ゆうちょ銀行:郵便事業の創業と郵便貯金の開始
1870年〜英国で見た送金と貯蓄を兼ねる郵便と、取扱役に委ねた窓口網
前島密氏は1870年6月、鉄道借款の処理にあたる使節の副使として英国へ渡り、本務の合間に郵便とあわせて為替と貯金の運営を調べた。英国の郵便事業は新聞や商品見本の郵送から郵便為替・郵便貯金までを含み、前島密氏はその範囲の広さに驚いたという。為替は自ら差出人と受取人を務め、事務の流れを確かめている。振替貯金と為替の仕組みも、この滞在で知った。手本に英国を選んだのは、同じ島国で人情や風俗が日本に近いと判断したためである。郵便の窓口に送金と貯蓄を同居させる設計図は、郵便の開業より前に持ち帰られていたとみられる。
- コンセンサス 1982年11月「明治4年、郵便事業開始の朗報にロンドンで小踊りして喜んだ前島密。」高橋善七
- [1]前島密は鉄道借款問題処理のため遣欧使節上野景範の副使として明治3年6月に渡欧し、英国で郵便のほか為替や貯金の運営の実態を調査した
- [5]英国と日本はともに島国で人情風俗が日本人になじみやすいと判断し、英国の実務知識を吸収した
- 貿易クレームと仲裁 14(7) 1967年「“ものごとの最初”ものがたり――郵便の父・前島密の生涯」石川実
- [2]英国では新聞・雑誌・書籍・商品見本の郵送や郵便為替から郵便貯金までを郵便事業に含んでいると説明され、前島密は意外に思い驚いた
- [3]前島密は郵便為替の差出人や受取人になって仕組みと事務を確かめた
- 郵政 14(4) 1962年 春季増大号 座談会「前島密先生を語る」田倉八郎・小田嶽夫・西村尚治・荒巻伊勢雄ほか
- [4]振替貯金や為替は英国滞在の経験で知った
郵便事業の創業は1871年4月で、翌1872年7月には全国で一斉に実施へ移った。1873年度末には郵便局が1,500局を数え、その運営の多くは郵便取扱役と呼ばれた各地の資産家に委ねられた。取扱役は地域の知識人でもあった。前島密氏は三等郵便局の制度で局数を急速に増やし、この特定局がやがて貯金と為替の拠点ともなった。国が店舗を建てずに地域の有力者の家屋を窓口として借りた網であり、手紙のために敷いた配置が、そのまま金融の窓口に転用できたのだろう。
- ゆうちょ銀行 有価証券報告書 第20期(2026年3月期)【沿革】
- [6]1871年4月に郵便事業創業
- 官公労働 50(7) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(下)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- [7]陸運元会社の設立を受け、明治5年(1872年)7月1日に郵便の全国的な実施が始まった
- [9]郵便の全国的な発展は郵便取扱役と称された各地の特定郵便局長の協力に支えられ、取扱役は資産家であると同時に各地域の知識人でもあった
- 官公労働 50(6) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(中)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- [8]明治6年度末(1874年3月)の郵便局は1,500局だった
- コンセンサス 1982年11月「明治4年、郵便事業開始の朗報にロンドンで小踊りして喜んだ前島密。」高橋善七
- [10]前島密は三等郵便局制度(特定局)によって局数を激増させた
- 逓信協会雑誌 889 1985年6月 座談会「郵便の父――前島密」篠原宏・小川常人・橋本暉夫・武田功
- [11]特定局制度を敷いて各地の郵便局を拠点とし、貯金や為替は前島密の時から始まった
参考文献[1]-[11]
- コンセンサス 1982年11月「明治4年、郵便事業開始の朗報にロンドンで小踊りして喜んだ前島密。」高橋善七
- [1]前島密は鉄道借款問題処理のため遣欧使節上野景範の副使として明治3年6月に渡欧し、英国で郵便のほか為替や貯金の運営の実態を調査した
- [5]英国と日本はともに島国で人情風俗が日本人になじみやすいと判断し、英国の実務知識を吸収した
- [10]前島密は三等郵便局制度(特定局)によって局数を激増させた
- 貿易クレームと仲裁 14(7) 1967年「“ものごとの最初”ものがたり――郵便の父・前島密の生涯」石川実
- [2]英国では新聞・雑誌・書籍・商品見本の郵送や郵便為替から郵便貯金までを郵便事業に含んでいると説明され、前島密は意外に思い驚いた
- [3]前島密は郵便為替の差出人や受取人になって仕組みと事務を確かめた
- 郵政 14(4) 1962年 春季増大号 座談会「前島密先生を語る」田倉八郎・小田嶽夫・西村尚治・荒巻伊勢雄ほか
- [4]振替貯金や為替は英国滞在の経験で知った
- ゆうちょ銀行 有価証券報告書 第20期(2026年3月期)【沿革】
- [6]1871年4月に郵便事業創業
- 官公労働 50(7) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(下)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- [7]陸運元会社の設立を受け、明治5年(1872年)7月1日に郵便の全国的な実施が始まった
- [9]郵便の全国的な発展は郵便取扱役と称された各地の特定郵便局長の協力に支えられ、取扱役は資産家であると同時に各地域の知識人でもあった
- 官公労働 50(6) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(中)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- [8]明治6年度末(1874年3月)の郵便局は1,500局だった
- 逓信協会雑誌 889 1985年6月 座談会「郵便の父――前島密」篠原宏・小川常人・橋本暉夫・武田功
- [11]特定局制度を敷いて各地の郵便局を拠点とし、貯金や為替は前島密の時から始まった
1875年〜郵便局の窓口に載せた為替と貯金
郵便為替の創業は1875年1月であった。同じ月に郵便役所と郵便取扱所の名を郵便局へ改め、外国郵便の取扱いも始めている。前提の課題は、藩札が残って貨幣制度がそろわず、銀行も無い中で、資金をいかに全国へ動かすかにあった。元手の資金は政府から出ず、のちに大隈重信大蔵卿が10万円規模の資金を拠出した。開業後も事故や犯罪による欠損金が出たが、為替の取扱いはそれを抱えたまま広がっている。郵便物の運送を請け負った内国通運会社は、郵便局の業務用品とともに資金の輸送も引き受けた。手紙の運送網を現金の輸送に充てたことで、為替は独自の輸送手段を持たずに済んだと推察される。
- ゆうちょ銀行 有価証券報告書 第20期(2026年3月期)【沿革】
- [12]1875年1月に郵便為替事業創業
- 官公労働 50(7) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(下)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- [13]郵便為替を創業し外国郵便業務の取扱いを開始した明治8年(1875年)1月に、郵便役所や郵便取扱所の名称を郵便局と改めた
- [17]郵便局の業務拡大に伴い、内国通運会社が扱う郵便局の業務用物品の運送や資金の運送が増えた
- 郵政 14(4) 1962年 春季増大号 座談会「前島密先生を語る」田倉八郎・小田嶽夫・西村尚治・荒巻伊勢雄ほか
- [14]為替制度は、藩札が残り金融・貨幣制度が統一されず、銀行も無いため、全国的な資金の移動が難しかった
- [15]政府が資金を出せず前島家の財産を充てる請願を起こしたが通らず、のちに大隈大蔵卿が10万円ほどの資金を出したという
- [16]若干の事故や犯罪、欠損金も出たが、それがもとになって発展した
郵便貯金は1875年5月に創業し、取扱局は東京市内の18局と横浜局にとどまった。前島密氏が掲げた目的は、手元の金を翌日に残さない庶民の気風を改め、自分の将来に備える蓄えを根づかせることにあった。預入れの勧誘には年6分の利息を示し、月1円ずつの積立てが年を追って何百円に達するという試算を添えた。初めは預ける人が現れず、前島密氏は真中忠直氏と資金を用意して身近な働き手に少額を預けさせ、利息の付く仕組みを知らせた。為替が既存の資金を運ぶ業務だったのに対し、貯金は預ける習慣そのものを窓口で育てる業務として出発したのだろう。
- ゆうちょ銀行 有価証券報告書 第20期(2026年3月期)【沿革】
- [18]1875年5月に郵便貯金事業創業
- 官公労働 50(7) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(下)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- [19]郵便貯金が創業された明治8年5月、その取扱局は東京市内18局と横浜局に過ぎなかった
- 郵政 14(4) 1962年 春季増大号 座談会「前島密先生を語る」田倉八郎・小田嶽夫・西村尚治・荒巻伊勢雄ほか
- [20]前島密は、宵越しの金を残さない庶民の考え方を誤りとし、将来を安心して過ごせる蓄えをしておくべきだと繰り返し説いた
- [21]利率は年6分で、1か月1円ずつ貯金すれば何年で何百何十円になると説いて預け入れを勧めた
- [22]預ける人がいないため真中忠直と貯金発端資を始め、集配人や出入りの植木職人に10銭・20銭を渡して預けさせ、利息が付くことを広めた
参考文献[12]-[22]
- ゆうちょ銀行 有価証券報告書 第20期(2026年3月期)【沿革】
- [12]1875年1月に郵便為替事業創業
- [18]1875年5月に郵便貯金事業創業
- 官公労働 50(7) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(下)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- [13]郵便為替を創業し外国郵便業務の取扱いを開始した明治8年(1875年)1月に、郵便役所や郵便取扱所の名称を郵便局と改めた
- [17]郵便局の業務拡大に伴い、内国通運会社が扱う郵便局の業務用物品の運送や資金の運送が増えた
- [19]郵便貯金が創業された明治8年5月、その取扱局は東京市内18局と横浜局に過ぎなかった
- 郵政 14(4) 1962年 春季増大号 座談会「前島密先生を語る」田倉八郎・小田嶽夫・西村尚治・荒巻伊勢雄ほか
- [14]為替制度は、藩札が残り金融・貨幣制度が統一されず、銀行も無いため、全国的な資金の移動が難しかった
- [15]政府が資金を出せず前島家の財産を充てる請願を起こしたが通らず、のちに大隈大蔵卿が10万円ほどの資金を出したという
- [16]若干の事故や犯罪、欠損金も出たが、それがもとになって発展した
- [20]前島密は、宵越しの金を残さない庶民の考え方を誤りとし、将来を安心して過ごせる蓄えをしておくべきだと繰り返し説いた
- [21]利率は年6分で、1か月1円ずつ貯金すれば何年で何百何十円になると説いて預け入れを勧めた
- [22]預ける人がいないため真中忠直と貯金発端資を始め、集配人や出入りの植木職人に10銭・20銭を渡して預けさせ、利息が付くことを広めた
出典・参考
7件
- ゆうちょ銀行 有価証券報告書 第20期(2026年3月期)【沿革】
- 郵政 14(4) 1962年 春季増大号 座談会「前島密先生を語る」田倉八郎・小田嶽夫・西村尚治・荒巻伊勢雄ほか
- 貿易クレームと仲裁 14(7) 1967年「“ものごとの最初”ものがたり――郵便の父・前島密の生涯」石川実
- コンセンサス 1982年11月「明治4年、郵便事業開始の朗報にロンドンで小踊りして喜んだ前島密。」高橋善七
- 逓信協会雑誌 889 1985年6月 座談会「郵便の父――前島密」篠原宏・小川常人・橋本暉夫・武田功
- 官公労働 50(7) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(下)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義
- 官公労働 50(6) 1996年「歴史随想 日本の近代化と郵便事業(中)――前島密の歴史的役割を考える」小林正義