第1章 年〜年

日本国有鉄道:公共企業体の発足と定員法による9万5018人の整理

1949年〜総司令部の要求による公共企業体への改組と、独立採算制・運賃法定制

1949年6月1日、国有鉄道は日本国有鉄道の名称で公共企業体として改組し、76年続いた国営の幕を閉じて政府の行政機関から切り離された。改組を要した第1の条件は連合軍による占領である。国有鉄道は課ひとつの改廃も定員の異動も、総司令部と逐一打ち合わせて指令・勧告を仰がなければ実行できない状態に置かれていた。運輸省の内部にも事情があり、鉄道総局が膨大な現業機関を抱えるのに対し海運総局は純然たる監督機関にとどまるため、鉄道現業部門を運輸省から切り離すべきだという議論が省内の大勢を占めていた。公共企業体という構想も、日本政府が独自に発想したものではない。総司令部から"Public corporation"の機構を内示された政府は、アメリカ合衆国の同種の企業体についてまず初歩から調査した。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [1]1949年6月1日 国有鉄道が日本国有鉄道の名称で公共企業体へ改組
    • [2]76年の国営に幕を閉じ政府の行政機関から切り離された
    • [3]改組を要した第1の条件は連合軍の占領
    • [4]課の改廃も定員の異動も総司令部の指令・勧告を要した
    • [5]鉄道総局は現業機関を持ち海運総局は監督機関という運輸省内の不均衡
    • [6]鉄道現業部門を運輸省から切り離すべきだという議論が省内の大勢
    • [7]公共企業体は日本政府独自の構想ではなく総司令部から内示された
    • [8]政府は米国の同種企業体を初歩から調査した

1948年7月22日、マッカーサー元帥は内閣総理大臣芦田均氏に書簡を送り、国家公務員の争議その他国務を渋滞させるいっさいの行為を禁止するよう勧告するとともに、国有鉄道や専売事業について公共企業体を組織すべきことに言及した。書簡を受けて国家公務員法が改正され、国家公務員は争議権も団体交渉権も失った。国有鉄道の職員は国家権力の行使ではなく企業の運営に従事するにすぎず、公務員より緩和された労働権を与えるほうが企業運営上好ましい。この理由づけが組織変更の趣旨とされた。運輸省が1948年7月29日に作った機構改革案3案のうち、政府は鉄道総庁案と国有鉄道庁案を実現可能とみた。総司令部民間運輸局は、公共性と企業性の実現には公社とする第3案によるべきだと譲らなかった。日本国有鉄道法案は同年11月11日に第3回国会へ提出され、11月30日に無修正で可決、12月20日に法律第256号として公布された。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [9]1948年7月22日 マッカーサー元帥が芦田均首相へ書簡を送付
    • [10]国務を渋滞させるいっさいの行為の禁止を勧告
    • [11]書簡は国有鉄道・専売事業の公共企業体化に言及
    • [12]国家公務員法改正で争議権も団体交渉権も禁止
    • [13]国鉄職員には公務員より緩和された労働権を与えるほうが好ましいとの趣旨で公共企業体へ改組
    • [14]1948年7月29日 運輸省が機構改革案3案を作成し政府は第1・第2案を検討
    • [15]総司令部民間運輸局が公社とする第3案を主張して譲らなかった
    • [16]日本国有鉄道法は1948年11月30日可決・12月20日に法律第256号として公布

日本国有鉄道法の施行は当初1949年4月1日を予定していたが、運輸省設置法の施行が6月1日へ延期されたため同じ日にそろえられた。日本国有鉄道は発足と同時に、経済安定9原則によって均衡予算を厳守することを第1の命題とされた。1949年度は貨物運賃を据え置き旅客運賃を6割値上げすることを条件に、収支の均衡をはかることが求められた。運賃の決め方にも制約がかかった。財政法第3条が国の独占事業の料金を法律または国会の議決で定めると規定したのは、新憲法の理念によるものとして総司令部が強く要求した結果である。1948年4月14日の法律第27号『財政法第3条の特例に関する法律』は、国会の議決を要するものに煙草の定価・郵便電信料金と並んで鉄道運賃の賃率を含めた。独立採算制を採ったことで復興のための投資規模は必要な水準に届かず、のちに至るまで大きな禍根を残した。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [17]施行は1949年4月1日の予定が運輸省設置法にそろえて6月1日へ延期
    • [18]経済安定9原則により均衡予算の厳守が第1の命題
    • [19]1949年度は貨物据置き・旅客6割値上げを条件に収支均衡を要求された
    • [20]財政法第3条の独占事業料金の国会議決規定は総司令部の強い要求による
    • [21]新憲法の理念によるものとして総司令部が要求した
    • [22]1948年4月14日 法律第27号が鉄道運賃の賃率を国会議決事項に含めた
    • [23]議決事項に煙草の定価・郵便電信料金と鉄道運賃の賃率を含めた
    • [24]独立採算制の採用で復興投資が抑えられ後年まで禍根を残した
参考文献[1]-[24]
  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [1]1949年6月1日 国有鉄道が日本国有鉄道の名称で公共企業体へ改組
    • [2]76年の国営に幕を閉じ政府の行政機関から切り離された
    • [3]改組を要した第1の条件は連合軍の占領
    • [4]課の改廃も定員の異動も総司令部の指令・勧告を要した
    • [5]鉄道総局は現業機関を持ち海運総局は監督機関という運輸省内の不均衡
    • [6]鉄道現業部門を運輸省から切り離すべきだという議論が省内の大勢
    • [7]公共企業体は日本政府独自の構想ではなく総司令部から内示された
    • [8]政府は米国の同種企業体を初歩から調査した
    • [9]1948年7月22日 マッカーサー元帥が芦田均首相へ書簡を送付
    • [10]国務を渋滞させるいっさいの行為の禁止を勧告
    • [11]書簡は国有鉄道・専売事業の公共企業体化に言及
    • [12]国家公務員法改正で争議権も団体交渉権も禁止
    • [13]国鉄職員には公務員より緩和された労働権を与えるほうが好ましいとの趣旨で公共企業体へ改組
    • [14]1948年7月29日 運輸省が機構改革案3案を作成し政府は第1・第2案を検討
    • [15]総司令部民間運輸局が公社とする第3案を主張して譲らなかった
    • [16]日本国有鉄道法は1948年11月30日可決・12月20日に法律第256号として公布
    • [17]施行は1949年4月1日の予定が運輸省設置法にそろえて6月1日へ延期
    • [18]経済安定9原則により均衡予算の厳守が第1の命題
    • [19]1949年度は貨物据置き・旅客6割値上げを条件に収支均衡を要求された
    • [20]財政法第3条の独占事業料金の国会議決規定は総司令部の強い要求による
    • [21]新憲法の理念によるものとして総司令部が要求した
    • [22]1948年4月14日 法律第27号が鉄道運賃の賃率を国会議決事項に含めた
    • [23]議決事項に煙草の定価・郵便電信料金と鉄道運賃の賃率を含めた
    • [24]独立採算制の採用で復興投資が抑えられ後年まで禍根を残した

1950年〜定員法による9万5018人の整理と、下山・三鷹・松川の三事件

終戦直後の国有鉄道は事業官庁として多くの職種を持ち、復員・引揚の軍人や政府関係職員を受け入れる組織として着目されたため、積極的な人員受け入れを迫られた。食糧増産、運輸建設本部・軍管理工場・軍病院の引受け、炭坑の経営、教習所の拡充、公安員の設置、列車の増発を相次いで計画したのもその現われである。ただし人の多い割にサービスは向上せず、営業でも運転でも事故が減らないという非難が絶えなかった。1949年3月末の職員数は60万4243人に達し、1948年度は一般会計からの300億円の繰入金でかろうじて収支のバランスを保った。1949年5月31日に成立した行政機関職員定員法は附則第7項で、職員数を同年10月1日に506,734名以下とするため9月30日までに逐次整理すると定めた。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [25]復員・引揚の軍人や政府関係職員の受け皿として人員を受け入れた
    • [26]食糧増産・軍管理工場・軍病院の引受けや炭坑経営など業務を広げた
    • [27]人が多い割にサービスは向上せず事故も減らないとの非難が絶えなかった
    • [28]1949年3月末の国鉄職員数は60万4243人
    • [29]1948年度は一般会計から300億円を繰り入れて収支を保った
    • [30]1949年5月31日成立の行政機関職員定員法 附則第7項で506,734名以下へ整理
    • [31]1949年10月1日時点で506,734名を超えないよう9月30日までに整理

定員は機械的な天引削減ではなく、最も能率的とみられた1939年度の労働生産性を基準に1950年度の業務量から算定し、労働基準法の施行による労働条件の変化を加味して決めた。整理の基準は人格・知識、肉体的適応性、業務に対する熟練と協力といった資格要件の優劣に置き、差を認めがたい者の間では国有鉄道での勤務の長さによるとした。同法附則第9項は、公共企業体労働関係法第8条第2項が定める団体交渉の範囲の規定の適用を排除した。国鉄労働組合が申し立てた仮処分を、東京地方裁判所は1949年8月8日に却下した。整理は7月1日に運輸省大臣出席のもとで基準を通告してから、7月4日の第1次通告、7月14日の第2次通告を経て、7月21日の広島鉄道局管内への通告で大筋を終えた。依願免1万2472人、免職8万141人、その他2405人の計9万5018人が職を離れた。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [32]定員は1939年度の労働生産性を基準に1950年度の業務量から算定
    • [33]労働基準法の施行による労働条件のあり方を考慮して決定
    • [34]整理基準は人格・知識・肉体的適応性・熟練と協力の優劣
    • [35]資格要件に差がない者は国有鉄道での勤務の長さによる
    • [36]定員法附則第9項が公労法第8条第2項の適用を排除
    • [37]1949年8月8日 東京地裁が国労の仮処分申請を却下
    • [38]7月1日の基準通告から7月21日の広島鉄道局管内通告まで
    • [39]依願免1万2472人・免職8万141人・その他2405人の計9万5018人

第1次通告の翌7月5日、下山定則総裁は日本橋三越へ立ち寄ったまま消息を絶ち、翌6日、常磐線北千住・綾瀬間で轢死体となって発見された。自殺説と他殺説が入り乱れ、原因は不明である。第2次通告の翌15日、中央本線三鷹駅構内で電車が暴走し、前部4両が駅前のアパートに突入し、旅客6人が死亡、19人が重軽傷を負った。8月17日、東北本線金谷川・松川間で上り第412列車が脱線転覆し、機関士と機関助士3人が死亡した。政府は事件のたびに共産党員や労働組合員が暴力革命の意図で起こしたものとして発表し、新聞やラジオもこれを大々的に伝えた。組合は不利な立場に追い込まれ、予測された地域闘争も組織的闘争も起きなかった。1950年11月10日、日本国有鉄道は共産主義者と同調者を排除する方針を組合へ示し、469人を追放した。1951年5月23・24日、京都で日本国有鉄道機関車労働組合が結成され、分裂が確定した。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [40]1949年7月5日 下山定則総裁が日本橋三越で消息を絶つ
    • [41]翌6日、常磐線北千住・綾瀬間で轢死体で発見
    • [42]自殺説・他殺説が入り乱れ原因は不明
    • [43]三鷹駅構内で電車が暴走し前部4両が駅前アパートに突入
    • [44]旅客6人が死亡し19人が重軽傷
    • [45]1949年8月17日 松川で上り第412列車が脱線転覆し3人死亡
    • [46]政府は事件を共産党員・労働組合員によるものと発表し報道も拡大
    • [47]組合は不利な立場に追い込まれ地域闘争も組織的闘争も起こらなかった
    • [48]1950年11月10日の方針提示によるレッドパージで469人を追放
    • [49]1951年5月23・24日 京都で日本国有鉄道機関車労働組合が結成
参考文献[25]-[49]
  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [25]復員・引揚の軍人や政府関係職員の受け皿として人員を受け入れた
    • [26]食糧増産・軍管理工場・軍病院の引受けや炭坑経営など業務を広げた
    • [27]人が多い割にサービスは向上せず事故も減らないとの非難が絶えなかった
    • [28]1949年3月末の国鉄職員数は60万4243人
    • [29]1948年度は一般会計から300億円を繰り入れて収支を保った
    • [30]1949年5月31日成立の行政機関職員定員法 附則第7項で506,734名以下へ整理
    • [31]1949年10月1日時点で506,734名を超えないよう9月30日までに整理
    • [32]定員は1939年度の労働生産性を基準に1950年度の業務量から算定
    • [33]労働基準法の施行による労働条件のあり方を考慮して決定
    • [34]整理基準は人格・知識・肉体的適応性・熟練と協力の優劣
    • [35]資格要件に差がない者は国有鉄道での勤務の長さによる
    • [36]定員法附則第9項が公労法第8条第2項の適用を排除
    • [37]1949年8月8日 東京地裁が国労の仮処分申請を却下
    • [38]7月1日の基準通告から7月21日の広島鉄道局管内通告まで
    • [39]依願免1万2472人・免職8万141人・その他2405人の計9万5018人
    • [40]1949年7月5日 下山定則総裁が日本橋三越で消息を絶つ
    • [41]翌6日、常磐線北千住・綾瀬間で轢死体で発見
    • [42]自殺説・他殺説が入り乱れ原因は不明
    • [43]三鷹駅構内で電車が暴走し前部4両が駅前アパートに突入
    • [44]旅客6人が死亡し19人が重軽傷
    • [45]1949年8月17日 松川で上り第412列車が脱線転覆し3人死亡
    • [46]政府は事件を共産党員・労働組合員によるものと発表し報道も拡大
    • [47]組合は不利な立場に追い込まれ地域闘争も組織的闘争も起こらなかった
    • [48]1950年11月10日の方針提示によるレッドパージで469人を追放
    • [49]1951年5月23・24日 京都で日本国有鉄道機関車労働組合が結成

1951年〜占領下で削られた電化計画と、朝鮮戦争の特需輸送

1948年に立てられた幹線電化中心の5か年計画に対し、総司令部民間運輸局は、着工済みの奥羽本線福島・米沢間と東海道本線沼津・浜松間についても工事の中止を求めた。日本国有鉄道は石炭の消費節減と国内の経済復興に不可欠だという理由で継続の承認を得、東海道本線は沼津・静岡間を1949年2月1日、静岡・浜松間を5月20日、奥羽本線福島・米沢間を4月24日に完成させ、これらの電化線区は予期以上の経済的効果をあげた。しかし他の工事は一つも起工できず、5か年計画の実現はほとんど不可能になった。車両の増備も総司令部の命令でほとんどが削られた。1949年9月15日のダイヤ改正では特急"平和"号が復活し、展望車1両を含む11両編成で東京・大阪間554kmを9時間で走り、平均速度61.5km/h、最高速度95km/hとほぼ戦前の水準に戻した。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [50]1948年に幹線電化を中心とする5か年計画を策定
    • [51]総司令部民間運輸局が着工済み区間の工事中止を要求
    • [52]石炭の消費節減と経済復興に必要と説得して工事継続の承認を得た
    • [53]1949年に東海道本線沼津・浜松間と奥羽本線福島・米沢間の電化が完成
    • [54]電化線区は予期以上の経済的効果をあげた
    • [55]他の工事は起工できず5か年計画の実現は不可能になった
    • [56]車両増備も総司令部の命令でほとんど削減された
    • [57]1949年9月15日のダイヤ改正で特急「平和」号が復活
    • [58]11両編成で東京・大阪間554kmを9時間・平均61.5km/hで走り戦前水準に達した

1950年6月25日に朝鮮戦争が始まると、日本は不可欠の兵站基地とされ、膨大な兵員と資材が送り込まれた。開戦の翌26日には弾薬輸送のため約40両の貨車が動員され、臨時貨物列車は26日1本、27日2本、28日6本、29日10本と急増した。7月1日から16日までに九州地区へ走った軍事輸送関係の臨時列車は209本・5111両に達し、一般の貨物輸送はその分だけ抑えられた。貨物の年間輸送量は1949年度の1億2430万トンから1950年度は1億2900万トンへ伸びており、この数字には連合軍の軍事輸送量が入っていない。1950年秋の在貨は150万トン、1951年2月も150万トンで、以後は200万トン前後で推移した。1951年度上半期の貨物輸送実績は1936年度比で約150%となり、同期の鉱工業生産指数113を上回った。

  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [59]1950年6月25日 朝鮮戦争勃発で日本が兵站基地とされた
    • [60]開戦翌日に弾薬輸送で約40両の貨車を動員
    • [61]臨時貨物列車は6月26日1本から29日10本へ急増
    • [62]7月1日から16日に九州地区へ軍事輸送の臨時列車209本・5111両
    • [63]貨物年間輸送量は1949年度1億2430万トンから1950年度1億2900万トンへ
    • [64]この輸送量には連合軍の軍事輸送量を含まない
    • [65]1950年秋・1951年2月の在貨150万トン、以後200万トン前後
    • [66]1951年度上半期の貨物輸送実績は1936年度比約150%、鉱工業生産指数は113

1950年から1955年にかけて日本国有鉄道の貨物と旅客の輸送量はいずれも約2割増えたが、施設の増加はわずかにとどまった。輸送力が需要に追いつかない間に自家用トラックが増え、その輸送量の伸びは鉄道を上回った。当時の自動車保有台数は14万台にすぎない。道路の側では有料道路の制度が設けられ、揮発油税を道路整備の特定財源とする法律も制定された。日本国有鉄道の1952年度は営業収入2182億2000万円に対し営業損益が20億8000万円の赤字、1954年度も35億9000万円の赤字だった。1949年9月に第2代総裁となった加賀山之雄氏、1951年8月に第3代総裁となった長崎惣之助氏に続き、1955年5月には十河信二氏が第4代総裁に就任した。

  • 日本産業史 第2巻 情報・通信・サービス(日本経済新聞社、1994年)「交通・通信-自動車時代のきざし」
    • [67]1950年から1955年に貨物・旅客とも約2割増えたが施設の増加は微々たるもの
    • [68]鉄道輸送力の相対的低下が自動車輸送をうながし自家用トラックの伸びが鉄道を上回った
    • [69]戦後の自動車保有台数は14万台
    • [70]有料道路の創設と揮発油税を道路整備の特定財源とする法律の制定
  • 日本国有鉄道監査報告書 昭和34年度
    • [71]1952年度 営業収入2182.2億円・営業損益△20.8億円
    • [72]1954年度 営業損益△35.9億円
  • 日本国有鉄道百年史 別巻 国鉄歴史事典(日本国有鉄道、1973年)
    • [73]第2代総裁 加賀山之雄氏 1949年9月就任/第3代 長崎惣之助氏 1951年8月就任
    • [74]第4代総裁 十河信二氏 1955年5月就任
参考文献[50]-[74]
  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
    • [50]1948年に幹線電化を中心とする5か年計画を策定
    • [51]総司令部民間運輸局が着工済み区間の工事中止を要求
    • [52]石炭の消費節減と経済復興に必要と説得して工事継続の承認を得た
    • [53]1949年に東海道本線沼津・浜松間と奥羽本線福島・米沢間の電化が完成
    • [54]電化線区は予期以上の経済的効果をあげた
    • [55]他の工事は起工できず5か年計画の実現は不可能になった
    • [56]車両増備も総司令部の命令でほとんど削減された
    • [57]1949年9月15日のダイヤ改正で特急「平和」号が復活
    • [58]11両編成で東京・大阪間554kmを9時間・平均61.5km/hで走り戦前水準に達した
    • [59]1950年6月25日 朝鮮戦争勃発で日本が兵站基地とされた
    • [60]開戦翌日に弾薬輸送で約40両の貨車を動員
    • [61]臨時貨物列車は6月26日1本から29日10本へ急増
    • [62]7月1日から16日に九州地区へ軍事輸送の臨時列車209本・5111両
    • [63]貨物年間輸送量は1949年度1億2430万トンから1950年度1億2900万トンへ
    • [64]この輸送量には連合軍の軍事輸送量を含まない
    • [65]1950年秋・1951年2月の在貨150万トン、以後200万トン前後
    • [66]1951年度上半期の貨物輸送実績は1936年度比約150%、鉱工業生産指数は113
  • 日本産業史 第2巻 情報・通信・サービス(日本経済新聞社、1994年)「交通・通信-自動車時代のきざし」
    • [67]1950年から1955年に貨物・旅客とも約2割増えたが施設の増加は微々たるもの
    • [68]鉄道輸送力の相対的低下が自動車輸送をうながし自家用トラックの伸びが鉄道を上回った
    • [69]戦後の自動車保有台数は14万台
    • [70]有料道路の創設と揮発油税を道路整備の特定財源とする法律の制定
  • 日本国有鉄道監査報告書 昭和34年度
    • [71]1952年度 営業収入2182.2億円・営業損益△20.8億円
    • [72]1954年度 営業損益△35.9億円
  • 日本国有鉄道百年史 別巻 国鉄歴史事典(日本国有鉄道、1973年)
    • [73]第2代総裁 加賀山之雄氏 1949年9月就任/第3代 長崎惣之助氏 1951年8月就任
    • [74]第4代総裁 十河信二氏 1955年5月就任

1949年〜1955年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1949年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1950年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1951年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1952年03月期 単体 2,182 n/a ▲20 ▲1.0% n/a
1953年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1954年03月期 単体 2,527 n/a ▲35 ▲1.4% n/a
1955年03月期 単体 2,629 +4.1% ▲184 ▲7.0% n/a

出所:日本国有鉄道監査報告書 昭和34年度

出典・参考

4件
出典・参考
  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
  • 日本国有鉄道百年史 別巻 国鉄歴史事典(日本国有鉄道、1973年)
  • 日本産業史 第2巻 情報・通信・サービス(日本経済新聞社、1994年)「交通・通信-自動車時代のきざし」
  • 日本国有鉄道監査報告書 昭和34年度

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