スタンレー電気:北野商会の自動車用電球からスタンレー電気への改組
1920年〜芝区金松町で創業した北野商会と、目黒の新工場で始めた自動車用電球の量産
北野隆春氏は1920年12月、東京市芝区金松町で北野商会を創業した。設立の日付は1920年12月29日と記録されている。北野商会が手がけたのは、自動車用電球を中心とする照明器具の製造と販売であった。当時の国内では自動車の普及台数が少なく、創業期の商いはごく小さな規模にとどまった。それでも北野商会は創業時から「スタンレー」の商標を掲げ、自動車用電球を主軸に据えて各種の特殊電球へ品種を広げた。北野隆春氏は、自動車が増える前に電球の製法と商標を固めておけば、普及とともに需要を取り込めると見込んだのだろう。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [1]1920年末に北野商会として東京市芝区金松町で創業し、自動車用電球など照明器具の製造販売を始めたが、自動車の普及台数が低く商いは微々たるものだった
- [3]1920年末に北野商会として東京市芝区金松町で創業し、自動車用電球など照明器具の製造販売を始めたが、自動車の普及台数が低く商いは微々たるものだった
- [4]1920年末に北野商会として東京市芝区金松町で創業し、自動車用電球など照明器具の製造販売を始めたが、自動車の普及台数が低く商いは微々たるものだった
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [2]北野隆春氏が1920年12月に北野商会を創業、設立年月日は1920年12月29日。創業以来の商標「スタンレー」で自動車用電球を主軸に特殊電球メーカーとして発展
- [5]北野隆春氏が1920年12月に北野商会を創業、設立年月日は1920年12月29日。創業以来の商標「スタンレー」で自動車用電球を主軸に特殊電球メーカーとして発展
北野商会は1932年5月、東京・目黒に新工場を建て、自動車用電球の本格的な量産に入った。きっかけは昭和初期の自動車生産の増加で、なかでも軍用貨物車が台数を押し上げた。創業から12年、普及の遅れで小さく始まった商いは、需要の増加を確かめてから設備に資金を投じた。目黒の工場は戦後も各種小型電球の生産拠点として残り、1953年にJIS表示工場の許可を得た。1959年時点でも本社は目黒区中目黒2丁目605番地にあり、主要製品の筆頭は自動車用電球であった。軍需を起点とする自動車の増産が、北野商会にとって初めての量産の足場になったと考えられる。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [6]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- [7]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- [8]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- [9]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- 株式会社年鑑 1959年版「スタンレー電気」
- [10]1959年版時点の本社は東京都目黒区中目黒2の605、主要製品の筆頭は自動車用電球
参考文献[1]-[10]
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [1]1920年末に北野商会として東京市芝区金松町で創業し、自動車用電球など照明器具の製造販売を始めたが、自動車の普及台数が低く商いは微々たるものだった
- [3]1920年末に北野商会として東京市芝区金松町で創業し、自動車用電球など照明器具の製造販売を始めたが、自動車の普及台数が低く商いは微々たるものだった
- [4]1920年末に北野商会として東京市芝区金松町で創業し、自動車用電球など照明器具の製造販売を始めたが、自動車の普及台数が低く商いは微々たるものだった
- [6]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- [7]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- [8]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- [9]昭和初期に軍用貨物車を中心に自動車の生産台数が増えたので、1932年5月に東京目黒に新工場を建設し自動車用電球の量産体制を確立。1953年に目黒工場がJIS表示工場の許可を得た
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [2]北野隆春氏が1920年12月に北野商会を創業、設立年月日は1920年12月29日。創業以来の商標「スタンレー」で自動車用電球を主軸に特殊電球メーカーとして発展
- [5]北野隆春氏が1920年12月に北野商会を創業、設立年月日は1920年12月29日。創業以来の商標「スタンレー」で自動車用電球を主軸に特殊電球メーカーとして発展
- 株式会社年鑑 1959年版「スタンレー電気」
- [10]1959年版時点の本社は東京都目黒区中目黒2の605、主要製品の筆頭は自動車用電球
1933年〜資本金50万円で名乗ったスタンレー電気と、大阪支店・セレン整流器への広がり
北野商会は1933年5月に株式組織へ改め、資本金50万円のスタンレー電気株式会社として発足した。登記上の設立日は1933年5月1日である。社名には、創業時から製品に付けてきた商標「スタンレー」をそのまま用いた。由来はアフリカを探検したヘンリー・ボルトン・スタンレーで、社長の北野隆春氏は1960年の放送でその意味を『日本国内はもとより、世界の隅々までスタンレーの電球で明るくしようという訳であります』と説明した。企業の歴史も、社名の由来を電気産業を通じて世界を明るくするという志に結びつけている。商標で築いた国内外の取引先での認知を、株式会社の名でも引き継ぐ狙いがあったとみられる。
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [11]1933年5月に北野商会を株式組織に改め、資本金50万円でスタンレー電気株式会社として発足。商標「スタンレー」は創業以来のもの
- [13]1933年5月に北野商会を株式組織に改め、資本金50万円でスタンレー電気株式会社として発足。商標「スタンレー」は創業以来のもの
- 株式会社年鑑 1959年版「スタンレー電気」
- [12]設立1933年5月1日、1933年5月にスタンレー電気(株)組織に改め資本金50万円
- 証券時報 244 1960年12月号「スタンレー電気」北野隆春(文責調査部)
- [14]社長の北野隆春氏が1960年10月24日のNSB放送で、探検家ヘンリー・ボルトン・スタンレーにあやかり商標と共に社名をスタンレーとしたと説明
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [15]社名の由来は探検家スタンレーにちなみ、電気産業に貢献し世界を明るくしようという点にある
スタンレー電気は1934年末に大阪支店を開設し、東京と大阪の両市場で販売を広げる方針を打ち出した。創業以来の主力は自動車用電球で、そこに各種の特殊電球が加わった。販路は国内にとどまらず、スタンレー電気は輸出電球の先駆けとして世界各地に取引先を開拓した。大阪支店は戦後も大阪市福島区上福島に置かれ、1958年時点で本社・目黒工場・等々力工場と並ぶ事業所であった。1960年時点では名古屋にも支店を持ち、自動車用電球の国内需要の約70%を占めていた。株式会社化の翌年に西日本の拠点を設けたことで、東京の電球工場から全国と海外を相手にするメーカーへ移ったと推察される。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [16]1934年末に大阪支店を開設し、東西両市場の制覇に乗り出した
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [17]自動車用電球を主軸に特殊電球のメーカーとして発展し、輸出電球のパイオニアとして世界各地に販路を開拓。1958年時点の事業所は本社・目黒工場・等々力工場・大阪支店(大阪市福島区上福島)
- [18]自動車用電球を主軸に特殊電球のメーカーとして発展し、輸出電球のパイオニアとして世界各地に販路を開拓。1958年時点の事業所は本社・目黒工場・等々力工場・大阪支店(大阪市福島区上福島)
- [19]自動車用電球を主軸に特殊電球のメーカーとして発展し、輸出電球のパイオニアとして世界各地に販路を開拓。1958年時点の事業所は本社・目黒工場・等々力工場・大阪支店(大阪市福島区上福島)
- 証券時報 244 1960年12月号「スタンレー電気」北野隆春(文責調査部)
- [20]1960年時点で大阪・名古屋に支店を持ち、自動車電球は国内需要の約70%を占める
スタンレー電気は1936年末に抵抗器の生産を始め、1940年にはセレン整流器の製造に着手した。ホウロウ引きの抵抗器は、続くセレン整流器とともに企業化に成功した製品である。戦時体制が強まると両製品は量産に移り、戦時中は通信機や電波機器の部門に供給された。社長の北野隆春氏は1960年の放送で、自社のセレン整流体と整流器を国内で最も古い歴史を持つ製品と位置づけた。同じ1960年の電機器部門は、セレン整流器と琺瑯びき抵抗器に、日立製作所と提携したシリコン整流器を加えた構成であった。セレン整流器の納入先は、電機メーカー・造船業界・電線電話用装置・メッキ業界へ広がっていた。自動車の台数に左右される電球の一本足から、電機向けの部品へ収益源を分ける狙いがあったと思われる。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [21]1936年末に事業多角化として抵抗器の生産を始め、1940年にセレン整流器の製造を開始
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [22]ホウロウ引抵抗器、続いてセレン整流器に着目して企業化に成功し、戦時体制の強化とともに量産、戦時中は通信機・電波機器部門に貢献
- [23]ホウロウ引抵抗器、続いてセレン整流器に着目して企業化に成功し、戦時体制の強化とともに量産、戦時中は通信機・電波機器部門に貢献
- 証券時報 244 1960年12月号「スタンレー電気」北野隆春(文責調査部)
- [24]1960年時点の電機器部門は国内で最も古い歴史のあるセレン整流体・整流器、琺瑯びき抵抗器、同年春に日立製作所と業務提携したシリコン整流器から成る。セレン・シリコン整流器は電機メーカー、造船業界、電線電話用装置、メッキ業界で需要が増加
- [25]1960年時点の電機器部門は国内で最も古い歴史のあるセレン整流体・整流器、琺瑯びき抵抗器、同年春に日立製作所と業務提携したシリコン整流器から成る。セレン・シリコン整流器は電機メーカー、造船業界、電線電話用装置、メッキ業界で需要が増加
- [26]1960年時点の電機器部門は国内で最も古い歴史のあるセレン整流体・整流器、琺瑯びき抵抗器、同年春に日立製作所と業務提携したシリコン整流器から成る。セレン・シリコン整流器は電機メーカー、造船業界、電線電話用装置、メッキ業界で需要が増加
参考文献[11]-[26]
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [11]1933年5月に北野商会を株式組織に改め、資本金50万円でスタンレー電気株式会社として発足。商標「スタンレー」は創業以来のもの
- [13]1933年5月に北野商会を株式組織に改め、資本金50万円でスタンレー電気株式会社として発足。商標「スタンレー」は創業以来のもの
- [17]自動車用電球を主軸に特殊電球のメーカーとして発展し、輸出電球のパイオニアとして世界各地に販路を開拓。1958年時点の事業所は本社・目黒工場・等々力工場・大阪支店(大阪市福島区上福島)
- [18]自動車用電球を主軸に特殊電球のメーカーとして発展し、輸出電球のパイオニアとして世界各地に販路を開拓。1958年時点の事業所は本社・目黒工場・等々力工場・大阪支店(大阪市福島区上福島)
- [19]自動車用電球を主軸に特殊電球のメーカーとして発展し、輸出電球のパイオニアとして世界各地に販路を開拓。1958年時点の事業所は本社・目黒工場・等々力工場・大阪支店(大阪市福島区上福島)
- [22]ホウロウ引抵抗器、続いてセレン整流器に着目して企業化に成功し、戦時体制の強化とともに量産、戦時中は通信機・電波機器部門に貢献
- [23]ホウロウ引抵抗器、続いてセレン整流器に着目して企業化に成功し、戦時体制の強化とともに量産、戦時中は通信機・電波機器部門に貢献
- 株式会社年鑑 1959年版「スタンレー電気」
- [12]設立1933年5月1日、1933年5月にスタンレー電気(株)組織に改め資本金50万円
- 証券時報 244 1960年12月号「スタンレー電気」北野隆春(文責調査部)
- [14]社長の北野隆春氏が1960年10月24日のNSB放送で、探検家ヘンリー・ボルトン・スタンレーにあやかり商標と共に社名をスタンレーとしたと説明
- [20]1960年時点で大阪・名古屋に支店を持ち、自動車電球は国内需要の約70%を占める
- [24]1960年時点の電機器部門は国内で最も古い歴史のあるセレン整流体・整流器、琺瑯びき抵抗器、同年春に日立製作所と業務提携したシリコン整流器から成る。セレン・シリコン整流器は電機メーカー、造船業界、電線電話用装置、メッキ業界で需要が増加
- [25]1960年時点の電機器部門は国内で最も古い歴史のあるセレン整流体・整流器、琺瑯びき抵抗器、同年春に日立製作所と業務提携したシリコン整流器から成る。セレン・シリコン整流器は電機メーカー、造船業界、電線電話用装置、メッキ業界で需要が増加
- [26]1960年時点の電機器部門は国内で最も古い歴史のあるセレン整流体・整流器、琺瑯びき抵抗器、同年春に日立製作所と業務提携したシリコン整流器から成る。セレン・シリコン整流器は電機メーカー、造船業界、電線電話用装置、メッキ業界で需要が増加
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [15]社名の由来は探検家スタンレーにちなみ、電気産業に貢献し世界を明るくしようという点にある
- [16]1934年末に大阪支店を開設し、東西両市場の制覇に乗り出した
- [21]1936年末に事業多角化として抵抗器の生産を始め、1940年にセレン整流器の製造を開始
1941年〜時局で名乗った北野電気工業と、空襲の全焼から戻したスタンレーの商号
スタンレー電気は1943年5月、時局の要請を理由に商号を北野電気工業株式会社へ改めた。改称は戦時色が一段と強まった時期に重なる。北野電気工業はホウロウ引抵抗器とセレン整流器を量産し、通信機や電波機器の部門に部品を納めた。1933年の株式会社化に次ぐ節目が、この1943年5月の改称であった。1944年3月、資本金を50万円から100万円へ増資。同じ1944年には、増産を急ぐ要請を受けて等々力工場を新設した。軍需向けの量産を続けるうえで、英語の商号を外して創業者の姓を掲げることが求められたためであろう。
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [27]1943年5月に時局の要請により北野電気工業株式会社へ商号変更。抵抗器とセレン整流器を戦時体制下で量産し通信機・電波機器部門に貢献。1944年3月に資本金100万円
- [29]1943年5月に時局の要請により北野電気工業株式会社へ商号変更。抵抗器とセレン整流器を戦時体制下で量産し通信機・電波機器部門に貢献。1944年3月に資本金100万円
- [31]1943年5月に時局の要請により北野電気工業株式会社へ商号変更。抵抗器とセレン整流器を戦時体制下で量産し通信機・電波機器部門に貢献。1944年3月に資本金100万円
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [28]戦時色の強まった1943年5月に時局の要請で北野電気工業と改称、1944年には増産に拍車がかけられ等々力工場を新設
- [32]戦時色の強まった1943年5月に時局の要請で北野電気工業と改称、1944年には増産に拍車がかけられ等々力工場を新設
- 株式会社年鑑 1959年版「スタンレー電気」
- [30]沿革に1933年5月のスタンレー電気(株)組織への改組に続き、1943年5月の北野電気工業(株)への改称を記載
1945年4月15日の空襲で、北野電気工業の本社と目黒工場が全焼。増設中だった等々力工場は焼け残り、北野電気工業は山梨県増穂村へ疎開した。企業の歴史は、増産のために設けた工場がいずれも空襲で壊滅的な打撃を受けたと記す。終戦後、北野電気工業は増穂村の拠点を引き払って等々力工場に戻り、工場の設備を整え直した。1945年には資本金を500万円に増やし、再建の資金に充てた。焼け残った等々力工場があったことで、北野電気工業は工場を一から建て直さずに戦後の生産を再開できた可能性が高い。
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [33]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- [34]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- [36]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- [37]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [35]1944年に新設した等々力工場を含め、いずれも空襲で壊滅的打撃を受けた
1946年11月、戦災で焼けた中目黒の旧地に北野電気工業の本社を新築。1949年11月には内外の要望を受け、商号をスタンレー電気株式会社に戻した。企業の歴史は、この復帰を長く続いた戦災復興の完了と同じ時点に置いている。その後スタンレー電気は建物と設備の再建と増強を進め、1952年1月に資本金を750万円、同年5月に1,000万円へ増やした。1952年初頭に着手したのが、シールドビームなど自動車用照明器具の製造である。国内と輸出の両方で通用していた商標の名を取り戻したことが、自動車照明への再出発の前提になったと読める。
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [38]1946年11月に戦災を受けた現在地に本社を新築、1949年11月に内外の要望に応えてスタンレー電気株式会社と旧商号に復し、建物諸設備の再建増強に努めた。1952年1月資本金750万円、同年5月1,000万円
- [39]1946年11月に戦災を受けた現在地に本社を新築、1949年11月に内外の要望に応えてスタンレー電気株式会社と旧商号に復し、建物諸設備の再建増強に努めた。1952年1月資本金750万円、同年5月1,000万円
- [41]1946年11月に戦災を受けた現在地に本社を新築、1949年11月に内外の要望に応えてスタンレー電気株式会社と旧商号に復し、建物諸設備の再建増強に努めた。1952年1月資本金750万円、同年5月1,000万円
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [40]1949年11月に戦災復興がなり同時にスタンレー電気と旧商号に復した。1952年初頭にシールドビームなど自動車用照明器具の製造に着手
- [42]1949年11月に戦災復興がなり同時にスタンレー電気と旧商号に復した。1952年初頭にシールドビームなど自動車用照明器具の製造に着手
参考文献[27]-[42]
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)
- [27]1943年5月に時局の要請により北野電気工業株式会社へ商号変更。抵抗器とセレン整流器を戦時体制下で量産し通信機・電波機器部門に貢献。1944年3月に資本金100万円
- [29]1943年5月に時局の要請により北野電気工業株式会社へ商号変更。抵抗器とセレン整流器を戦時体制下で量産し通信機・電波機器部門に貢献。1944年3月に資本金100万円
- [31]1943年5月に時局の要請により北野電気工業株式会社へ商号変更。抵抗器とセレン整流器を戦時体制下で量産し通信機・電波機器部門に貢献。1944年3月に資本金100万円
- [33]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- [34]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- [36]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- [37]1945年4月15日の空襲で本社と目黒工場を全焼、増設中の等々力工場を残して山梨県増穂村へ疎開し、終戦とともに撤去して等々力工場に復帰・整備。1945年に資本金500万円
- [38]1946年11月に戦災を受けた現在地に本社を新築、1949年11月に内外の要望に応えてスタンレー電気株式会社と旧商号に復し、建物諸設備の再建増強に努めた。1952年1月資本金750万円、同年5月1,000万円
- [39]1946年11月に戦災を受けた現在地に本社を新築、1949年11月に内外の要望に応えてスタンレー電気株式会社と旧商号に復し、建物諸設備の再建増強に努めた。1952年1月資本金750万円、同年5月1,000万円
- [41]1946年11月に戦災を受けた現在地に本社を新築、1949年11月に内外の要望に応えてスタンレー電気株式会社と旧商号に復し、建物諸設備の再建増強に努めた。1952年1月資本金750万円、同年5月1,000万円
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- [28]戦時色の強まった1943年5月に時局の要請で北野電気工業と改称、1944年には増産に拍車がかけられ等々力工場を新設
- [32]戦時色の強まった1943年5月に時局の要請で北野電気工業と改称、1944年には増産に拍車がかけられ等々力工場を新設
- [35]1944年に新設した等々力工場を含め、いずれも空襲で壊滅的打撃を受けた
- [40]1949年11月に戦災復興がなり同時にスタンレー電気と旧商号に復した。1952年初頭にシールドビームなど自動車用照明器具の製造に着手
- [42]1949年11月に戦災復興がなり同時にスタンレー電気と旧商号に復した。1952年初頭にシールドビームなど自動車用照明器具の製造に着手
- 株式会社年鑑 1959年版「スタンレー電気」
- [30]沿革に1933年5月のスタンレー電気(株)組織への改組に続き、1943年5月の北野電気工業(株)への改称を記載
出典・参考
4件
- 株式会社年鑑 1959年版「スタンレー電気」
- 企業の歴史 明治百年(1968)「スタンレー電気」
- 証券時報 244 1960年12月号「スタンレー電気」北野隆春(文責調査部)
- 証券業報 (7)(105) 1958年「スタンレー電気株式会社」(新規店頭売買承認会社紹介)