FUJI:電子部品自動装着機の完成による実装機への主力転換
挿入機BAから装着機CP-1へ移った主力
1978年〜電子部品自動挿入機BAの完成と二年がかりの改良
1978年10月、富士機械製造は電子部品自動挿入機を完成した。工作機械の専用機と自動組立機で蓄積した位置決め・搬送の技術を土台に、テレビ・ラジオ・電卓などの基板組立で人手に頼っていた作業を機械へ移す装置である。開発を指示したのは、当時は管理部門を統括し、のちに第2代社長となる大津谷輝男だった。1970年代に100種類を超える組立機を手がけるなかで、大津谷はエレクトロニクスの時代が到来すると見て、電子部品の挿入ロボットへ的を絞らせた。挿入機はリード線付きの部品を基板の穴へ差し込む装置で、家電・電子機器産業の量産化と歩調を合わせて需要が立ち上がった。
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- [1]1978年10月 「電子部品自動挿入機」を完成
- 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
- [2]のちの第2代社長・大津谷輝男(当時は管理部門を統括)がエレクトロニクス時代を見越して挿入機開発を指示・見守った
- [3]1970年代に100種類を超える各種組立機を手がけるなか、大津谷輝男がエレクトロニクス時代の到来を予見して電子部品挿入ロボットの開発を指示した
開発は難航した。1.2ミリの穴へ1.0ミリのリードを挿入することができず、200ミクロンの装着精度を確保することも難しく、挿入率は9割程度にとどまった。制御用マイクロコンピュータの変更とメカ機構の改良を二年ほど重ねてこの壁を越え、挿入機BAは累計約850台を販売して、富士機械製造の電子部品実装機事業の基盤をつくった。1978年3月期の単体売上高は74億6,400万円、経常利益は1億4,500万円で、二期続いた赤字からは脱していたものの、収益の柱はなお工作機械だった。新しい機械が売上に現れるまでには、開発の二年に加えて市場へ台数を積む数年が必要であった。
- 富士機械製造五十年の歩み
- [4]BAの開発では1.2mmの穴に1.0mmのリードを挿入できず、200ミクロンの精度確保も難しく挿入率は90%程度だった
- [5]制御の変更や改良を2年ほど続けて累計約850台を販売し、電子部品実装機の製造・販売事業の基盤をつくった
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [6]1978年3月期(単体)売上高74億6,400万円、経常利益1億4,500万円
挿入機を出した後も、富士機械製造は工作機械から手を引かなかった。1979年10月にはNC専用機を完成させ、旋削と専用機の系列を保ったまま電子部品側の開発を続けた。1979年3月期の単体売上高は74億600万円、経常利益は1億3,500万円と前期からほぼ横ばいにとどまったが、1980年3月期には売上高92億8,800万円、経常利益8億5,500万円へ回復し、1981年3月期には売上高124億300万円、経常利益22億2,800万円に達した。1980年9月には払込金額469円の公募増資で時価9億3,800万円を調達し、開発と設備の原資に充てた。二つの事業を並べて走らせたことが、のちに主力を入れ替える余地を残した。
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- [7]1979年10月 「NC専用機」を完成
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [8]1979年3月期(単体)売上高74億600万円、経常利益1億3,500万円
- [9]1980年3月期(単体)売上高92億8,800万円、経常利益8億5,500万円
- [10]1981年3月期(単体)売上高124億300万円、経常利益22億2,800万円
- 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
- [11]1980年10月1日 払込1株469円・2,000千株の公募増資、時価総額9億3,800万円・プレミアム8億3,800万円
参考文献[1]-[11]
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- [1]1978年10月 「電子部品自動挿入機」を完成
- [7]1979年10月 「NC専用機」を完成
- 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
- [2]のちの第2代社長・大津谷輝男(当時は管理部門を統括)がエレクトロニクス時代を見越して挿入機開発を指示・見守った
- [3]1970年代に100種類を超える各種組立機を手がけるなか、大津谷輝男がエレクトロニクス時代の到来を予見して電子部品挿入ロボットの開発を指示した
- 富士機械製造五十年の歩み
- [4]BAの開発では1.2mmの穴に1.0mmのリードを挿入できず、200ミクロンの精度確保も難しく挿入率は90%程度だった
- [5]制御の変更や改良を2年ほど続けて累計約850台を販売し、電子部品実装機の製造・販売事業の基盤をつくった
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [6]1978年3月期(単体)売上高74億6,400万円、経常利益1億4,500万円
- [8]1979年3月期(単体)売上高74億600万円、経常利益1億3,500万円
- [9]1980年3月期(単体)売上高92億8,800万円、経常利益8億5,500万円
- [10]1981年3月期(単体)売上高124億300万円、経常利益22億2,800万円
- 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
- [11]1980年10月1日 払込1株469円・2,000千株の公募増資、時価総額9億3,800万円・プレミアム8億3,800万円
1981年〜装着機CP-1の苦情と社内での亜流扱い
1981年7月、富士機械製造は電子部品自動装着機を完成した。挿入機がリード線付き部品を基板の穴に差し込むのに対し、装着機は表面実装部品を基板の表面へ貼り付ける装置で、基板の高密度化と表面実装化の進展とともに需要が広がった。初号機のCP-1は、おもしろい機械だと評判になった。工作機械で磨いた位置決めの精度と搬送の速度がそのまま装着の速度に効く構造で、旋盤を作ってきた会社が電子機器の生産設備へ入る足場となった。1982年3月期の単体売上高は141億200万円、経常利益は28億9,300万円、当期利益は15億700万円で、1976年3月期に経常赤字を出してから6年で収益の形は様変わりしていた。
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- [12]1981年7月 「電子部品自動装着機」を完成
- 富士機械製造五十年の歩み
- [13]1981年開発のCP-1は「おもしろい機械」と評判になった
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [14]1982年3月期(単体)売上高141億200万円、経常利益28億9,300万円、当期利益15億700万円
もっともCP-1の市場投入は平坦ではなかった。納入先でのトラブルは挿入機を上回って多発し、部品の落下や、チップ部品しか扱えない点への苦情が続いた。営業担当者は苦情への対応に追われた。業績にも波が出た。1983年3月期の単体売上高は109億5,600万円へ落ち、経常利益は6億1,700万円、当期利益は4億9,100万円まで縮んだ。翌1984年3月期は売上高を132億7,800万円へ戻したものの経常利益は5億5,500万円にとどまり、工作機械と電子部品の二本を抱えた収益は不安定なままだった。装置の完成度が上がるまでは、売れた台数がそのまま手直しの負荷として返ってくる。
- 富士機械製造五十年の歩み
- [15]CP-1は納入後にBA以上のトラブルが多発し、部品の落下やチップ部品しか扱えない点への苦情が続いた
- [16]初号機CP型の市場投入初期は納入先トラブルが多発し営業が対応に追われた
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [17]1983年3月期(単体)売上高109億5,600万円、経常利益6億1,700万円、当期利益4億9,100万円
- [18]1984年3月期(単体)売上高132億7,800万円、経常利益5億5,500万円
工作機械を本流と見る社内で、自動組立機は亜流扱いされ、採算面でも期待されていなかった。電子部品事業は当初、ほとんどのけ者に近い扱いで、組立機をいつまで続けるのかと迫られることさえあった。開発を命じた大津谷輝男は、成果の出ない時期もこの部門を見守り、経営として畳むことはしなかった。同社は1965年を最後に人員整理で収益を立て直す手を使わず、社内での人材転換によって成長分野へ事業を移してきたので、採算の見えない部門を数年抱えることもその方針の延長にあった。
- 富士機械製造五十年の歩み
- [19]社内では電子関係が村八分に近い扱いを受けた
- [20]自動組立機は亜流・採算性も高くないとみられ「いつまで組立機を続けるつもりだ」という圧力があった
- [22]1965年の約60名の人員削減が創業から現在まで唯一の人員削減
- 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
- [21]大津谷輝男は挿入機・装着機の開発を指示し、成果が出るまで見守った
- MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
- [23]厳しいリストラを経ずに済んだのは、社内で人材を転換しながら成長分野へ事業を移してきたためと説明した
参考文献[12]-[23]
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- [12]1981年7月 「電子部品自動装着機」を完成
- 富士機械製造五十年の歩み
- [13]1981年開発のCP-1は「おもしろい機械」と評判になった
- [15]CP-1は納入後にBA以上のトラブルが多発し、部品の落下やチップ部品しか扱えない点への苦情が続いた
- [16]初号機CP型の市場投入初期は納入先トラブルが多発し営業が対応に追われた
- [19]社内では電子関係が村八分に近い扱いを受けた
- [20]自動組立機は亜流・採算性も高くないとみられ「いつまで組立機を続けるつもりだ」という圧力があった
- [22]1965年の約60名の人員削減が創業から現在まで唯一の人員削減
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [14]1982年3月期(単体)売上高141億200万円、経常利益28億9,300万円、当期利益15億700万円
- [17]1983年3月期(単体)売上高109億5,600万円、経常利益6億1,700万円、当期利益4億9,100万円
- [18]1984年3月期(単体)売上高132億7,800万円、経常利益5億5,500万円
- 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
- [21]大津谷輝男は挿入機・装着機の開発を指示し、成果が出るまで見守った
- MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
- [23]厳しいリストラを経ずに済んだのは、社内で人材を転換しながら成長分野へ事業を移してきたためと説明した
1985年〜実装機の主力化と生産・販売拠点の増設
1985年3月期の単体売上高は186億1,200万円、経常利益は23億9,000万円となり、経常赤字だった1976年3月期の40億700万円から9年で約4.6倍に達した。前期の経常利益5億5,500万円からの戻りも大きく、一年で4倍を超える回復だった。伸びを作ったのは工作機械ではなく、1980年前後から対象を絞ってきた電子部品の実装機であった。プリント基板へ部品を載せる工程は、家電から通信機器まで完成品が変わっても共通して残る工程で、基板を使う産業が増えるほど装置の納入先は広がった。実装機で稼ぐ形が定まるにつれ、社内で亜流とされた部門が売上の中心へ近づいていった。
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [24]1985年3月期(単体)売上高186億1,200万円、経常利益23億9,000万円
- [25]1985年3月期の単体売上高186億1,200万円は1976年3月期の40億700万円の約4.6倍
- [26]1984年3月期(単体)経常利益5億5,500万円
- MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
- [27]1980年前後から電子部品をプリント基板に実装する機械へ対象を絞った
- [28]電子部品自動組立機が売上の80数%以上を占めるに至り、表面実装分野の供給者として世界首位となった
販売と生産の拠点も、実装機の納入先に合わせて増えた。1986年4月には仙台出張所を開設し、1989年6月には愛知県岡崎市に岡崎工場を新設して装着機の生産能力を積み増した。払込資本は1981年4月の無償交付で9億9,000万円、翌1982年4月の無償交付で10億4,000万円となり、設備の増設と開発を支えた。工作機械の時代に東京・大阪・広島からシカゴ・デュッセルドルフ・台北まで敷いた販売網は、そのまま実装機の販路として使うことができた。単能機を売るために引き合いのある場所へ技術者を置いた体制が、転換の速度を決めた。
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- [29]1986年4月 仙台出張所を開設
- [30]1989年6月 愛知県岡崎市に岡崎工場を新設
- 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
- [31]1981年4月1日の無償交付で払込資本金9億9,000万円、1982年4月1日の無償交付で10億4,000万円
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [32]1960年9月の東京営業所を皮切りに1961年大阪・1963年広島およびシカゴ・1965年デュッセルドルフ・1966年台北へ販売網を拡充
主力の入れ替えは、事業の入れ替えではなかった。富士機械製造は実装機が伸びた後も自動旋盤と専用機を残し、人員の整理を伴う合理化には踏み切らなかった。一つの事業では経営の基盤が安定しないとして多角化し、社内で人材を転換しながら成長分野へ事業を移してきたためだと、1999年当時の社長・浅井亮宥は説明している。1980年代に積んだ台数は、1999年には電子部品自動組立機が売上の80数パーセント以上を占め、表面実装の分野で世界首位に立つところまで伸びた。1965年の人員整理を最後の整理にできたのは、需要の波が別に立つ事業を工作機械の隣に育てたからであった。
- 富士機械製造五十年の歩み
- [33]1965年の約60名の人員削減が創業から現在まで唯一の人員削減
- MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
- [34]一つの事業では基盤が安定しないとして多角化し、社内で人材を転換しながら成長分野へ事業を移してきたと説明した
- [35]1999年時点で電子部品自動組立機が売上の80数%以上を占め、表面実装分野の供給者として世界首位となった
参考文献[24]-[35]
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- [24]1985年3月期(単体)売上高186億1,200万円、経常利益23億9,000万円
- [25]1985年3月期の単体売上高186億1,200万円は1976年3月期の40億700万円の約4.6倍
- [26]1984年3月期(単体)経常利益5億5,500万円
- MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
- [27]1980年前後から電子部品をプリント基板に実装する機械へ対象を絞った
- [28]電子部品自動組立機が売上の80数%以上を占めるに至り、表面実装分野の供給者として世界首位となった
- [34]一つの事業では基盤が安定しないとして多角化し、社内で人材を転換しながら成長分野へ事業を移してきたと説明した
- [35]1999年時点で電子部品自動組立機が売上の80数%以上を占め、表面実装分野の供給者として世界首位となった
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- [29]1986年4月 仙台出張所を開設
- [30]1989年6月 愛知県岡崎市に岡崎工場を新設
- 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
- [31]1981年4月1日の無償交付で払込資本金9億9,000万円、1982年4月1日の無償交付で10億4,000万円
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [32]1960年9月の東京営業所を皮切りに1961年大阪・1963年広島およびシカゴ・1965年デュッセルドルフ・1966年台北へ販売網を拡充
- 富士機械製造五十年の歩み
- [33]1965年の約60名の人員削減が創業から現在まで唯一の人員削減
筆者考察
富士機械製造が電子部品の実装機で手にしたのは、新しい技術ではなく新しい周期だった。挿入機BAも装着機CP-1も、位置決めと搬送という工作機械で磨いた技術の応用であり、社内では地続きの製品である。違ったのは発注元で、工作機械が自動車工場の設備投資に縛られていたのに対し、実装機はプリント基板を使うあらゆる産業の量産立ち上げに呼ばれた。1976年3月期に40億700万円だった単体売上高が1985年3月期に186億1,200万円へ伸びたのは、機械の性能の差というより、この客層の違いが効いた結果である。
もっとも、その転換は社内で歓迎されなかった。自動組立機は亜流とみなされて採算性を疑われ、いつまで続けるのかという圧力を受け、CP-1は納入先でのトラブルが挿入機を上回った。この数年を畳まずに済ませた判断のほうが、開発を始めた判断より重い。大津谷輝男が果たしたのは、エレクトロニクスの時代を見通したことよりも、成果の出ない期間を見守り続けたことであった。1965年に約60名を整理して以来、人を切らずに社内で人材を移してきた会社の作法が、採算の見えない部門を数年抱える体力に変わっていた。
- 連結決算以前のため単体の数値。
- 出所は富士機械製造 会社年鑑(1986年版)。
1978年〜1990年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1978年03月期 | 単体 | 74 | n/a | 1 | 1.9% | 1 | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 74 | ▲0.8% | 1 | 1.8% | 0 | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 92 | +25.4% | 8 | 9.2% | 3 | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 124 | +33.5% | 22 | 18.0% | 10 | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 141 | +13.7% | 28 | 20.5% | 15 | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 109 | ▲22.3% | 6 | 5.6% | 4 | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 132 | +21.2% | 5 | 4.2% | 2 | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 186 | +40.2% | 23 | 12.8% | 9 | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
7件
- 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- 富士機械製造五十年の歩み
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
- 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
- MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)