大塚武三郎
大塚HD・元大塚製薬工業部 創立・経営者
社長就任1921年9月
生年月日—
学歴高等小学校
出自—
経歴1911〜1947年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1911年主要役職の状況(推定含む目安)1947年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 海軍 | 1911 | 入隊 | ||
| 大塚製薬工場(旧・大塚製薬工業部) | 1921 | 創業 | |||
| 1935 | 大塚製薬工場と改称 | ||||
| 1947 | 社長 退任 |
社長就任までの出自
出自
1891年12月、徳島県撫養町(現・鳴門市)の農家に生まれ、高等小学校まで進んだ。1911年に海軍へ入り、第一次世界大戦には機関兵として従軍し、在隊中に機関士の免状を取った。除隊時には呉の海軍工廠に職があったが、同居を望む両親の意向で郷里に戻った。撫養に工場を建てた大正舎密精工に機関士として入り、苦汁から炭酸マグネシウムを作る工程と化学の研究に触れた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
勤めを終えたあとに製薬を学び、1919年に製薬免許の試験に合格した。小遣いを月1円以内に抑えて独立の資金をため、1921年9月に大塚製薬工業部を創立した。資本金1万円は本人の貯金5000円と父の出資5000円で、従業員10人に夫妻を加えた12人で操業を始めた。社長に選ばれた就任ではなく、個人経営の工場主として事業を率いた。
在任中の主な施策
施策
創業から6年目、ゴムの流行が黒から透明へ移り、主力の炭酸マグネシウムの売れ行きが減少した。研究を重ねて仕上げた新製品は、200俵を出荷したところ保管中に湿気を吸って変質しており、損害の賠償で手元の資金を失った。1934年には富士フイルムと提携し、写真材料に使う臭素カリなどへ製品を広げた。1935年1月に屋号を大塚製薬工場へ改めた。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献3件
参考文献
- この人・その事業 第8(1968)「15 製薬に生きる 大塚武三郎氏(鳴門市)」
- 大塚HD 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
- Otsuka Holdings INTEGRATED REPORT 2025
事実根拠:出所(大塚HD)