三菱樹脂:長浜ゴム工業の独立と硬質塩化ビニル加工への専業化
1943年〜大塚商店の縮緬工場で製造した航空機用パッキングと、亀戸ゴム工業を移転した長浜ゴム工業
1943年9月、三菱化成工業は大塚商店が長浜市三ツ矢町(滋賀県)に持っていた縮緬工場を買収し、自社の長浜工場とした。長浜工場では合成ゴムを原料に航空機用のパッキングを製造する事業を始めた。買い取った建屋はもともと縮緬を織っていた工場で、そこで最初に作った製品が合成ゴムのパッキングだった。後の三菱樹脂の出発点は、化学品の会社が戦時に設けた1つの加工工場である。資料は買収の動機を記さないものの、戦時の航空機増産で合成ゴム部品の需要が高まり、既存の工場建屋を転用して早く生産に入る判断だったとみられる。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [1]1943年9月、三菱化成工業が長浜市三ツ矢町の大塚商店の縮緬工場を買収し長浜工場として合成ゴム加工・航空機用パッキング製造を開始
- [2]1943年9月、三菱化成工業が長浜市三ツ矢町の大塚商店の縮緬工場を買収し長浜工場として合成ゴム加工・航空機用パッキング製造を開始
- [5]1943年9月、三菱化成工業が長浜市三ツ矢町の大塚商店の縮緬工場を買収し長浜工場として合成ゴム加工・航空機用パッキング製造を開始
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [3]沿革: 1943年9月 長浜市の大塚商店の工場を三菱化成工業が買収し同社長浜工場となる
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [4]沿革: 1943年9月 縮緬製造工場を買収し長浜工場として合成ゴムパッキングの製造を開始
1946年2月、三菱化成工業は全株式を持つ亀戸ゴム工業を東京から長浜市へ移し、長浜工場の設備を継承させた。資本金115万円の亀戸ゴム工業は社名を長浜ゴム工業に改め、1946年2月1日を設立日として新たに発足した。終戦で合成ゴムの加工が続けられなくなり、長浜の工場は天然ゴムの加工に転じてゴム履物類を主製品に切り替えた。法人は分かれたものの、三菱化成工業は1959年1月末時点でも発行済み1,000万株のうち4,497,500株を持つ筆頭株主だった。同じ時点で三菱モンサント化成や三菱商事も株主に名を連ね、三菱系の加工会社という性格は残った。航空機部品という需要先を失った工場を別法人として切り出し、民需の履物で稼働を保つ判断だったと推察される。
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- [6]沿革: 1946年2月 三菱化成工業が全株式を所有する亀戸ゴム工業(資本金115万円)を東京から長浜市に移し長浜工場の設備を継承、長浜ゴム工業として新発足。設立1946年2月1日
- [7]沿革: 1946年2月 三菱化成工業が全株式を所有する亀戸ゴム工業(資本金115万円)を東京から長浜市に移し長浜工場の設備を継承、長浜ゴム工業として新発足。設立1946年2月1日
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [8]終戦後は合成ゴム加工ができなくなり天然ゴム加工に転換、当初はゴム履物類が主製品
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [9]大株主(1959年1月31日現在): 三菱化成工業4,497,500株、所有株式数合計10,000千株、ほか三菱モンサント化成・三菱商事
- [10]大株主(1959年1月31日現在): 三菱化成工業4,497,500株、所有株式数合計10,000千株、ほか三菱モンサント化成・三菱商事
参考文献[1]-[10]
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [1]1943年9月、三菱化成工業が長浜市三ツ矢町の大塚商店の縮緬工場を買収し長浜工場として合成ゴム加工・航空機用パッキング製造を開始
- [2]1943年9月、三菱化成工業が長浜市三ツ矢町の大塚商店の縮緬工場を買収し長浜工場として合成ゴム加工・航空機用パッキング製造を開始
- [5]1943年9月、三菱化成工業が長浜市三ツ矢町の大塚商店の縮緬工場を買収し長浜工場として合成ゴム加工・航空機用パッキング製造を開始
- [8]終戦後は合成ゴム加工ができなくなり天然ゴム加工に転換、当初はゴム履物類が主製品
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [3]沿革: 1943年9月 長浜市の大塚商店の工場を三菱化成工業が買収し同社長浜工場となる
- [9]大株主(1959年1月31日現在): 三菱化成工業4,497,500株、所有株式数合計10,000千株、ほか三菱モンサント化成・三菱商事
- [10]大株主(1959年1月31日現在): 三菱化成工業4,497,500株、所有株式数合計10,000千株、ほか三菱モンサント化成・三菱商事
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [4]沿革: 1943年9月 縮緬製造工場を買収し長浜工場として合成ゴムパッキングの製造を開始
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- [6]沿革: 1946年2月 三菱化成工業が全株式を所有する亀戸ゴム工業(資本金115万円)を東京から長浜市に移し長浜工場の設備を継承、長浜ゴム工業として新発足。設立1946年2月1日
- [7]沿革: 1946年2月 三菱化成工業が全株式を所有する亀戸ゴム工業(資本金115万円)を東京から長浜市に移し長浜工場の設備を継承、長浜ゴム工業として新発足。設立1946年2月1日
1948年〜本邦初の軟質塩化ビニル加工と、三菱モンサント化成へ渡して選んだ硬質塩ビ
1948年4月、長浜ゴム工業は塩化ビニル樹脂の加工に着手した。塩ビを加工して製品にする事業は、国内ではこれが最初の例にあたる。最初に手がけた製品はレインコートやハンドバッグ用の生地、ベルトといった軟質ビニル製品だった。塩ビ加工を始めた後、1949年7月に企業再建整備に基づき資本金を300万円とし、1951年1月には3,000万円まで増資。新素材の加工設備に投じる資金は、この増資で段階的に積み増した。ゴム履物類は1958年4〜9月の生産品目にもなお残り、樹脂と並行して作り続けた。ゴム履物は物資不足が和らげば競争が激しくなる商品で、樹脂という新しい素材に次の収益源を求めたと思われる。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [11]1948年4月、わが国初の試みとして塩化ビニル樹脂の加工に着手し、レインコート・ハンドバッグ用生地・ベルトなど軟質ビニル製品の生産を開始
- [12]1948年4月、わが国初の試みとして塩化ビニル樹脂の加工に着手し、レインコート・ハンドバッグ用生地・ベルトなど軟質ビニル製品の生産を開始
- [14]1948年4月、わが国初の試みとして塩化ビニル樹脂の加工に着手し、レインコート・ハンドバッグ用生地・ベルトなど軟質ビニル製品の生産を開始
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [13]沿革: 1948年4月 本邦初の試みとして塩化ビニール樹脂の加工に着手
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- [15]沿革: 1949年7月 企業再建整備に基き資本金300万円、1950年2月 1千万円、1951年1月 3千万円に増資
- [16]沿革: 1949年7月 企業再建整備に基き資本金300万円、1950年2月 1千万円、1951年1月 3千万円に増資
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [17]生産状況(1958年4月〜9月)の品目にゴム履物類が残る
1952年1月、長浜ゴム工業は軟質ビニルの部門を三菱系の三菱モンサント化成に移譲した。同じ時期に、それまで研究を重ねていた硬質塩化ビニル製品の本格的な生産に入った。三菱化成工業出身の山岡政朝氏の社長就任も1952年。三菱モンサント化成は1959年1月末時点で960,000株を持ち、三菱化成工業に次ぐ大株主だった。硬質の技術はその後も積み上がり、1962年3月には米国モンサントケミカル社へ硬質押出波付シートの技術情報を3年期限で譲渡した。三菱グループの中で軟質を三菱モンサント化成に、硬質を長浜ゴム工業に振り分け、同じ塩ビ加工での重複を避けたのだろう。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [18]1952年1月、軟質部門を同系の三菱モンサント化成に移譲し、かねて研究中の硬質塩化ビニル製品の生産を本格的に開始
- [19]1952年1月、軟質部門を同系の三菱モンサント化成に移譲し、かねて研究中の硬質塩化ビニル製品の生産を本格的に開始
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [20]役員: 社長山岡政朝、三菱化成工業出身、昭和27年社長/1962年3月 米国モンサントケミカル社に硬質押出波付シートの技術情報を3カ年期限で譲渡
- [22]役員: 社長山岡政朝、三菱化成工業出身、昭和27年社長/1962年3月 米国モンサントケミカル社に硬質押出波付シートの技術情報を3カ年期限で譲渡
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [21]大株主(1959年1月31日現在): 三菱モンサント化成960,000株(三菱化成工業に次ぐ)
長浜ゴム工業は1956年11月にポリエチレン樹脂製品、1957年3月にポリスチレン樹脂製品の生産を始めた。扱う樹脂は塩ビからポリエチレン、ポリスチレンへと1年ごとに1種類ずつ増えた。1958年4〜9月の生産品目は、硬質塩化ビニルの管と板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管とフィルムに及んだ。ポリスチレン板とラミネート板も品目に加わった。資本金は1954年9月に6,000万円、1955年12月に1億2,000万円となった。その後も1956年12月に2億5,000万円、1957年12月に5億円と毎年倍に増えた。塩ビで整えた押出や圧延の設備と技術を、ほかの樹脂にも転用できたことが品目の拡大を支えたと推測される。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [23]沿革: 1956年11月 ポリエチレン樹脂製品、1957年3月 ポリスチレン樹脂製品の生産を開始
- [24]沿革: 1956年11月 ポリエチレン樹脂製品、1957年3月 ポリスチレン樹脂製品の生産を開始
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [25]1956年にポリエチレン樹脂製品、翌1957年にポリスチレン樹脂製品の生産を開始
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [26]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
- [27]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
- [28]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
- [29]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
参考文献[11]-[29]
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [11]1948年4月、わが国初の試みとして塩化ビニル樹脂の加工に着手し、レインコート・ハンドバッグ用生地・ベルトなど軟質ビニル製品の生産を開始
- [12]1948年4月、わが国初の試みとして塩化ビニル樹脂の加工に着手し、レインコート・ハンドバッグ用生地・ベルトなど軟質ビニル製品の生産を開始
- [14]1948年4月、わが国初の試みとして塩化ビニル樹脂の加工に着手し、レインコート・ハンドバッグ用生地・ベルトなど軟質ビニル製品の生産を開始
- [18]1952年1月、軟質部門を同系の三菱モンサント化成に移譲し、かねて研究中の硬質塩化ビニル製品の生産を本格的に開始
- [19]1952年1月、軟質部門を同系の三菱モンサント化成に移譲し、かねて研究中の硬質塩化ビニル製品の生産を本格的に開始
- [25]1956年にポリエチレン樹脂製品、翌1957年にポリスチレン樹脂製品の生産を開始
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [13]沿革: 1948年4月 本邦初の試みとして塩化ビニール樹脂の加工に着手
- [20]役員: 社長山岡政朝、三菱化成工業出身、昭和27年社長/1962年3月 米国モンサントケミカル社に硬質押出波付シートの技術情報を3カ年期限で譲渡
- [22]役員: 社長山岡政朝、三菱化成工業出身、昭和27年社長/1962年3月 米国モンサントケミカル社に硬質押出波付シートの技術情報を3カ年期限で譲渡
- [23]沿革: 1956年11月 ポリエチレン樹脂製品、1957年3月 ポリスチレン樹脂製品の生産を開始
- [24]沿革: 1956年11月 ポリエチレン樹脂製品、1957年3月 ポリスチレン樹脂製品の生産を開始
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- [15]沿革: 1949年7月 企業再建整備に基き資本金300万円、1950年2月 1千万円、1951年1月 3千万円に増資
- [16]沿革: 1949年7月 企業再建整備に基き資本金300万円、1950年2月 1千万円、1951年1月 3千万円に増資
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [17]生産状況(1958年4月〜9月)の品目にゴム履物類が残る
- [21]大株主(1959年1月31日現在): 三菱モンサント化成960,000株(三菱化成工業に次ぐ)
- [26]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
- [27]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
- [28]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
- [29]生産状況(1958年4月〜9月): 硬質塩化ビニル管・板、塩化ビニルチューブ、ポリエチレン管・フィルム、ポリスチレン板、ラミネート板ほか/沿革: 資本金1954年9月6千万円、1955年12月1億2千万円、1956年12月2億5千万円、1957年12月5億円
1957年〜ゴムから撤退した合成樹脂専業の長浜樹脂と、東京・大阪上場と平塚工場
長浜ゴム工業はゴム部門を閉鎖して合成樹脂製品の専業となり、社名を長浜樹脂に改めた。その時期は定まらず、生産停止と改称を1957年11月とする記録、改称を1958年5月とする記録、閉鎖と改称をともに1958年6月とする記録が並ぶ。ゴム部門は、樹脂部門が大きくなるのに合わせて少しずつ縮める方針がとられていた。英文社名もNagahama Plastics Industriesとし、樹脂の加工会社であることを示した。改称直後の1958年9月期の半期売上高は785,626千円だった。社名から「ゴム」の2字を外したことは、創業時の事業からの撤退を取引先に示す意味を持ったと考えられる。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [30]沿革: 1958年6月 ゴム部門を閉鎖し合成樹脂製品専業となり社名を長浜樹脂に変更
- [33]沿革: 1958年6月 ゴム部門を閉鎖し合成樹脂製品専業となり社名を長浜樹脂に変更
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [31]ゴム部門は樹脂部門の拡大に伴い漸次縮小の方針、1957年11月に生産を止めて合成樹脂専業となり長浜樹脂と改称
- [34]ゴム部門は樹脂部門の拡大に伴い漸次縮小の方針、1957年11月に生産を止めて合成樹脂専業となり長浜樹脂と改称
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [32]沿革: 1958年5月 社名を長浜樹脂に改称/英文社名 Nagahama Plastics Industries Ltd./損益計算書: 1958年9月期売上高785,626千円
- [35]沿革: 1958年5月 社名を長浜樹脂に改称/英文社名 Nagahama Plastics Industries Ltd./損益計算書: 1958年9月期売上高785,626千円
- [36]沿革: 1958年5月 社名を長浜樹脂に改称/英文社名 Nagahama Plastics Industries Ltd./損益計算書: 1958年9月期売上高785,626千円
長浜樹脂は1960年7月に本社を東京都へ移し、翌1961年に東京・大阪両証券取引所へ株式を上場した。移転前の1959年版の年鑑では、本社は長浜市三ツ矢町の工場に置かれ、東京・名古屋・大阪・福岡に営業所があった。上場前の株式は店頭で売買され、市場は1959年版で東京、1960年版で東京・大阪と記載された。半期の売上高は1959年3月期の1,112,411千円から1960年3月期の1,754,532千円へ増えた。資本金は1960年8月に10億円へ倍増した。1960年3月末の大株主には三菱化成工業のほか、三菱商事や新三菱重工業、東京海上火災が並んだ。設備資金の調達先を三菱化成工業の出資と銀行借入から株式市場へ広げる狙いがあったとうかがえる。
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [37]1960年7月 本社を東京へ移転、翌1961年 東京・大阪両証券取引所へ上場
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [38]本社・工場は長浜市三ツ矢町、営業所は東京・名古屋・大阪・福岡/上場市場(店頭)東京
- [39]本社・工場は長浜市三ツ矢町、営業所は東京・名古屋・大阪・福岡/上場市場(店頭)東京
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- [40]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
- [41]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
- [42]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
- [43]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
1961年10月、長浜樹脂は神奈川県平塚市に新しい平塚工場を完成させた。三菱化成工業出身の南部浩氏が同じ1961年10月に常務取締役平塚工場長に就任し、立ち上げを率いた。1961年3月期の売上高は42億円に達し、平塚工場はこの規模の需要に応える2つ目の生産拠点となった。従業員は1960年版の年鑑で1,359人、1963年3月末には2,152人。平塚の完成後、1962年1月には塩化ビニル独立気泡体のエアレックスの販売を始めた。平塚の完成から7か月後の1962年5月、長浜樹脂は社名を三菱樹脂に改めた。長浜1か所だった生産を関東の需要地に近い平塚へ広げたことで、東西2工場から塩ビの管や板を出せるようになったとみられる。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [44]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- [48]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- [49]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- [50]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- 日本企業要覧 1966年版「三菱樹脂」
- [45]役員略歴: 南部浩、三菱化成工業から転籍、1961年10月 常務取締役平塚工場長
- 会社年鑑 1963年版「三菱樹脂」
- [46]1961年3月期 売上高42億円(半期合算)
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- [47]従業員1,359人
参考文献[30]-[50]
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- [30]沿革: 1958年6月 ゴム部門を閉鎖し合成樹脂製品専業となり社名を長浜樹脂に変更
- [33]沿革: 1958年6月 ゴム部門を閉鎖し合成樹脂製品専業となり社名を長浜樹脂に変更
- [44]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- [48]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- [49]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- [50]沿革: 1961年10月 平塚工場完成、1962年1月 エアレックス(塩ビ独立気泡体)販売開始、1962年5月 社名を三菱樹脂に変更/従業員2,152人(1963年3月末)
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- [31]ゴム部門は樹脂部門の拡大に伴い漸次縮小の方針、1957年11月に生産を止めて合成樹脂専業となり長浜樹脂と改称
- [34]ゴム部門は樹脂部門の拡大に伴い漸次縮小の方針、1957年11月に生産を止めて合成樹脂専業となり長浜樹脂と改称
- [37]1960年7月 本社を東京へ移転、翌1961年 東京・大阪両証券取引所へ上場
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- [32]沿革: 1958年5月 社名を長浜樹脂に改称/英文社名 Nagahama Plastics Industries Ltd./損益計算書: 1958年9月期売上高785,626千円
- [35]沿革: 1958年5月 社名を長浜樹脂に改称/英文社名 Nagahama Plastics Industries Ltd./損益計算書: 1958年9月期売上高785,626千円
- [36]沿革: 1958年5月 社名を長浜樹脂に改称/英文社名 Nagahama Plastics Industries Ltd./損益計算書: 1958年9月期売上高785,626千円
- [38]本社・工場は長浜市三ツ矢町、営業所は東京・名古屋・大阪・福岡/上場市場(店頭)東京
- [39]本社・工場は長浜市三ツ矢町、営業所は東京・名古屋・大阪・福岡/上場市場(店頭)東京
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- [40]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
- [41]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
- [42]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
- [43]上場市場(店頭)東京・大阪/半期(6か月)売上高 1958年10月〜1959年3月1,112,411千円・1959年10月〜1960年3月1,754,532千円/1960年8月 資本金10億円に増資/大株主(1960年3月31日): 三菱化成工業・三菱商事・新三菱重工業・東京海上火災ほか
- [47]従業員1,359人
- 日本企業要覧 1966年版「三菱樹脂」
- [45]役員略歴: 南部浩、三菱化成工業から転籍、1961年10月 常務取締役平塚工場長
- 会社年鑑 1963年版「三菱樹脂」
- [46]1961年3月期 売上高42億円(半期合算)
1943年〜1961年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 19 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 30 | +57.9% | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 42 | +40.0% | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑(1963年版)半期合算
出典・参考
6件
- 株式会社年鑑 1959年版「長浜樹脂」
- 株式会社年鑑 1960年版「長浜樹脂」
- 会社年鑑 1963年版「三菱樹脂」
- 企業の歴史 明治百年(1968)「三菱樹脂」
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三菱樹脂」
- 日本企業要覧 1966年版「三菱樹脂」