第1章 年〜年

マクニカホールディングス:富士エレクトロニクスの設立とジャパンマクニクスの創業

1970年〜資本金200万円で理経から独立した富士エレクトロニクスと、世田谷のジャパンマクニクス

富士エレクトロニクスは1970年9月、理経に勤めていた息栖邦夫氏が同社を辞めて設立し、元手の資本金は200万円だった。目的は、半導体を中心とする電子部品と電子機器の販売である。当時の半導体では米国勢が首位のテキサス・インスツルメンツ(TI)を先頭に、モトローラ、フェアチャイルド、ナショナル・セミコンダクターと続いた。日本電気の規模はTIの10分の1にとどまり、米国の大手各社は同じ時期に日本へ現地法人を相次いで置いた。富士エレクトロニクスはその後も国内メーカーの系列に入らず、外国製半導体の専門商社として事業を続けた。米国製半導体の日本上陸に合わせ、系列を持たない個人が商社を起こした出発だったとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 28(11) 1990年11月 息栖邦夫(企業分析部会 講演要旨)
    • [1]1970年9月、息栖邦夫氏が理経を退社し、半導体主体の電子部品・電子機器販売を目的に資本金200万円で設立
    • [2]1970年9月、息栖邦夫氏が理経を退社し、半導体主体の電子部品・電子機器販売を目的に資本金200万円で設立
    • [3]設立当時の半導体は米国優位でTI首位、以下モトローラ・フェアチャイルド・ナショナルセミコンダクター。日本電気はTIの10分の1。米大手が相次ぎ日本に現地法人を設立
    • [4]設立当時の半導体は米国優位でTI首位、以下モトローラ・フェアチャイルド・ナショナルセミコンダクター。日本電気はTIの10分の1。米大手が相次ぎ日本に現地法人を設立
  • マクニカホールディングス「公開買付けの開始に関するお知らせ」2024年1月(公開買付者の沿革)
    • [5]富士エレクトロニクスはメーカー系列にとらわれず外国製半導体を販売する半導体専門商社として事業展開していた

ジャパンマクニクスは1972年10月、創業者の神山治貴氏が東京都世田谷区で興した会社で、電子部品などの販売を事業の目的に据えた。1992年3月、社名をマクニカへ変更。2000年の上場にあたり、社長の神山治貴氏は半導体を軸とする技術商社の信条として『他社と同じことはやらない』を掲げた。同じ年の会社説明では、経営理念を『足下に種を蒔き続ける』と示した。富士エレクトロニクスとは2015年4月に共同株式移転で経営を統合し、2社は一つの持株会社の下に入った。メーカーの系列にも資本の後ろ盾にも属さず、他社の扱わない商材を選び取る技術商社の構想が、創業の動機にあったと推察される。

  • マクニカホールディングス「公開買付けの開始に関するお知らせ」2024年1月(公開買付者の沿革)
    • [6]1972年10月、神山治貴氏が東京都世田谷区に電子部品等の販売を目的にジャパンマクニクスを設立。1992年3月マクニカに商号変更。2015年4月富士エレクトロニクスと共同株式移転で経営統合
    • [7]1972年10月、神山治貴氏が東京都世田谷区に電子部品等の販売を目的にジャパンマクニクスを設立。1992年3月マクニカに商号変更。2015年4月富士エレクトロニクスと共同株式移転で経営統合
    • [10]1972年10月、神山治貴氏が東京都世田谷区に電子部品等の販売を目的にジャパンマクニクスを設立。1992年3月マクニカに商号変更。2015年4月富士エレクトロニクスと共同株式移転で経営統合
  • 証券 52(4) 2000年
    • [8]設立年月日は昭和47年10月30日。モットーは「他社と同じことはやらない」。半導体を軸とするエレクトロニクス・情報通信の技術商社
  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
    • [9]経営理念は「足下に種を蒔き続ける」(2000年の会社説明)

富士エレクトロニクスは設立からしばらく、米国各社の製品を正式な代理店契約を持たないまま販売した。最初の正式な契約は1975年6月の日本モトローラとの代理店契約で、TIとの契約は1990年2月までずれ込んだ。1990年時点で株式を公開する半導体関係の商社15〜16社は大半が国内メーカーの系列に属し、ほぼ1社の製品しか扱えなかった。富士エレクトロニクスは外資系の複数メーカーの製品を並べ、外資系半導体が売上高の約70%を占めた。外国系メーカーは国内の上位10社前後の大口顧客へ直販し、それ以外の顧客への販売を商社に委ねた。契約より先に販売実績を積み、系列商社の入れない外資系の間口を押さえたことが、独立系商社の足場になったと思われる。

  • 証券アナリストジャーナル 28(11) 1990年11月 息栖邦夫(企業分析部会 講演要旨)
    • [11]当初は正式な代理店契約なしに米国各社の製品を販売。1975年6月日本モトローラと代理店契約。TIとの正式契約は1990年2月
    • [12]当初は正式な代理店契約なしに米国各社の製品を販売。1975年6月日本モトローラと代理店契約。TIとの正式契約は1990年2月
    • [13]株式公開の半導体関係商社15〜16社のほとんどは国内メーカー系列で1社の製品のみ。富士は複数メーカーを扱い、外資系半導体が売上高の約70%
    • [14]株式公開の半導体関係商社15〜16社のほとんどは国内メーカー系列で1社の製品のみ。富士は複数メーカーを扱い、外資系半導体が売上高の約70%
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年10月 )
    • [15]外国系メーカーは半分程を直販し、上位10社程度へはメーカー直販、それ以外を富士が販売。国産メーカーは100%商社経由
参考文献[1]-[15]
  • 証券アナリストジャーナル 28(11) 1990年11月 息栖邦夫(企業分析部会 講演要旨)
    • [1]1970年9月、息栖邦夫氏が理経を退社し、半導体主体の電子部品・電子機器販売を目的に資本金200万円で設立
    • [2]1970年9月、息栖邦夫氏が理経を退社し、半導体主体の電子部品・電子機器販売を目的に資本金200万円で設立
    • [3]設立当時の半導体は米国優位でTI首位、以下モトローラ・フェアチャイルド・ナショナルセミコンダクター。日本電気はTIの10分の1。米大手が相次ぎ日本に現地法人を設立
    • [4]設立当時の半導体は米国優位でTI首位、以下モトローラ・フェアチャイルド・ナショナルセミコンダクター。日本電気はTIの10分の1。米大手が相次ぎ日本に現地法人を設立
    • [11]当初は正式な代理店契約なしに米国各社の製品を販売。1975年6月日本モトローラと代理店契約。TIとの正式契約は1990年2月
    • [12]当初は正式な代理店契約なしに米国各社の製品を販売。1975年6月日本モトローラと代理店契約。TIとの正式契約は1990年2月
    • [13]株式公開の半導体関係商社15〜16社のほとんどは国内メーカー系列で1社の製品のみ。富士は複数メーカーを扱い、外資系半導体が売上高の約70%
    • [14]株式公開の半導体関係商社15〜16社のほとんどは国内メーカー系列で1社の製品のみ。富士は複数メーカーを扱い、外資系半導体が売上高の約70%
  • マクニカホールディングス「公開買付けの開始に関するお知らせ」2024年1月(公開買付者の沿革)
    • [5]富士エレクトロニクスはメーカー系列にとらわれず外国製半導体を販売する半導体専門商社として事業展開していた
    • [6]1972年10月、神山治貴氏が東京都世田谷区に電子部品等の販売を目的にジャパンマクニクスを設立。1992年3月マクニカに商号変更。2015年4月富士エレクトロニクスと共同株式移転で経営統合
    • [7]1972年10月、神山治貴氏が東京都世田谷区に電子部品等の販売を目的にジャパンマクニクスを設立。1992年3月マクニカに商号変更。2015年4月富士エレクトロニクスと共同株式移転で経営統合
    • [10]1972年10月、神山治貴氏が東京都世田谷区に電子部品等の販売を目的にジャパンマクニクスを設立。1992年3月マクニカに商号変更。2015年4月富士エレクトロニクスと共同株式移転で経営統合
  • 証券 52(4) 2000年
    • [8]設立年月日は昭和47年10月30日。モットーは「他社と同じことはやらない」。半導体を軸とするエレクトロニクス・情報通信の技術商社
  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
    • [9]経営理念は「足下に種を蒔き続ける」(2000年の会社説明)
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年10月 )
    • [15]外国系メーカーは半分程を直販し、上位10社程度へはメーカー直販、それ以外を富士が販売。国産メーカーは100%商社経由

1977年〜テクニカルサービスセンターの技術者と、自社製マイコンJM-1

ジャパンマクニクスは、仕入れた部品を流すだけでなく、顧客の設計を技術で支える商社として事業を組み立てた。2000年の上場時に扱ったASIC、ASSP、PLDは、どれも使いこなすのに高い技術力と知識を要する製品だった。納め先はコンピュータ、通信機器、OA機器の大手メーカー。社長の神山治貴氏は同じ年、競争優位の源泉に技術力、商材開拓力、顧客基盤の3点を挙げ、技術力を筆頭に置いた。最先端のDRAMやインテル製のCPUは付加価値を加えにくい汎用品とみなし、扱わない方針も示した。先端部品は顧客が設計に組み込めて初めて売れるため、技術者を社内に抱える体制が商いの前提になったのだろう。

  • 証券 52(4) 2000年
    • [16]ASIC・ASSP・PLDなどミドルからハイエンドの先端商品を扱い、いずれも高い技術力と知識・ノウハウを要する。大手メーカーに付加価値を加えて提供
    • [17]ASIC・ASSP・PLDなどミドルからハイエンドの先端商品を扱い、いずれも高い技術力と知識・ノウハウを要する。大手メーカーに付加価値を加えて提供
    • [18]ASIC・ASSP・PLDなどミドルからハイエンドの先端商品を扱い、いずれも高い技術力と知識・ノウハウを要する。大手メーカーに付加価値を加えて提供
  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
    • [19]強みは①高い技術力②商材開拓力③強固な顧客基盤。インテルのCPUや最先端DRAMは付加価値を付けられないコモディティとして扱わない
    • [20]強みは①高い技術力②商材開拓力③強固な顧客基盤。インテルのCPUや最先端DRAMは付加価値を付けられないコモディティとして扱わない

ジャパンマクニクスは技術を販売の支えにとどめず、自社で製品を開発する方向へ向けた。マクニカは2000年、自らを販売代理店であると同時に、ICチップや電子装置、ソフトウエアを開発する会社と位置づけた。PLDの書込み装置を国内で初めて開発・販売したのもマクニカであり、世界最大手のデータIO社と市場を分け合った。SCSI用のチップも自ら開発し、それを使ったノートパソコン向けのカードを大手メーカーにOEM供給した実績を持った。PLDは利用者が自らプログラムを書き換えられるICで、回路のデータを書き込んで初めて機能を持つ。部品の目利きに加えて自前の製品を持つことで、商社の中でも技術で付加価値を示す立場を得ようとしたと推し量れる。

  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
    • [21]マクニカ本体はディストリビューター、ソリューションプロバイダー、ICチップ・エレクトロニクス装置・ソフトウエアのデベロッパー
    • [22]マクニカ本体はディストリビューター、ソリューションプロバイダー、ICチップ・エレクトロニクス装置・ソフトウエアのデベロッパー
    • [23]PLD書込み装置を日本で最初に開発販売したのは当社で、世界最大のデータIO社と市場で互角に競った。SCSI用チップを開発し、ノートパソコン用PCMCIA SCSIカードを大手メーカーにOEM供給
    • [24]PLD書込み装置を日本で最初に開発販売したのは当社で、世界最大のデータIO社と市場で互角に競った。SCSI用チップを開発し、ノートパソコン用PCMCIA SCSIカードを大手メーカーにOEM供給
  • 証券 52(4) 2000年
    • [25]PLDはユーザーが独自にプログラム書換え可能なIC
参考文献[16]-[25]
  • 証券 52(4) 2000年
    • [16]ASIC・ASSP・PLDなどミドルからハイエンドの先端商品を扱い、いずれも高い技術力と知識・ノウハウを要する。大手メーカーに付加価値を加えて提供
    • [17]ASIC・ASSP・PLDなどミドルからハイエンドの先端商品を扱い、いずれも高い技術力と知識・ノウハウを要する。大手メーカーに付加価値を加えて提供
    • [18]ASIC・ASSP・PLDなどミドルからハイエンドの先端商品を扱い、いずれも高い技術力と知識・ノウハウを要する。大手メーカーに付加価値を加えて提供
    • [25]PLDはユーザーが独自にプログラム書換え可能なIC
  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
    • [19]強みは①高い技術力②商材開拓力③強固な顧客基盤。インテルのCPUや最先端DRAMは付加価値を付けられないコモディティとして扱わない
    • [20]強みは①高い技術力②商材開拓力③強固な顧客基盤。インテルのCPUや最先端DRAMは付加価値を付けられないコモディティとして扱わない
    • [21]マクニカ本体はディストリビューター、ソリューションプロバイダー、ICチップ・エレクトロニクス装置・ソフトウエアのデベロッパー
    • [22]マクニカ本体はディストリビューター、ソリューションプロバイダー、ICチップ・エレクトロニクス装置・ソフトウエアのデベロッパー
    • [23]PLD書込み装置を日本で最初に開発販売したのは当社で、世界最大のデータIO社と市場で互角に競った。SCSI用チップを開発し、ノートパソコン用PCMCIA SCSIカードを大手メーカーにOEM供給
    • [24]PLD書込み装置を日本で最初に開発販売したのは当社で、世界最大のデータIO社と市場で互角に競った。SCSI用チップを開発し、ノートパソコン用PCMCIA SCSIカードを大手メーカーにOEM供給

1980年〜三菱電機・TDKとの代理店契約と、イーサネット製品JET101・川崎本社

富士エレクトロニクスは1980年12月、三菱電機と代理店契約を結び、国内メーカーの製品を初めて仕入れに加えた。背景にあるのは、国内のICメーカーがメモリーを中心に力を増したことである。息栖邦夫氏は、日本のICメーカーはメモリーに強く、米国系は16ビットや32ビットのCPUに強いと整理していた。1ヵ月前の1980年11月には、ICを世界共通の部品とみて、米カリフォルニア州に現地法人フジ・エレクトロニクス・アメリカ・インクを設けた。国産メーカーは製品の全量を商社経由で販売しており、系列外の商社にも取引の余地があった。CPUの米国系とメモリーの国内勢を両方そろえ、品目の穴をふさぐ判断だったと考えられる。

  • 証券アナリストジャーナル 28(11) 1990年11月 息栖邦夫(企業分析部会 講演要旨)
    • [26]1980年12月、国内ICメーカーが特にメモリーで力をつけてきたため三菱電機と代理店契約
    • [27]1980年12月、国内ICメーカーが特にメモリーで力をつけてきたため三菱電機と代理店契約
    • [28]日本のICメーカーはメモリーに強く、米国系は16・32ビットCPUに強い
    • [29]ICは世界共通部品として早くから海外に目を向け、1980年11月カリフォルニア州にフジ・エレクトロニクス・アメリカ・インクを設立
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年10月 )
    • [30]国産の半導体メーカーは100%商社経由で販売(1995年の質疑応答)

ジャパンマクニクスが手がけた書込み装置の技術は、のちにPLDへ回路データを書き込むサービスへつながった。マクニカのプログラミングセンターは2000年時点でプログラムデータ約7万種類を管理し、月産45万個の書込み体制を持った。ネットワーク製品も事業の一角を占め、1999年3月期の単体売上高38,735百万円のうちネットワーク関連商品は3,528百万円にあたる。連結でもネットワーク事業は売上の10数%を占め、官庁のネットワーク構築を大手SI企業と共同で請け負った。自社で書込み装置を開発した経験が、次の時代のPLD書込みサービスの起点になったと解される。

  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
    • [31]プログラミングセンターでPLD書込みサービス、約7万種類のプログラムデータ管理、月産45万個。書込み装置は当社が日本で最初に開発販売。ネットワーク事業は売上の10数%、官庁ネットワーク構築を大手SIと共同
    • [32]プログラミングセンターでPLD書込みサービス、約7万種類のプログラムデータ管理、月産45万個。書込み装置は当社が日本で最初に開発販売。ネットワーク事業は売上の10数%、官庁ネットワーク構築を大手SIと共同
    • [34]プログラミングセンターでPLD書込みサービス、約7万種類のプログラムデータ管理、月産45万個。書込み装置は当社が日本で最初に開発販売。ネットワーク事業は売上の10数%、官庁ネットワーク構築を大手SIと共同
  • 証券 52(4) 2000年
    • [33]1999年3月期単体の品目別販売実績:ネットワーク関連商品3,528百万円、合計38,735百万円

富士エレクトロニクスは1984年12月、半導体の外にある電子部品へ販売を広げる狙いでTDKと代理店契約を交わしてスイッチング電源とコンバータ類を扱い始めた。1984年2月には東南アジアの流通拠点として香港に富士半導体有限公司を置き、国内で入手しにくい部品の調達経路とした。1990年2月期の売上高を品目別にみると、集積回路が80.2%、システム製品が6.3%、機器機構品が5.3%。富士エレクトロニクスは1990年9月17日に株式を店頭公開した。1995年4月にシンガポールへ現地法人を置き、その期をアジア元年と位置づけた。国内外の仕入れ先と海外拠点を1984年までにそろえたことが、公開企業としての事業の骨格になったといえよう。

  • 証券アナリストジャーナル 28(11) 1990年11月 息栖邦夫(企業分析部会 講演要旨)
    • [35]1984年12月、半導体以外の電子部品の販売拡大を狙いTDKと代理店契約、スイッチング電源・コンバータ類の販売開始
    • [36]1984年2月、東南アジアの流通拠点である香港に富士半導体有限公司を設立。国内で入手できない部品を香港子会社経由で調達
    • [37]1990年2月期の品目別構成比:個別半導体5.6%、集積回路80.2%、機器機構品5.3%、システム製品6.3%、その他2.6%。1990年9月17日店頭公開
    • [38]1990年2月期の品目別構成比:個別半導体5.6%、集積回路80.2%、機器機構品5.3%、システム製品6.3%、その他2.6%。1990年9月17日店頭公開
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年10月 )
    • [39]1995年4月シンガポール現地法人を設立し、当期をアジア元年と位置づけ
参考文献[26]-[39]
  • 証券アナリストジャーナル 28(11) 1990年11月 息栖邦夫(企業分析部会 講演要旨)
    • [26]1980年12月、国内ICメーカーが特にメモリーで力をつけてきたため三菱電機と代理店契約
    • [27]1980年12月、国内ICメーカーが特にメモリーで力をつけてきたため三菱電機と代理店契約
    • [28]日本のICメーカーはメモリーに強く、米国系は16・32ビットCPUに強い
    • [29]ICは世界共通部品として早くから海外に目を向け、1980年11月カリフォルニア州にフジ・エレクトロニクス・アメリカ・インクを設立
    • [35]1984年12月、半導体以外の電子部品の販売拡大を狙いTDKと代理店契約、スイッチング電源・コンバータ類の販売開始
    • [36]1984年2月、東南アジアの流通拠点である香港に富士半導体有限公司を設立。国内で入手できない部品を香港子会社経由で調達
    • [37]1990年2月期の品目別構成比:個別半導体5.6%、集積回路80.2%、機器機構品5.3%、システム製品6.3%、その他2.6%。1990年9月17日店頭公開
    • [38]1990年2月期の品目別構成比:個別半導体5.6%、集積回路80.2%、機器機構品5.3%、システム製品6.3%、その他2.6%。1990年9月17日店頭公開
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年10月 )
    • [30]国産の半導体メーカーは100%商社経由で販売(1995年の質疑応答)
    • [39]1995年4月シンガポール現地法人を設立し、当期をアジア元年と位置づけ
  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
    • [31]プログラミングセンターでPLD書込みサービス、約7万種類のプログラムデータ管理、月産45万個。書込み装置は当社が日本で最初に開発販売。ネットワーク事業は売上の10数%、官庁ネットワーク構築を大手SIと共同
    • [32]プログラミングセンターでPLD書込みサービス、約7万種類のプログラムデータ管理、月産45万個。書込み装置は当社が日本で最初に開発販売。ネットワーク事業は売上の10数%、官庁ネットワーク構築を大手SIと共同
    • [34]プログラミングセンターでPLD書込みサービス、約7万種類のプログラムデータ管理、月産45万個。書込み装置は当社が日本で最初に開発販売。ネットワーク事業は売上の10数%、官庁ネットワーク構築を大手SIと共同
  • 証券 52(4) 2000年
    • [33]1999年3月期単体の品目別販売実績:ネットワーク関連商品3,528百万円、合計38,735百万円

出典・参考

5件
出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 28(11) 1990年11月 息栖邦夫(企業分析部会 講演要旨)
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年10月 )
  • 証券アナリストジャーナル 38(3) 2000年2月 別冊付録(神山治貴社長の会社説明)
  • 証券 52(4) 2000年
  • マクニカホールディングス「公開買付けの開始に関するお知らせ」2024年1月(公開買付者の沿革)

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