第1章 年〜年

JT:日本専売公社の設立とホープの発売

1949年〜マッカーサー書簡による公社化と、33工場のうち14工場が被災した製造基盤

占領下の労働政策から生まれた公社

日本専売公社は、専売局の経営を改めたいという内側の要求からではなく、占領下の労働政策の帰結として生まれた組織である。1948年7月、マッカーサー元帥は芦田首相あての書簡で、鉄道と塩・しょう脳・たばこの政府事業を公共企業体に任せる道を示した。大蔵省が8月に設けた専売事業審議会は、財政収入を重く見る立場から、官庁の専売局を残して能率を改める案が最適とする中間報告を9月に出している。ところが総司令部のリーガル・セクションは公社案を強く求め、法制局と専売局は非公式案を土台に徹夜で法案をまとめた。法案は11月11日に第3回臨時国会へ提出され、同月のうちに成立した。経営形態は日本側が比べて選んだのではなく、選べる幅が狭まった末に決まったとみられる。

  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第1節 日本専売公社法の制定」
    • [1]マッカーサー書簡は国家公務員法改正問題に関するもので、政府職員の団体交渉権・争議権の制限と関連して専売事業の機構に言及
    • [2]1948年7月22日 マッカーサー書簡が鉄道・塩・しょう脳・たばこ事業の公共企業体化を示唆
    • [3]1948年9月29日 専売事業審議会が専売局存続と能率化を適当とする中間報告を提出
    • [4]総司令部リーガル・セクションの要請で専売局の非公式案を基礎に法制局と徹夜で法案を審議
    • [5]1948年11月11日 日本専売公社法案を第3回臨時国会に提出、11月30日衆参両院で可決
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第2節 日本専売公社設立準備の状況」
    • [6]1948年11月 国会で日本専売公社法が成立
専売局の財産を元手に、利益は国庫へ

政府は専売局特別会計に属していた財産をそのまま出資に充て、それが公社の資本金になった。公社が受け持ったのはたばこ、塩、しょう脳という3つの専売にとどまらず、耕作を許し、販売人を指定し、取り締まるという国の公権も委ねられ、法案づくりで議論が最も割れたのはここだった。会計には原則として国の法令が及び、予算は閣議を通して国会へ出し、利益金は年度ごとに全額を国庫へ納めると定められた。米国のテネシー峡谷開発局を手本に仰ぎはしたが、専売の第一の目的が財政収入である以上、制度の骨格は専売局時代のまま残された。1949年5月30日、専売事業審議会が日糖興業副社長の秋山孝之輔氏を初代総裁に推し、6月1日に公社は公共企業体として発足した。稼いだ利益を自らの投資に回せない制約は、発足の時点で制度に組み込まれていた。

  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第1節 日本専売公社法の制定」
    • [7]資本金は専売局特別会計に属する財産を政府が出資
    • [8]たばこ・塩・しょう脳の3専売と、許可・販売人指定・専売取締などの国家的公権を公社に行わせる
    • [9]専売権という国家的公権を国と別人格の公社に行わせる点が法案作成で最も問題となった
    • [10]公社の予算は閣議決定を経て国会に提出、利益金は全額国庫に納付
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第2節 日本専売公社設立準備の状況」
    • [11]公社法はTVAに範をとったが、財政収入確保を第一とし専売制度の継続を前提とした
    • [12]1949年5月30日 専売事業審議会が日糖興業副社長秋山孝之輔を初代総裁に推薦、6月1日大蔵大臣が任命
  • 証券 1994年46巻12号
    • [13]1949年6月 日本専売公社法に基づく公共企業体として発足
原料と工場の半減から出発した供給

公社が引き継いだ事業は、原料と工場のどちらも戦前の水準を大きく割り込んでいた。葉たばこの収穫は1940年度の9,646万キログラムを頂点に減り、1946年度には2,812万キログラムと3割弱にまで縮んだ。製造工場は全国33か所のうち14か所が戦災を受け、戦前に約800億本あった年間製造能力は350億本程度に落ちていた。専売局は1948年度、耕作者ごとに収納の責任量目を定め、超過分に2倍の報償金を出す増産策を打った。この年の収穫は9,900万キログラムと、専売開始以来の最高を記録した。工場は1947年度から復旧に入り、1950年度には年間839億本の製造設備を備えるまでに戻った。公社の最初の10年の仕事は、需要を掘り起こすことより、供給の穴を埋めることから始まった。

  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
    • [14]終戦直後のたばこ専売事業は原料葉たばこ・製造能力とも戦前を大きく下回り、専売制度創始以来最大の危機
    • [15]葉たばこ収穫 1940年度9,646万kg、1946年度2,812万kg(収穫高で29%)
    • [16]終戦時 製造工場33のうち14が被災、年間製造能力は戦前約800億本から350億本程度へ低下
    • [17]1948年度 耕作者ごとの収納責任量目の設定と超過分への2倍の報償金
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第2節 葉たばこの生産」
    • [18]1948年度 葉たばこ収穫9,900万kgで専売制度創始以来の最高記録
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第4節 たばこの製造」
    • [19]1950年度 戦災工場の復旧完了、製造設備能力は年間計839億本
参考文献[1]-[19]
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第1節 日本専売公社法の制定」
    • [1]マッカーサー書簡は国家公務員法改正問題に関するもので、政府職員の団体交渉権・争議権の制限と関連して専売事業の機構に言及
    • [2]1948年7月22日 マッカーサー書簡が鉄道・塩・しょう脳・たばこ事業の公共企業体化を示唆
    • [3]1948年9月29日 専売事業審議会が専売局存続と能率化を適当とする中間報告を提出
    • [4]総司令部リーガル・セクションの要請で専売局の非公式案を基礎に法制局と徹夜で法案を審議
    • [5]1948年11月11日 日本専売公社法案を第3回臨時国会に提出、11月30日衆参両院で可決
    • [7]資本金は専売局特別会計に属する財産を政府が出資
    • [8]たばこ・塩・しょう脳の3専売と、許可・販売人指定・専売取締などの国家的公権を公社に行わせる
    • [9]専売権という国家的公権を国と別人格の公社に行わせる点が法案作成で最も問題となった
    • [10]公社の予算は閣議決定を経て国会に提出、利益金は全額国庫に納付
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第2節 日本専売公社設立準備の状況」
    • [6]1948年11月 国会で日本専売公社法が成立
    • [11]公社法はTVAに範をとったが、財政収入確保を第一とし専売制度の継続を前提とした
    • [12]1949年5月30日 専売事業審議会が日糖興業副社長秋山孝之輔を初代総裁に推薦、6月1日大蔵大臣が任命
  • 証券 1994年46巻12号
    • [13]1949年6月 日本専売公社法に基づく公共企業体として発足
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
    • [14]終戦直後のたばこ専売事業は原料葉たばこ・製造能力とも戦前を大きく下回り、専売制度創始以来最大の危機
    • [15]葉たばこ収穫 1940年度9,646万kg、1946年度2,812万kg(収穫高で29%)
    • [16]終戦時 製造工場33のうち14が被災、年間製造能力は戦前約800億本から350億本程度へ低下
    • [17]1948年度 耕作者ごとの収納責任量目の設定と超過分への2倍の報償金
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第2節 葉たばこの生産」
    • [18]1948年度 葉たばこ収穫9,900万kgで専売制度創始以来の最高記録
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第4節 たばこの製造」
    • [19]1950年度 戦災工場の復旧完了、製造設備能力は年間計839億本

1950年〜ピース値上げと新生の台頭、いこいとホープによる銘柄の組み直し

配給制の終わりと値下げ

1950年4月1日、1944年11月から続いた割当配給制が終わり、たばこは完全な自由販売に戻った。戦後の数年は値上げが続き、自由販売品のピースは発売時の7円から公社発足時の60円へ、3年半で9倍近くに上がっていた。自由販売への移行と同時に定価を大きく下げ、1951年度の初めにも再び下げた。そこへ朝鮮戦争の特需が重なり、同年度の売上高は専売の歴史で最高となった。原料では1950年度を境に量を追う方針から品質を追う方針へ移り、黄色種の増産と輸入種子による品種改良に施策を集めた。1955年度の製造高は1,053億本に達したが、前年度からの伸びは1%程度にとどまった。値下げと品質向上で数量を伸ばす手が、発足6年で限界に近づいていたと推察される。

  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
    • [20]1944年11月から実施の割当配給制を終え、1950年4月1日に完全自由販売制へ復帰
    • [21]自由販売品ピースの小売定価 発売当初7円から1949年6月60円へ(3年半で9倍近く)
    • [22]1950年4月の完全自由販売への復帰と同時に大幅値下げ、1951年度当初にさらに大幅値下げ
    • [23]朝鮮動乱の特需で1951年度に専売史上空前の売上高
    • [24]1950年度を転機に葉たばこ生産を量産第一主義から品質主義へ移行、黄色種の増産と品種改良
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第4節 たばこの製造」
    • [25]1955年度の製造高1,053億本、前年度比1%程度の増加
新生ブームと中級品いこい

公社が1955年10月にバールを、翌年4月1日に1個50円のいこいを売り出したのは、上級品は質を高めれば価格に見合って売れるという見立てが崩れたからである。発端は1954年4月にピースの価格を引き上げたことだった。ピースを離れた客が光に流れるとの読みは当たらず、1954年度の販売はピースが前年度比51.6%、光も同83.7%まで減った。首位の銘柄に立ったのは味の軽い新生で、全体の数量のおよそ4割を握った。中級品に回すはずの葉が下級品へ振り向けられ、新生の質が一段と高まるという循環まで起きた。国産の葉だけで組んだいこいは、初年度に245億本を売り、393億本を売った新生に次いだ。工場はいこいの増産に追われ、同年3月にはピースも45円から40円に下げられた。数量の支柱を大衆品に置き、上級品は値下げで下支えする品揃えへ移ったといえる。

  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第5節 たばこの販売」
    • [26]1955年10月 バール発売、1956年4月1日 いこい(1個50円)発売
    • [27]1954年4月のピース値上げを契機に新生が流行
    • [28]1954年4月のピース値上げ後、1954年度のピースは前年度比51.6%、光は83.7%
    • [29]新生が総数量の約4割を占める最大銘柄となり、中級品用の葉の転用で品質が上がり需要が一層増加
    • [30]いこいは国産葉のみで製造、初年度245億本で新生393億本に次ぐ
    • [32]1956年3月 ピースを45円から40円へ値下げ
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第4節 たばこの製造」
    • [31]1956年度 いこいの予想外の伸びで工場は増製に追われた
国産初のフィルター付き、ホープ

ホープは、1956年度に販売数量が伸び悩み、製造高が1,042億本へ減った局面で企画された。フィルター付き紙巻きが世界で広がっていたため、公社はドイツのハウニ式フィルター紙巻機を輸入して業平工場に据え、1957年4月に製造を始めた。7月1日に10本入り40円で東京都と大阪市に出したのが、国産初のフィルターチップたばこである。同年上半期には米国の学会報告をきっかけに、たばこと肺がんの関係が新聞や放送で繰り返し報じられており、発売後は売り切れが相次いだ。機械の輸入が遅れたため1957年度の製造は4億本にとどまり、販売地域が全国に広がったのは1959年度だった。健康への懸念を製品の形態で受け止め、新しい需要に換えた最初の銘柄と位置づけられる。

  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第4節 たばこの製造」
    • [33]1956年度 販売数量の停滞で製造高1,042億本に減少、フィルター付の新製品ホープの製造を決定
    • [34]ドイツ製ハウニ式フィルター紙巻機を輸入し業平工場に設置、1957年4月から製造着手
    • [37]1957年度 ホープの製造4億本
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
    • [35]1957年7月1日 ホープを10本40円で東京都・大阪市で発売、国産フィルターチップたばこの第1号
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第5節 たばこの販売」
    • [36]1957年上半期の「たばこと肺がん」報道で衛生的関心が高まり、ホープは売切れが続出
    • [38]フィルター付製造機械の輸入遅れで販売区域を段階的に拡大し、1959年度に全国販売
参考文献[20]-[38]
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
    • [20]1944年11月から実施の割当配給制を終え、1950年4月1日に完全自由販売制へ復帰
    • [21]自由販売品ピースの小売定価 発売当初7円から1949年6月60円へ(3年半で9倍近く)
    • [22]1950年4月の完全自由販売への復帰と同時に大幅値下げ、1951年度当初にさらに大幅値下げ
    • [23]朝鮮動乱の特需で1951年度に専売史上空前の売上高
    • [24]1950年度を転機に葉たばこ生産を量産第一主義から品質主義へ移行、黄色種の増産と品種改良
    • [35]1957年7月1日 ホープを10本40円で東京都・大阪市で発売、国産フィルターチップたばこの第1号
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第4節 たばこの製造」
    • [25]1955年度の製造高1,053億本、前年度比1%程度の増加
    • [31]1956年度 いこいの予想外の伸びで工場は増製に追われた
    • [33]1956年度 販売数量の停滞で製造高1,042億本に減少、フィルター付の新製品ホープの製造を決定
    • [34]ドイツ製ハウニ式フィルター紙巻機を輸入し業平工場に設置、1957年4月から製造着手
    • [37]1957年度 ホープの製造4億本
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第5節 たばこの販売」
    • [26]1955年10月 バール発売、1956年4月1日 いこい(1個50円)発売
    • [27]1954年4月のピース値上げを契機に新生が流行
    • [28]1954年4月のピース値上げ後、1954年度のピースは前年度比51.6%、光は83.7%
    • [29]新生が総数量の約4割を占める最大銘柄となり、中級品用の葉の転用で品質が上がり需要が一層増加
    • [30]いこいは国産葉のみで製造、初年度245億本で新生393億本に次ぐ
    • [32]1956年3月 ピースを45円から40円へ値下げ
    • [36]1957年上半期の「たばこと肺がん」報道で衛生的関心が高まり、ホープは売切れが続出
    • [38]フィルター付製造機械の輸入遅れで販売区域を段階的に拡大し、1959年度に全国販売

1956年〜葉たばこの過剰在庫と益金率56%への低下、臨調答申と専売改革関連5法

不足から過剰への転換

原料と工場の不足が解けると、課題は余剰へ移った。1956年度の葉たばこ収穫は1億5,279万キログラムと専売開始以来の記録に達したが、売れ行きは横ばいに転じ、公社の在庫は標準を大きく超えた。公社は1957年度に作付けの抑制へ、1958年度には面積の縮小へ踏み込み、1956年には収納価格も引き下げた。産地はこれに強く反発し、第26国会のたばこ専売法改正でたばこ耕作審議会が置かれ、議員立法のたばこ耕作組合法で耕作組合が法人格を得た。工場も1956年度以降は新設と拡張を見送り、老朽工場の改修だけにとどめる方針へ切り替えた。以後、国産葉の買入価格は毎年この耕作審議会で決まる仕組みとなった。

  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
    • [39]1956年度には原料葉たばこの品質・数量の不安が解消する一方、売行きの停滞で需給が不均衡に
    • [40]1956年度 葉たばこ収穫1億5,279万kgで専売創始以来の記録、売行き停滞で在庫が標準を超過
    • [41]1957年度に耕作面積の増加を抑制、1958年度に耕作面積を縮小
    • [42]1956年 葉たばこ収納価格の引下げ
    • [43]第26国会でたばこ専売法を改正したばこ耕作審議会を設置、議員立法のたばこ耕作組合法で耕作組合に法人格
    • [44]1956年度以降 工場の新設・拡張を見合わせ老朽工場の改修のみとする
  • 日経ビジネス 1976年4月26日号
    • [45]公社の国産葉たばこ買い入れ価格は毎年たばこ耕作審議会で決定
納付金と全量買い入れが削った益金率

1974年度の公社は売上高1兆2,825億円、職員4万931人を抱えていた。国庫へ3,425億円、地方公共団体へ3,543億円を納め、手元の内部留保は135億円だった。売上高に対する益金率は1968年の63%から1974年に56%へ下がった。国産葉の買入価格はキログラム当たり1,125円と輸入葉の900円程度を上回ったが、公社は国内産の全量買い入れを義務づけられていた。同年度の葉たばこ購入代金は前年度比37%増の1,703億円、年度末の葉たばこ在庫は4,636億円に達した。予算の単年度主義で、国際価格が安い年に翌年度分を買い付けることもできず、公社の担当者は『みすみす損をすることがわかっているのに、こういう買い付けしかできない。』とこぼした。

  • 日経ビジネス 1976年4月26日号
    • [46]1974年度 売上高1兆2,825億円・職員数4万931人
    • [47]1974年度 国庫納付金3,425億円・地方公共団体納付金3,543億円・内部留保135億円
    • [48]益金率 1968年63%から1974年56%へ低下
    • [49]1974年度 国産葉たばこ買入価格1kg当たり1,125円、輸入原料は900円程度、国産葉は全量買い入れ
  • 日経ビジネス 1976年5月24日号
    • [50]1974年度 葉たばこ購入代金1,703億円(37%増)、年度末の葉たばこたな卸資産4,636億円
    • [51]予算の単年度主義により輸入葉たばこの翌年度分を先に手当てできない
需要の鈍化と市場開放、専売改革関連5法の成立

1976年には、公共企業体へのスト権付与問題と絡んで公社の民営移管論が浮上した。昭和50年代に入ると、成人人口の伸びの鈍化、喫煙と健康への関心、1975年と1980年の大幅な定価改定が重なり、たばこ需要の伸びが鈍った。さらに1981年と1983年の関税率の大幅な引き下げ、輸入たばこ取扱店の拡大、外国企業の広告活動が続き、内外の製品が競い合う市場に変わった。のちに日本たばこ産業副社長の鈴木達郎氏は、公社時代を『前身の日本専売公社時代には、たばこにかかわることは外国製輸入たばこの販売も含めすべてを公社が取り扱っていた。』と振り返っている。1982年7月の臨時行政調査会第3次答申を受け、1984年8月にたばこ事業法と日本たばこ産業株式会社法を含む専売改革関連5法案が成立した。予算と投資の制約、国際水準とかけ離れた葉たばこ価格、過剰在庫という3つの問題は、株式会社への改組を前に積み残されていた。

  • 日経ビジネス 1976年5月24日号
    • [52]1976年 三公社五現業へのスト権付与問題と絡み日本専売公社の民営移管論が台頭
  • 証券 1994年46巻12号
    • [53]昭和50年代 成人人口の伸び率鈍化・喫煙と健康問題・1975年と1980年の大幅な定価改定でたばこ需要の伸びが鈍化
    • [54]1981年・1983年の関税率大幅引下げ、輸入たばこ取扱店の拡大、外国たばこ企業の広告宣伝で内外製品の競争が激化
    • [56]1982年7月 臨時行政調査会第3次答申、1984年8月 たばこ事業法・日本たばこ産業株式会社法など専売改革関連5法案が成立
    • [57]公社制度による予算・投資活動の制約、国際水準からかい離した国内葉たばこ価格、相当の過剰在庫
  • 証券アナリストジャーナル 1993年31巻5号(鈴木達郎)
    • [55]専売公社時代は外国製輸入たばこの販売も含めたばこに関わる全てを公社が取り扱っていた
参考文献[39]-[57]
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
    • [39]1956年度には原料葉たばこの品質・数量の不安が解消する一方、売行きの停滞で需給が不均衡に
    • [40]1956年度 葉たばこ収穫1億5,279万kgで専売創始以来の記録、売行き停滞で在庫が標準を超過
    • [41]1957年度に耕作面積の増加を抑制、1958年度に耕作面積を縮小
    • [42]1956年 葉たばこ収納価格の引下げ
    • [43]第26国会でたばこ専売法を改正したばこ耕作審議会を設置、議員立法のたばこ耕作組合法で耕作組合に法人格
    • [44]1956年度以降 工場の新設・拡張を見合わせ老朽工場の改修のみとする
  • 日経ビジネス 1976年4月26日号
    • [45]公社の国産葉たばこ買い入れ価格は毎年たばこ耕作審議会で決定
    • [46]1974年度 売上高1兆2,825億円・職員数4万931人
    • [47]1974年度 国庫納付金3,425億円・地方公共団体納付金3,543億円・内部留保135億円
    • [48]益金率 1968年63%から1974年56%へ低下
    • [49]1974年度 国産葉たばこ買入価格1kg当たり1,125円、輸入原料は900円程度、国産葉は全量買い入れ
  • 日経ビジネス 1976年5月24日号
    • [50]1974年度 葉たばこ購入代金1,703億円(37%増)、年度末の葉たばこたな卸資産4,636億円
    • [51]予算の単年度主義により輸入葉たばこの翌年度分を先に手当てできない
    • [52]1976年 三公社五現業へのスト権付与問題と絡み日本専売公社の民営移管論が台頭
  • 証券 1994年46巻12号
    • [53]昭和50年代 成人人口の伸び率鈍化・喫煙と健康問題・1975年と1980年の大幅な定価改定でたばこ需要の伸びが鈍化
    • [54]1981年・1983年の関税率大幅引下げ、輸入たばこ取扱店の拡大、外国たばこ企業の広告宣伝で内外製品の競争が激化
    • [56]1982年7月 臨時行政調査会第3次答申、1984年8月 たばこ事業法・日本たばこ産業株式会社法など専売改革関連5法案が成立
    • [57]公社制度による予算・投資活動の制約、国際水準からかい離した国内葉たばこ価格、相当の過剰在庫
  • 証券アナリストジャーナル 1993年31巻5号(鈴木達郎)
    • [55]専売公社時代は外国製輸入たばこの販売も含めたばこに関わる全てを公社が取り扱っていた

出典・参考

10件
出典・参考
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第1節 日本専売公社法の制定」
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第2節 日本専売公社設立準備の状況」
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第1節 概説」
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第2節 葉たばこの生産」
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第4節 たばこの製造」
  • 日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第3章 たばこ事業 第5節 たばこの販売」
  • 日経ビジネス 1976年4月26日号
  • 日経ビジネス 1976年5月24日号
  • 証券アナリストジャーナル 1993年31巻5号(鈴木達郎)
  • 証券 1994年46巻12号

免責事項およびポリシー