しまむら:島村呉服店の設立とセルフサービス導入によるチェーン化
1953年〜小川町の島村呉服店を継いだ島村恒俊氏と、既製服とセルフサービスへの切り替え
島村恒俊氏は1948年4月、父の島村喜一氏が1924年6月に埼玉県小川町で開業した個人商店、島村呉服店の経営を継承した。1953年5月には個人商店を株式会社へ組織変更し、新しい商号は株式会社島村呉服店。改組と同じ年に、扱う品を既製服と生地、および生地の仕立てへ切り替えた。島村恒俊氏は1992年のインタビューで、家業を実質的に継いだ時期を1948年頃、株式会社化を1953年と振り返った。法人化と品目の変更を同じ年に重ねたのは、家業の呉服店を衣料の小売事業へ作り替える狙いだったとみられる。
- 証券 41(2)(479) 1989年(飯村)
- [1]1924年6月に島村喜一氏が小川町で個人商店島村呉服店を開業、1948年4月に島村恒俊氏が経営を継承、1953年5月に株式会社島村呉服店へ組織変更
- [2]1924年6月に島村喜一氏が小川町で個人商店島村呉服店を開業、1948年4月に島村恒俊氏が経営を継承、1953年5月に株式会社島村呉服店へ組織変更
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- [3]1953年の株式会社化の時点で取扱品目を既製服および生地とその仕立てに変更
- あさひ銀総研レポート 1(2)(68) 1992年11月 トップインタビュー 島村恒俊氏
- [4]島村恒俊氏は実質的な継承を1948年頃、株式会社への組織替えを1953年と回顧
1957年、島村恒俊氏は店にセルフサービス方式を導入し、営業品目を総合衣料品へ広げた。島村恒俊氏の講演によると、導入の動機は総合衣料のスーパーを志向したことにあった。島村恒俊氏は1992年のインタビューで、店の客を当初から大衆に置いたと説明した。その客層を島村恒俊氏が言い表した言葉は『100人のうちの80人が買っていただける対象』。客層に合わせ、スーツやブラウスなど品目ごとに上限価格を決め、それを超える品は扱わない方針も示した。店員が客に付き添う呉服の売り方では大衆向けの多品目をさばけず、セルフ方式は総合衣料を広く売る前提だったと推察される。
- あさひ銀総研レポート 1(2)(68) 1992年11月 トップインタビュー 島村恒俊氏
- [5]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
- [7]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
- [8]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
- [9]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- [6]1957年のセルフサービスシステム導入は総合衣料スーパーを志向したもの
参考文献[1]-[9]
- 証券 41(2)(479) 1989年(飯村)
- [1]1924年6月に島村喜一氏が小川町で個人商店島村呉服店を開業、1948年4月に島村恒俊氏が経営を継承、1953年5月に株式会社島村呉服店へ組織変更
- [2]1924年6月に島村喜一氏が小川町で個人商店島村呉服店を開業、1948年4月に島村恒俊氏が経営を継承、1953年5月に株式会社島村呉服店へ組織変更
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- [3]1953年の株式会社化の時点で取扱品目を既製服および生地とその仕立てに変更
- [6]1957年のセルフサービスシステム導入は総合衣料スーパーを志向したもの
- あさひ銀総研レポート 1(2)(68) 1992年11月 トップインタビュー 島村恒俊氏
- [4]島村恒俊氏は実質的な継承を1948年頃、株式会社への組織替えを1953年と回顧
- [5]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
- [7]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
- [8]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
- [9]1957年にセルフサービスを導入し営業品目を総合衣料品に転換。当初から大衆を対象とし、品目ごとに上限価格を設けて超える品は扱わない
1961年〜東松山の2号店で始めたチェーン化と、和装をやめて改めた株式会社しまむらの名
1961年5月、島村恒俊氏は2号店として埼玉県東松山市に東松山店を開店した。証券誌はこの出店を、多店舗化への足掛かりを得た一歩と位置付けた。島村恒俊氏の講演によると、2号店の開店後は時間をかけて少しずつチェーン化を進めた。島村恒俊氏は、目指したのは単独の店や百貨店とは異なるチェーンストアだったと説明した。同じ講演で島村恒俊氏は、創業から1970年代前半までの時期に試行錯誤が多かったことも認めた。1店で整えたセルフ方式の売り場を小川町の外でも再現できるかを、東松山店で確かめたのだろう。
- 証券 41(2)(479) 1989年(飯村)
- [10]1961年5月に2号店として東松山店(埼玉県東松山市)を開店し、多店舗化への足掛かりとした
- [11]1961年5月に2号店として東松山店(埼玉県東松山市)を開店し、多店舗化への足掛かりとした
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- [12]1961年に2号店を東松山に開店し以後徐々にチェーン化。単独店やデパートと違うチェーンストアを目指し、創業から昭和40年代までは試行錯誤があった
- [13]1961年に2号店を東松山に開店し以後徐々にチェーン化。単独店やデパートと違うチェーンストアを目指し、創業から昭和40年代までは試行錯誤があった
- [14]1961年に2号店を東松山に開店し以後徐々にチェーン化。単独店やデパートと違うチェーンストアを目指し、創業から昭和40年代までは試行錯誤があった
1966年9月、島村恒俊氏は開業以来扱ってきた呉服や太物などの和装品について、販売と仕立てを停止した。証券誌の記述では、この停止は時流に合わせた見直しにあたる。証券誌によれば、1989年時点の商品構成の骨格はこの停止の時点でほぼ固まった。島村恒俊氏は講演で、大衆向けの衣料品を売る方針を固めたと説明した。1989年の取扱品は婦人衣料、紳士衣料、子供衣料、肌着類、服飾品、寝具などで、うち婦人衣料が約30%にあたる。和装は仕立ての技能と長い接客を要し、標準化した売り場で多くの客をさばくチェーンの運営と合わなかったと思われる。
- 証券 41(2)(479) 1989年(飯村)
- [15]1966年9月に時流に合わせて呉服・太物等の和装品の販売と仕立てを停止し、この時点で1989年時点の商品構成がほぼ固まった
- [16]1966年9月に時流に合わせて呉服・太物等の和装品の販売と仕立てを停止し、この時点で1989年時点の商品構成がほぼ固まった
- [17]1966年9月に時流に合わせて呉服・太物等の和装品の販売と仕立てを停止し、この時点で1989年時点の商品構成がほぼ固まった
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- [18]大衆向け衣料品の販売に方針を固めた。1989年の取扱品は婦人・紳士・子供衣料、肌着類、服飾品、寝具等で婦人衣料が約30%
- [19]大衆向け衣料品の販売に方針を固めた。1989年の取扱品は婦人・紳士・子供衣料、肌着類、服飾品、寝具等で婦人衣料が約30%
1972年9月、島村恒俊氏は商号を株式会社島村呉服店から株式会社しまむらへ変更した。和装品の販売と仕立てを1966年9月に停止してから、6年後の改称。島村恒俊氏は1992年のインタビューで、1953年の株式会社化、1957年のセルフ導入に続く節目として1972年の社名変更を挙げた。1977年5月時点の店舗数は10店舗である。島村恒俊氏は講演で、チェーンストアの仕組みの基礎を1970年代後半に築いたと説明した。品揃えから呉服が消えたあとの改称は、衣料チェーンとして名乗り直すための手当てだったと考えられる。
- 証券 41(2)(479) 1989年(飯村)
- [20]1972年9月に商号を株式会社しまむらに変更。1966年9月に和装品を停止。1977年5月までに10店舗を出店
- [21]1972年9月に商号を株式会社しまむらに変更。1966年9月に和装品を停止。1977年5月までに10店舗を出店
- [23]1972年9月に商号を株式会社しまむらに変更。1966年9月に和装品を停止。1977年5月までに10店舗を出店
- あさひ銀総研レポート 1(2)(68) 1992年11月 トップインタビュー 島村恒俊氏
- [22]1953年株式会社化、1957年セルフ導入・総合衣料品転換、1972年に株式会社しまむらへ社名変更と回顧
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- [24]1972年9月に社名を株式会社しまむらに変更。チェーンストアのシステムの基礎を昭和50年代前半に築いた
参考文献[10]-[24]
- 証券 41(2)(479) 1989年(飯村)
- [10]1961年5月に2号店として東松山店(埼玉県東松山市)を開店し、多店舗化への足掛かりとした
- [11]1961年5月に2号店として東松山店(埼玉県東松山市)を開店し、多店舗化への足掛かりとした
- [15]1966年9月に時流に合わせて呉服・太物等の和装品の販売と仕立てを停止し、この時点で1989年時点の商品構成がほぼ固まった
- [16]1966年9月に時流に合わせて呉服・太物等の和装品の販売と仕立てを停止し、この時点で1989年時点の商品構成がほぼ固まった
- [17]1966年9月に時流に合わせて呉服・太物等の和装品の販売と仕立てを停止し、この時点で1989年時点の商品構成がほぼ固まった
- [20]1972年9月に商号を株式会社しまむらに変更。1966年9月に和装品を停止。1977年5月までに10店舗を出店
- [21]1972年9月に商号を株式会社しまむらに変更。1966年9月に和装品を停止。1977年5月までに10店舗を出店
- [23]1972年9月に商号を株式会社しまむらに変更。1966年9月に和装品を停止。1977年5月までに10店舗を出店
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- [12]1961年に2号店を東松山に開店し以後徐々にチェーン化。単独店やデパートと違うチェーンストアを目指し、創業から昭和40年代までは試行錯誤があった
- [13]1961年に2号店を東松山に開店し以後徐々にチェーン化。単独店やデパートと違うチェーンストアを目指し、創業から昭和40年代までは試行錯誤があった
- [14]1961年に2号店を東松山に開店し以後徐々にチェーン化。単独店やデパートと違うチェーンストアを目指し、創業から昭和40年代までは試行錯誤があった
- [18]大衆向け衣料品の販売に方針を固めた。1989年の取扱品は婦人・紳士・子供衣料、肌着類、服飾品、寝具等で婦人衣料が約30%
- [19]大衆向け衣料品の販売に方針を固めた。1989年の取扱品は婦人・紳士・子供衣料、肌着類、服飾品、寝具等で婦人衣料が約30%
- [24]1972年9月に社名を株式会社しまむらに変更。チェーンストアのシステムの基礎を昭和50年代前半に築いた
- あさひ銀総研レポート 1(2)(68) 1992年11月 トップインタビュー 島村恒俊氏
- [22]1953年株式会社化、1957年セルフ導入・総合衣料品転換、1972年に株式会社しまむらへ社名変更と回顧
出典・参考
3件
- 証券アナリストジャーナル 27(2) 1989年 島村恒俊(企業分析部会講演要旨)
- 証券 41(2)(479) 1989年(飯村)
- あさひ銀総研レポート 1(2)(68) 1992年11月 トップインタビュー 島村恒俊氏