アートネイチャー:阿久津三郎氏のかつら製造販売の創業と株式会社化
1965年〜男性かつら専業で始めた相談起点の販売
阿久津三郎氏は1965年、男性用かつらだけを手がける事業を国内で初めて興した。それまで国内には、男性用の毛髪製品が商品として出回っていなかった。創立の年を1966年とする記事もあり、資料により1年の幅が残る。1967年6月に個人営業を株式会社へ改め、本社は東京・麹町に置いた。1969年10月には渋谷区代々木に本社社屋を建てて移り、相談の受け付けから製作、装着後の手入れまでを同じ本社で受け持つようにした。採寸から保守までを社内に抱えたことで、一度の購入が継続取引へ変わる収益構造になったとみられる。
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [1]1965年(昭和40年)に日本で初めての男性かつら専業会社として事業を始めた
- 財政金融ジャーナル 30(8) 1990年8月「期待される成長企業 株式会社アートネイチャー」
- [2]1965年、男性用毛髪製品が存在しなかった時代に第一号製品を出した
- 企業と広告 8(12) 1982年12月「〈アートネイチャー〉発毛促進剤を新発売、頭髪で悩む人すべてに対応」
- [3]日本で初めての男性かつら専業会社として昭和41年に創立されたと記す
- アートネイチャー 有価証券報告書 第59期(2026年3月期)【沿革】
- [4]1967年6月に東京都千代田区麹町で当社を設立した
- [5]1969年10月に渋谷区代々木へ本社社屋を新築移転し、カウンセリングから製作・アフターサービスまでの一貫体制が整った
客との接点は、本人がかけてくる問い合わせの電話から始まるのがほとんどだった。薄毛は親しい友人の間でも口にしにくく、初めの頃の来店客は一人で悩み、一人で決めて店を訪れたという。阿久津三郎氏は相談の場について『とにかく相談時には、親となり、兄貴となり、時には弟となり、というかたちで対応しろ』と社員に説き、売り込む前に悩みを聞き取ることを求めた。後年の営業部長の山西均氏も、本人がどこに悩んでいるかを電話で聞き出すことを応対の要点に挙げている。販売の入口が来店前の相談にあったため、応対の質がそのまま受注の数を決めたと考えられる。
- NTT business 458 1988年「お客さまサービス最前線 株式会社アートネイチャー」
- [6]顧客との出会いのほとんどが顧客自身による問い合わせ電話から始まる
- [8]創業者は相談時に親・兄・弟のように対応し、営業ではなくカウンセリングとして臨むよう求めた
- [9]営業部長の山西均は、本人がどの部分で悩んでいるかを聞き出すことを最大の要点とした
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [7]男性同士でも髪の話は避けられ、初期は一人で悩み一人で決めて店を訪ねる客ばかりだった
参考文献[1]-[9]
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [1]1965年(昭和40年)に日本で初めての男性かつら専業会社として事業を始めた
- [7]男性同士でも髪の話は避けられ、初期は一人で悩み一人で決めて店を訪ねる客ばかりだった
- 財政金融ジャーナル 30(8) 1990年8月「期待される成長企業 株式会社アートネイチャー」
- [2]1965年、男性用毛髪製品が存在しなかった時代に第一号製品を出した
- 企業と広告 8(12) 1982年12月「〈アートネイチャー〉発毛促進剤を新発売、頭髪で悩む人すべてに対応」
- [3]日本で初めての男性かつら専業会社として昭和41年に創立されたと記す
- アートネイチャー 有価証券報告書 第59期(2026年3月期)【沿革】
- [4]1967年6月に東京都千代田区麹町で当社を設立した
- [5]1969年10月に渋谷区代々木へ本社社屋を新築移転し、カウンセリングから製作・アフターサービスまでの一貫体制が整った
- NTT business 458 1988年「お客さまサービス最前線 株式会社アートネイチャー」
- [6]顧客との出会いのほとんどが顧客自身による問い合わせ電話から始まる
- [8]創業者は相談時に親・兄・弟のように対応し、営業ではなくカウンセリングとして臨むよう求めた
- [9]営業部長の山西均は、本人がどの部分で悩んでいるかを聞き出すことを最大の要点とした
1967年〜広告で掘り起こした需要と、創業者出資の地域販社
1967年に新聞・雑誌への広告を出し始め、1970年にはテレビのスポット広告を加えた。社名が広く知られたのは、1980年にプロ野球の金田正一氏をCMに起用してからである。1981年からはロッテオリオンズの倉持明投手が出演した。野球選手を選んだ狙いは、かつらにまとわる暗い印象を払うことと、激しく動いても外れない技術を見せることにあった。1983年には中年の男性同士が相手の髪を見て社名を口にするほどになり、家族や妻の勧めで営業所に来る客も増えた。広告は製品の宣伝である前に、人に言いにくい悩みを相談してよいものへ変える役を担ったのだろう。
- 企業と広告 8(12) 1982年12月「〈アートネイチャー〉発毛促進剤を新発売、頭髪で悩む人すべてに対応」
- [10]1967年(昭和42年)から新聞・雑誌広告を出稿し、1970年(昭和45年)からテレビスポットも始めた
- [11]知名度を一躍高めたのは1980年(昭和55年)に金田正一をCMキャラクターに起用してから
- [13]スポーツ選手の起用で明るさを強調し、激しい運動でも大丈夫という技術を訴求した
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [12]1981年(昭和56年)からロッテオリオンズの倉持明投手がCMキャラクターになった
- [14]中年同士の会話で「アートネイチャーかね」と言われるほど社名が風俗語として定着した
- [15]最近は家族や妻にすすめられて営業所を訪ねる客が多くなった
地方への展開は販売会社を担い手とし、1976年9月の名古屋を手始めに、1977年10月に大阪と福岡、1980年に横浜・千葉・京都、1981年10月に四国を受け持つ会社ができた。いずれも阿久津三郎氏の個人出資が50%を占め、本体の子会社にはならなかった。本体がこれら9社を完全子会社にするのは2000年3月のことになる。1983年の直営の営業所は全国107か所。利用者は約30万人で、男性かつら利用者100万人の30%にあたった。地方展開の資本を本体の外で賄い、本体は製作と広告に資金を振り向けたと推察される。
- アートネイチャー 有価証券報告書 第59期(2026年3月期)【沿革】
- [16]1976年9月アートネイチャー中部、1977年10月関西・西部、1980年7月神奈川・8月千葉・11月古都、1981年10月四国を設立した
- [17]各販売会社は創業者阿久津三郎の個人出資(出資比率50%)で設立された
- [18]2000年3月に9販社を100%子会社化した
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [19]全国に直営の107営業所をもつまでに成長した
- [20]愛用者は約30万人で、男性かつら利用者100万人のうちシェア30%にあたる
参考文献[10]-[20]
- 企業と広告 8(12) 1982年12月「〈アートネイチャー〉発毛促進剤を新発売、頭髪で悩む人すべてに対応」
- [10]1967年(昭和42年)から新聞・雑誌広告を出稿し、1970年(昭和45年)からテレビスポットも始めた
- [11]知名度を一躍高めたのは1980年(昭和55年)に金田正一をCMキャラクターに起用してから
- [13]スポーツ選手の起用で明るさを強調し、激しい運動でも大丈夫という技術を訴求した
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [12]1981年(昭和56年)からロッテオリオンズの倉持明投手がCMキャラクターになった
- [14]中年同士の会話で「アートネイチャーかね」と言われるほど社名が風俗語として定着した
- [15]最近は家族や妻にすすめられて営業所を訪ねる客が多くなった
- [19]全国に直営の107営業所をもつまでに成長した
- [20]愛用者は約30万人で、男性かつら利用者100万人のうちシェア30%にあたる
- アートネイチャー 有価証券報告書 第59期(2026年3月期)【沿革】
- [16]1976年9月アートネイチャー中部、1977年10月関西・西部、1980年7月神奈川・8月千葉・11月古都、1981年10月四国を設立した
- [17]各販売会社は創業者阿久津三郎の個人出資(出資比率50%)で設立された
- [18]2000年3月に9販社を100%子会社化した
1982年〜かつらを望まない層への発毛促進剤と人工毛への転換
1982年12月、発毛促進剤「若露」を全国の百貨店・薬局・化粧品店・理容店で売り出した。自社の製品を一般の流通経路に乗せたのは、これが初めてである。きっかけは、創業から30万人を超えた相談客の中に、できればかつらを使わずに済ませたい人が少なくなかったことにある。相談客の体質や抜け毛の進み方を分析したデータを土台に、10年余りの研究を経て製品にした。毛髪用剤の生産額は1981年度に約840億円あり、かつらの潜在需要は500万人ともいわれた。相談で積んだ顧客の記録を、かつら以外の売上へ振り向けた判断だったと思われる。
- 企業と広告 8(12) 1982年12月「〈アートネイチャー〉発毛促進剤を新発売、頭髪で悩む人すべてに対応」
- [21]1982年12月初旬から発毛促進剤「若露」を全国の有名デパート・薬局・薬店・化粧品店・理容店で発売した
- [22]同社の製品が一般ルートで販売されるのは初めて
- [23]創業以来30万人以上の相談客の中に、かつらを使いたくない人がかなりいた
- [24]相談客の体質・抜け毛の進行状況を分析したデータをもとに10余年の研究を重ねて開発した
- [25]毛髪用剤(養毛剤・発毛促進剤)の前年度生産額は約840億円
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [26]男性かつらの愛用者は100万人、潜在需要は500万人といわれる
1983年には、かつらに植える毛を人毛から人工毛に替えた。業界で最初の切り替え。人毛は製品にする前にキューティクルの除去・殺菌・脱色・染色を経るため、弾力・耐久・色持ちが低下する弱みを抱えていた。従来の人工毛にも、油を塗ったような光沢、水を吸わない性質、熱への弱さという3つの難点があり、新たに開発した「アートRON」はこの3点を改めた素材として売り出された。人工毛はのちに独自の製品群「アートロン」へ広がり、1984年の増毛法「マープ」の素材にもなった。原料を天然の人毛から自社開発の繊維へ移し、品質と調達を自ら管理できるようになっただろう。
- 財政金融ジャーナル 30(8) 1990年8月「期待される成長企業 株式会社アートネイチャー」
- [27]1983年に業界初の毛髪素材の人毛から人工毛への切り替えを行った
- [28]1983年に業界初の毛髪素材の人毛から人工毛への切り替えを行った
- [31]人工毛は独自製品「アートロンシリーズ」に発展し、人工毛を使った自然増毛「マープ」を実現した
- 野田経済 1420 1983年5月
- [29]人毛かつらは製品化前にキューティクル除去・殺菌・脱色・染色を経て、弾力性・耐久性・耐色性に欠けていた
- [30]新開発の人工毛「アートRON」は、手触りと光沢・水分の浸透性・熱への弱さという人工毛の3つの欠点をクリアした
- アートネイチャー 有価証券報告書 第59期(2026年3月期)【沿革】
- [32]1984年9月にベース素材を使用しない増毛法「マープ」を発売した
参考文献[21]-[32]
- 企業と広告 8(12) 1982年12月「〈アートネイチャー〉発毛促進剤を新発売、頭髪で悩む人すべてに対応」
- [21]1982年12月初旬から発毛促進剤「若露」を全国の有名デパート・薬局・薬店・化粧品店・理容店で発売した
- [22]同社の製品が一般ルートで販売されるのは初めて
- [23]創業以来30万人以上の相談客の中に、かつらを使いたくない人がかなりいた
- [24]相談客の体質・抜け毛の進行状況を分析したデータをもとに10余年の研究を重ねて開発した
- [25]毛髪用剤(養毛剤・発毛促進剤)の前年度生産額は約840億円
- 月刊経済 30(5) 1983年
- [26]男性かつらの愛用者は100万人、潜在需要は500万人といわれる
- 財政金融ジャーナル 30(8) 1990年8月「期待される成長企業 株式会社アートネイチャー」
- [27]1983年に業界初の毛髪素材の人毛から人工毛への切り替えを行った
- [28]1983年に業界初の毛髪素材の人毛から人工毛への切り替えを行った
- [31]人工毛は独自製品「アートロンシリーズ」に発展し、人工毛を使った自然増毛「マープ」を実現した
- 野田経済 1420 1983年5月
- [29]人毛かつらは製品化前にキューティクル除去・殺菌・脱色・染色を経て、弾力性・耐久性・耐色性に欠けていた
- [30]新開発の人工毛「アートRON」は、手触りと光沢・水分の浸透性・熱への弱さという人工毛の3つの欠点をクリアした
- アートネイチャー 有価証券報告書 第59期(2026年3月期)【沿革】
- [32]1984年9月にベース素材を使用しない増毛法「マープ」を発売した
出典・参考
6件
- アートネイチャー 有価証券報告書 第59期(2026年3月期)【沿革】
- 財政金融ジャーナル 30(8) 1990年8月「期待される成長企業 株式会社アートネイチャー」
- 企業と広告 8(12) 1982年12月「〈アートネイチャー〉発毛促進剤を新発売、頭髪で悩む人すべてに対応」
- 月刊経済 30(5) 1983年
- 野田経済 1420 1983年5月
- NTT business 458 1988年「お客さまサービス最前線 株式会社アートネイチャー」