ヱスビー食品:東松山・宮城工場の新設とフレッシュハーブへの展開
1974年〜カレーの王様からスナックチップまで、4年で展開した新規事業
1974年に山崎至朗氏が2代目社長に就くと、ヱスビー食品は香辛料の外へ事業を広げた。1973年10月に設立したヱスビーカレーの王様を通じてカレーライスのチェーン店を始め、5年後に全国500店を持つ構想を掲げた。狙いは、即席カレーの需要が頭打ちとなる一方、外食のカレーライスは市場規模が大きいのに有力なチェーンが無い点にあった。1975年には東京・晴海にレストランとコンビニエンスストアを併設したO&Oを出し、消費者と直に接して本業の新製品開発に活かす拠点とした。1976年2月にはレトルト食品おいしさパック、同年末には米ゴールデングレイン社と技術提携した粉末洋風スープ、1977年4月には成型ポテトチップのスナックチップを投入した。いずれも香辛料の知見が使える範囲を選んだ関連多角化だったとみられる。
- 実業往来 1977年
- [1]二代目・山崎至朗社長(1974年就任)の時代に入ってから、ヱスビー食品は積極的な多角化路線に乗り出した。
- [3]カレーライス・レストランへの進出は、需要が頭打ち傾向を示した即席カレーに対し、外食のカレーライスは市場規模が大きいにもかかわらず有力なチェーンがないところに目をつけたもの。
- [4]1975年秋、子会社レストランサンバードを通じ東京・晴海にレストラン部門とコンビニエンス・ストア部門を持つO&Oを出店した。小売業に自ら進出して消費者のニーズをつかみ、本業の新製品開発などに役立てる考えだった。
- [5]1976年2月にレトルト食品「おいしさパック」、同年末に米国ゴールデングレイン社と技術提携した粉末状の洋風スープ、1977年4月に成型ポテトチップ「スナックチップ」を発売した。
- ヱスビー食品 有価証券報告書 第113期(2026年3月期)【沿革】
- [2]1973年10月、株式会社ヱスビーカレーの王様を設立する(2014年2月清算結了)。
新規事業は軒並み計画を下回った。直営12店のカレーチェーンは年商4億3000万円の目標を1割以上下回る見込みとなり、O&Oも平均月商が目標の2000万円を割り込んで多店舗化を見合わせた。おいしさパックは出足こそ出荷予定を上回ったが反復需要がつかず、洋風スープは味の素が握る市場で初年度売上高目標10億円に対し約5億円に終わった。スナックチップは菓子の販売ルートを持たないまま値引き卸しで押し込み、標準小売価格200円が店頭で170円前後に崩れた。カレーの王様は、1985年時点でO&Oや六本木の東風などとあわせて外食25店舗ほどの規模にとどまった。流通網を持つ本業の隣でも、販路と反復購買の仕組みが異なる市場では参入の前提が成り立たなかったとみられる。
- 実業往来 1977年
- [6]カレーの王様は直営12店で年商4億3000万円の目標を1割以上下回る成績に終わりそうで、O&O晴海店は月商2000万円の目標を一時的に達成したが平均月商はこの線を割り込み、多店舗化は模様ながめとなった。多角化路線はいずれも当初見込んだ線を下回った。
- [7]カレーの王様は直営12店で年商4億3000万円の目標を1割以上下回る成績に終わりそうで、O&O晴海店は月商2000万円の目標を一時的に達成したが平均月商はこの線を割り込み、多店舗化は模様ながめとなった。多角化路線はいずれも当初見込んだ線を下回った。
- [8]おいしさパックは発売後3ヵ月の出荷予定1万5000ケースに対し2万6000ケースを達成したが反復需要がつかなかった。洋風スープは味の素の壁が厚く、初年度売り上げ目標10億円に対し結果は約5億円だった。
- [9]スナックチップは菓子系の販売ルートがゼロで値引き卸しによる押し込み販売となり、標準小売価格200円が店頭では170円前後で推移した。
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」
- [10]外食産業は別会社で、六本木の東風、青山のO&O、粉屋桃郷などのレストランとカレーの王様など、トータルで25店舗ほどを展開している。
新製品の拡販は費用を膨らませた。1977年3月期の販売促進費は43億2000万円(前期24億7000万円)、広告宣伝費は31億8000万円(同20億6000万円)に達した。売上高は23.6%増の300億2000万円となったが、経常利益は8.1%増にとどまり、税引き利益は横ばいだった。長短借入金は116億4000万円と年商の5割を超え、支払利息は9億7000万円と資本金5億6000万円を上回った。のちに社長となる山崎達光氏は1985年、『工場の稼働率をあげたいから、無理をしても商品を出してしまう。これはメーカーの理屈です』として、稼働率を優先した新製品の多発を戒めた。前代から続く低い自己資本比率のまま費用先行の多角化を重ねたことが、利益の伸びを止める要因となった。
- 実業往来 1977年
- [11]1977年3月期の年間販売促進費は43億2000万円(前期24億7000万円)、広告宣伝費は31億8000万円(同20億6000万円)と大幅に増え、売上高は300億2000万円(同243億円)と23.6%伸びたが、経常利益は8.1%増、税引き利益は横ばいにとどまった。
- [12]1977年3月期の年間販売促進費は43億2000万円(前期24億7000万円)、広告宣伝費は31億8000万円(同20億6000万円)と大幅に増え、売上高は300億2000万円(同243億円)と23.6%伸びたが、経常利益は8.1%増、税引き利益は横ばいにとどまった。
- [13]1977年3月期の年間販売促進費は43億2000万円(前期24億7000万円)、広告宣伝費は31億8000万円(同20億6000万円)と大幅に増え、売上高は300億2000万円(同243億円)と23.6%伸びたが、経常利益は8.1%増、税引き利益は横ばいにとどまった。
- [14]前期末の長・短期借入金合計は116億4000万円と年商額の5割強にのぼり、支払利息は9億7000万円で、資本金5億6000万円のヱスビー食品としては過大負担だった。
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」
- [15]山崎達光社長は、工場や生産設備の稼働率をあげると即座に利益に反映するためそこを最初に考えてしまい、新製品が多発されてもヒットが出ない原因の一端がここにあるとし、消費者やユーザーの論理を最優先にするよう社内に求めた。
参考文献[1]-[15]
- 実業往来 1977年
- [1]二代目・山崎至朗社長(1974年就任)の時代に入ってから、ヱスビー食品は積極的な多角化路線に乗り出した。
- [3]カレーライス・レストランへの進出は、需要が頭打ち傾向を示した即席カレーに対し、外食のカレーライスは市場規模が大きいにもかかわらず有力なチェーンがないところに目をつけたもの。
- [4]1975年秋、子会社レストランサンバードを通じ東京・晴海にレストラン部門とコンビニエンス・ストア部門を持つO&Oを出店した。小売業に自ら進出して消費者のニーズをつかみ、本業の新製品開発などに役立てる考えだった。
- [5]1976年2月にレトルト食品「おいしさパック」、同年末に米国ゴールデングレイン社と技術提携した粉末状の洋風スープ、1977年4月に成型ポテトチップ「スナックチップ」を発売した。
- [6]カレーの王様は直営12店で年商4億3000万円の目標を1割以上下回る成績に終わりそうで、O&O晴海店は月商2000万円の目標を一時的に達成したが平均月商はこの線を割り込み、多店舗化は模様ながめとなった。多角化路線はいずれも当初見込んだ線を下回った。
- [7]カレーの王様は直営12店で年商4億3000万円の目標を1割以上下回る成績に終わりそうで、O&O晴海店は月商2000万円の目標を一時的に達成したが平均月商はこの線を割り込み、多店舗化は模様ながめとなった。多角化路線はいずれも当初見込んだ線を下回った。
- [8]おいしさパックは発売後3ヵ月の出荷予定1万5000ケースに対し2万6000ケースを達成したが反復需要がつかなかった。洋風スープは味の素の壁が厚く、初年度売り上げ目標10億円に対し結果は約5億円だった。
- [9]スナックチップは菓子系の販売ルートがゼロで値引き卸しによる押し込み販売となり、標準小売価格200円が店頭では170円前後で推移した。
- [11]1977年3月期の年間販売促進費は43億2000万円(前期24億7000万円)、広告宣伝費は31億8000万円(同20億6000万円)と大幅に増え、売上高は300億2000万円(同243億円)と23.6%伸びたが、経常利益は8.1%増、税引き利益は横ばいにとどまった。
- [12]1977年3月期の年間販売促進費は43億2000万円(前期24億7000万円)、広告宣伝費は31億8000万円(同20億6000万円)と大幅に増え、売上高は300億2000万円(同243億円)と23.6%伸びたが、経常利益は8.1%増、税引き利益は横ばいにとどまった。
- [13]1977年3月期の年間販売促進費は43億2000万円(前期24億7000万円)、広告宣伝費は31億8000万円(同20億6000万円)と大幅に増え、売上高は300億2000万円(同243億円)と23.6%伸びたが、経常利益は8.1%増、税引き利益は横ばいにとどまった。
- [14]前期末の長・短期借入金合計は116億4000万円と年商額の5割強にのぼり、支払利息は9億7000万円で、資本金5億6000万円のヱスビー食品としては過大負担だった。
- ヱスビー食品 有価証券報告書 第113期(2026年3月期)【沿革】
- [2]1973年10月、株式会社ヱスビーカレーの王様を設立する(2014年2月清算結了)。
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」
- [10]外食産業は別会社で、六本木の東風、青山のO&O、粉屋桃郷などのレストランとカレーの王様など、トータルで25店舗ほどを展開している。
- [15]山崎達光社長は、工場や生産設備の稼働率をあげると即座に利益に反映するためそこを最初に考えてしまい、新製品が多発されてもヒットが出ない原因の一端がここにあるとし、消費者やユーザーの論理を最優先にするよう社内に求めた。
1976年〜ディナーカレーと250円の高級ソース、量から質への商品政策の転換
即席カレーでは、1973年に発売した180円のゴールデンディナーカレーが高級品の位置づけで売れ、平幹二朗・佐久間良子夫妻を起用したテレビCMとともに好評を得た。1976年のヱスビー食品は、量を追う商品化計画を質の面から練り直した。スパイス・ソースを細分化して出した220ミリリットル250円の高級ソースは、3年後の販売予測を1年目に達成した。ディナーカレーは40歳以上の高所得層を想定して売り出したが、調査すると夫婦で銘柄を選ぶ若い世帯に支持されていた。即席カレーの売上は従業員10人以上の大型店で伸び、ヱスビー食品は超大型店と東京圏での構成比が高かった。単価の高い製品を都市の世帯へ当てる政策は、首都圏で厚い販売網を持つことの上に立つ。
- オール大衆 1974年「《奮闘する経営者》意見があって今夜は 山崎峯次郎」
- [16]去年からゴールデン“ディナー”カレー(180円)を出してヒットしており、ヱスビーの高級品イメージ戦術が当たった。平幹二朗、佐久間良子夫妻のCMが好評である。
- マネジメント 1976年8月号 山崎達光・淀野隆之
- [17]食品各社は量的な発想で行ってきたマーケティングを切り捨て、商品化計画を質的な部分から練り直して再スタートしている。
- [18]スパイス・ソースを細分化して出した220ミリリットル250円の高級ソースは、3年後の数字予測を1年目に達成するほど荷動きがよい。
- [19]フォンドボータイプの超高級即席「ディナーカレー」は40歳以上の高所得者をターゲットにしていたが、調査するとニュー・ファミリーの夫婦共通のコンセンサス商品として支持されていた。
- [20]即席カレーは大型店(従業員10人以上)での売り上げが確実に伸びており、ヱスビーは超大型店でのシェアが大きく、東京・東京外郭の売上比重が大きい。
ヱスビー食品は1976年、子供向けのスポーツクラブを運営し、「若い世代のために」を企業スローガンに掲げて食品産業から健康産業への展開を打ち出した。テレビスポットで銘柄を覚えさせるのではなく、クラブの実体を通じて将来の顧客との接点をつくる施策である。ヱスビースポーツクラブは1985年時点で開設から10年を経て、年間6万人が利用した。1954年に発足した陸上部は世界的な選手を送り出し、1984年に始めたちびっ子健康マラソン大会は毎年約60カ所で開かれ、延べ62万人の小学生が参加した。スポーツは広告媒体としてではなく、食と健康を結ぶ企業の位置づけを示す事業として運営されたとみられる。
- マネジメント 1976年8月号 山崎達光・淀野隆之
- [21]ソーシャル・マーケティングとして子供たちのためのスポーツ・クラブを運営し、テレビスポットでヱスビーを覚えてもらうのではなくスポーツ・クラブという実体を通して子供たちとのコンセンサスをつくるため、「若い世代のために」という企業スローガンを設定して食品産業から健康産業への道を歩もうとしている。
- [22]ソーシャル・マーケティングとして子供たちのためのスポーツ・クラブを運営し、テレビスポットでヱスビーを覚えてもらうのではなくスポーツ・クラブという実体を通して子供たちとのコンセンサスをつくるため、「若い世代のために」という企業スローガンを設定して食品産業から健康産業への道を歩もうとしている。
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」
- [23]健康産業として10年になるヱスビースポーツクラブを展開しており、現在年間6万人に利用されている。
- 政経人 2003年8月号「熱き創業者魂の軌跡 山崎峯次郎(3) 国産カレー粉を創った男」若山三郎
- [24]エスビー陸上部を1954年に発足させ世界的ランナーを輩出した。1984年にスタートしたエスビーちびっ子健康マラソン大会は毎年約60カ所で行われ、延べ62万人の小学生が参加している。
参考文献[16]-[24]
- オール大衆 1974年「《奮闘する経営者》意見があって今夜は 山崎峯次郎」
- [16]去年からゴールデン“ディナー”カレー(180円)を出してヒットしており、ヱスビーの高級品イメージ戦術が当たった。平幹二朗、佐久間良子夫妻のCMが好評である。
- マネジメント 1976年8月号 山崎達光・淀野隆之
- [17]食品各社は量的な発想で行ってきたマーケティングを切り捨て、商品化計画を質的な部分から練り直して再スタートしている。
- [18]スパイス・ソースを細分化して出した220ミリリットル250円の高級ソースは、3年後の数字予測を1年目に達成するほど荷動きがよい。
- [19]フォンドボータイプの超高級即席「ディナーカレー」は40歳以上の高所得者をターゲットにしていたが、調査するとニュー・ファミリーの夫婦共通のコンセンサス商品として支持されていた。
- [20]即席カレーは大型店(従業員10人以上)での売り上げが確実に伸びており、ヱスビーは超大型店でのシェアが大きく、東京・東京外郭の売上比重が大きい。
- [21]ソーシャル・マーケティングとして子供たちのためのスポーツ・クラブを運営し、テレビスポットでヱスビーを覚えてもらうのではなくスポーツ・クラブという実体を通して子供たちとのコンセンサスをつくるため、「若い世代のために」という企業スローガンを設定して食品産業から健康産業への道を歩もうとしている。
- [22]ソーシャル・マーケティングとして子供たちのためのスポーツ・クラブを運営し、テレビスポットでヱスビーを覚えてもらうのではなくスポーツ・クラブという実体を通して子供たちとのコンセンサスをつくるため、「若い世代のために」という企業スローガンを設定して食品産業から健康産業への道を歩もうとしている。
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」
- [23]健康産業として10年になるヱスビースポーツクラブを展開しており、現在年間6万人に利用されている。
- 政経人 2003年8月号「熱き創業者魂の軌跡 山崎峯次郎(3) 国産カレー粉を創った男」若山三郎
- [24]エスビー陸上部を1954年に発足させ世界的ランナーを輩出した。1984年にスタートしたエスビーちびっ子健康マラソン大会は毎年約60カ所で行われ、延べ62万人の小学生が参加している。
1985年〜16面体ビジョンの売上高1000億円構想と、スパイスとハーブのS&Bへ
1985年、山崎達光社長は手がける事業を10の製造・販売分野と6の事業分野に整理した16面体の企業ビジョンを掲げ、売上高1000億円の企業を目指した。業務用食品は加工度の高い品質本位の商品で中期に100億円規模へ育て、それまで手がけなかった加工食品メーカー向けの香辛料販売にも仕様書を付けて参入する方針を定めた。海外ではマレーシアの農園、韓国での農場経営と生産販売、米国での粉体調味料の現地生産が利益を出す段階に入った。1983年11月に研究室を中央研究所へ拡充し、1992年4月には米国にS&B INTERNATIONAL CORPORATIONを設立した。16の面は、香辛料の知見を業務用と海外へ転用する構想と、外食やファンシーグッズのような知見の届かない事業とを同じ枠に並べていたとみられる。
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」
- [25]手がける仕事を整理すると16あり、10種類の製造・販売ジャンルと6種類の事業・産業に分類した16面体の企業ビジョンを掲げ、1000億円企業をめざす。
- [26]業務用はユーザーの論理を汲み上げた加工度の高い商品とし、中期的に100億円規模にもっていく。これまで香辛料を加工食品メーカーへ販売してこなかったが、仕様書をつけて供給するところまで進出したい。
- [27]海外事業としてマレーシアの農園経営、韓国での農場経営と生産販売、アメリカでのオリエンタル粉体調味料の生産・販売があり、やっと利益をあげられる体質になってきた。
- ヱスビー食品 有価証券報告書 第113期(2026年3月期)【沿革】
- [28]1983年11月に開発部研究室を拡充し中央研究所に改称し、1992年4月にS&B INTERNATIONAL CORPORATIONを設立した。
1990年代のヱスビー食品は、香辛料に並ぶ柱としてハーブの本格的な生産と販売を業界に先駆けて手がけた。1990年3月には、のちに調理済食品事業を担うヒガシヤデリカを設立し、1993年6月には宮城工場を新築した。2000年にはコーポレートシンボルを「スパイスのS&B」から「スパイスとハーブのS&B」へ改め、消費者満足を全ての企業活動の基本に置いた。2002年9月末の資本金は17億4400万円、従業員は1064人で、平成不況下でも売上高を伸ばし、2003年3月期は1085億円を見込んだ。2003年6月には執行役員制度を導入した。16面体で広げた領域を、香辛料と同じ植物由来の素材であるハーブへ寄せ直した再定義とみられる。
- 政経人 2003年8月号「熱き創業者魂の軌跡 山崎峯次郎(3) 国産カレー粉を創った男」若山三郎
- [29]新世紀の新機軸の柱となるのがハーブであり、エスビーは業界に先駆けてハーブの本格的生産と販売を手がけてきた。
- [31]2000年、コーポレートシンボルを「スパイスのS&B」から「スパイスとハーブのS&B」に変え、CS(コンシューマーサティスファクション)を基本に全ての企業活動を展開することを宣言した。
- [32]資本金は平成14年9月末で17億4400万円、従業員は1064人。平成大不況にもかかわらず売上高を伸ばし続けており、平成15年3月期の売上高は1085億円(予)である。
- ヱスビー食品 有価証券報告書 第113期(2026年3月期)【沿革】
- [30]1990年3月に株式会社ヒガシヤデリカを設立し(2025年2月清算結了)、1993年6月に宮城工場を新築竣工した。
- [33]2003年6月、執行役員制度を導入する。
参考文献[25]-[33]
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」
- [25]手がける仕事を整理すると16あり、10種類の製造・販売ジャンルと6種類の事業・産業に分類した16面体の企業ビジョンを掲げ、1000億円企業をめざす。
- [26]業務用はユーザーの論理を汲み上げた加工度の高い商品とし、中期的に100億円規模にもっていく。これまで香辛料を加工食品メーカーへ販売してこなかったが、仕様書をつけて供給するところまで進出したい。
- [27]海外事業としてマレーシアの農園経営、韓国での農場経営と生産販売、アメリカでのオリエンタル粉体調味料の生産・販売があり、やっと利益をあげられる体質になってきた。
- ヱスビー食品 有価証券報告書 第113期(2026年3月期)【沿革】
- [28]1983年11月に開発部研究室を拡充し中央研究所に改称し、1992年4月にS&B INTERNATIONAL CORPORATIONを設立した。
- [30]1990年3月に株式会社ヒガシヤデリカを設立し(2025年2月清算結了)、1993年6月に宮城工場を新築竣工した。
- [33]2003年6月、執行役員制度を導入する。
- 政経人 2003年8月号「熱き創業者魂の軌跡 山崎峯次郎(3) 国産カレー粉を創った男」若山三郎
- [29]新世紀の新機軸の柱となるのがハーブであり、エスビーは業界に先駆けてハーブの本格的生産と販売を手がけてきた。
- [31]2000年、コーポレートシンボルを「スパイスのS&B」から「スパイスとハーブのS&B」に変え、CS(コンシューマーサティスファクション)を基本に全ての企業活動を展開することを宣言した。
- [32]資本金は平成14年9月末で17億4400万円、従業員は1064人。平成大不況にもかかわらず売上高を伸ばし続けており、平成15年3月期の売上高は1085億円(予)である。
1974年〜2004年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1974年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | S&B INTERNATIONAL CORPORATIONを設立(1992/04) |
| 1994年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1995年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1996年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | 埼玉県三芳町に首都圏物流センターを設置(1995/12) |
| 1997年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1998年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1999年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2000年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2001年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2002年03月期 | 連結 | 1,074 | n/a | 32 | 3.0% | 11 | n/a |
| 2003年03月期 | 連結 | 1,088 | +1.3% | 35 | 3.2% | 13 | n/a |
| 2004年03月期 | 連結 | 1,090 | +0.2% | 37 | 3.4% | 13 | n/a |
出典・参考
6件
- ヱスビー食品 有価証券報告書 第113期(2026年3月期)【沿革】
- マネジメント 1976年8月号 山崎達光・淀野隆之
- 政経人 2003年8月号「熱き創業者魂の軌跡 山崎峯次郎(3) 国産カレー粉を創った男」若山三郎
- オール大衆 1974年「《奮闘する経営者》意見があって今夜は 山崎峯次郎」
- 実業往来 1977年
- 総合食品 1985年「インタビュー ザ・メーカー ヱスビー食品株式会社社長 山崎達光 一六面体の企業ビジョンで裾野広い強力体質つくる」