第1章 年〜年

相模ゴム工業:国内初のラテックス製コンドームと相模ゴム工業への改称

1934年〜ラテックス製の衛生用品から始めた事業と塩ビ加工への進出

前身のアサヒラテックス化学研究所は1934年1月に創立し、ラテックスを原料とするコンドームを国内で初めて製品にして売り出した。創業者がラテックスゴムでつくる衛生用品に着目したことが、事業の起点にあたる。創立を1940年とし、同業の岡本ゴム工業所より6年遅いとする記事もあり、年には幅が残る。1940年11月に北京で北支護謨乳液化学有限公司を設け、1942年2月に同社と合併して日本ラテックスゴム工業へ改めた。1944年12月には神奈川県厚木の現在地へ移り、社名を相模ゴム工業とした。厚木は、のちに専務を務めた松川サク氏の生まれた土地である。戦時下の移転先に、創業者の地縁がある土地を選んだとみられる。

  • 相模ゴム工業 有価証券報告書 第93期(2026年3月期)【沿革】
    • [1]1934年1月にアサヒラテックス化学研究所を創立し、わが国最初のラテックス製コンドームの製品化に成功して製造販売を始めた
    • [4]1940年11月に北京市に北支護謨乳液化学有限公司を設立し、1942年2月に両社が合併して日本ラテックスゴム工業株式会社と改名した
    • [5]1944年12月に相模ゴム工業株式会社と改名した
  • ヤノ・レポート 344 1975年5月26日
    • [2]昭和9年、ラテックスゴムによるスキン製品に目をつけた創業者がアサヒラテックス化学研究所を設立した
    • [6]昭和19年に現在地(神奈川県厚木市)へ移転し、同時に現社名へ改称した
  • ヤノ・レポート 720 1986年10月17日
    • [3]前身のアサヒラテックス化学研究所は昭和15年に設立され、岡本ゴム工業所(昭和9年)の6年後と記す
  • 私の歩んだ道 第6 1963年「わが旅は真実一路」松川サク(相模ゴム工業専務取締役)
    • [7]松川サクは神奈川県厚木の生まれで、1963年時点で相模ゴム工業の専務取締役

戦後の1952年4月、姉妹会社の相模プラスチック工業を設けて塩化ビニールの加工に入り、翌1953年3月に吸収して合成樹脂の部門を社内に加えた。1974年9月期に売上の4割を占めたプラスチック製品の部門は、この塩ビ加工の実績を土台に育った。主力のコンドームでは、のちに国内の首位に立つ岡本理研ゴムがほぼ同じ頃に生産を始めており、両社の業歴は並ぶ。国内のコンドーム生産量は1960年に220万1千グロスあった。会社は創業から1975年まで、特定の企業系列に属さなかった。単品の衛生用品に収益を依存する構造から抜け出すため、戦後7年目に第2の柱を探り始めた判断だったと思われる。

  • 相模ゴム工業 有価証券報告書 第93期(2026年3月期)【沿革】
    • [8]1952年4月に姉妹会社の相模プラスチック工業株式会社を設立して塩ビ加工業界に進出し、1953年3月に吸収合併して合成樹脂部門を加えた
  • ヤノ・レポート 344 1975年5月26日
    • [9]強化しようとするプラスチックは昭和27年から塩ビを手掛けた実績を踏まえたもので、49/9期の売上の41.6%がプラスチック製品部門
    • [10]スキンで業界シェアトップの岡本理研ゴムもほぼ同時期に生産を始めており、業歴は40年余りと古い
    • [12]創業以来40年を経ても系列色を持たない上場会社
  • ヤノ・レポート 720 1986年10月17日
    • [11]スキンの総生産量は昭和35年に220万1千グロス(薬事工業生産動態統計月報)
参考文献[1]-[12]
  • 相模ゴム工業 有価証券報告書 第93期(2026年3月期)【沿革】
    • [1]1934年1月にアサヒラテックス化学研究所を創立し、わが国最初のラテックス製コンドームの製品化に成功して製造販売を始めた
    • [4]1940年11月に北京市に北支護謨乳液化学有限公司を設立し、1942年2月に両社が合併して日本ラテックスゴム工業株式会社と改名した
    • [5]1944年12月に相模ゴム工業株式会社と改名した
    • [8]1952年4月に姉妹会社の相模プラスチック工業株式会社を設立して塩ビ加工業界に進出し、1953年3月に吸収合併して合成樹脂部門を加えた
  • ヤノ・レポート 344 1975年5月26日
    • [2]昭和9年、ラテックスゴムによるスキン製品に目をつけた創業者がアサヒラテックス化学研究所を設立した
    • [6]昭和19年に現在地(神奈川県厚木市)へ移転し、同時に現社名へ改称した
    • [9]強化しようとするプラスチックは昭和27年から塩ビを手掛けた実績を踏まえたもので、49/9期の売上の41.6%がプラスチック製品部門
    • [10]スキンで業界シェアトップの岡本理研ゴムもほぼ同時期に生産を始めており、業歴は40年余りと古い
    • [12]創業以来40年を経ても系列色を持たない上場会社
  • ヤノ・レポート 720 1986年10月17日
    • [3]前身のアサヒラテックス化学研究所は昭和15年に設立され、岡本ゴム工業所(昭和9年)の6年後と記す
    • [11]スキンの総生産量は昭和35年に220万1千グロス(薬事工業生産動態統計月報)
  • 私の歩んだ道 第6 1963年「わが旅は真実一路」松川サク(相模ゴム工業専務取締役)
    • [7]松川サクは神奈川県厚木の生まれで、1963年時点で相模ゴム工業の専務取締役

出典・参考

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出典・参考
  • 相模ゴム工業 有価証券報告書 第93期(2026年3月期)【沿革】
  • 私の歩んだ道 第6 1963年「わが旅は真実一路」松川サク(相模ゴム工業専務取締役)
  • ヤノ・レポート 344 1975年5月26日
  • ヤノ・レポート 720 1986年10月17日

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