JT:日本たばこ産業の発足と鳥居薬品の買収
1985年〜長岡實社長の株式会社、関税ゼロで失った240億本、呼び名「JT」と従量税
1985年4月1日、日本専売公社は全財産を出資して日本たばこ産業株式会社に改組し、公社の権利義務を一切引き継いだ。出資財産は8,364億円と評価され、割り当てた200万株は政府に無償で譲られ、全株が大蔵大臣の持ち分になった。社長には公社総裁の長岡實氏が就き、副総裁の石井忠順氏が副社長として並んだ。長岡氏は1980年に大蔵事務次官を退いた大蔵官僚である。株式会社となって業務の範囲は広がった一方、たばこ事業法は国内の製造独占と引き換えに国産葉たばこの全量買い入れを課した。会社法は政府に株式の2分の1以上、当分は3分の2以上の保有を求めた。長岡氏は1987年の対談で『株式会社というのは、一旦成立したら、どんな事情変更があろうとも、自分の力で自分の将来を切り開いていかなければならない』と語った。独占の外枠を残したまま、自力で稼ぐ責任だけを先に負う出発だったとみられる。
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1985年4月1日、公社財産の全額出資により日本たばこ産業株式会社が設立され、公社の一切の権利義務を承継した
- 証券 1994年 46巻12号
- [2]設立時に公社の出資財産を8,364億円とし、200万株を割り当て、この株式は政府に無償譲渡された(大株主は大蔵大臣100%)
- 官界通信 1985年「日本たばこ産業社長に長岡氏、副社長に石井氏」
- [3]創立総会後の取締役会で長岡実専売公社総裁を代表取締役社長、石井忠順副総裁を代表取締役副社長に選出した
- Decide 1986年5月号
- [4]長岡實氏は大蔵事務次官を最後に1980年(昭和55年)に大蔵省を退官した
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- [5]たばこ事業法はJTの製造独占と国内産葉たばこの全量買い入れ義務を定めた
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号
- [6]日本たばこ産業株式会社法は政府に発行済株式の2分の1以上(当分の間3分の2以上)の保有を義務づけた
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」
- [7]長岡社長は、会社になったことで業務範囲が拡大し多角化も認められるようになった一方、自力で将来を切り開く責任を負ったと述べた
1986年5月のたばこ増税で国産品は値上げを強いられたが、円高差益のある輸入品は価格を据え置き、内外の価格差は1箱20円縮まった。1986年度上半期の販売数量は、前年同期に比べて国産品が2%ほど減り、輸入品は5割以上増えた。米国は通商法301条を背景に製造独占の廃止か関税の撤廃を迫り、1987年4月に紙巻たばこの関税は20%から無税になった。長岡社長は民営化の時点で『5年後には輸入たばこのシェアは5%位までにはなるだろう』と見込んでいた。しかし外国勢は関税撤廃後の値下げと日本向けの商品開発で、その見通しを大きく上回る速さで売り場を広げた。1987年度までの2年余りでJTが失った市場は240億本、金額で約3,000億円に及んだ。1988年3月期と1989年3月期は2期続けて減益となった。
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」
- [8]1986年5月1日のたばこ増税で国産品は値上げしたが、円高差益のある輸入品は値上げせず、内外製品の価格差が1箱20円縮まった
- [9]1986年度上半期の販売数量は前年同期比で国産品が約2%減、輸入品が50%以上増だった
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」/証券アナリストジャーナル 1993年5月号「日本たばこ産業」(鈴木達郎副社長)
- [10]米国は通商法301条を背景に製造独占の廃止か関税ゼロを求め、日米協議の結果1987年4月に輸入たばこの関税が20%から無税になった
- 日本経済新聞(1987年6月22日)
- [11]長岡社長は民営化移行時に、5年後の輸入たばこのシェアを5%程度と見込んでいた
- [12]輸入たばこは1987年4月の関税撤廃で価格を下げ、日本向け商品を開発して攻勢をかけ、長岡社長の予想を超える速さで伸びた
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- [13]1987年度までの2年余りで240億本、金額で約3,000億円の市場を失った
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [14]1988年3月期、1989年3月期は2期連続の減益となった
シェアの流出に対し、JTはマイルドセブンやキャビンを軸にした銘柄群で品ぞろえを組み、全国約28万店の店頭と自動販売機で露出を増やした。1988年10月にはコミュニケーション・ネーム「JT」を導入し、同じ年に1mgのフロンティアライトを出して低タールの需要を取りに行った。収益を支えたのは、1989年の消費税導入に合わせた税制改正だった。たばこ税は価格比例から1箱132円の定額に変わり、高価格の銘柄ほどメーカーの取り分が厚くなった。JTは高価格帯の比率を3割まで上げ、たばこ事業本部長の本田勝彦専務は『それでもあの税制改正がなければ今のような利益はない』と振り返った。それでも販売シェアは1986年3月期の97.6%から1994年3月期の82.1%まで下がった。
- 証券 1994年 46巻12号
- [15]外国紙巻たばこの関税無税化後、マイルドセブン、キャビン等の主力銘柄群で品ぞろえを強化し、約28万店の小売店の店頭・自動販売機で露出を高める販促を行った
- [21]JTの販売シェアは1986年3月期の97.6%から1994年3月期に82.1%へ低下した
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [16]1988年10月、コミュニケーション・ネーム「JT」を導入した
- 証券アナリストジャーナル 1998年10月号(染谷守彦副社長)
- [17]1988年に超低タールのフロンティアライト(1mg)を開発・発売した
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [18]1989年の消費税導入時に、たばこ税が従価税から1箱(20本入り)132円の従量税に変わった
- [20]JTは高価格帯商品の比率を全体の3割まで高め、税制改正はJTが陳情した結果だと本田勝彦専務が述べた
- 日経ビジネス 1997年1月6日号(染谷守彦副社長)
- [19]従量税の下では価格の高い商品ほどメーカーの採算が改善する。1箱当たりの税額が同じため240円以上の製品は原価差以上に付加価値がつく
参考文献[1]-[21]
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1985年4月1日、公社財産の全額出資により日本たばこ産業株式会社が設立され、公社の一切の権利義務を承継した
- [16]1988年10月、コミュニケーション・ネーム「JT」を導入した
- 証券 1994年 46巻12号
- [2]設立時に公社の出資財産を8,364億円とし、200万株を割り当て、この株式は政府に無償譲渡された(大株主は大蔵大臣100%)
- [15]外国紙巻たばこの関税無税化後、マイルドセブン、キャビン等の主力銘柄群で品ぞろえを強化し、約28万店の小売店の店頭・自動販売機で露出を高める販促を行った
- [21]JTの販売シェアは1986年3月期の97.6%から1994年3月期に82.1%へ低下した
- 官界通信 1985年「日本たばこ産業社長に長岡氏、副社長に石井氏」
- [3]創立総会後の取締役会で長岡実専売公社総裁を代表取締役社長、石井忠順副総裁を代表取締役副社長に選出した
- Decide 1986年5月号
- [4]長岡實氏は大蔵事務次官を最後に1980年(昭和55年)に大蔵省を退官した
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- [5]たばこ事業法はJTの製造独占と国内産葉たばこの全量買い入れ義務を定めた
- [13]1987年度までの2年余りで240億本、金額で約3,000億円の市場を失った
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号
- [6]日本たばこ産業株式会社法は政府に発行済株式の2分の1以上(当分の間3分の2以上)の保有を義務づけた
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」
- [7]長岡社長は、会社になったことで業務範囲が拡大し多角化も認められるようになった一方、自力で将来を切り開く責任を負ったと述べた
- [8]1986年5月1日のたばこ増税で国産品は値上げしたが、円高差益のある輸入品は値上げせず、内外製品の価格差が1箱20円縮まった
- [9]1986年度上半期の販売数量は前年同期比で国産品が約2%減、輸入品が50%以上増だった
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」/証券アナリストジャーナル 1993年5月号「日本たばこ産業」(鈴木達郎副社長)
- [10]米国は通商法301条を背景に製造独占の廃止か関税ゼロを求め、日米協議の結果1987年4月に輸入たばこの関税が20%から無税になった
- 日本経済新聞(1987年6月22日)
- [11]長岡社長は民営化移行時に、5年後の輸入たばこのシェアを5%程度と見込んでいた
- [12]輸入たばこは1987年4月の関税撤廃で価格を下げ、日本向け商品を開発して攻勢をかけ、長岡社長の予想を超える速さで伸びた
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [14]1988年3月期、1989年3月期は2期連続の減益となった
- [18]1989年の消費税導入時に、たばこ税が従価税から1箱(20本入り)132円の従量税に変わった
- [20]JTは高価格帯商品の比率を全体の3割まで高め、税制改正はJTが陳情した結果だと本田勝彦専務が述べた
- 証券アナリストジャーナル 1998年10月号(染谷守彦副社長)
- [17]1988年に超低タールのフロンティアライト(1mg)を開発・発売した
- 日経ビジネス 1997年1月6日号(染谷守彦副社長)
- [19]従量税の下では価格の高い商品ほどメーカーの採算が改善する。1箱当たりの税額が同じため240円以上の製品は原価差以上に付加価値がつく
1986年〜1兆300億円の葉たばこ在庫、福岡・鳥栖工場の廃止、アグリと医薬総合研究所
発足時の最大の重荷は、公社の増産政策が残した1兆300億円の葉たばこ在庫だった。JTは減反の奨励金を上乗せして小規模農家の離農を促した。耕作面積は発足直前の5万3,000ヘクタールから1993年には2万7,000ヘクタールへほぼ半分になった。葉たばこ在庫は1996年3月期末に4,571億円まで減った。同時に、国産葉が輸入葉の2〜3倍と割高だったため、輸入葉への置き換えを進めた。原料に占める外国産葉の比率は公社時代の3割から6割に上がり、1ポイントごとに約40億円の増益要因となった。国産葉の全量買い入れという義務は外せないため、買い入れの対象になる耕作面積のほうを縮めて在庫と原価を下げた手順だったと言える。
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [22]株式会社化の際、専売公社時代の増産政策で生じた1兆300億円の葉たばこ在庫を引き継いだ
- [23]株式会社化を機に減反奨励金を上乗せして小規模の葉たばこ農家の撤退を促した
- [25]葉たばこの在庫水準は1996年3月期末で4,571億円と当初の半分以下になった
- [27]原料に占める外国産葉の比率は専売公社時代の3割から6割に達し、比率1%の上昇で40億円の増益要因となる
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- [24]耕作者の協力で葉たばこ耕作面積を設立直前の5万3,000ヘクタールから2万7,000ヘクタールへほぼ半減させ、過剰在庫は解消のめどが立った
- 証券 1994年 46巻12号
- [26]国内葉たばこは輸入葉たばこの2〜3倍の価格で割高であり、JTは葉たばこの置換で原価低減を図った
工場の集約は1986年3月、福岡と鳥栖の2工場を閉じて北九州工場を設けたことに始まった。発足時に35あったたばこ工場は1994年3月末に26となり、1998年には25まで減った。巻上機は毎分4,000〜5,000本の機種から8,000本の高速機へ入れ替えた。宇都宮の北関東工場は28台で年約300億本を生産しつつ、社員を900人から330人に減らした。社員全体は1985年度末の3万1,000人から1993年には2万4,000人に減った。1986〜87年には退職金の割増を受けて4,000人近くが早期に退職した。社員1人当たりの付加価値額は1990年3月期の860万円から1996年3月期の1,640万円へほぼ倍増した。
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [28]1986年3月、たばこ製造の近代化・効率化のため福岡・鳥栖両工場を廃止し、北九州工場を設置した
- 証券 1994年 46巻12号
- [29]たばこ工場の数は会社化当初の35から1994年3月末には26に減少した
- 証券アナリストジャーナル 1998年10月号(染谷守彦副社長)
- [30]1998年時点でたばこ製造工場は25工場、社員数は2万800人となった
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- [31]たばこ製造機械を毎分4,000〜5,000本のものから8,000本の高速機に切り替えた
- [33]従業員は1985年度末の3万1,000人から1993年に2万4,000人へ7,000人減った
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [32]北関東工場は毎分8,000本の高速機28台で年約300億本を生産し、社員数は900人から330人に減った
- [34]1986〜87年に定年を控えた社員数がピークとなり、退職割増金を出したこともあって4,000人近くが早期退職した
- [35]社員1人当たりの付加価値額は1990年3月期の860万円から1996年3月期の1,640万円へほぼ倍増した
たばこの消費が横ばいから微減に移るなか、長岡社長はたばこに次ぐ第二の事業を最大の課題に据えた。選ぶ条件は、JTが手がけて不自然でない分野であることと、競争で強みを持てることの二つだった。本命は葉たばこの研究で抱えてきた農業とバイオの専門家を生かすアグリビジネスで、医薬はその延長に置いた。組織は1985年4月の事業開発本部から始まり、1990年7月までに医薬、アグリ、食品などの事業部に分かれた。1993年には大阪府茨木市に400億円を投じて医薬総合研究所を設け、医薬の研究者は330人を数えた。ただ1994年3月期の新規事業の売上高は352億8,000万円で、利益への貢献はまだなかった。
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」
- [36]長岡社長は、国内のたばこ消費が横ばいから微減に転じるなか、たばこに次ぐ第二の事業の実現を最大の課題とした
- [37]第二の事業の条件を、JTが手がけても納得される分野であることと競争上の強みがあることの2点とした
- [38]試験研究機関の農業・バイオの専門家を生かすアグリビジネスを第二の事業に挙げ、その研究から製薬への発展も見込んだ
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券 1994年 46巻12号「新規上場会社紹介 日本たばこ産業株式会社」
- [39]1985年4月に事業開発本部を設置し、1990年7月までに同本部を改組して医薬、アグリ、食品等の事業部を設置した
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [40]1993年に大阪府茨木市に400億円を投じて医薬総合研究所を設立した
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- [41]1993年時点で医薬事業の研究者は330人だった
- 証券 1994年 46巻12号
- [42]1994年3月期の新規事業合計の売上高は352億8,000万円で、利益面で貢献するには至っていなかった
参考文献[22]-[42]
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [22]株式会社化の際、専売公社時代の増産政策で生じた1兆300億円の葉たばこ在庫を引き継いだ
- [23]株式会社化を機に減反奨励金を上乗せして小規模の葉たばこ農家の撤退を促した
- [25]葉たばこの在庫水準は1996年3月期末で4,571億円と当初の半分以下になった
- [27]原料に占める外国産葉の比率は専売公社時代の3割から6割に達し、比率1%の上昇で40億円の増益要因となる
- [32]北関東工場は毎分8,000本の高速機28台で年約300億本を生産し、社員数は900人から330人に減った
- [34]1986〜87年に定年を控えた社員数がピークとなり、退職割増金を出したこともあって4,000人近くが早期退職した
- [35]社員1人当たりの付加価値額は1990年3月期の860万円から1996年3月期の1,640万円へほぼ倍増した
- [40]1993年に大阪府茨木市に400億円を投じて医薬総合研究所を設立した
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- [24]耕作者の協力で葉たばこ耕作面積を設立直前の5万3,000ヘクタールから2万7,000ヘクタールへほぼ半減させ、過剰在庫は解消のめどが立った
- [31]たばこ製造機械を毎分4,000〜5,000本のものから8,000本の高速機に切り替えた
- [33]従業員は1985年度末の3万1,000人から1993年に2万4,000人へ7,000人減った
- [41]1993年時点で医薬事業の研究者は330人だった
- 証券 1994年 46巻12号
- [26]国内葉たばこは輸入葉たばこの2〜3倍の価格で割高であり、JTは葉たばこの置換で原価低減を図った
- [29]たばこ工場の数は会社化当初の35から1994年3月末には26に減少した
- [42]1994年3月期の新規事業合計の売上高は352億8,000万円で、利益面で貢献するには至っていなかった
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [28]1986年3月、たばこ製造の近代化・効率化のため福岡・鳥栖両工場を廃止し、北九州工場を設置した
- 証券アナリストジャーナル 1998年10月号(染谷守彦副社長)
- [30]1998年時点でたばこ製造工場は25工場、社員数は2万800人となった
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」
- [36]長岡社長は、国内のたばこ消費が横ばいから微減に転じるなか、たばこに次ぐ第二の事業の実現を最大の課題とした
- [37]第二の事業の条件を、JTが手がけても納得される分野であることと競争上の強みがあることの2点とした
- [38]試験研究機関の農業・バイオの専門家を生かすアグリビジネスを第二の事業に挙げ、その研究から製薬への発展も見込んだ
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券 1994年 46巻12号「新規上場会社紹介 日本たばこ産業株式会社」
- [39]1985年4月に事業開発本部を設置し、1990年7月までに同本部を改組して医薬、アグリ、食品等の事業部を設置した
1994年〜水野勝社長と143万8,000円の売出し、塩専売の終了、鳥居薬品の公開買付
上場を控えた1994年6月、6年務めた水野繁社長が退き、元国税庁長官で前年からJT顧問を務めていた水野勝氏が社長に就いた。水野氏は大蔵省で主税畑を歩き、主税局長としてたばこの増税を指揮した税制の専門家である。同年10月27日、JTは東京、大阪、名古屋の各証券取引所第1部に上場し、政府は大蔵大臣が持つ200万株のうち39万4,276株を売り出した。入札を経て一般の売出価格は143万8,000円に決まり、申込倍率は18.2倍に達した。ただ直前の調査で証券会社が見た妥当な株価の平均は98万円にとどまった。野村証券の田淵節也相談役は、入札の透明性を欠いたこの売出しを『売り出しは悲劇的な失敗でした』と評した。
- 官界通信 1994年「JT社長に水野勝元国税庁長官(JT顧問)」/月刊政治と経済 1994年11月号「日本たばこ産業社長――水野勝氏」
- [43]水野繁社長が在任6年を機に退任し、元国税庁長官で前年からJT顧問の水野勝氏が1994年6月の株主総会後に社長に就任した
- 月刊政治と経済 1994年11月号「日本たばこ産業社長――水野勝氏」
- [44]水野勝氏は大蔵省で主税畑を歩み、主税局長としてたばこ消費税の増税を指揮した
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券 1994年 46巻12号「新規上場会社紹介 日本たばこ産業株式会社」
- [45]1994年10月、政府保有株式の第一次売出し(394,276株)を行い、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部に上場した
- 日経ビジネス 1994年10月3日号
- [46]入札人気で売出価格は143万8,000円に決まり、売出しの申込倍率は18.2倍だった
- [47]QUICK総合研究所の入札直前の調査で、JT株の妥当価格は証券会社回答の平均98万円、投資家85万円だった
- 日経ビジネス 1995年1月23日号
- [48]田淵節也野村証券相談役はJT株の売出しを失敗と評し、入札の透明性の欠如を指摘した
上場後の株価は売出価格を割り込み、1996年には約80万円で推移して、年7,000円の配当の利回りは0.9%だった。1996年6月には第二次の売出しで27万2,390株を放出し、政府に保有義務のない3分の1の売却を終えた。在庫の圧縮とたばこの現金収入が重なり、1996年3月期の金融資産は5,700億円に積み上がったが、ROEは5.47%にとどまった。財務担当の副社長は増配も自社株買いも予定しないとし、企画部長は大型買収を率いる人材とノウハウが無いと述べていた。国内の販売シェアも1996年上期には78.0%まで下がった。大蔵省が3分の2を握る体制のもとで、稼いだ現金を株主にも投資にも回しにくい状態が続いたとみられる。
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [49]1996年時点でJTの株価は約80万円、配当は7,000円で利回りは0.9%だった
- [51]1996年3月期の金融資産は5,700億円に膨らみ、ROEは5.47%だった
- [52]財務担当の副社長は増配・自社株買いの予定はないとし、企画部長は大型買収をしても経営できる人材もノウハウもないと述べた
- [53]JTの国内たばこ販売シェアは輸入自由化前の97.6%から1996年上期に78.0%へ低下した
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券アナリストジャーナル 1998年10月号「日本たばこ産業」(染谷守彦副社長)
- [50]1996年6月に政府保有株式の第二次売出し(272,390株)を行い、政府の保有義務のない株式(発行済株式の3分の1)の売出しを完了した
1997年4月、塩専売制度の廃止に伴って、公社から受け継いだ塩の専売事業が終わった。染谷守彦副社長は1998年9月、たばこを中核に据えたまま多角化と国際化で伸びることを経営目標に置き、国内たばこについては『一国単品事業という状態にはおのずと限界がある』との見方を示したうえで、そこから得る現金を海外たばこ・医薬・食品に回す考えを明らかにした。海外たばこでは1992年に英国の「マンチェスターたばこ社」を買収しており、1997年度に海外で売った本数は181億本だった。医薬は米アグロン社との共同開発品である抗HIV薬「ビラセプト」の売上が伸び、飲料も桃の天然水が見込みを超えて売れた。1998年のうちに、4月にはユニマットコーポレーションと清涼飲料で手を組み、12月には公開買付で鳥居薬品株の過半を握った。
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券アナリストジャーナル 1998年10月号「日本たばこ産業」(染谷守彦副社長)
- [54]1997年4月、塩専売制度廃止に伴い、JTの塩専売事業が終了した
- 証券アナリストジャーナル 1998年10月号(染谷守彦副社長)
- [55]経営目標に「たばこを中核とする多角化・国際化成長企業」を掲げた
- [56]国内たばこ事業の安定的なキャッシュフローを海外たばこ事業・医薬事業・食品事業に集中的に投入する方針を示した
- [57]1992年に英国のマンチェスターたばこ社を傘下に収め、1997年度の海外たばこ販売数量は181億本だった
- [58]米国アグロン社と共同開発した抗HIV薬「ビラセプト」で医薬事業の売上を伸ばし、飲料の桃の天然水は予想を大きく上回る売上だった
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [59]1998年4月にユニマットコーポレーションと清涼飲料事業で業務提携し、1998年12月に鳥居薬品の発行済株式の過半数を公開買付により取得した
参考文献[43]-[59]
- 官界通信 1994年「JT社長に水野勝元国税庁長官(JT顧問)」/月刊政治と経済 1994年11月号「日本たばこ産業社長――水野勝氏」
- [43]水野繁社長が在任6年を機に退任し、元国税庁長官で前年からJT顧問の水野勝氏が1994年6月の株主総会後に社長に就任した
- 月刊政治と経済 1994年11月号「日本たばこ産業社長――水野勝氏」
- [44]水野勝氏は大蔵省で主税畑を歩み、主税局長としてたばこ消費税の増税を指揮した
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券 1994年 46巻12号「新規上場会社紹介 日本たばこ産業株式会社」
- [45]1994年10月、政府保有株式の第一次売出し(394,276株)を行い、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部に上場した
- 日経ビジネス 1994年10月3日号
- [46]入札人気で売出価格は143万8,000円に決まり、売出しの申込倍率は18.2倍だった
- [47]QUICK総合研究所の入札直前の調査で、JT株の妥当価格は証券会社回答の平均98万円、投資家85万円だった
- 日経ビジネス 1995年1月23日号
- [48]田淵節也野村証券相談役はJT株の売出しを失敗と評し、入札の透明性の欠如を指摘した
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- [49]1996年時点でJTの株価は約80万円、配当は7,000円で利回りは0.9%だった
- [51]1996年3月期の金融資産は5,700億円に膨らみ、ROEは5.47%だった
- [52]財務担当の副社長は増配・自社株買いの予定はないとし、企画部長は大型買収をしても経営できる人材もノウハウもないと述べた
- [53]JTの国内たばこ販売シェアは輸入自由化前の97.6%から1996年上期に78.0%へ低下した
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券アナリストジャーナル 1998年10月号「日本たばこ産業」(染谷守彦副社長)
- [50]1996年6月に政府保有株式の第二次売出し(272,390株)を行い、政府の保有義務のない株式(発行済株式の3分の1)の売出しを完了した
- [54]1997年4月、塩専売制度廃止に伴い、JTの塩専売事業が終了した
- 証券アナリストジャーナル 1998年10月号(染谷守彦副社長)
- [55]経営目標に「たばこを中核とする多角化・国際化成長企業」を掲げた
- [56]国内たばこ事業の安定的なキャッシュフローを海外たばこ事業・医薬事業・食品事業に集中的に投入する方針を示した
- [57]1992年に英国のマンチェスターたばこ社を傘下に収め、1997年度の海外たばこ販売数量は181億本だった
- [58]米国アグロン社と共同開発した抗HIV薬「ビラセプト」で医薬事業の売上を伸ばし、飲料の桃の天然水は予想を大きく上回る売上だった
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [59]1998年4月にユニマットコーポレーションと清涼飲料事業で業務提携し、1998年12月に鳥居薬品の発行済株式の過半数を公開買付により取得した
1985年〜1998年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1985年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 連結 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 連結 | 33,334 | n/a | 503 | 1.5% | n/a |
| 1994年03月期 | 連結 | 33,935 | +1.8% | 636 | 1.9% | 医薬総合研究所を設置(1993/09) |
| 1995年03月期 | 連結 | 35,024 | +3.2% | 694 | 2.0% | n/a |
| 1996年03月期 | 連結 | 35,488 | +1.3% | 679 | 1.9% | n/a |
| 1997年03月期 | 連結 | 36,974 | +4.2% | 801 | 2.2% | n/a |
| 1998年03月期 | 連結 | 35,969 | ▲2.7% | 580 | 1.6% | n/a |
出所:ファクトブック2002、有価証券報告書
出典・参考
18件
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券 1994年 46巻12号「新規上場会社紹介 日本たばこ産業株式会社」
- 日本たばこ産業 有価証券報告書 第41期(2025年12月期)【沿革】/証券アナリストジャーナル 1998年10月号「日本たばこ産業」(染谷守彦副社長)
- Decide 1986年5月号
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」
- 財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」/証券アナリストジャーナル 1993年5月号「日本たばこ産業」(鈴木達郎副社長)
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号(鈴木達郎副社長)
- 証券アナリストジャーナル 1993年5月号
- 証券 1994年 46巻12号
- 官界通信 1994年「JT社長に水野勝元国税庁長官(JT顧問)」/月刊政治と経済 1994年11月号「日本たばこ産業社長――水野勝氏」
- 月刊政治と経済 1994年11月号「日本たばこ産業社長――水野勝氏」
- 日経ビジネス 1994年10月3日号
- 日経ビジネス 1995年1月23日号
- 日経ビジネス 1997年1月6日号
- 日経ビジネス 1997年1月6日号(染谷守彦副社長)
- 証券アナリストジャーナル 1998年10月号(染谷守彦副社長)
- 日本経済新聞(1987年6月22日)
- 官界通信 1985年「日本たばこ産業社長に長岡氏、副社長に石井氏」