ツルハホールディングス の歴史

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創業 1929年
創業者 鶴羽勝
創業地 北海道旭川市
創業
1929年5月、鶴羽勝氏が北海道旭川市で『鶴羽薬師堂』を屋号に医薬品の小売を始めた。1956年8月に屋号を『ツルハ薬局』へ改め、1963年6月に株式会社ツルハ薬局を旭川市に設立している。1970年時点の資本金は200万円、従業員10名、年商1億5,000万円で、同族経営が続いていた。二代目の鶴羽肇氏は、相談に乗じて割高な商品を勧める『相談薬局』の売り方を改めた。大衆薬を客が食品のように自由に選べる形にすれば人件費を抑えて安く売れると考え、1967年に最初のドラッグストアを開設している。1992年度末の105店はすべて北海道内にあり、道外へ出るのは2000年を待つことになる。
決断
取得した会社の屋号を残し、本部の仕組みだけを載せてきた。1975年に本部機能を別法人へ移して複数店を統括する体制を敷き、1987年にEOS、1989年に全店POSを導入して単品単位で在庫と販売を把握する運営を標準化した。1995年1月にジャスコと業務・資本提携を結び、2000年11月には岩手のドラッグトマトを取得して初めて道外へ出る。2005年8月に持株会社へ移行したのち、くすりの福太郎からドラッグイレブンまで地域チェーンを連続して取得した。2020年に就任した鶴羽順社長は買収先の自主性を尊ぶ運営を改め、プライベートブランドの導入率100%を掲げてグループ全体の相乗効果へ方針を切り替えた
現況
規模で頂点に立った同じ取引で、支配権はイオンへ移った。2025年12月1日にウエルシアホールディングスを株式交換で完全子会社化し、店舗数5,000店超・売上高2兆円超の国内最大のドラッグストアが成立している。同時に公開買付けを受け入れ、2026年1月14日付で議決権50.11%を握るイオンの連結子会社となった。2026年2月期の連結売上高は1兆4,506億円、営業利益は630億円で、従業員は前期の11,298名から27,681名へ増えている。報告セグメントは物販事業の単一で、売上の9割超を国内が占める。1995年のジャスコとの資本提携から30年で、筆頭株主だった相手の傘下へ入った
競合
同業を取得し続けた末に、取得される側へ回った。1985年に50店、2012年に1,000店と店舗網を広げ、北海道では1998年に約62%のシェアを占めた。道外は買収で埋め、千葉のくすりの福太郎、広島のハーティウォンツ、愛媛のレデイ薬局、静岡の杏林堂と地域の有力店を順に取り込んでいる。首位を争ったマツモトキヨシも2021年にココカラファインを株式交換で統合し、規模の作り方は同じ再編へ寄った。出店余地の縮小と薬価の引き下げで単独の成長が難しくなり、2025年4月に業界首位のウエルシアとの経営統合で最終契約を結んだ。地方から出た2位が首位を取り込んで規模の頂点に立ち、その代わりに札幌の本社は全国資本の統治下へ移った。
ツルハホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年5月期2026年2月期

創業ストーリー 旭川の薬師堂から北海道発ドラッグストアチェーンへ、そしてイオンとの30年関係 (1929年〜)

鶴羽勝氏の鶴羽薬師堂から株式会社ツルハ薬局へ

1929年5月、創業者の鶴羽勝氏は北海道旭川市[1]で『鶴羽薬師堂』を屋号として個人創業し、医薬品等の小売販売業[2]を始めた。北海道中央部の旭川を拠点とする、地元住民への医薬品供給を主とした街の薬局からの出発である。1956年8月には屋号を『ツルハ薬局』に改め[3]、1963年6月に個人商店から組織変更して株式会社ツルハ薬局を旭川市に設立し[4]、法人格を取得した。これが現在のツルハホールディングスの法人としての起点となる。

  • 帝国銀行会社要録 第51版(帝国興信所, 1970)
    • [1]創業者の氏名は鶴羽勝
  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
    • [2]1929年5月 鶴羽勝氏が旭川市で「鶴羽薬師堂」を屋号に個人創業(医薬品等の小売)
    • [3]1956年8月 屋号を「ツルハ薬局」に変更
    • [4]1963年6月 株式会社ツルハ薬局を旭川市に設立(法人格取得・現HDの起点)

法人化からほどない時期も、同社は鶴羽家を中心とする小規模な同族会社だった。1970年版の企業要録によれば、株式会社ツルハ薬局は資本金200万円・従業員10名・年商1億5,000万円で[5]、代表者は鶴羽勝氏、株主7名のうち持株の上位は鶴羽勝氏・鶴羽肇氏ら鶴羽家が占めていた[6]。取引銀行は北海道拓殖銀行旭川東支店で[7]、旭川の一薬局として地域に根を張る段階にあった。

  • 帝国銀行会社要録 第51版(帝国興信所, 1970)
    • [5]1970年時点で資本金200万円・従業員10名・年商1億5,000万円
    • [6]代表者は鶴羽勝氏、株主上位は鶴羽家(鶴羽勝・鶴羽肇ら)
    • [7]取引銀行は北海道拓殖銀行旭川東支店
  • 帝国銀行会社要録 第51版(帝国興信所, 1970)
    • [1]創業者の氏名は鶴羽勝
    • [5]1970年時点で資本金200万円・従業員10名・年商1億5,000万円
    • [6]代表者は鶴羽勝氏、株主上位は鶴羽家(鶴羽勝・鶴羽肇ら)
    • [7]取引銀行は北海道拓殖銀行旭川東支店
  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
    • [2]1929年5月 鶴羽勝氏が旭川市で「鶴羽薬師堂」を屋号に個人創業(医薬品等の小売)
    • [3]1956年8月 屋号を「ツルハ薬局」に変更
    • [4]1963年6月 株式会社ツルハ薬局を旭川市に設立(法人格取得・現HDの起点)

鶴羽肇氏の「相談薬局」批判と1967年のドラッグストア転換

二代目を担った鶴羽肇氏は、京都大学を卒業して家業の薬局[8]に入ったのち、従来型の『相談薬局』のあり方に疑問を抱いた。客の相談に乗じて割高な商品を勧めがちな売り方を改め、ビタミン剤などの大衆薬は客が食品のように自由に選べるようにし[9]、相談されたときだけ応じる——こうすれば人件費を抑えて安く売れ、客の利益になると考えた。薬業新聞社の社長だった山口英雄氏が説く、薬を主体に関連雑貨も置くドラッグストア像に共感し、1967[10]年に初めてその方式の店を開いた。同業者の反発や、薬は棚の内側に置くべきとする法規上の制約もあったが、処方箋を要さない大衆薬は対象外と主張して認められた。

  • 商工ジャーナル 13(10)(151)(商工中金経済研究所, 1987年10月)
    • [8]鶴羽肇氏(創業者の次男・2代目)は京都大学卒業後に家業の薬局に入った
    • [9]従来型の「相談薬局」を脱し、大衆薬を客が自由に選べるセルフ販売・低価格化を志向
    • [10]1967年に初のドラッグストア方式店を出店(薬業新聞社社長 山口英雄氏の影響)

チェーン化の構想は組織にも形を与えた。1975年5月、薬局・薬店への経営指導と医薬品等の卸・小売を目的に、資本金200万円で株式会社クスリのツルハコントロールセンター[11](現株式会社ツルハ)が旭川市に設立され、複数店舗を束ねる本部機能を別法人に持たせる体制が整った。1985年3月には店舗数が50店に達し[12]、続く1987年3月にEOS(オンライン受発注システム)を[13]、1989年7月には全店にPOSレジを導入して店舗数も100[14]店に到達した。単品単位で在庫・販売を把握する標準化された運営基盤は、商圏が狭く人口の薄い北海道で複数店を束ねる組織小売業を支え、のちに各地で取得する店舗にも展開できる仕組みとして連邦型成長を準備した。

  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
    • [11]1975年5月 ㈱クスリのツルハコントロールセンター(現㈱ツルハ)を旭川市に資本金200万円で設立
    • [12]1985年3月 店舗数50店到達
    • [13]1987年3月 EOS(オンライン受発注システム)を全店導入
    • [14]1989年7月 全店POSレジ導入・店舗数100店到達

1990年代初頭まで、ツルハの店舗網は北海道内に集中していた。1992年度末の店舗分布は札幌41店・旭川20店を二大拠点に[15]、苫小牧5店、帯広・北見各4店などで、ほかの道内各地23店を含めても全105店が北海道にあった。単体売上高は1990年5月期の158億円から1993[16]年5月期には197億円へ伸びたが、1991年5月期には145億円へ一度落ち込んでいる[17]。1992年度のドラッグストア部門の商品構成は日用雑貨が30%、医薬品が20%、化粧品が15%で[18]、医薬品より雑貨が大きい品揃えは、薬局から踏み出したドラッグストアの性格をよく表していた。

  • 有力ドラッグチェーンと新業態化戦略の全貌 1994年版(日本経営情報, 1993年10月)
    • [15]1992年度末、全105店が北海道内・札幌41店/旭川20店が二大拠点(道外店ゼロ)
    • [16]単体売上高 1990年5月期158億円→1993年5月期197億円
    • [17]1991年5月期は145億円へ減収
    • [18]1992年度のDrug部門商品構成(日用雑貨30%・医薬品20%・化粧品15%)
  • 商工ジャーナル 13(10)(151)(商工中金経済研究所, 1987年10月)
    • [8]鶴羽肇氏(創業者の次男・2代目)は京都大学卒業後に家業の薬局に入った
    • [9]従来型の「相談薬局」を脱し、大衆薬を客が自由に選べるセルフ販売・低価格化を志向
    • [10]1967年に初のドラッグストア方式店を出店(薬業新聞社社長 山口英雄氏の影響)
  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
    • [11]1975年5月 ㈱クスリのツルハコントロールセンター(現㈱ツルハ)を旭川市に資本金200万円で設立
    • [12]1985年3月 店舗数50店到達
    • [13]1987年3月 EOS(オンライン受発注システム)を全店導入
    • [14]1989年7月 全店POSレジ導入・店舗数100店到達
  • 有力ドラッグチェーンと新業態化戦略の全貌 1994年版(日本経営情報, 1993年10月)
    • [15]1992年度末、全105店が北海道内・札幌41店/旭川20店が二大拠点(道外店ゼロ)
    • [16]単体売上高 1990年5月期158億円→1993年5月期197億円
    • [17]1991年5月期は145億円へ減収
    • [18]1992年度のDrug部門商品構成(日用雑貨30%・医薬品20%・化粧品15%)

ジャスコ提携と1990年代の全国チェーン化への助走

1991年7月、グループは事業構造を[19]再編した。営業の全部を株式会社クスリのツルハコントロールセンター(現株式会社ツルハ)へ譲渡し、旧法人は事業目的を保険代理業に変更して1993年2月に株式会社クレーン商事へ商号変更、同年8[20]月には現株式会社ツルハが本社を札幌市東区へ移した。小売事業を別会社に集約して旧法人を残す枠組みは、のちの持株会社・事業会社分業の原型である。1995年1月にはジャスコ株式会社(現イオン株式会社)と業務[21]・資本提携契約を結び、これが30年にわたるイオングループとの関係の起点となった。

  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
    • [19]1991年7月 営業の全部を現㈱ツルハへ譲渡・旧法人は保険代理業へ
    • [20]1993年2月 旧法人が㈱クレーン商事へ商号変更/同年8月 現㈱ツルハが本社を札幌市東区へ移転
    • [21]1995年1月 ジャスコ㈱(現イオン㈱)と業務・資本提携契約を締結(イオンとの30年関係の起点)

1990年代後半、鶴羽樹氏のもとで同社は拡大と専門化を進めた。1998年5月期末の店舗数は178店(うちフランチャイズ4店)[22]に達し、北海道では約62%のシェアを占めた[23]。医薬分業の進展に対応して調剤部門を強化し、調剤専門薬局6店・調剤併設店14店を擁した[24]。単体売上高は1996年5月期の343億円から1998年5月期には495億円へ伸び、同期の商品構成は雑貨が35.1%、医薬品が22.1%、化粧品が17.4%と、薬局より幅広い品揃えのドラッグストア型だった。1997年12月には北陸でドラッグストアを展開する株式会社クスリのアオキに資本参加し、業務提携も結んだ[25]

  • 証券アナリストジャーナル 36(8)(日本証券アナリスト協会, 1998年8月)
    • [22]1998年5月期末の店舗数178店(うちフランチャイズ4店)
    • [23]北海道で約62%のシェア(寡占)
    • [24]医薬分業対応で調剤専門薬局6店・調剤併設店14店
    • [25]1997年12月 ㈱クスリのアオキに資本参加・業務提携

資本市場への参入と道外展開も同じ時期に始まった。1998年6月、株式会社ツルハは日本証券業協会に株式を店頭登録し[26]、事業会社として資本市場に参入した。2000年11月には株式会社ドラッグトマト(岩手県盛岡市[27])を子会社化して北海道外への本格進出を開始し、これがのちの連邦型M&A戦略の出発点となった。同社は『2010年に全国1,000店舗・売上高2,000億円』[引用元]という目標を掲げ、東北地方を足掛かりにドミナント展開を進める方針を示して、次の時代区分の全国チェーン化と持株会社化への助走を整えた。

  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
    • [26]1998年6月 ㈱ツルハが日本証券業協会に株式を店頭登録
    • [27]2000年11月 ㈱ドラッグトマト(岩手県盛岡市)を子会社化し道外進出を開始
  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
    • [19]1991年7月 営業の全部を現㈱ツルハへ譲渡・旧法人は保険代理業へ
    • [20]1993年2月 旧法人が㈱クレーン商事へ商号変更/同年8月 現㈱ツルハが本社を札幌市東区へ移転
    • [21]1995年1月 ジャスコ㈱(現イオン㈱)と業務・資本提携契約を締結(イオンとの30年関係の起点)
    • [26]1998年6月 ㈱ツルハが日本証券業協会に株式を店頭登録
    • [27]2000年11月 ㈱ドラッグトマト(岩手県盛岡市)を子会社化し道外進出を開始
  • 証券アナリストジャーナル 36(8)(日本証券アナリスト協会, 1998年8月)
    • [22]1998年5月期末の店舗数178店(うちフランチャイズ4店)
    • [23]北海道で約62%のシェア(寡占)
    • [24]医薬分業対応で調剤専門薬局6店・調剤併設店14店
    • [25]1997年12月 ㈱クスリのアオキに資本参加・業務提携

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ツルハホールディングスの沿革1929〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1929〜2000年旭川の薬師堂から北海道発ドラッグストアチェーンへ、そしてイオンとの30年関係鶴羽薬師堂を創業★★
ツルハ薬局に屋号変更
ツルハ薬局を設立
クスリのツルハコントロールセンターを旭川市に設立
ツルハが店舗数50店に到達
ツルハがEOS(オンライン受発注システム)を全店導入
ツルハが全店POSレジを導入し店舗数100店に到達
営業の全部をクスリのツルハコントロールセンターに譲渡
クスリのツルハコントロールセンターがツルハに商号変更
クレーン商事に商号変更
ジャスコと業務・資本提携契約を締結★★
ツルハが日本証券業協会に株式を店頭登録
2001〜2017年上場・持株会社化と「連邦型M&A」による全国チェーン化鶴羽樹ツルハHDに商号変更★★
鶴羽樹東京証券取引所に上場
鶴羽樹ツルハグループが店舗数500店に到達
鶴羽樹スパークを子会社化
鶴羽樹ツルハグループ海外1号店をタイ・出店
鶴羽樹ハーティウォンツ(広島市中区)を子会社化
堀川政司レデイ薬局を子会社化
堀川政司杏林堂グループ・HD(浜松市中央区)を子会社化★★
2018〜2025年ウエルシア統合とイオン傘下入りによる業界再編の主役堀川政司ビー・アンド・ディーHDを子会社化
堀川政司JR九州ドラッグイレブンを子会社化
鶴羽順連邦型の「放任」からグループシナジーへ、鶴羽順社長の方針転換

2020年6月、健康上の理由で退いた非創業家の堀川政司前社長に代わり、創業家3代目で生え抜きの鶴羽順が社長に就いた。鶴羽は連邦型M&Aで広げた全国網を土台に、買収先の裁量を尊ぶ『放任』を改め、プライベートブランド(PB)の導入率100%とコンサル型店舗でグループのシナジーを引き出す方針へ舵を切った。

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★★★
鶴羽順監査等委員会設置会社へ移行
鶴羽順ウエルシア統合とイオンによる子会社化

2024年から2026年にかけて、ツルハホールディングスが業界最大手ウエルシアホールディングスを株式交換で取り込み、売上2兆円超の日本最大のドラッグストア連合を築く一方、みずからはイオンの公開買付けを受け入れて連結子会社となった経営統合。1995年のジャスコとの提携以来のイオンとの関係が、業界再編の中核として結実した。

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★★★
鶴羽順ツルハホールディングスとウエルシアホールディングスの経営統合(2025年・イオン主導)

2024年、イオン主導でツルハHDとウエルシアHDが経営統合の協議を開始し、2025年4月に株式交換契約を締結。ツルハHDがウエルシアHDを完全子会社とし、売上高約2.3兆円・店舗数約5,600の国内最大のドラッグストア連合が生まれる案件。

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★★★
出典・参考
  • ツルハホールディングス 有価証券報告書 第64期(2026年2月期)【沿革】
  • 商工ジャーナル 13(10)(151)(商工中金経済研究所, 1987年10月)
  • 証券アナリストジャーナル 36(8)(日本証券アナリスト協会, 1998年8月)
  • 帝国銀行会社要録 第51版(帝国興信所, 1970)
  • 有力ドラッグチェーンと新業態化戦略の全貌 1994年版(日本経営情報, 1993年10月)

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