第1章 年〜年

FUJI:富士機械製造の設立と単能機による専業化の限界

FS型単能機の拡販から1976年3月期の経常赤字へ

1959年〜創業者・坂上守の独立とFS型単能機での市場参入

勤め先で通らなかった進言を独立で通す

富士機械製造の創業者・坂上守は、独立前に勤めた菅鉄工所で工作機械の一種である単能機を独自に開発し、その本格生産を経営側へ進言したものの容れられず、自ら新会社を設立する道を選んだ。1959年4月、名古屋市中川区昭和橋通において富士機械製造株式会社が設立され、旋削機械とその他の工作機械の製造を開始した。創業の地である名古屋・愛知県は、豊田自動織機やトヨタ自動車を中心に自動車向けの工作機械需要が膨らんでいた時期にあたる。1960年9月に東京営業所を設け、1961年3月には愛知県碧海郡知立町(現知立市)へ工場を新設し、同年6月に本社機構も知立へ移した。1962年10月には株式額面500円から50円への変更を目的として神奈川県足柄下郡の同名会社へ吸収合併される手続を経たが、事業の実体は被合併会社がそのまま継承した。

  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [1]創業者・坂上守は勤務先の菅鉄工所で単能機を独自開発、本格生産の進言が容れられず独立して1959年に富士機械製造を設立
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1959年4月 名古屋市中川区昭和橋通で富士機械製造株式会社を設立、旋削機械・工作機械の製造を開始
    • [3]1960年9月 東京営業所を開設
    • [4]1961年3月 愛知県碧海郡知立町(現知立市)に工場を新設
    • [5]1961年6月 本社機構を現在地(知立市)に移転
    • [6]1962年10月 株式額面500円から50円への変更目的で神奈川県足柄下郡の同名会社へ吸収合併、事業実体は被合併会社が継承
FS型単能機を自動車の加工ラインへ通す

設立の翌月にあたる1959年5月、富士機械製造はFS型単能機の一号機を市場へ送り出した。資本金30万円で出発した会社の製品は、独創的な機構と高い生産性によって機械業界に迎えられ、需要は急速に拡大した。ベアリング・電気部品・二輪車のメーカーに加え、トヨタ自動車・本田技研・三菱・いすゞといった自動車関連企業が自動旋盤の主要な納入先となり、トヨタでは旋盤ラインの7割以上を富士機械製造の自動旋盤が占めた。1964年5月、設立から5年で名古屋証券取引所市場第二部へ株式を上場し、同年10月には株主割当の有償増資で払込資本を2億円へ引き上げた。本社工場の新設では銀行との取引が浅く与信を得にくかったが、当時は若手銀行員で、のちに第2代社長となる大津谷輝男が融資の助言を通じて資金の捻出を後押しした。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1959年5月にFS型単能機の一号機を市場投入
    • [8]1959年4月の創立時の資本金は30万円
    • [9]単能機の独創的なアイデアと技術が機械業界に迎えられ需要が急速に拡大した
  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [10]単能機の大口受注先はベアリング・電気部品・二輪車メーカーやトヨタ・本田・三菱・いすゞなどの自動車関連企業
    • [14]本社工場新設の資金調達を、当時若手銀行員でのちの第2代社長となる大津谷輝男が融資の助言で後押し
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
    • [11]トヨタの旋盤ラインの7割以上を富士機械製造の自動旋盤が占めた(浅井亮宥社長の証言)
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1964年5月 名古屋証券取引所市場第二部に上場(設立から5年後)
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
    • [13]1964年10月1日 株主割当(割当率1.0・払込1株50円)の有償増資により払込資本金2億円・発行済4,000千株
引き合いのある土地へ拠点を先に設置する

単能機の需要が伸びるにつれ、富士機械製造は販売の拠点を国内外へ広げた。単能機で蓄えた技術を足場に、製品の系統は専用機部門へと伸び、FS型・FG型・ユニバーサルシリーズなど各種の専用機がそろった。販売網は1960年9月の東京営業所を皮切りに、1961年に大阪、1963年に広島とシカゴ、1965年にデュッセルドルフ、1966年に台北と順に広がり、FUJIの単能機という名は国内外の機械業界に根づいた。膨らむ需要をまかなうために愛知県藤岡村へ新工場を建て、1968年春に一部で操業を始めた。拠点と設備の拡張は、同年9月末を割当日とした倍額増資で払込資本を4億円に引き上げて支えた。設立から10年に満たない会社が、海外にまで3か所の拠点を置いた。単能機は汎用の旋盤と違い、加工の工程そのものを売る機械であり、引き合いのある場所に技術者を置かなければ売れなかったためだろう。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [15]単能機で培った技術をもとに専用機部門へ進出し、製造機種はFS型・FG型・ユニバーサルシリーズ・各種専用機に及んだ
    • [16]1960年9月の東京営業所を皮切りに1961年大阪・1963年広島およびシカゴ・1965年デュッセルドルフ・1966年台北へ販売網を拡充し、FUJIの単能機のブランドが内外に定着
    • [17]増大する需要に応えるため愛知県藤岡村に新工場を建設し、1968年春から一部操業を開始
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
    • [18]1969年1月1日 割当日1968年9月30日の倍額増資により払込資本金4億円・発行済8,000千株
参考文献[1]-[18]
  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [1]創業者・坂上守は勤務先の菅鉄工所で単能機を独自開発、本格生産の進言が容れられず独立して1959年に富士機械製造を設立
    • [10]単能機の大口受注先はベアリング・電気部品・二輪車メーカーやトヨタ・本田・三菱・いすゞなどの自動車関連企業
    • [14]本社工場新設の資金調達を、当時若手銀行員でのちの第2代社長となる大津谷輝男が融資の助言で後押し
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1959年4月 名古屋市中川区昭和橋通で富士機械製造株式会社を設立、旋削機械・工作機械の製造を開始
    • [3]1960年9月 東京営業所を開設
    • [4]1961年3月 愛知県碧海郡知立町(現知立市)に工場を新設
    • [5]1961年6月 本社機構を現在地(知立市)に移転
    • [6]1962年10月 株式額面500円から50円への変更目的で神奈川県足柄下郡の同名会社へ吸収合併、事業実体は被合併会社が継承
    • [12]1964年5月 名古屋証券取引所市場第二部に上場(設立から5年後)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1959年5月にFS型単能機の一号機を市場投入
    • [8]1959年4月の創立時の資本金は30万円
    • [9]単能機の独創的なアイデアと技術が機械業界に迎えられ需要が急速に拡大した
    • [15]単能機で培った技術をもとに専用機部門へ進出し、製造機種はFS型・FG型・ユニバーサルシリーズ・各種専用機に及んだ
    • [16]1960年9月の東京営業所を皮切りに1961年大阪・1963年広島およびシカゴ・1965年デュッセルドルフ・1966年台北へ販売網を拡充し、FUJIの単能機のブランドが内外に定着
    • [17]増大する需要に応えるため愛知県藤岡村に新工場を建設し、1968年春から一部操業を開始
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
    • [11]トヨタの旋盤ラインの7割以上を富士機械製造の自動旋盤が占めた(浅井亮宥社長の証言)
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
    • [13]1964年10月1日 株主割当(割当率1.0・払込1株50円)の有償増資により払込資本金2億円・発行済4,000千株
    • [18]1969年1月1日 割当日1968年9月30日の倍額増資により払込資本金4億円・発行済8,000千株

1965年〜昭和40年不況の人員整理と経営管理体制の確立

唯一の人員整理を機に計画で経営を回す

上場の翌年にあたる1965年、いわゆる昭和40年不況が工作機械需要を直撃し、富士機械製造は約60名の人員削減に踏み切った。工作機械は設備投資の増減をそのまま受ける商品で、富士機械製造はこの後も景気の変動によって何度か厳しい状況を経験することになる。坂上守社長も残る社員も身を切られる思いでこの整理に臨み、これは創業から現在に至るまで同社で唯一の人員削減となった。苦境は、その日その日の操業に追われて先を見通せなかった経営を見直す契機となった。経営基本方針・利益計画・設備投資計画・予算統制といった経営管理の仕組みがこの時期に始動し、各部門はこれらを軸として活動を組み立てた。

  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [19]1965年(昭和40年不況、上場翌年)に約60名の人員削減を実施
    • [21]この人員整理は創業から現在まで富士機械製造で唯一の人員削減
    • [22]1965年不況を機に経営基本方針・利益計画・設備投資計画・予算統制など経営管理の仕組みを整備
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
    • [20]工作機械は景気の影響を受けやすく、何度か厳しい状況を経験したため経営の多角化を図った
トヨタの要望を聞いて専用機へ踏み込む

地場産業の育成に積極的なトヨタとの取引も、この時期に前進した。自動車産業への参入を期した富士機械製造は、トヨタの要望を聞き取りながら自動車部品の加工に適した機械の新規開発と単能機の性能向上に努め、1965年に取引成立へこぎ着けた。1967年3月には量産加工向けの専用機であるトランスファーラインを完成し、汎用機から専用機・NC化へ広がる工作機械業界の製品系統の転換に対応した。1968年3月には愛知県西加茂郡藤岡町(現豊田市)の藤岡工場(現豊田事業所)が正式な製造拠点となり、中部地区内の生産を複数の工場へ分けた。1970年4月にはアメリカ・イリノイ州に現地法人フジアメリカコーポレイションを設立し、海外の販売拠点を自社の法人へ切り替えた。

  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [23]1965年 トヨタとの取引成立(自動車部品向け機械の新規開発で自動車産業へ参入)
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1967年3月 「専用機」トランスファーラインを完成
    • [25]1968年3月 愛知県西加茂郡藤岡町(現豊田市)に藤岡工場(現豊田事業所)を新設
    • [26]1970年4月 アメリカ・イリノイ州に現地法人フジアメリカコーポレイションを設立(海外初の販売拠点)
省力化投資の追い風を単能機と専用機で受ける

1960年代後半の富士機械製造は、自動車産業を中心とする民間企業の活発な設備投資を受けて生産が繁忙を極めていた。1968年時点の従業員は526名、資本金は2億円で、本社は知立町茶碓山に置かれ、単能機と専用機の二本立てで中部の加工需要に応える体制ができていた。当時の産業界では、国際競争力の強化と人手不足への対処から近代化・省力化への投資が今後さらに増えるとみられており、省力化機械を供給する立場は追い風のなかにあった。1970年12月には株主割当の有償増資で払込資本を6億円へ引き上げ、設備と在庫の拡大に備えた。ただしこの拡大は、工作機械という一本の需要に依存したままの拡大でもあった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [27]国際化時代を控え自動車産業を中心とする民間企業の活発な設備投資の影響で生産は繁忙を極めた(1968年時点)
    • [28]1968年時点の資本金2億円・従業員526名
    • [29]1968年時点の本社は愛知県碧海郡知立町茶碓山19、事業は単能機・専用機
    • [30]産業界では国際競争力強化と人手不足への対処から近代化・省力化投資が今後増大するとみられていた
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
    • [31]1970年12月1日 株主割当(割当率0.5・払込1株50円)の有償増資により払込資本金6億円・発行済12,000千株
参考文献[19]-[31]
  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [19]1965年(昭和40年不況、上場翌年)に約60名の人員削減を実施
    • [21]この人員整理は創業から現在まで富士機械製造で唯一の人員削減
    • [22]1965年不況を機に経営基本方針・利益計画・設備投資計画・予算統制など経営管理の仕組みを整備
    • [23]1965年 トヨタとの取引成立(自動車部品向け機械の新規開発で自動車産業へ参入)
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
    • [20]工作機械は景気の影響を受けやすく、何度か厳しい状況を経験したため経営の多角化を図った
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1967年3月 「専用機」トランスファーラインを完成
    • [25]1968年3月 愛知県西加茂郡藤岡町(現豊田市)に藤岡工場(現豊田事業所)を新設
    • [26]1970年4月 アメリカ・イリノイ州に現地法人フジアメリカコーポレイションを設立(海外初の販売拠点)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [27]国際化時代を控え自動車産業を中心とする民間企業の活発な設備投資の影響で生産は繁忙を極めた(1968年時点)
    • [28]1968年時点の資本金2億円・従業員526名
    • [29]1968年時点の本社は愛知県碧海郡知立町茶碓山19、事業は単能機・専用機
    • [30]産業界では国際競争力強化と人手不足への対処から近代化・省力化投資が今後増大するとみられていた
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
    • [31]1970年12月1日 株主割当(割当率0.5・払込1株50円)の有償増資により払込資本金6億円・発行済12,000千株

1971年〜専用機・NC化への拡張と工作機械一本の収益限界

削る機械から組み立てる機械へ系統を拡充する

1971年6月に自動組立機、同年9月にNC自動旋盤を完成し、富士機械製造は旋削加工から離れて組立作業までを自動化する機械へ製品系統を広げた。1970年代を通じて同社が手がけた各種組立機は100種類を超えた。1974年4月には株主割当の有償増資で払込資本を8億円へ引き上げ、生産設備と開発の原資を確保した。削る工程の機械と組み立てる工程の機械では、要る技術も客も異なる。それでも位置決めと搬送の精度という要件は両者に共通しており、トランスファーラインで磨いた制御の技術が組立機へ引き継がれたとみられる。ただし製品系統をどれだけ広げても、納入先はいずれも自動車・機械加工の設備投資に連なる工場であり、発注の増減は同じ周期で会社全体に及んだ。

  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1971年6月 「自動組立機」、同年9月 「NC自動旋盤」を完成
  • 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
    • [33]1970年代に100種類を超える各種組立機を手がけた
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
    • [34]1974年4月1日 株主割当(割当率0.33333・払込1株50円)の有償増資により払込資本金8億円・発行済16,000千株
石油危機の後に二期続けて経常赤字を出す

1973年の石油危機を境に、国内の工作機械需要は低成長期へ移った。富士機械製造の1976年3月期の単体売上高は40億700万円にとどまり、経常損益は2億7,600万円の赤字、当期損益も1億1,200万円の赤字となった。翌1977年3月期は売上高を57億8,700万円まで戻したものの、経常損益には2億1,000万円の赤字が残り、当期損益がかろうじて3,000万円の黒字に触れる水準だった。設備投資の減少が受注台数の減少に直結し、固定費を抱えた生産体制が損益を割る形である。工作機械は景気の影響を受けやすく何度か厳しい状況を経験したという認識から、富士機械製造はこの時期に経営の多角化へ舵を切った。

  • 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
    • [35]1976年3月期(単体)売上高40億700万円、経常損益▲2億7,600万円、当期損益▲1億1,200万円
    • [36]1977年3月期(単体)売上高57億8,700万円、経常損益▲2億1,000万円
    • [37]1977年3月期(単体)当期損益3,000万円
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
    • [38]工作機械は景気の影響を受けやすく、何度か厳しい状況を経験したため経営の多角化を図った
人を切らずに事業のほうを転換する道を選ぶ

1977年4月、同社は愛知県岡崎市に株式会社マコト工業(現アドテック富士)を設け、加工部品を自社で作る力を強めた。単一の事業に頼っていては経営が安定しないとの考えから、富士機械製造は加工の周辺領域へ事業を拡大していた。収益を人員削減で立て直したのは1965年の一度だけである。以後は、社内で人材の配置を転換しつつ、伸びる分野へ事業を移していく道を選んだ。組立機の系列を広げるなかで対象は次第に絞られ、1980年前後には電子部品をプリント基板へ実装する機械が中心に据えられた。工作機械の会社が電子機器の設備を作る側へ渡る入口は、赤字の残ったこの数年のうちに開いていた。

  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1977年4月 愛知県岡崎市に株式会社マコト工業(現アドテック富士)を設立
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
    • [40]一つの事業では基盤が安定しないとして多角化を図った
    • [42]厳しいリストラを経ずに済んだのは、社内で人材を転換しながら成長分野へ事業を移してきたためと説明した
    • [43]1980年前後から電子部品をプリント基板に実装する機械へ対象を絞った
  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [41]1965年の約60名の人員削減が創業から現在まで唯一の人員削減
参考文献[32]-[43]
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1971年6月 「自動組立機」、同年9月 「NC自動旋盤」を完成
    • [39]1977年4月 愛知県岡崎市に株式会社マコト工業(現アドテック富士)を設立
  • 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
    • [33]1970年代に100種類を超える各種組立機を手がけた
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
    • [34]1974年4月1日 株主割当(割当率0.33333・払込1株50円)の有償増資により払込資本金8億円・発行済16,000千株
  • 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
    • [35]1976年3月期(単体)売上高40億700万円、経常損益▲2億7,600万円、当期損益▲1億1,200万円
    • [36]1977年3月期(単体)売上高57億8,700万円、経常損益▲2億1,000万円
    • [37]1977年3月期(単体)当期損益3,000万円
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)
    • [38]工作機械は景気の影響を受けやすく、何度か厳しい状況を経験したため経営の多角化を図った
    • [40]一つの事業では基盤が安定しないとして多角化を図った
    • [42]厳しいリストラを経ずに済んだのは、社内で人材を転換しながら成長分野へ事業を移してきたためと説明した
    • [43]1980年前後から電子部品をプリント基板に実装する機械へ対象を絞った
  • 富士機械製造五十年の歩み
    • [41]1965年の約60名の人員削減が創業から現在まで唯一の人員削減

筆者考察

単能機は、旋盤のように何でも削れる汎用の道具ではなく、決まった一工程だけを速く正確に削るために作られる機械である。買い手は道具を選ぶのではなく、自社の加工工程そのものを外から買うことになる。富士機械製造が創業から10年足らずでシカゴやデュッセルドルフに拠点を置いたのは、輸出を狙ったからというより、工程を売る商売が客の工場の隣に技術者を必要としたからだった。トヨタの旋盤ラインの7割以上を同社の自動旋盤が占めたという数字も、機械の性能より、この張り付き方の結果を示している。

ただし工程を売る商売は、客が工程を増やすときにしか売れない。1976年3月期の売上高40億700万円と経常赤字2億7,600万円は、製品を100種類に増やしても納入先が自動車と機械加工の設備投資から出ない限り、需要の波が一つの周期で会社全体に及ぶことを示した数字だった。払込資本は1964年の2億円から1974年の8億円まで積み上がっており、拡大の途中で収益だけが景況に振られていたことになる。この時期の富士機械製造に足りなかったのは、原価を削る工夫ではなく、別の周期で動く客だった。

払込資本金の推移 1964年〜1974年(億円)

2 1964 4 1969 6 1970 8 1974
  • いずれも株主割当による増資後の払込資本金。
  • 出所は資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)。

1959年〜1977年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1959年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1960年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1961年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1962年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1963年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1964年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1972年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1973年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1974年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1975年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1976年03月期 単体 40 n/a ▲2 ▲6.9% ▲1 n/a
1977年03月期 単体 57 +44.4% ▲2 ▲3.6% 3 n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

7件
出典・参考
  • 株式会社FUJI プレスリリース(2025年6月9日)
  • FUJI 有価証券報告書【沿革】
  • 富士機械製造五十年の歩み
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 富士機械製造 会社年鑑(1986年版)・単体
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)
  • MC journal(国際貿易・投資の総合情報誌、1999年4月号)

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