日本瓦斯:関東商事の設立と運輸・工事会社の分立
1947年〜岩谷産業の関東特約店として生まれた日本瓦斯と、社員5人で設けた工事部
日本瓦斯は1955年7月、資本金250万円・社員5人で東京に設立された。岩谷産業の創業家である岩谷家を中心とする出資で、岩谷産業の関東地区の特約店という位置づけだった。岩谷産業は1953年に「マルヰプロパン」の名でLPガスの販売を始め、1955年から1959年にかけて日本瓦斯を含むLPガス関連会社を設けた。日本瓦斯の役目は、岩谷産業から仕入れたプロパンガスを一般家庭へ直販し、ガス機器もあわせて売ることである。創業者で社長の本山修策氏の下、創業した1955年の7〜12月の売上高は300万円で、第1期と第2期は赤字だった。現在の会社の設立が1947年5月とされるのは、1971年10月の額面変更の合併で関東商事が形式上の存続会社になったためである。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [1]旧日本瓦斯は1955年7月に資本金250万円で設立。1947年5月は額面変更合併(1971年10月)の形式上の存続会社・旧関東商事の設立年月
- [6]旧日本瓦斯は1955年7月に資本金250万円で設立。1947年5月は額面変更合併(1971年10月)の形式上の存続会社・旧関東商事の設立年月
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [2]旧日本瓦斯は岩谷氏一族を中心に岩谷産業の関東地区特約店として設立。岩谷産業からプロパンガスを仕入れ一般家庭へ直販し、付随するガス機器も販売する目的
- [4]旧日本瓦斯は岩谷氏一族を中心に岩谷産業の関東地区特約店として設立。岩谷産業からプロパンガスを仕入れ一般家庭へ直販し、付随するガス機器も販売する目的
- 企業の歴史 明治百年 1968年「岩谷産業」(NDL pid 3442940 コマ308)
- [3]岩谷産業は1953年にマルヰプロパンの名でLPガス販売を開始し、1955〜1959年に日本瓦斯などLPガス関連会社を設立
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [5]本山修策氏が1955年7月に創業。発足時資本金250万円・社員5人。1955年7〜12月の売上は300万円、第1・2期は赤字
本山修策氏は1955年7月の創業時から社内に工事部を置き、LPガスの販売とあわせてガス工事の設計と施工を自社で手がけた。発足当初の日本瓦斯は、プロパンガスがどんな燃料かを家庭に説明するところから営業を始めなければならず、販売は難航した。本山修策氏は、ガス漏れを防いで安全に使ってもらうには、配管からガス供給までを1社で引き受ける体制が要ると考えた。配管の材料も安全を優先し、最初に使ったゴムホースを銅管や鉄管へ順に切り替えた。その後、日本瓦斯はガス切れの防止を狙ったメーターの販売にも業界に先んじて着手した。工事を自社に抱えたことで、家庭は器具と配管と燃料の不具合を1つの窓口に申し出ることができたとみられる。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [7]1955年7月よりLPガス・同機器の販売とガス工事の設計施工を併せて取り扱う
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [8]1955年当初から工事部を設け、責任の一貫体制を整える
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [9]設立当初はプロパンガスとは何かの啓蒙から始め販売は困難。のちガス配管工事の併設による責任供給体制、ガス切れを防ぐメーター販売で業界に先鞭
- [12]設立当初はプロパンガスとは何かの啓蒙から始め販売は困難。のちガス配管工事の併設による責任供給体制、ガス切れを防ぐメーター販売で業界に先鞭
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- [10]ガス漏れのない安全な供給のため創業当初から工事部門を設置。配管はゴムホースから銅パイプ・鉄管へ。設計・施工・供給の一貫した責任供給体制
- [11]ガス漏れのない安全な供給のため創業当初から工事部門を設置。配管はゴムホースから銅パイプ・鉄管へ。設計・施工・供給の一貫した責任供給体制
参考文献[1]-[12]
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [1]旧日本瓦斯は1955年7月に資本金250万円で設立。1947年5月は額面変更合併(1971年10月)の形式上の存続会社・旧関東商事の設立年月
- [6]旧日本瓦斯は1955年7月に資本金250万円で設立。1947年5月は額面変更合併(1971年10月)の形式上の存続会社・旧関東商事の設立年月
- [7]1955年7月よりLPガス・同機器の販売とガス工事の設計施工を併せて取り扱う
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [2]旧日本瓦斯は岩谷氏一族を中心に岩谷産業の関東地区特約店として設立。岩谷産業からプロパンガスを仕入れ一般家庭へ直販し、付随するガス機器も販売する目的
- [4]旧日本瓦斯は岩谷氏一族を中心に岩谷産業の関東地区特約店として設立。岩谷産業からプロパンガスを仕入れ一般家庭へ直販し、付随するガス機器も販売する目的
- [9]設立当初はプロパンガスとは何かの啓蒙から始め販売は困難。のちガス配管工事の併設による責任供給体制、ガス切れを防ぐメーター販売で業界に先鞭
- [12]設立当初はプロパンガスとは何かの啓蒙から始め販売は困難。のちガス配管工事の併設による責任供給体制、ガス切れを防ぐメーター販売で業界に先鞭
- 企業の歴史 明治百年 1968年「岩谷産業」(NDL pid 3442940 コマ308)
- [3]岩谷産業は1953年にマルヰプロパンの名でLPガス販売を開始し、1955〜1959年に日本瓦斯などLPガス関連会社を設立
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [5]本山修策氏が1955年7月に創業。発足時資本金250万円・社員5人。1955年7〜12月の売上は300万円、第1・2期は赤字
- [8]1955年当初から工事部を設け、責任の一貫体制を整える
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- [10]ガス漏れのない安全な供給のため創業当初から工事部門を設置。配管はゴムホースから銅パイプ・鉄管へ。設計・施工・供給の一貫した責任供給体制
- [11]ガス漏れのない安全な供給のため創業当初から工事部門を設置。配管はゴムホースから銅パイプ・鉄管へ。設計・施工・供給の一貫した責任供給体制
1956年〜日本住宅公団と提携した配管の集中供給と、田無・町田の充填基地
日本瓦斯は1956年春、団地の各戸へ導管でLPガスを送る集中供給方式を開発し、実用に移した。きっかけは1955年の日本住宅公団の設立で、日本瓦斯は公団と提携して配管による供給技術の開発に取り組んだ。本山修策氏によれば、導管で団地へまとめて送る方式の実用化は国内で初めてで、ボンベを1戸ずつ置く個別供給と違い団地をまとめて顧客にできた。LPガス業界全体でも、個別供給から配管供給への移行は1960年以降に急速に進んだ。本山修策氏はこの方式に簡易ガス事業としての法的な裏づけを与えるよう関係方面に働きかけた。1970年のガス事業法改正で、70戸以上の団地には集中供給方式を採ることが定められた。
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- [13]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- [14]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- [17]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- [18]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [15]配管によるLPガス集中供給方式を1956年に国内で初めて開発・実用化。業界では1960年以降、個別供給から配管供給へ移行
- [16]配管によるLPガス集中供給方式を1956年に国内で初めて開発・実用化。業界では1960年以降、個別供給から配管供給へ移行
1959年12月に田無工場、1960年8月に町田工場が完成。2つの工場はLPガスの充塡基地で、1973年時点では本店と34の販売所を支える拠点である。1974年の説明では、田無と町田は配送センターを兼ね、どちらにも車両の整備工場が併設されていた。田無と町田の2カ所には計約650トンの貯蔵基地があり、日本瓦斯は卸の機能も自社に持った。中東からの輸入の途絶や船員・国鉄のストで需給が崩れても、顧客の家庭でガス切れを起こさないための備えで、流通在庫を含め約1カ月分を確保した。団地への供給が増えるなかで、首都圏西部に詰め替えと配送の拠点を自前で置く必要が生じたと推察される。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [19]1959年12月田無工場完成、1960年8月町田工場完成
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [20]1973年時点で本店・2充塡基地(田無・町田)・34販売所
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- [21]1974年時点で田無・町田は配送センターを兼ね、車輌整備工場を併設
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [22]田無・町田の2カ所に約650トンの貯蔵基地。輸入途絶や船員・国鉄ストに備え卸の機能も保有し、流通在庫を含め約1カ月分を確保
- [23]田無・町田の2カ所に約650トンの貯蔵基地。輸入途絶や船員・国鉄ストに備え卸の機能も保有し、流通在庫を含め約1カ月分を確保
日本瓦斯は1959年から、LPガスを自動車の燃料に使う試験研究を自家用車で始めた。本山修策氏は、ガスの需要を家庭の外へ多様化させることをねらいに挙げた。当時のLPガスは石炭や薪に代わる燃料として普及の途上にあり、液化すると気体の250分の1の容積に収まって持ち運べた。自動車燃料の試験は、1962年からの気化器の国産化につながった。家庭の外に需要を求める取り組みはのちに缶入りガスやライター用ガスの自社開発商品へ広がり、1972年7月期に売上高の10.1%を占めた。家庭向けの需要とは別に、年間を通じて燃料を使う車両を新しい顧客層と見たのだろう。
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [24]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- [25]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- [26]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- [27]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [28]ライターガス・缶入ガスなど自社開発商品が1972年7月期売上の10.1%
参考文献[13]-[28]
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- [13]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- [14]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- [17]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- [18]本山修策氏は集中供給方式に簡易ガス事業法の裏づけを働きかけた。1955年の日本住宅公団設立に伴い公団と提携し配管供給の技術開発。1956年春に集中供給方式を実用化。1970年のガス事業法改正で70戸以上の団地は集中供給方式に
- [21]1974年時点で田無・町田は配送センターを兼ね、車輌整備工場を併設
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [15]配管によるLPガス集中供給方式を1956年に国内で初めて開発・実用化。業界では1960年以降、個別供給から配管供給へ移行
- [16]配管によるLPガス集中供給方式を1956年に国内で初めて開発・実用化。業界では1960年以降、個別供給から配管供給へ移行
- [22]田無・町田の2カ所に約650トンの貯蔵基地。輸入途絶や船員・国鉄ストに備え卸の機能も保有し、流通在庫を含め約1カ月分を確保
- [23]田無・町田の2カ所に約650トンの貯蔵基地。輸入途絶や船員・国鉄ストに備え卸の機能も保有し、流通在庫を含め約1カ月分を確保
- [24]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- [25]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- [26]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- [27]ガス需要の多様化のためLPガスの自動車燃料利用を企画し1959年から自家用車で試験研究、1962年に気化器国産化。LPガスは1952〜53年頃から固形燃料に代わり登場。液化で容積250分の1、可搬
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [19]1959年12月田無工場完成、1960年8月町田工場完成
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [20]1973年時点で本店・2充塡基地(田無・町田)・34販売所
- [28]ライターガス・缶入ガスなど自社開発商品が1972年7月期売上の10.1%
1961年〜インジェクター社と提携した気化器の国産化と、日本瓦斯運輸・日本瓦斯工事の分立
日本瓦斯は1962年、米国インジェクター社との技術提携でマックレーン式気化器を国内で作れるようにした。本山修策氏によると、当時国内で使われたLPガス用気化器の7割は日本瓦斯の製造だった。1973年時点ではタクシー24万〜25万台のうち約23万台がLPガスを使っていた。タクシーの年間消費量160数万トンは、家庭用と業務用の合計の3分の1を超えた。日本瓦斯の1965年7月期の売上高は10億円だった。自前の試験だけでは量産の技術を得られず、海外の技術を取り込んで市場の立ち上がりに間に合わせたと思われる。
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [29]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- [30]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- [31]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- [32]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- 会社年鑑 1976年版「日本瓦斯」(2399頁・最近の業績)
- [33]最近の業績の表で、昭和40年(1965年)7月期の売上高は10億円(表の単位は100万円)
1963年4月、日本瓦斯運輸(現・日本瓦斯運輸整備)の設立。本山修策氏は1974年の講演で、車両を外注で修理すると1台に最低3日かかると説明した。1974年時点で関連会社を含め約250台の自動車を持つ日本瓦斯にとって、自社の修理工場は定期の修理を組み、必要な時に車両を動かす手段にあたる。外注のままなら、1974年時点の3倍を超える車両と、それを動かす人員が要るという見積もりだった。タンクローリーによる輸送も自社で担い、故障した車両はすぐに自社工場で直した一方、基地間の輸送には専門の輸送会社を使った。同じ1963年の9月には、岩谷産業が日本瓦斯に資本参加した。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [34]1963年4月日本瓦斯運輸(現・日本瓦斯運輸整備)設立
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- [35]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- [36]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- [37]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- [38]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [39]岩谷産業は1963年9月に資本参加
1965年2月、配管工事の施工部門を切り離した日本瓦斯工事の設立。本山修策氏は、創業時から置いた工事部の下に工事会社を設け、自らの手で責任施工を担う体制にした。工事の範囲はガス配管に加えて給排水にも及んだ。1972年7月期には請負工事が売上高の19.8%、プロパンガスを主力とする商品販売が80.2%を占めた。翌1966年6月、日本瓦斯は新日本瓦斯を設立し、都市ガス事業に参入した。工事会社の分立は、配管網を広げて都市ガスへ進むための段取りだったと考えられる。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [40]1965年2月日本瓦斯工事設立(配管工事施工部門を分離)。1966年6月新日本瓦斯設立(都市ガス事業に進出)
- [44]1965年2月日本瓦斯工事設立(配管工事施工部門を分離)。1966年6月新日本瓦斯設立(都市ガス事業に進出)
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [41]創業当初の工事部の下に子会社の工事会社を作り責任施工の体制。1973年の関連企業は工事会社・運輸会社・都市ガス会社6社、計約410名
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [42]ガス配管工事・給排水工事等の請負工事が1972年7月期売上の19.8%、商品販売が80.2%
- [43]ガス配管工事・給排水工事等の請負工事が1972年7月期売上の19.8%、商品販売が80.2%
参考文献[29]-[44]
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- [29]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- [30]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- [31]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- [32]1962年から米インジェクター社と技術提携しマックレーン式気化器を国産化。当時国内のLPガス気化器の7割を製造。1973年にタクシー約23万台がLPガス、年間160数万トン(家庭・業務用約360万トンの3分の1超)
- [41]創業当初の工事部の下に子会社の工事会社を作り責任施工の体制。1973年の関連企業は工事会社・運輸会社・都市ガス会社6社、計約410名
- 会社年鑑 1976年版「日本瓦斯」(2399頁・最近の業績)
- [33]最近の業績の表で、昭和40年(1965年)7月期の売上高は10億円(表の単位は100万円)
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [34]1963年4月日本瓦斯運輸(現・日本瓦斯運輸整備)設立
- [40]1965年2月日本瓦斯工事設立(配管工事施工部門を分離)。1966年6月新日本瓦斯設立(都市ガス事業に進出)
- [44]1965年2月日本瓦斯工事設立(配管工事施工部門を分離)。1966年6月新日本瓦斯設立(都市ガス事業に進出)
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- [35]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- [36]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- [37]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- [38]自家用車輌の整備のため運輸整備会社を保有。関連会社含め約250台。外注修理は最低3日、自前がなければ現在の3倍以上の車両と人員が必要。タンクローリーも自社で運用、基地間輸送は専門会社
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)
- [39]岩谷産業は1963年9月に資本参加
- [42]ガス配管工事・給排水工事等の請負工事が1972年7月期売上の19.8%、商品販売が80.2%
- [43]ガス配管工事・給排水工事等の請負工事が1972年7月期売上の19.8%、商品販売が80.2%
1947年〜1965年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年07月期 | 単体 | 10 | n/a | 0 | 0.0% | 0 | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
6件
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- 企業の歴史 明治百年 1968年「岩谷産業」(NDL pid 3442940 コマ308)
- 会社年鑑 1976年版「日本瓦斯」(2399頁・最近の業績)
- 証券アナリストジャーナル 11巻4号 1973年4月(本山修策 講演要旨)
- 証券アナリストジャーナル 12巻12号 1974年(本山修策 講演要旨)
- 証券 1973年(新規上場会社紹介)