築く建前のもと、まだ名の通っていない東日本に足場をつくる意味を持っていた。1975年2月期は売上1,900億円(前期比135%)、税引後利益18億円(前期比150%)を目標とし、2割の安定配当に上場記念の1割増配を加えた。東北地方では合併した2社を起点に20店舗を構え、1つの地域チェーンとしてまとまりつつあった。

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [32]東証上場は今後の流通業の近代化と過小資本是正という問題を踏まえてのことだった
    • [34]東証上場は、ナショナルチェーンづくりのたてまえから、知名度の低い東日本に基盤をつくる役割を担っていた
    • [35]昭和50年2月期の売上目標は1,900億円で前期比135%、税引後利益は18億円で前期比150%を予定し、配当は2割を安定配当として上場記念に1割増配した
    • [36]東北地方には合併2社があり、その後の店舗展開で20店舗を有し、1つのリージョナルチェーンとしてまとまりつつあった
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1974年9月、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部に上場した

国内の上場は地方の取引所へ広がった。1975年(昭和50年)11月、京都・広島・福岡・新潟の各証券取引所に上場している。扇屋・東北ジャスコとの合併は1976年8月のことで、同じ8月の2日には東京証券取引所市場第一部への指定替えも果たし、合併と市場での格上げが時期を同じくした。チェーンストアの弱点とされた財務の立て直しは1978年でひと区切りつき、設備投資を止めなかったぶん担保になる物件がたまって、その後の資金集めは楽になった。大型小売店法をめぐる議論も同じころに起きていたが、岡田卓也氏は面積・営業時間・休日の規制が従来の出店のやり方と大きく違わないため、影響は小さいと見ていた。

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1975年11月、京都・広島・福岡・新潟の各証券取引所に上場した
    • [38]1976年8月、扇屋・東北ジャスコの2社を合併した
    • [39]1976年8月2日、東京証券取引所市場第一部へ指定された
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [40]岡田卓也は、チェーンストアの泣き所である財務の強化は1978年で一区切りとしたと述べた
    • [41]設備投資を継続したおかげで担保物件も十分にあり、今後の資金調達はこれまでよりも非常に楽にできる体制になっている
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [42]岡田卓也は、大型小売店法の面積・営業時間・休日の問題について、従来の店舗展開とさほど差がないので影響は少ないとみていた

資金調達は国内にとどまらなかった。日本経済がどの面でも国際化へ向かう以上、資金の出どころも早めに海外へ広げておくべきだ、というのがジャスコの判断であった。最初の一手は1976年(昭和51年)の欧州預託証券(EDR)形式による株式発行とルクセンブルク証券取引所への上場で、1977年6月に欧州で米ドル建転換社債を出し、1978年にはドイツマルク建転換社債と株式をデュッセルドルフ・フランクフルト両取引所に上場した。西独やスイスでも機を見て外債を発行し、その手法を社内にため込んでいる。発足8年目の企業が欧州で資金を集められたのは、毎年重ねた合併で積み増してきた資本と担保が裏付けになったためであった。

  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [43]日本経済がすべての点で国際化するならば資金調達も早いうちに国際化しようということで、海外での資金集めに乗り出した
    • [47]西独やスイスで非常にタイミングよく外債を発行し、そのノウハウも身につけた
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1976年、欧州で株式(EDR)を発行しルクセンブルク証券取引所に上場した
    • [45]1977年6月、欧州で米ドル建転換社債を発行した
    • [46]1978年、ドイツマルク建転換社債と株式をデュッセルドルフ・フランクフルト両取引所へ上場した
参考文献[32]-[47]
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [32]東証上場は今後の流通業の近代化と過小資本是正という問題を踏まえてのことだった
    • [34]東証上場は、ナショナルチェーンづくりのたてまえから、知名度の低い東日本に基盤をつくる役割を担っていた
    • [35]昭和50年2月期の売上目標は1,900億円で前期比135%、税引後利益は18億円で前期比150%を予定し、配当は2割を安定配当として上場記念に1割増配した
    • [36]東北地方には合併2社があり、その後の店舗展開で20店舗を有し、1つのリージョナルチェーンとしてまとまりつつあった
    • [42]岡田卓也は、大型小売店法の面積・営業時間・休日の問題について、従来の店舗展開とさほど差がないので影響は少ないとみていた
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1974年9月、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部に上場した
    • [37]1975年11月、京都・広島・福岡・新潟の各証券取引所に上場した
    • [38]1976年8月、扇屋・東北ジャスコの2社を合併した
    • [39]1976年8月2日、東京証券取引所市場第一部へ指定された
    • [44]1976年、欧州で株式(EDR)を発行しルクセンブルク証券取引所に上場した
    • [45]1977年6月、欧州で米ドル建転換社債を発行した
    • [46]1978年、ドイツマルク建転換社債と株式をデュッセルドルフ・フランクフルト両取引所へ上場した
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
    • [40]岡田卓也は、チェーンストアの泣き所である財務の強化は1978年で一区切りとしたと述べた
    • [41]設備投資を継続したおかげで担保物件も十分にあり、今後の資金調達はこれまでよりも非常に楽にできる体制になっている
    • [43]日本経済がすべての点で国際化するならば資金調達も早いうちに国際化しようということで、海外での資金集めに乗り出した
    • [47]西独やスイスで非常にタイミングよく外債を発行し、そのノウハウも身につけた

筆者考察

ジャスコの合併が異例だったのは回数ではなく、合併したあとに何を残したかにある。1970年から1977年までに岡田屋は20を超える地方スーパーを取り込み、資本金を6億8,844万円から47億1,510万円へ増やした。それでも合併した会社は本部へ吸収されず、山陽ジャスコ・大分ジャスコ・西奥羽ジャスコとして別の会社のまま残る。社名から岡田の名を外したのも同じ設計であり、対等であることを形で示さなければ、地元の経営者は自分の会社を差し出さない。岡田卓也氏が企業内容よりも相手の経営者の質を見たのは、対等の形でしか集まらない相手がいたからである。

連邦経営は、出店の交渉の道具でもあった。大手が地方へ出れば地元の商店街が反対し、商業活動調整協議会にかかる。だが地元に社長がいれば話は通り、出店は進んだ。1974年に大型小売店法が議論になったとき、岡田卓也氏が規制の影響を少ないと見ていたのは、規制を避ける経路を組織の形そのものが持っていたからである。この形は資金の側にも効いた。1974年に三市場の二部へ上場し、1976年に東証一部とルクセンブルク、1978年にデュッセルドルフとフランクフルトへと市場を広げる。発足から8年の会社が欧州で起債できたのは、毎年の合併で担保になる店舗と資本を積み上げていたからであった。

売上高(単体) 1970年2月期〜1978年2月期(億円)

108 70.2 536 71.2 681 72.2 878 73.2 1,454 74.2 1,951 75.2 2,410 76.2 3,015 77.2 3,788 78.2 資本金 6.9億 10.1億 47.2億
  • 1970年3月 5社合併後の資本金 6億8,844万円(有価証券報告書【沿革】)
  • 1973年2月 三和商事・福岡大丸ほか6社の合併後 10億760万円(有価証券報告書【沿革】)
  • 1977年 伊勢甚百貨店ほか6社の合併後 47億1,510万円(有価証券報告書【沿革】)
  • 単体・日本基準。1970年2月期は合併前の岡田屋単体。
  • 出所は1970年2月期がインベストメント 1974年9月号、1971〜1975年2月期が会社年鑑1976年版、1976〜1978年2月期が会社年鑑1986年版。

1970年〜1978年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1970年02月期 単体 108 n/a n/a n/a 3 n/a
1971年02月期 単体 536 +396.3% 10 1.9% 6 n/a
1972年02月期 単体 681 +27.1% 10 1.5% 7 n/a
1973年02月期 単体 878 +28.9% 15 1.7% 8 n/a
1974年02月期 単体 1,454 +65.6% 29 2.0% 12 n/a
1975年02月期 単体 1,951 +34.2% 32 1.6% 18 n/a
1976年02月期 単体 2,410 +23.5% 50 2.1% 25 n/a
1977年02月期 単体 3,015 +25.1% 73 2.4% 35 n/a
1978年02月期 単体 3,788 +25.6% 90 2.4% 48 n/a

出所:インベストメント 1974年9月号、会社年鑑

出典・参考

5件
出典・参考
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号 岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号(日経BP)
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号 岡田卓也(日経BP)
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号(日経BP)

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