第2章 年〜年

ユキグニファクトリー:まいたけ水煮とMDフラクションへの多角化

1995年〜上場資金を注いだ五泉工場と、潜在需要の半分までという増産の基準

1995年3月期の売上高は85億2,400万円、経常利益は17億200万円となった。1994年に全国で人工栽培されたまいたけは推計1万4,000トンで、うち1万トンを雪国まいたけが生産した。大平喜信社長は上場時に得た資金などで新潟県五泉市に工場を建設し、年間1万7,000トンの生産を目指した。会社設立から11年で上場に至り、国内シェアは7割を占めていた。それでも増産を止めなかったのは、市場そのものが伸びる局面では、相対需要が増えれば売上高が横ばいでも自社の比率が下がり、価格決定権を他社に奪われうると見ていたためである。潜在需要を含めた市場の5割を押さえるまで増産を止めない構えだった。

  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [1]1995年3月期の売上高は85億2,400万円、経常利益は17億200万円
    • [2]1994年に全国で人工栽培されたまいたけは推計1万4,000トンで、うち1万トンを雪国まいたけが生産した
    • [3]1995年、上場時に得た資金などで新潟県五泉市に工場を建設し、生産基地を増やして年間1万7,000トンのまいたけ生産を目指した
  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [4]1983年の会社設立から11年で新潟証券取引所地域産業育成部に上場し、国内シェア70%を占めた
    • [5]今たとえ7割のシェアをとっていても、相対需要が増えれば売上げは横ばいでもシェアはダウンし、下手をすると他社に価格決定権を奪われることもあり得ると述べた
    • [6]潜在需要を含めたシェアの5割を押さえるまで増産の姿勢は崩さないと述べた

まいたけの人工栽培は、菌が光や温度に敏感で、一定量を定期的に生産し続けることが難しい。全国に2,000カ所あった栽培業者の多くは農家の兼業で、大規模な事業者はいなかった。雪国まいたけが7割を占めたのは、この栽培を農作業から装置産業へ置き換えたところにある。1997年3月の時点で大和・浦佐・六日町・五泉・五十沢の5工場が稼働し、生産能力は日産88トンに達した。会社設立から14年で本社包装工場を含む6工場を設け、平均2年に1カ所のペースで、増設を含めれば延べ10回以上の設備投資を重ねた。まいたけの発生率は99%で、これが強気の増産計画を支える裏づけとなった。

  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [7]まいたけは菌がデリケートで、光や温度など順調に発育させる環境を整えるのが難しく、定期的に一定量を生産し続けるのは至難の業とされた
    • [8]人工まいたけを栽培している農家や業者は全国に2,000カ所あるといわれるが、農家が兼業で作っているため大規模なところはない
  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [9]雪国まいたけがシェア70%をとれた理由は、まいたけ栽培を農作業から工業化(装置産業化)したところにある
    • [10]大和工場、浦佐工場、六日町工場、五泉工場、五十沢工場の5工場でまいたけの栽培生産が行われ、生産能力は日産88トンに上る
    • [11]会社設立から14年間で本社包装工場を含め6つの工場を設置し、平均2年ペースでの工場設置に加え各工場での設備増強を含めると延べ10回以上の設備投資が行われた
    • [12]雪国まいたけはまいたけ発生率99%という高い技術力を持ち、これが強気の生産増強戦略を打てる裏づけである

まいたけの価格は100グラム約150円まで下がり、10年前の半額になっていた。大平喜信社長は次の目安を100円に置いたが、社員は600人に増えており、菌の仕込みからクリーンルームへの搬出入までを人手に依存する生産を続ければ人件費が膨らむ。1995年6月から工場の一部に機械を導入し、まいたけのパッケージ詰めと運搬の自動化に入った。増員を伴わない増産の体制を作れなければ、価格を下げる余地が尽きる。設備投資のたびに50人から150人の募集が必要になり、人の確保そのものが増産の制約になっていた。1997年3月には従業員がパートを含めて756人に達し、増産と人員の増加は並走を続けた。

  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [13]まいたけの価格は100g約150円と10年前の半額まで下がった
    • [14]大平喜信社長は100円を目指すと述べ、増員なき増産が急務になっていた
    • [15]社員は600人に増え、菌の仕込みからクリーンルームへの運搬、運び出しなどほとんどを人手に頼る労働集約型の生産を続ければ人件費の増加につながる
    • [16]1995年6月から工場の一部に機械を導入し、まいたけのパッケージ詰めや運搬などを自動化した
    • [17]大平喜信社長にとって増員なき増産が急務になっていた
  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [18]設備投資のたびごとに人員を募集することになり、その数は50名から150名と大人数になる
    • [19]1997年3月時点の従業員はパートを含め756名
参考文献[1]-[19]
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [1]1995年3月期の売上高は85億2,400万円、経常利益は17億200万円
    • [2]1994年に全国で人工栽培されたまいたけは推計1万4,000トンで、うち1万トンを雪国まいたけが生産した
    • [3]1995年、上場時に得た資金などで新潟県五泉市に工場を建設し、生産基地を増やして年間1万7,000トンのまいたけ生産を目指した
    • [7]まいたけは菌がデリケートで、光や温度など順調に発育させる環境を整えるのが難しく、定期的に一定量を生産し続けるのは至難の業とされた
    • [8]人工まいたけを栽培している農家や業者は全国に2,000カ所あるといわれるが、農家が兼業で作っているため大規模なところはない
    • [13]まいたけの価格は100g約150円と10年前の半額まで下がった
    • [14]大平喜信社長は100円を目指すと述べ、増員なき増産が急務になっていた
    • [15]社員は600人に増え、菌の仕込みからクリーンルームへの運搬、運び出しなどほとんどを人手に頼る労働集約型の生産を続ければ人件費の増加につながる
    • [16]1995年6月から工場の一部に機械を導入し、まいたけのパッケージ詰めや運搬などを自動化した
    • [17]大平喜信社長にとって増員なき増産が急務になっていた
  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [4]1983年の会社設立から11年で新潟証券取引所地域産業育成部に上場し、国内シェア70%を占めた
    • [5]今たとえ7割のシェアをとっていても、相対需要が増えれば売上げは横ばいでもシェアはダウンし、下手をすると他社に価格決定権を奪われることもあり得ると述べた
    • [6]潜在需要を含めたシェアの5割を押さえるまで増産の姿勢は崩さないと述べた
    • [9]雪国まいたけがシェア70%をとれた理由は、まいたけ栽培を農作業から工業化(装置産業化)したところにある
    • [10]大和工場、浦佐工場、六日町工場、五泉工場、五十沢工場の5工場でまいたけの栽培生産が行われ、生産能力は日産88トンに上る
    • [11]会社設立から14年間で本社包装工場を含め6つの工場を設置し、平均2年ペースでの工場設置に加え各工場での設備増強を含めると延べ10回以上の設備投資が行われた
    • [12]雪国まいたけはまいたけ発生率99%という高い技術力を持ち、これが強気の生産増強戦略を打てる裏づけである
    • [18]設備投資のたびごとに人員を募集することになり、その数は50名から150名と大人数になる
    • [19]1997年3月時点の従業員はパートを含め756名

1996年〜五泉工場の培養不良が生んだ上場以来初の経常赤字

増産に向けて1995年に上場資金で建てた五泉工場は、事業の中核を担う設備だった。その五泉工場が動き出して間もなく培養環境の不具合を起こし、コストを押し上げた。これが中間期の赤字を招いた主な原因である。立ち上がりのつまずきはそのまま損益に響き、1996年10月の中間決算では、売上高が前年同期を超えたにもかかわらず、経常損益が上場後初の赤字となった。春から夏にかけてはまいたけが売れにくい時期で、数量が伸びなかったことも重なった。通期の1997年3月期は下期に取り返し、経常利益12億4,000万円に着地する見通しで、売上高は135億円と見込まれた。増産の速度に、生産の管理と需要の季節性が追いついていなかった。

  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [20]中間経常赤字の主たる原因は、増産稼働したばかりの五泉工場での培養環境に不具合が生じ、コストがかさんだことにある
    • [22]1996年10月期の中間決算で売上高は前年同期を上回ったものの、上場以来初の経常赤字を計上した
    • [23]春夏というまいたけの非需要期の数量的な伸び悩みが追い討ちをかける結果となった
    • [24]下期の巻き返しによって通期では経常利益12億4,000万円に落ち着く模様で、1997年3月期の売上高見込みは135億円
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [21]1995年、上場時に得た資金などで新潟県五泉市に工場を建設した

工場を増やすたびに要る50人から150人の労働力は、人口3万人の六日町周辺では容易に集まらなかった。地域平均の時給450円を600円へ引き上げ、既存の従業員は610円とし、昼をはさんで4時間以上働く者には弁当を無償で支給した。募集予定数の倍近い就労希望者が集まったが、パート労働者を奪われた近隣の電子部品・弱電メーカーが雪国まいたけを敵視し、労働条件を中傷する噂を流した。従業員とその家族は延べ700人にのぼり、2日間かけて六日町と大和町の上空を遊覧した。大平喜信社長が5人乗りのヘリコプターを2台借り切って行ったものである。その少し前には、募集をかけても人手が集まらない時期があり、役員会でも増設・増産を危ぶむ意見が出ていた。費用の250万円に対して、社員を遊覧飛行に招く会社なら働く条件が悪いわけがない、との声が口伝えに広まり、中傷はやんだ。

  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [25]設備投資のたびに募集する人員は50名から150名と大人数になる
    • [26]地域平均の時給450円だったところを600円(既存労働者は610円)に引き上げ、昼食をはさんで4時間以上就業する者に対して弁当の無償支給を行った
    • [27]募集予定数を倍近く上回る就労希望者が集まったが、パート労働者が流出した近隣の電子部品や弱電機メーカーが雪国まいたけを敵対視し、悪口を吹聴することで労働力の流出を防ごうとした
    • [28]5人乗りヘリコプター2台をチャーターし、六日町上空と大和町上空を2日間にわたって従業員およびその家族延べ700名を乗せて遊覧飛行した
    • [29]募集をかけても思うように人が集まらない時期があり、役員会でも工場の増設・増産の姿勢を崩さない大平喜信社長に対して人が集まらないから危険だと進言する役員がいた
    • [30]ヘリコプターのチャーター代は2日間で250万円で、社員のために遊覧飛行までしてくれる会社の労働条件が悪いはずはないという評判が口コミで伝わり、雪国まいたけに対する悪口は止んだ

内部管理を厚くしようと、一流企業で経験を積んだ幹部を数名採った雪国まいたけには、中途組と生え抜き組の対立を防ぐ共通の目標が必要だった。そのために1996年8月、ワラント債を出し、ワラント部分はいったん証券会社から買い戻したうえで、役員から主任クラスまでの従業員が希望に応じて買えるようにした。疑似ストックオプションと呼べるこの制度は、新潟証券取引所の上場企業で初めての例だった。権利行使期間を4年に設ける企業が多いなかで、期間は2年とした。上場によって大平喜信社長自身は持株の売り出しだけで2億6,000万円を手にし、1994年分の申告所得は新潟県内2位に並んでいた。株式の値上がりから得られる利益を、従業員の側にも制度として配った。

  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [31]内部管理の充実をはかる意味で一流企業で実績を積んだ幹部クラスを数名採用しており、その人たちと生え抜き組が対立しないよう共通の目標を持たせるために疑似ストックオプションを導入した
    • [32]1996年8月からワラント債を発行し、証券会社からいったん買い戻したワラント部分を従業員(役員から主任クラスまで)が任意で購入できる疑似ストックオプション制度を導入した
    • [33]新潟証券取引所の上場企業がこの制度を導入したのは雪国まいたけが初で、ワラント権利行使期間を4年とする企業が多い中、2年間(1998年8月)とした
    • [35]ワラントを持つ従業員が得をするには業績を上げることが先決であり、ワラントを手にしている間は皆が経営請負業者であると大平喜信社長は述べた
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [34]上場時の持ち株の売り出しだけで大平喜信氏は2億6,000万円を手にし、1994年の申告所得額で新潟県内2位となり納税額は約1億3,000万円だった
参考文献[20]-[35]
  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [20]中間経常赤字の主たる原因は、増産稼働したばかりの五泉工場での培養環境に不具合が生じ、コストがかさんだことにある
    • [22]1996年10月期の中間決算で売上高は前年同期を上回ったものの、上場以来初の経常赤字を計上した
    • [23]春夏というまいたけの非需要期の数量的な伸び悩みが追い討ちをかける結果となった
    • [24]下期の巻き返しによって通期では経常利益12億4,000万円に落ち着く模様で、1997年3月期の売上高見込みは135億円
    • [25]設備投資のたびに募集する人員は50名から150名と大人数になる
    • [26]地域平均の時給450円だったところを600円(既存労働者は610円)に引き上げ、昼食をはさんで4時間以上就業する者に対して弁当の無償支給を行った
    • [27]募集予定数を倍近く上回る就労希望者が集まったが、パート労働者が流出した近隣の電子部品や弱電機メーカーが雪国まいたけを敵対視し、悪口を吹聴することで労働力の流出を防ごうとした
    • [28]5人乗りヘリコプター2台をチャーターし、六日町上空と大和町上空を2日間にわたって従業員およびその家族延べ700名を乗せて遊覧飛行した
    • [29]募集をかけても思うように人が集まらない時期があり、役員会でも工場の増設・増産の姿勢を崩さない大平喜信社長に対して人が集まらないから危険だと進言する役員がいた
    • [30]ヘリコプターのチャーター代は2日間で250万円で、社員のために遊覧飛行までしてくれる会社の労働条件が悪いはずはないという評判が口コミで伝わり、雪国まいたけに対する悪口は止んだ
    • [31]内部管理の充実をはかる意味で一流企業で実績を積んだ幹部クラスを数名採用しており、その人たちと生え抜き組が対立しないよう共通の目標を持たせるために疑似ストックオプションを導入した
    • [32]1996年8月からワラント債を発行し、証券会社からいったん買い戻したワラント部分を従業員(役員から主任クラスまで)が任意で購入できる疑似ストックオプション制度を導入した
    • [33]新潟証券取引所の上場企業がこの制度を導入したのは雪国まいたけが初で、ワラント権利行使期間を4年とする企業が多い中、2年間(1998年8月)とした
    • [35]ワラントを持つ従業員が得をするには業績を上げることが先決であり、ワラントを手にしている間は皆が経営請負業者であると大平喜信社長は述べた
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [21]1995年、上場時に得た資金などで新潟県五泉市に工場を建設した
    • [34]上場時の持ち株の売り出しだけで大平喜信氏は2億6,000万円を手にし、1994年の申告所得額で新潟県内2位となり納税額は約1億3,000万円だった

1996年〜賞金2億5,000万円のキャンペーンと、水煮から機能性食品への拡張

1996年9月から12月までの4カ月間、雪国まいたけは賞金総額2億5,000万円の消費拡大キャンペーンを全国で展開した。景品規制の緩和で可能になった最高賞金1,000万円を毎月2本用意し、魚沼産コシヒカリや越後の地酒を景品に並べた。応募はがきは約505万通に達し、生鮮食品メーカーが単独で行ったキャンペーンとしては賞金総額が過去最高となった。売上高の70%は関東・甲信越が占めており、まいたけを一度も食べたことのない層が全国に残っていた。同じ予算を広告宣伝に充てるか賞金と景品に充てるかを比べ、後者のほうが効果があり消費者のためにもなると判断した。

  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [36]1996年9月から12月までの4カ月間、雪国まいたけおよび新潟県魚沼地区の知名度向上をはかるため、全国を対象に賞金総額2億5,000万円の消費拡大キャンペーンを展開した
    • [37]景品規制の緩和によって可能となった最高賞金1,000万円(毎月2本)を筆頭に、魚沼産コシヒカリ、越後の地酒など大型賞金・景品を取り揃えた
    • [38]4カ月間に全国から寄せられた応募ハガキの総数は約505万通で、生鮮食品メーカーが単独で行ったキャンペーンとしては史上最高の賞金総額だった
    • [40]この予算を広告宣伝に費やすのと賞金景品に充てるのとでは、どちらが効果的でなおかつ消費者のためになるかと考えた結果、後者だと判断したと大平喜信社長は述べた
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [39]雪国まいたけの売り上げの70%は関東・甲信越地区が占め、全国には一度もまいたけを食べたことのない人がまだ多いと大平喜信社長は社員に説いた

生のまいたけの売上を伸ばしながら加工食品向けの量も積み増し、需要の多い時期と少ない時期の差を詰めて通年で売れる商品にする、というのが方針だった。背景には、まいたけの需要が秋と冬に集中し、春と夏には落ち込んで、増やした生産設備の稼働率を下げていたことがある。1996年5月には自社生産のまいたけの水煮を売り出し、そのパックを使って業務用ルートを開拓し、生鮮では届かなかった販路を得た。同時にハウス食品・ミツカン・ヤマサ醤油など食品大手と手を組み、まいたけを使う献立をリーフレットで示して、全国の量販店で販売促進を行った。

  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [41]生まいたけの売上げを高めつつ加工食品用のまいたけを増やすことで売上増を狙い、需要期と非需要期の格差を縮めて通年商品として拡販に努める構えを取った
    • [42]春夏というまいたけの非需要期の数量的な伸び悩みが中間期の赤字に追い討ちをかけ、需要期と非需要期の格差を縮めることが経営課題となっていた
    • [44]まいたけの水煮パックで業務用ルートを開拓した
    • [45]ハウス食品、ミツカン、ヤマサ醤油といった食品大手とタイアップし、まいたけを使ったメニューをリーフレットで提案して全国の量販店等で販促を展開した
  • 雪国まいたけ 有価証券報告書【沿革】
    • [43]1996年5月、まいたけ水煮の自社生産による販売を開始した

1997年4月、雪国まいたけはまいたけのエキスを凝縮した健康維持食品「MDフラクション」の製造販売を始めた。1998年3月にはトータクの株式を取得し、加工食品の製造販売へ参入した。飲食店を営む雪国商事、加工食品を製造販売する雪国スーペルバを関連子会社として抱え、薬膳分野への参入も視野に入れていた。まいたけについて悪い噂が出ればそれだけで経営が傾きかねないと社内で語られ、単一の商品に依存する構造の危うさは1995年の時点で認識されていた。まいたけに続く次の手は、1995年の時点で弟で常務の大平正夫氏へ伝えられていた。生鮮のまいたけで築いた生産と販売の基盤を、加工と機能性食品へ広げる方向が1990年代の後半に定まった。

  • 雪国まいたけ 有価証券報告書【沿革】
    • [46]1997年4月、まいたけエキスを凝縮した健康維持食品「MDフラクション」の製造販売を開始した
    • [47]1998年3月、トータクの株式取得により加工食品の製造販売に参入した
  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [48]関連子会社に雪国商事(飲食店経営ほか)、雪国スーペルバ(加工食品製造販売)があり、今後はまいたけを使った加工食品の開発、薬膳分野の参入も視野に入れるとした
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [49]まいたけについて悪い噂が出たらそれだけで経営が傾くかもしれないと社内でも語られ、まいたけ一本槍での経営には限界があるとされた
    • [50]弟で常務の大平正夫氏は、社長はすでに食品分野で次の手を持っており、それを聞いた時はまいたけを始めた時くらい衝撃を受けたと述べた
参考文献[36]-[50]
  • 近代中小企業 1997年3月号
    • [36]1996年9月から12月までの4カ月間、雪国まいたけおよび新潟県魚沼地区の知名度向上をはかるため、全国を対象に賞金総額2億5,000万円の消費拡大キャンペーンを展開した
    • [37]景品規制の緩和によって可能となった最高賞金1,000万円(毎月2本)を筆頭に、魚沼産コシヒカリ、越後の地酒など大型賞金・景品を取り揃えた
    • [38]4カ月間に全国から寄せられた応募ハガキの総数は約505万通で、生鮮食品メーカーが単独で行ったキャンペーンとしては史上最高の賞金総額だった
    • [40]この予算を広告宣伝に費やすのと賞金景品に充てるのとでは、どちらが効果的でなおかつ消費者のためになるかと考えた結果、後者だと判断したと大平喜信社長は述べた
    • [41]生まいたけの売上げを高めつつ加工食品用のまいたけを増やすことで売上増を狙い、需要期と非需要期の格差を縮めて通年商品として拡販に努める構えを取った
    • [42]春夏というまいたけの非需要期の数量的な伸び悩みが中間期の赤字に追い討ちをかけ、需要期と非需要期の格差を縮めることが経営課題となっていた
    • [44]まいたけの水煮パックで業務用ルートを開拓した
    • [45]ハウス食品、ミツカン、ヤマサ醤油といった食品大手とタイアップし、まいたけを使ったメニューをリーフレットで提案して全国の量販店等で販促を展開した
    • [48]関連子会社に雪国商事(飲食店経営ほか)、雪国スーペルバ(加工食品製造販売)があり、今後はまいたけを使った加工食品の開発、薬膳分野の参入も視野に入れるとした
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
    • [39]雪国まいたけの売り上げの70%は関東・甲信越地区が占め、全国には一度もまいたけを食べたことのない人がまだ多いと大平喜信社長は社員に説いた
    • [49]まいたけについて悪い噂が出たらそれだけで経営が傾くかもしれないと社内でも語られ、まいたけ一本槍での経営には限界があるとされた
    • [50]弟で常務の大平正夫氏は、社長はすでに食品分野で次の手を持っており、それを聞いた時はまいたけを始めた時くらい衝撃を受けたと述べた
  • 雪国まいたけ 有価証券報告書【沿革】
    • [43]1996年5月、まいたけ水煮の自社生産による販売を開始した
    • [46]1997年4月、まいたけエキスを凝縮した健康維持食品「MDフラクション」の製造販売を開始した
    • [47]1998年3月、トータクの株式取得により加工食品の製造販売に参入した

筆者考察

増産をやめないという方針は、価格を下げ続けるための手段であり、同時に利益を圧縮する仕掛けでもあった。1995年3月期に売上高85億2,400万円・経常利益17億200万円を出した雪国まいたけは、上場で得た資金を新潟県五泉市の工場へ注ぎ、年間1万7,000トンの生産を目指す。大平喜信社長の理屈は単純で、市場そのものが伸びる局面ではシェアの比率を守っても意味がなく、潜在需要の5割を押さえるまで増産は止められない、というものだった。だが1996年10月の中間期、その五泉工場の培養が安定せず、上場以来初の経常赤字が出る。増産の速度に、生産の管理が追いつかなかった。

もう一つ追いつかなかったのが、需要の季節である。まいたけが売れるのは秋冬で、増設した設備は春夏に遊ぶ。1996年秋、雪国まいたけは賞金総額2億5,000万円のキャンペーンで505万通の応募はがきを集め、需要そのものを作る側へ回った。同時に始めたのが、生のまいたけ以外の出口づくりである。1996年5月の水煮の自社生産、1997年4月の健康維持食品MDフラクション、1998年3月のトータク株式取得による加工食品への参入。生鮮を安く大量に供給する装置を組み上げた会社が、その装置の稼働率を守るために、まいたけの売り方を増やした。多角化の起点は、成功ではなく赤字にある。

経常利益 1997年3月期は1997年3月時点の通期見込み(百万円)

1,702 95/3期 1,240 97/3期

出典・参考

3件
出典・参考
  • 雪国まいたけ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1995年7月24日号
  • 近代中小企業 1997年3月号

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