福武哲彦

ベネッセコーポレーション・元代表取締役社長

Fukutake Tetsuhiko(敬称略)

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社長就任 1955年
生年月日 —
学歴 岡山県師範学校(1935年卒)
出自 —
社長就任までの出自
出自

1935年に岡山県師範学校を卒業し、下から2番目の成績のまま山奥の小学校へ赴任した。1949年、岡山で小学生向けのテストブックとドリルブックを出す富士出版を設立する。教材は作れば売れたものの代金を回収できない取引先が次々に現れ、1954年7月20日、64万円の手形が落とせず富士出版は倒産した。総負債は2,400万円で、大卒の初任給が3,500円の時代である。同年10月、岡山を離れずにもう一度出版をやると決めた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

福武書店に前任はおらず、倒産の翌年に自ら興して初代社長に就任した。悪名が高いままでは普通の本を作っても取り合ってもらえないと考え、身分証明書を貼って校則と生徒会の規約を書き込む生徒手帳と、刷り込んだ文面をなぞれば字が書けなくても出せる年賀状の手本集の二つを用意した。生徒手帳の売り先には、教材販売で作った小学校教員との人脈を見込んでいる。1冊15円で売った手本集の利益を全額つぎ込み、資本金50万円で1955年1月、岡山市南方420番地に株式会社福武書店を設立した。

在任中の主な施策
施策

学校へ納めた時点で取引が終わる図書と生徒手帳から、同じ生徒へ何年も届ける商いへ移した。1962年4月に関西進学研究会を設けて高校生を対象とする『関西模試』を始め、1969年1月には高校生のための通信添削講座『通信教育セミナ』を開講する。1972年12月に中学生向けの講座を加え、1973年4月に名称を『進研ゼミ』へ改め、1980年9月には小学講座を開いた。1981年には文芸雑誌『海燕』を創刊して出版の品目も広げ、1984年度の売上高は433億円となった。

在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1955〜1955年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件
参考文献
  • 日経ビジネス 1985年6月24日号「シリーズ 「原点」で生きる 福武哲彦・福武書店社長 教師に絶望、教育へ回帰」
  • ベネッセホールディングス 有価証券報告書【沿革】

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