第2章 年〜年

ブルドックソース:ブルドックソースへの改称と東証二部上場

東証二部上場を経て露わになった西日本での競争劣位

1960年〜自己資金による設備更新と商号の統一

更生債務を一掃する前から、設備への投資は始まっていた。1959年の時点で鳩ケ谷工場の生産設備はすでに10年は遅れているとされ、会社は最新鋭の設備を徐々に導入した。その資金は内部留保などの自己資金から捻出している。更生手続を経た会社が銀行から新規の融資を受けにくかった事情もあるが、以後この会社は借入を避け続けた。1972年9月期には長期・短期の借入金がいずれも皆無、自己資本比率は62.4%に達している。設備は稼いだ範囲で入れ替える。更生手続の4年間で身についたこの順序が、以後の投資の速さと限界の両方を決めた。

  • 実業往来 1979年
    • [1]1959年当時すでに10年は遅れていた鳩ケ谷工場の生産設備の更新に着手し、最新鋭の設備を徐々に導入した
    • [2]設備更新の資金は内部留保などの自己資金から捻出した
  • 証券 1973年25巻6号
    • [3]長期・短期の借入金は皆無で、1972年9月期の自己資本比率は62.4%

1962年12月、社名はブルドック食品からブルドックソースへ改められた。1926年の設立時の商号にはソースの語があったが、1940年の改称で食品の語に置き換わっており、22年ぶりに製品の名が社名へ戻った形である。会社の目的はソースの製造販売であり、上場を申請した時点の製品構成もウスターソース23.7%、中濃ソース40.1%、とんかつソース36.2%と、すべてソースで占められていた。製品の大半は一般家庭向けである。食品という広い名を捨ててソースの名を掲げ直したことは、多角化で行き詰まった8年前への答えでもあった。更生債務の一掃から3年、会社は名前の上でも専業へ戻った。

  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1962年12月 社名をブルドックソースに商号変更
    • [5]1926年の設立時の商号はブルドックソース食品、1940年10月にブルドック食品へ商号変更
  • 証券 1973年25巻6号
    • [6]会社の目的はソースの製造販売
    • [7]製品別販売実績はウスターソース23.7%・中濃ソース40.1%・とんかつソース36.2%(1972年9月期実績による構成比)
    • [8]製品は大半が一般家庭向けである

ソースの需要が大きく伸びたのは、洋風の料理が一般の家庭に入っていった1960年代である。ところが同社は1955年に関西ブルドックを閉じており、1968年に福岡へ出るまで西日本からの売上はほぼゼロで、その間、西側には売るための拠点がまったく残っていなかった。関西での同社の名の通りは、カゴメやイカリソースなど地元のメーカーと比べてはるかに劣る状態が続いた。閉鎖の判断について、常務取締役事業企画部長の仲野奠夫氏はのちに『当時としては致し方なかったんですが、現在からすれば惜しいことをしました』と振り返っている。結果として、需要が伸びた13年を、市場の西半分を空けたまま過ごしたことになる。

  • 実業往来 1979年
    • [9]1950年代後半以降、洋風料理が一般家庭に受け入れられてソースの需要が飛躍的に伸びた
    • [10]1955年から1968年に福岡へ進出するまで、西日本での売上はほとんどゼロであった
    • [11]関西での知名度はカゴメ、イカリソースといった地場メーカーに比べて極端に低い
    • [12]関西ブルドックの閉鎖について、当時としてはやむを得なかったが今からすれば惜しいことをしたと同社は述べた
参考文献[1]-[12]
  • 実業往来 1979年
    • [1]1959年当時すでに10年は遅れていた鳩ケ谷工場の生産設備の更新に着手し、最新鋭の設備を徐々に導入した
    • [2]設備更新の資金は内部留保などの自己資金から捻出した
    • [9]1950年代後半以降、洋風料理が一般家庭に受け入れられてソースの需要が飛躍的に伸びた
    • [10]1955年から1968年に福岡へ進出するまで、西日本での売上はほとんどゼロであった
    • [11]関西での知名度はカゴメ、イカリソースといった地場メーカーに比べて極端に低い
    • [12]関西ブルドックの閉鎖について、当時としてはやむを得なかったが今からすれば惜しいことをしたと同社は述べた
  • 証券 1973年25巻6号
    • [3]長期・短期の借入金は皆無で、1972年9月期の自己資本比率は62.4%
    • [6]会社の目的はソースの製造販売
    • [7]製品別販売実績はウスターソース23.7%・中濃ソース40.1%・とんかつソース36.2%(1972年9月期実績による構成比)
    • [8]製品は大半が一般家庭向けである
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1962年12月 社名をブルドックソースに商号変更
    • [5]1926年の設立時の商号はブルドックソース食品、1940年10月にブルドック食品へ商号変更

1968年〜九州進出と東証二部上場

販売網は東から順に伸びた。1962年の北海道を皮切りに事務所の新設を重ね、1968年には福岡事務所を建設して九州へ進出している。関東・東北・北海道に販売を築いたうえでの南下であり、西側は最後に回された。1974年にはこれらの事務所を支店へ昇格させた。1960年代後半から1970年代前半にかけて、ソースの需要は年平均3%前後の伸びにとどまったが、同社は13%で伸びている。市場が伸びない局面で他社の取り分を取って伸びた形である。拠点を置いた地域で特約店を押さえ、そこから面を広げる順序が、この時期の伸びを支えた。福岡事務所の建設は、1955年に関西ブルドックを閉じて以来13年ぶりの西日本での拠点であった。

  • 実業往来 1979年
    • [13]1962年の北海道を皮切りに事務所の新設を続けた
    • [16]1974年にこれらの事務所を支店へ昇格させた
    • [17]1960年代後半から1970年代前半のソース需要の年平均成長率が3%前後のとき、同社は13%の伸びを示した
    • [18]1955年から1968年の福岡進出まで、西日本には販売拠点が無かった
  • 証券 1973年25巻6号
    • [14]1968年に福岡事務所を建設して九州へ進出した
    • [15]更生後は関東・東北・北海道に販売を築き、着実な業績の伸展を図った

1970年、人工甘味料チクロの使用が全面的に禁止された。同社は製品の廃棄を迫られ、砂糖への切り替えによって原料費が高騰した。対応は値上げである。値上げが受け入れられるかどうかは、卸と小売が売値を崩さずにいられるかで決まる。1971年3月、同社は製品を15%程度値上げして前述のマイナス要因を吸収し、高い収益を保った。製品はすべて特約店を通して出荷され、おもな納め先は国分、佐藤商店、明治屋、日本酒類販売などの問屋であった。同社は流通の途中で価格ができるだけ崩れないことを方針とし、売値を保つ見返りに問屋と小売の取り分も確保する仕組みをとった。

  • 証券 1973年25巻6号
    • [19]1970年のチクロの全面使用禁止
    • [20]チクロ禁止による製品の廃棄および砂糖への切り替えによる原料費の高騰
    • [21]1971年3月に実施した15%程度の製品値上げでマイナス要因を吸収し、高収益を維持した
    • [22]販売ルートは全量特約店経由で、主たる販売先は国分・佐藤商店・明治屋・日本酒類販売ほか
  • 野田経済 1978年11月号(佐藤和雄・ブルドックソース社長 インタビュー)
    • [23]流通過程で値崩れがなるべく起きないよう、今後とも方針を変えずにやっていきたい

1972年3月、創業の母体であった三澤屋商店を吸収合併した。翌1973年5月16日、東京証券取引所市場第二部へ上場する。公募は120万株を1株700円で行い、上場時の資本金は3億6,000万円、従業員は253名であった。取締役社長は丸山豊次郎氏、専務取締役は佐藤和雄氏。直前の1972年9月期の売上高38億6,652万7千円は、カゴメの42億円に次ぐ業界第2位であった。地域別では関東が売上高の69.1%を占め、東北を加えると87.2%に達している。上場した会社の実体は、東日本の家庭用ソースであった。

  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1972年3月 三澤屋商店を吸収合併
  • 証券 1973年25巻6号
    • [25]1973年5月16日 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [26]公募120万株を1株700円で実施、上場時の資本金は360,000千円
    • [27]従業員数253名
    • [28]上場時の取締役社長は丸山豊次郎、専務取締役は佐藤和雄
    • [29]1972年9月期の売上高38億6,652万7千円はカゴメの42億円に次ぐ業界第2位
    • [30]地域別販売実績は関東地方で売上高の69.1%、東北を加えると87.2%
参考文献[13]-[30]
  • 実業往来 1979年
    • [13]1962年の北海道を皮切りに事務所の新設を続けた
    • [16]1974年にこれらの事務所を支店へ昇格させた
    • [17]1960年代後半から1970年代前半のソース需要の年平均成長率が3%前後のとき、同社は13%の伸びを示した
    • [18]1955年から1968年の福岡進出まで、西日本には販売拠点が無かった
  • 証券 1973年25巻6号
    • [14]1968年に福岡事務所を建設して九州へ進出した
    • [15]更生後は関東・東北・北海道に販売を築き、着実な業績の伸展を図った
    • [19]1970年のチクロの全面使用禁止
    • [20]チクロ禁止による製品の廃棄および砂糖への切り替えによる原料費の高騰
    • [21]1971年3月に実施した15%程度の製品値上げでマイナス要因を吸収し、高収益を維持した
    • [22]販売ルートは全量特約店経由で、主たる販売先は国分・佐藤商店・明治屋・日本酒類販売ほか
    • [25]1973年5月16日 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [26]公募120万株を1株700円で実施、上場時の資本金は360,000千円
    • [27]従業員数253名
    • [28]上場時の取締役社長は丸山豊次郎、専務取締役は佐藤和雄
    • [29]1972年9月期の売上高38億6,652万7千円はカゴメの42億円に次ぐ業界第2位
    • [30]地域別販売実績は関東地方で売上高の69.1%、東北を加えると87.2%
  • 野田経済 1978年11月号(佐藤和雄・ブルドックソース社長 インタビュー)
    • [23]流通過程で値崩れがなるべく起きないよう、今後とも方針を変えずにやっていきたい
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1972年3月 三澤屋商店を吸収合併

1974年〜単一工場の限界と味による競争

工場が先で、本社は後だった。1971年に作成した近代化五カ年計画は、老朽化した鳩ケ谷工場の建物自体を改築するもので、約20億円の資金を内部留保と公募増資による自己資金だけで賄った。1975年、鳩ケ谷工場は業界屈指の規模へ全面的に建て替えられた。この間、本社は倉庫を改造した木造のバラックのままであった。新しい本社社屋が完成したのは、工場の近代化が成った翌年の1976年1月である。売上高は1974年9月期の60億円から1979年3月期の102億円へ伸びた。生産設備を先に入れ替え、本社の建物は最後に手を付ける。この順序を崩さなかったことが、無借金のまま設備を更新できた理由であった。

  • 実業往来 1979年
    • [31]1971年に近代化五カ年計画を作成し、鳩ケ谷工場の改築資金約20億円を内部留保・公募増資などの自己資金で賄った
    • [32]1975年に鳩ケ谷工場は世界最大規模のソース工場といわれるまでに増力された
    • [33]本社社屋が新築されるまで、本社は倉庫を改造した木造バラックの仮住まいであった
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]1976年1月 本社社屋新築
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1974年9月期・1979年3月期)
    • [35]1974年9月期 売上高60億円、1979年3月期 売上高102億円

1978年度のシェアは、食品業界専門誌の推計で19.1%と見込まれていた。同年のソースの国内生産量は農林省統計で13万9,067キロリットルである。それでも売上の9割は東日本に偏り、関西では関東のローカルブランドと皮肉られていた。関西・九州では価格面で泥沼化し、支店を設けても販売は伸びていなかった。それでも地域ごとに味を変えることはせず、佐藤和雄社長は『ブルドックソースは味で買っていただいているわけで、それを、あちら向けの味、こちら向けの味と変えるのは、ブルドック本来のイメージを壊すものじゃないか。私どもは私どもの味で、大阪でも、九州でもやっていきたいと思います。』と述べた。1979年4月には第二営業部を設け、常務を筆頭に西日本の攻略をやり直している。価格で競わないと決めた会社に残された手は、味を変えずに売り場を増やすことだけであった。

  • 野田経済 1978年11月号(佐藤和雄・ブルドックソース社長 インタビュー)
    • [36]1978年度のシェア見込みは食品業界専門誌の推計で19.1%
    • [37]1978年度のソース生産量は農林省統計で13万9,067キロリットル
    • [39]関西・九州は価格面で泥沼化し、支店を設けても営業が軌道に乗っていなかった
    • [40]地域ごとに味を変えることはせず、自社の味のまま大阪でも九州でも売る
  • 実業往来 1979年
    • [38]売上の9割は東日本で、関西では関東のローカルブランドと皮肉られていた
    • [41]1979年4月に第二営業部を設け、常務を筆頭に西日本を本格的に攻略する体制をとった

1979年、鳩ケ谷工場の稼働率は90%に達していた。同社は鳩ケ谷と同規模の第二工場を20億円以上の全額自己資金で建てる構想を示し、その増資で資本金を10億円以上に引き上げれば東証一部への昇格条件も満たすとしていた。市場の側も動いていた。焼肉のたれ、マヨネーズ、ドレッシングの需要が伸び、ソースの市場はこれらに浸食されつつあった。会社は事業開発室を置き、かけるソースから調理に使うソースへの広がりを探ったが、新製品のケチャップソースは定着しなかった。売上高は1980年3月期の115億円から1984年3月期の123億円まで伸びたのち、1985年3月期には116億円へ減少する。第二の工場が建つのは、この構想から19年後の1998年4月、群馬県の館林であった。

  • 実業往来 1979年
    • [42]1979年時点の鳩ケ谷工場の稼働率は90%でフル操業状態にあった
    • [43]第二工場は鳩ケ谷工場クラスの規模で、建設資金20億円以上を全て自己資金で賄う方針であった
    • [44]第二工場の増資で資本金を10億円以上に引き上げれば東証一部昇格の条件を満たす
    • [45]焼肉のたれ・マヨネーズ・ドレッシングの需要が伸び、ソースの市場が浸食されつつあった
  • 野田経済 1978年11月号(佐藤和雄・ブルドックソース社長 インタビュー)
    • [46]事業開発室を設け、かけるソースから調理に使うソースへの展開を専門家に委嘱して検討した
    • [47]新製品のケチャップソースは当初の見込みどおりの販売実績に至らず、定着していなかった
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1982年3月期・1985年3月期)
    • [48]1980年3月期 売上高115億円、1984年3月期 売上高123億円、1985年3月期 売上高116億円
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [49]1998年4月 群馬県に館林工場を新設(第1期工事)
参考文献[31]-[49]
  • 実業往来 1979年
    • [31]1971年に近代化五カ年計画を作成し、鳩ケ谷工場の改築資金約20億円を内部留保・公募増資などの自己資金で賄った
    • [32]1975年に鳩ケ谷工場は世界最大規模のソース工場といわれるまでに増力された
    • [33]本社社屋が新築されるまで、本社は倉庫を改造した木造バラックの仮住まいであった
    • [38]売上の9割は東日本で、関西では関東のローカルブランドと皮肉られていた
    • [41]1979年4月に第二営業部を設け、常務を筆頭に西日本を本格的に攻略する体制をとった
    • [42]1979年時点の鳩ケ谷工場の稼働率は90%でフル操業状態にあった
    • [43]第二工場は鳩ケ谷工場クラスの規模で、建設資金20億円以上を全て自己資金で賄う方針であった
    • [44]第二工場の増資で資本金を10億円以上に引き上げれば東証一部昇格の条件を満たす
    • [45]焼肉のたれ・マヨネーズ・ドレッシングの需要が伸び、ソースの市場が浸食されつつあった
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]1976年1月 本社社屋新築
    • [49]1998年4月 群馬県に館林工場を新設(第1期工事)
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1974年9月期・1979年3月期)
    • [35]1974年9月期 売上高60億円、1979年3月期 売上高102億円
  • 野田経済 1978年11月号(佐藤和雄・ブルドックソース社長 インタビュー)
    • [36]1978年度のシェア見込みは食品業界専門誌の推計で19.1%
    • [37]1978年度のソース生産量は農林省統計で13万9,067キロリットル
    • [39]関西・九州は価格面で泥沼化し、支店を設けても営業が軌道に乗っていなかった
    • [40]地域ごとに味を変えることはせず、自社の味のまま大阪でも九州でも売る
    • [46]事業開発室を設け、かけるソースから調理に使うソースへの展開を専門家に委嘱して検討した
    • [47]新製品のケチャップソースは当初の見込みどおりの販売実績に至らず、定着していなかった
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1982年3月期・1985年3月期)
    • [48]1980年3月期 売上高115億円、1984年3月期 売上高123億円、1985年3月期 売上高116億円

筆者考察

更生会社からの再建は、ブルドックソースに二つの性質を残した。一つは借入を持たない財務である。1959年に更生債務を一掃した後も設備投資は内部留保と公募増資だけで賄われ、1971年の近代化五カ年計画に投じた約20億円も、1979年に構想した第二工場の20億円以上も、全額を自己資金で建てる前提で語られた。1972年9月期の自己資本比率は62.4%、借入金は長期も短期も皆無である。もう一つは、稼いだ範囲でしか設備を増やせないという制約であった。前者は不況に強い会社を作り、後者は市場が伸びる速さに追いつけない会社を作った。

その制約が最もはっきり出たのが、西日本である。1955年に合理化で関西ブルドックを閉じてから1968年に福岡へ出るまでの13年、同社は需要が最も伸びた時期の西の市場を空けていた。関東で69.1%、東北を加えて87.2%という1972年9月期の売上構成は、東西の味の嗜好差だけでなく、拠点を持たなかった時間が作ったものである。1979年に第二営業部を設けて攻め直したが、第二の工場が館林に建つのはその19年後の1998年だった。一つの工場と一つの味で全国を取るには、この会社の投資の速度は遅すぎた。

売上高の推移 1972年9月期から1985年3月期まで(単体)(億円)

38.7 72/9 60 74/9 87 77/3 94 78/3 102 79/3 115 80/3 123 82/3 123 84/3 116 85/3
  • 決算期は1970年代後半に9月期から3月期へ変更されている。1972年9月期のみ証券 1973年25巻6号の記載(38億6,652万7千円)、以降は有価証券報告書。

1960年〜1996年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1960年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1961年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1962年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1963年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1964年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年09月期 単体 17 n/a n/a 2 12.4% n/a
1969年09月期 単体 20 +17.6% n/a 2 11.5% n/a
1970年09月期 単体 28 +40.0% n/a 2 8.6% n/a
1971年09月期 単体 38 +35.7% n/a 3 8.9% n/a
1972年09月期 単体 38 0.0% n/a 4 11.8% n/a
1973年09月期 単体 46 +21.1% n/a 5 11.5% n/a
1974年09月期 単体 60 +30.4% n/a 4 7.5% n/a
1975年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1976年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1977年03月期 単体 87 n/a n/a 8 9.2% n/a
1978年03月期 単体 94 +8.0% n/a 10 10.6% n/a
1979年03月期 単体 102 +8.5% n/a 10 10.1% n/a
1980年03月期 単体 115 +12.7% n/a 10 9.4% n/a
1981年03月期 単体 117 +1.7% n/a 9 8.5% n/a
1982年03月期 単体 123 +5.1% n/a 10 8.9% n/a
1983年03月期 単体 122 ▲0.8% n/a 11 9.2% n/a
1984年03月期 単体 123 +0.8% n/a 11 9.7% n/a
1985年03月期 単体 116 ▲5.7% n/a 11 9.5% n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 単体 146 n/a 13 6 4.7% n/a
1993年03月期 単体 151 +3.4% 13 4 3.0% n/a
1994年03月期 単体 156 +3.3% 11 3 2.2% n/a
1995年03月期 単体 152 ▲2.6% 12 19 13.0% n/a
1996年03月期 単体 147 ▲3.3% 9 6 4.1% n/a

出所:有価証券報告書、会社年鑑 2002年版

出典・参考

6件
出典・参考
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1974年9月期・1979年3月期)
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1982年3月期・1985年3月期)
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
  • 証券 1973年25巻6号
  • 野田経済 1978年11月号(佐藤和雄・ブルドックソース社長 インタビュー)
  • 実業往来 1979年

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